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第4章
カンの隊商1(スルターンと使者ヤラワチ)
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人物紹介
ホラズム側
テルケン・カトン:先代テキッシュの正妻。カンクリの王女。母后とも呼ばれる。
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。
先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。
ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。
(これは名ではなく、称号である)
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
マフムード・ヤラワチ:チンギスの使者。商人出身。ホラズム地方出身
人物紹介終了
モンゴルと協定を結んだ後のこと。
やはりナイチンゲールが美しい声でさえずる中、ニザームはどうしておるかと、スルターンは尋ねた。
出立の挨拶に来てもよさそうなものが、いつまで経っても来ぬゆえであった。
あるいは殊勝にもモンゴル使節との交渉が終わるを待っておるのかとも想ったので、とりあえず放っておいたのであるが。
臣下は臣下で、スルターンが激しく嫌っておることを知っておれば、その逆鱗に触れるを恐れて、ニザームに関して何であれ進んで報告しようとはせぬ。
臣下が答えるには、前日の朝早く、つまりスルターンとの謁見の翌朝には、本来なすべき辞去の挨拶もせずに、着の身着のまま、ろくな財産もたずさえることなく、立ち去ったとのことであった。
(我の気が変わるのを恐れたか。
我はそれほどたやすく考えを変えぬぞ。)
その考えの変わりやすさのために、自らの身の滅び、果ては国の亡びさえ招いたと伝えられる歴史上の支配者達、あれらとは異なるぞとの自負をスルターンは一層強くした。
そして顔は、ほころばざるを得ぬ。
もうあの顔を見ずに済む、何よりその称号を聞かずに済むと想えば。
それにあれだけ脅せば、ニザームは二度と姿を見せぬだろう。母上が行けと命じても、その足にすがりついて嘆願するであろう。
また我が嫌う理由も教えてやった。
ニザームは母上にそれを訴えることもできる。
最終的に哀れと想うて許すか、それともその頭を踏みつぶすかは母上次第である。
そして今回の解任のやり方であれば、母上の反撃は限られよう。
こちらが強引に罪をでっち上げた訳でさえない。
あくまでニザームが自ら選んだところによって罰したのであった。
スルターンは気分が良かった。
世界は春の息吹の中にあった。
ザラフシャーン川より分流される運河の流域をひとたび離れると、
――夏枯れの季節の到来と共にこの地はまさにその名キジル・クム(赤い砂)にふさわしきものとなるのだが。
――頃は晩春であり、まだ雨の恩寵に預かるを得た。
そう、この地は春に雨が多く、夏は日照るのが定番であった。
土地柄ゆえあくまでまばらではあれ、草は丈を伸ばし、木は新緑となる。
チューリップなどが色とりどりの花を咲かせて虫を呼ぶ。
その虫を追って小鳥も来る。
土色にまぎれ不意に逃げ去るトカゲは、陽光を求めて顔を出しておるのであろう。
稀にガゼルが顔を見せることもあった。
そしてその様を心ゆくまで楽しむを得たのは、北に戻る使節団であった。
無理もない。
カンの命を達するを得たのだ。
無論断られたとしても、それで首をはねられるというほどに、カンが頑迷でないことは知っておる。
しかしカンに報告する時を想像するならば、雲泥の差であった。
更には予想以上にスルターンは気前良く、カンへのたくさんの贈り物を授かった。
やっかいな相手であったが、それを考えても今回の結果は上出来と言えた。
想わず笑顔が漏れる。
シルダリヤ川が近付くにつれ、そこからの水路がうるおす畑にては、一面の麦穂が風に揺れておった。
その風が、畑の方から歌声を運んで来る。
風は心地よく、日もまた然り。
しかも我らは平和の使者。
監視を兼ねるホラズムの護衛兵がおらねば、住民と協定締結の祝杯を上げ、この春の陽気の喜びを分かち合いたいと想うマフムード・ヤラワチであった。
今日中にザルヌークに着けば、明日にはシルダリヤ川を渡り、オトラルに至れよう。
ムスリムとしてもこの国の出身者としても、今回の結果は喜ばしきものであった。
ムスリム同士で殺し合うのは当然望まぬことであるし、何よりこの国、特に地元のホラズム地方には多くの親戚もおれば顔なじみもおるゆえに。
