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人魚ちゃんと拷問~後期~

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 「お、綺麗になったね」

 乱暴な洗浄、治療を受けた後、ガラガラと少々喧しいワゴンの音と共に、人魚ちゃんは大きなスクリーンのある部屋に連れてこられた。

 「……はぃ」

 顔や肩には青い痣があり、体のいたるところに包帯が巻かれている痛々しい姿。

 「これからは人の世界の説明と礼儀作法を覚えてもらうよ。捕獲場所から考えて、恐らく君は人間とほとんど接触する機会が無かっただろう。しっかり覚えておくように」

 「あんまり人は見たことないから自信ない…です」

 「じゃ、人間の世界の常識がここに映し出されるから覚えるように。後でテストするから分からないことがあったら質問すること」

 「テスト? 」

 「ああ。そんな概念すらないのか。呑気だな…。そうだね、覚えたことを後で質問などして確認すること、かな。点数を付けて優劣を競うことが多いね」

 「悪かったら怒られる…ますか?」

 「そうだね。ペナルティーがある。敬語がまだ怪しいからそこも教えていくよ」

 「はい」

 それからスクリーンには挨拶や礼儀作法などの一般常識や貨幣、人が身の回りでよく使う機械などに関する映像が映った。どれも人魚ちゃんが見たこと、聞いたことが無い物ばかりでとてもではないが覚えきれないし、最早何が分からないのかすら分からないという有様だ。

 「どうだい?」

 「あの、その」

 映像はそれぞれ細かく分かれていたが、合計だと5時間もの長さだった。

 「まぁ、殆ど理解できていないだろうとは思っているよ。一旦全部見て、大まかに知識が入ってから細かく教えたほうが分かりやすいんだよ」

 「…は、はい」

 (人の生き方は殆どよく分からない。お金、は貝殻みたいなもので…、機械は、似たようなものが沈没船から見つかるな)

 「じゃあ、疲れただろうし、ご飯を上げよう。それからまた勉強だ」

 そういって藤川はポケットからスマホを取り出し、どこかに連絡をかける。

 「あ、すまほ」

 「そうだね。何をするための道具かな?」

 「えっと……お話? 」

 「お話ですか。だよ」

 「あぐっ」

 首輪からピリッと電流が流れる。何回されてもこの感触は慣れない。喉奥が痙攣して狭まって、少しの間ヒューヒューと呼吸音が不規則になる。

 「敬語を完全にするのは難しいけど、丁寧語くらいは使えるようにならなくちゃ。というか、人魚にも上下関係はあるだろう?僕ら人間は君にとって、群れのボスよりも高位の存在と思ってほしいな」

 「はい。すみま、せん」

 「です、ます、の使い分けは分かってる?何か喋ってごらん。自己紹介とか」

 「え、あ…。私は」

 藤川から丁寧語のチェックと話し方の躾を受けて30分ほど経つと、ワゴンで何かが運ばれてきた。

 「はい。ご飯だよ」

 「! ごは、ん…? 」

 ここに来てから何も口にしていなかった。狩りに失敗すれば二、三日食べないことなどよくあることだった。空腹以上に他のストレスが大きく気になっていなかったが、存外お腹が空いていたらしい。期待に目を輝かせて運ばれてきたモノを見てみると、ドロドロした赤黒い流体物。匂いは魚の血と何か別の物が混ざっている。人魚ちゃんはあんなモノは見たことが無い。

 「え、あれ」

 「そう。あれが君のご飯だよ。栄養面は完璧だから」

 目の前にワゴンが来た。

 (コレ、食べるの?気味悪い)

 「ほら、食べないと」

 「え、ガボッ、んん!」

 え、と困惑を口にするとその隙間からスプーンがねじ込まれた。鮮度が落ちた魚のような生臭さが鼻を突き抜ける。味はにしんやメバチなどこの季節採れる魚のミックスと、そこに加わる薬品の苦みが強い。触感はねばねばとした吐瀉物に似たもので、喉に絡みついて吞み込みにくい。

 「口を開けろ」

 「が、ふッ…んぐ、う」

 (不味い、臭い、気持ち悪いぃ)

