後宮流転花――宋の孟皇后(第1部 完)

ひとしずくの鯨

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第7話 始まりの朝6

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 私たちは、そこから再び北に折れ、やがて、左側に見えた門のところで、

「ここは内東門といいます。ここから先は、いかな高位であれ、外臣の方たちは入れませぬ。無論、帝がお許しになれば、別ですが」
 
 少し嬉し気にそう言う内侍の方の笑顔に心躍る私であった。

 やはり瑠璃瓦を有する壮麗な殿をいくつも通り過ぎ、やがて、そのうちの一つに入る。そこで「こちらでお待ちください」と言い残し、その方は去ってしまわれた。私は名残惜しげに見送る。

 地に萌葱もえぎ色の布が敷かれており、先着のお嬢さん方は既にそこに立って並んでおる。私の分なのであろう、一番端が空けられており、そこに立つ。すると、側らの一人が声をかけてきた。

「遠方からいらしたのね」

 見ると、随分と華やかな女性であった。更にいえば、私と年が近いとは想えぬ色香をただよわせておった。女の私でさえ、それに酔いそうであるのに、男だったら、さぞや、であろう。こうした女性がおっては。私などが選ばれるはずもない、と改めて想わざるを得ない。ただ、私が欲しいのは、后妃の座などではなく、こんな私でも、そして私だけを愛してくれる人である。

「いえ。確か始まりは朝2番のはず」

「それはあくまで遠方から来られる方のためよ。近在に住むなら、朝一番が礼儀ですわ」

 その言われ、衝撃を受けた私であったが、そこに、「太皇太后様のおなりである」との声が聞こえる。

 私は先ほどの内侍が先導するのか、と期待して待つが、年配の女官二人であった。

 そして、殿上に姿を見せた太皇太后様はといえば。想ったより、小柄な方ね。ゆったりとした衣に身を包むゆえに、余計にそう見えるのかもしれない。赤地に竜や鳳凰が舞っている。

 本日私が着用すべきとされておったのは、やはり赤地の衣。おそろいということであろうか? ただ、紋様は花とすべきとあった。それにて、太皇太后様の目を楽しませよ、とも書かれてもおった。

 ただ、頭上にいただく大きな翡翠ひすいをあしらった豪奢な冠が、私たち――髪飾りは無用との指定であった――との違いを際立たせてはおった。
 
 私は彼女を見た途端、理由は良く分からぬが、不安に襲われた。これほど高貴な人に初めて会うゆえか? あるいは、朝一番に来なかったことを叱られるかもとの恐れがあるからだろうか?
 
 側らの女性たちがひざまずくのが見え、私も急ぎならう。次の三拝(三度、地に頭をつけること)も出遅れたが、何とかなし終える。

「顔を上げよ。そなたたちはいずれも功臣の娘。例え、選ばれずとも、決してそなたらの父祖に仇なすためではない。引き続き、大宋に、そして趙家に忠勤を尽くしてくれ」

 そこまで言うと、殿上より数段降りて、私たちの面前に来る。

「立ちなさい」

 皆、急ぎそれに従う。今度は私も遅れない。

「孫の嫁選びなのだから、孫が好きそうな者を選ばないとね」

 私たちは8人ほどが横並びしておったが、太皇太后様はその前をしばらく行ったり来たりしておった。各々の姿を頭頂から足先まで見つつ。

 やがて、私の隣――先ほど、少し話した人の前で止まる。

「そなたを選んだことで、孫はきっと私を褒めてくれるでしょうね。そなたは随分と美貌に恵まれたわね。だからといって、楊貴妃のようになってはダメよ。いずれの家の者か?」

「はい。劉家の娘です」

「そなたへ、孫へ仕えるべく命じる」

「かしこまりました」

 その言とともに、隣の娘は平伏した。

「さあ、次に気に入りそうな娘は、というと」

 そうして、向こうの方におる者が二人目に選ばれた。そちらをのぞいて見たかったが我慢する。太皇太后様がこちら側に歩いて来たからである。

 私の不安は一層強まる。

「最後の一名は、私が気に入った娘を選ぶとしましょう」

 私は想わず念じておった。

(止まれ)

 ただ、そうはならず、私の前まで来ると、彼女は言った。

「私は純朴な娘が好きなのよ。どちらの家の者かしら?」

 私があまりのことに呆けていると、女官の一人が声を上げた。

「答えなさい」

 あわてて「孟家の者です」と答える。

「平伏は」

 矢継ぎ早に女官の声がし、急ぎ私は従う。

「これこれ。そのように言うでない。まだ、慣れておらぬのだ。それに、将来はそなたらのあるじとなるかもしれなくてよ」

 私は地面をにらみつつ、やはりあまりのことに呆然としたままであった。
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