(全てはうまく行った。
これでサイラームで待ちくたびれておるはずのカンの隊商にもようやく良い報せを届けることができる。)
それを想うと、今度はヤラワチの顔から大きく笑顔がこぼれた。
ホラズム側
テルケン・カトン:先代テキッシュの正妻。カンクリの王女。母后とも呼ばれる。
スルターン・ムハンマド:ホラズム帝国の現君主。
先代テキッシュとテルケン・カトンの間の子。
ニザーム・アル・ムルク:スルターンの家臣。位は文官筆頭。
(これは名ではなく、称号である)
モンゴル側
チンギス・カン:モンゴル帝国の君主
マフムード・ヤラワチ:チンギスの使者。商人出身。ホラズム地方出身
人物紹介終了
モンゴルと協定を結んだ後のこと。
やはりナイチンゲールが美しい声でさえずる中、ニザームはどうしておるかと、スルターンは尋ねた。
出立の挨拶に来てもよさそうなものが、いつまで経っても来ぬゆえであった。
あるいは殊勝にもモンゴル使節との交渉が終わるを待っておるのかとも想ったので、とりあえず放っておいたのであるが。
臣下は臣下で、スルターンが激しく嫌っておることを知っておれば、その逆鱗に触れるを恐れて、ニザームに関して何であれ進んで報告しようとはせぬ。
臣下が答えるには、前日の朝早く、つまりスルターンとの謁見の翌朝には、本来なすべき辞去の挨拶もせずに、着の身着のまま、ろくな財産もたずさえることなく、立ち去ったとのことであった。
(我の気が変わるのを恐れたか。
我はそれほどたやすく考えを変えぬぞ。)
その考えの変わりやすさのために、自らの身の滅び、果ては国の亡びさえ招いたと伝えられる歴史上の支配者達、あれらとは異なるぞとの自負をスルターンは一層強くした。
そして顔は、ほころばざるを得ぬ。
もうあの顔を見ずに済む、何よりその称号を聞かずに済むと想えば。
それにあれだけ脅せば、ニザームは二度と姿を見せぬだろう。母上が行けと命じても、その足にすがりついて嘆願するであろう。
また我が嫌う理由も教えてやった。
ニザームは母上にそれを訴えることもできる。
最終的に哀れと想うて許すか、それともその頭を踏みつぶすかは母上次第である。
そして今回の解任のやり方であれば、母上の反撃は限られよう。
こちらが強引に罪をでっち上げた訳でさえない。
あくまでニザームが自ら選んだところによって罰したのであった。
スルターンは気分が良かった。
世界は春の息吹の中にあった。
ザラフシャーン川より分流される運河の流域をひとたび離れると、
――夏枯れの季節の到来と共にこの地はまさにその名キジル・クム(赤い砂)にふさわしきものとなるのだが。
――頃は晩春であり、まだ雨の恩寵に預かるを得た。
そう、この地は春に雨が多く、夏は日照るのが定番であった。
土地柄ゆえあくまでまばらではあれ、草は丈を伸ばし、木は新緑となる。
チューリップなどが色とりどりの花を咲かせて虫を呼ぶ。
その虫を追って小鳥も来る。
土色にまぎれ不意に逃げ去るトカゲは、陽光を求めて顔を出しておるのであろう。
稀にガゼルが顔を見せることもあった。
そしてその様を心ゆくまで楽しむを得たのは、北に戻る使節団であった。
無理もない。
カンの命を達するを得たのだ。
無論断られたとしても、それで首をはねられるというほどに、カンが頑迷でないことは知っておる。
しかしカンに報告する時を想像するならば、雲泥の差であった。
更には予想以上にスルターンは気前良く、カンへのたくさんの贈り物を授かった。
やっかいな相手であったが、それを考えても今回の結果は上出来と言えた。
想わず笑顔が漏れる。
シルダリヤ川が近付くにつれ、そこからの水路がうるおす畑にては、一面の麦穂が風に揺れておった。
その風が、畑の方から歌声を運んで来る。
風は心地よく、日もまた然り。
しかも我らは平和の使者。
監視を兼ねるホラズムの護衛兵がおらねば、住民と協定締結の祝杯を上げ、この春の陽気の喜びを分かち合いたいと想うマフムード・ヤラワチであった。
今日中にザルヌークに着けば、明日にはシルダリヤ川を渡り、オトラルに至れよう。
ムスリムとしてもこの国の出身者としても、今回の結果は喜ばしきものであった。
ムスリム同士で殺し合うのは当然望まぬことであるし、何よりこの国、特に地元のホラズム地方には多くの親戚もおれば顔なじみもおるゆえに。
(全てはうまく行った。
これでサイラームで待ちくたびれておるはずのカンの隊商にもようやく良い報せを届けることができる。)
それを想うと、今度はヤラワチの顔から大きく笑顔がこぼれた。
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