 河野に口に無理矢理何かを突っ込まれて開口させられる。そこに藤川がスプーンで食事を流し込む。息をするためにはおぞましい食事を吞み込む他ない。

 「え、ぉぇえ゛、あ」

 「吐き戻しそうです」

 「水いれて」

 えずけば口に水を注がれ少しだけ気分がマシになる。だがすぐに食事が押し込まれる。

 「う、うぇ」

 「吐いたらまた部屋に閉じ込めるからね」
 
 食事という名の拷問が終わっても吐き気が止まらない。脅されたので口を押えて必死に吐き戻さないように耐える。

 「じゃ、出荷まで時間が無いから授業の続きをしよう。ほら、またビデオを見るんだよ」

 「…ぁい」

 止まらない吐き気と闘いながら再びビデオを見る。特に人の生活用式に関するものは何回も見せられた。人魚の生活との違いや類似点も踏まえて説明も加えてくれたので、最初よりも分かりやすく、覚えやすかった。

 「そろそろ、日が落ちるね。明日健康診断すれば君のオーナーの所に輸送するよ」

 「オーナー!! 」

 「あぁ、嬉しそうだね。きっとここよりはマシな筈だから。オーナーをよく慕い、敬い、従順であるんだよ」
 
 「はい」

 「それまで、しっかりこのビデオを見て勉強するように。ここのボタンを押せば何度でも見られるからね。君が人に詳しくなっていれば、オーナーも楽だから」

 「はい! 」

 拷問を通じてオーナーの存在に縋るようになっていた人魚ちゃんは、その名を出すと露骨に意欲を示し始めた。彼女の中でオーナーはこの意地悪な人間から自分を守り、良い狩場、寝床を教えてくれる存在になっていた。極限状態の妄想を信じる哀れな人魚。

 「人間は、結婚という関係を結ぶ…。生殖相手が大切。恋をして相手を作る」

 映像を真剣に見る。その中で人魚ちゃんの中に強く印象に残ったのは恋と結婚だった。人魚には恋人や結婚という概念は無い。卵生のため生殖行為が人よりもあっさりしており思い入れはない。子育ても集団で行うため、生殖上のパートナーにあまり意味はない。実際、人魚ちゃんが母親と認識していた人魚は血縁者の1体と、育ての親が3体程だ。

 「よく、分かんないな」

 結婚は知らなかったが、恋は知っていた。

 「人間というものは危険なの。醜く狡猾な人魚の天敵。だから美しく自由な人魚とは相性が悪く、関わる人魚は面汚し」

 母はある日子供たちを集めて人間の話をした。船に乗りやって来る陸の乱暴者だと話していた。嫌悪で歪んだ母の顔が印象的だった。

 「狡猾な奴らは言葉巧みに私たちを騙す。そして心を奪おうとする。人間に負け、心を失えばその隙間に恋が生まれるの。恋は、醜い感情よ。嫉妬と狂気でできた汚い感情なの」

 恋をしたものは、相手を自分だけのものにしようと怒り苦しむ。そして最後には相手や周りを傷つけてでも縛ろうとするらしい。時たまそんな狂った人魚の話は聞くが何の意味があるのか分からない。世界に二人だけになって、狩りは、寝床探しは、索敵はどうするのか?そんなのできっこない。二人だけで緩やかに死んでしまうだろう。人魚ちゃんは不思議でならなかった。

 「そうして私たちの誇りを穢した人魚には、罰が下るの」

 母は、美しい笑顔で嘘のような恐ろしいことを言っていた。

 「母なる海の呪いが、体を泡にしてしまうのよ。ただ、海は優しいから生きることは許してくれる」

 「ただ、二度と海には帰れない無様な体になるけれど」

 二度と海には帰れぬ体、とはどんなものなのだろうか。それ以上は母は語ろうとしなかった。そしてこれは人間に走られてはいけない秘め事だからと誓いの歌を聞かせ、子供たちに口封じを施した。上位の存在からの誓いの歌は生涯決して破ることはできない。この時の誓いは「人にこのことを告げぬこと」だった。

 (私は、そんなことするつもりはないけれど)

 世話になるオーナーを縛ろうだなんて思わない。なぜ恩のある者に加害しようとするのか?

 「ま、いっか」
 
 人間社会に関するビデオで、会社と家族というものが出てきた。これは人間の群れらしい。自分は会社という群れの中には入れそうにはないが、家族という群れには入れそうだと思った。特にペットと呼ばれる存在は美しく、主人に従い慕うだけで良いらしい。これを目指そうと人魚ちゃんは思った。

 「立派なペットにならなくちゃ」

 人魚の社会にペットなんてものはいない。ペットになることがどんな意味を持つのか人魚ちゃんが理解することはできていなかった。

 


 「おはよう。元気そうだし、傷もほとんど直っているね。流石人魚だ」

 「おはようございます!」

 「随分元気だねぇ」

 (けんこうしんだん、なるものを終わらせられればこの人間ともさよならだ)

 人魚ちゃんは内心ほくそ笑んだ。オーナーの下に行ける、ということで落ち着いたことで状況把握が少しできるようになっていた。冷静になると、弱肉強食の中生きてきた本能的に「コイツらは痛めつける気はあるが、殺す気はない」と勘付いていた。

 「傷もほとんど治ってるし、今から健康診断で、今日の夕方から輸送でよさそうだね」

 「そうですね……なんだか少し調子に乗っていませんか?」

 「……うーん。これ以上のストレスは体への影響が懸念されるからやめておこう。弱り切った個体を出荷するわけにはいかないからね」

 「はい」

 河野が人魚ちゃんを僅かに睨む。

 (…オーナーより格下のくせに)

 少し怯むが持ち直し、気付かれないようにクルクルと高音で喉を鳴らし威嚇する。彼らのやり取りから彼女のオーナーはこの意地悪な人間よりも高位の個体なのだと確信していた。なら、オーナーのお気に入りのペットになれば、自分はこいつらなど恐るるに足りないのだと考えたのだ。

 「じゃあ河野さん、医師を呼んでくれ」

 「はい」

 スマホで連絡する様子を敵意を悟られないように観察する人魚ちゃん。何となく使い方は分かってきた。一定の手順で画面を押せば任意の人間と通話できるらしいと理解した。

 「ふむ、元気そうですね」

 しばらくしてやって来た藤川と同年齢程の女。

 (しわしわだ…)

 人魚ちゃんは性別すら判別できなかった。ここは長くいればあんなに皺だらけになってしまうのかと慄いた。

 「じゃあ、口を開けてみて」

 (大人しく、従った方がいいのかな)

 手に持っている棒状の物体は恐ろしいが、反抗すれば首輪から電流が流されるのが分かっていたので覚悟を決めた。口を開けば棒状のものを使って中を観察しているようだった。それから体のあちこちをベタベタと触られ、よく分からない部屋で少しの間じっとしているように言われたり、手に針を刺され血を取られたりした。

 「身体検査は問題ありません。採血結果が問題なければ出荷可能です。一時間ほどで完了します」

 「そうですか。了解しました」

 医師はにこやかに告げる。人魚ちゃんは再び人間社会の勉強をしていろと言われ、スクリーンのある部屋で勉強させられた。


 
 「君の体は健康のようだ。今からオーナーの下に出荷するからね」

 「やったぁ!!」

 人魚ちゃんは尾をばたつかせ、興奮気味だ。河野は露骨に顔を顰めたが何もしなかった。

 「じゃあ、移動のために少し狭い水槽に入れるけど、我慢するんだよ」

 ワゴンに乗せられ、真っ白な廊下を移動する。途中の部屋で首輪が付け替えられ、体にいくつかの装飾具が付けられた。綺麗な真珠や宝石にワクワクする人魚ちゃん。そして一際大きな扉の前に着き、藤川が扉にカードをかざすとゆっくりと一人でに開く。

 「海!」

 そしてふわりと香る懐かしい磯の香り。人魚ちゃんは歓声を挙げた。

 「よかったね。こことは違うけど、君のオーナーの家は海の近くだそうだ」

 「やった、オーナーすごい」

 家、は寝床のことを指すと教材で知った。水槽に入るのは少し嫌だと思っていたので丁度良かった。きっとオーナーの寝床は居心地がよいだろうと人魚ちゃんは期待に胸を膨らませる。

 「よかったね、じゃあこのトラックに乗ろう」

 トラックから出てきた二人の男と、河野、藤川の四人がかりでワゴンからトラック内の水槽に移された。放り込まれることなくクレーンで持ち上げられ、上部が開いた荷台にゆっくりと降下させられた。

 (あそこの水槽よりは広い)

 水槽の広さは縦が人魚ちゃん二人分、横が一人分。上部にはブクブクと気泡が出る球体がある以外はシンプルな造りだ。人魚ちゃんの全長は、上半身が65㎝、下半身の尾の部分が136㎝の合計2mオーバーなのでこの水槽はかなり大きい。

 「わわっ」

 それでも警戒してスイスイと泳ぎ回っていると突然揺れ始めた。これが車、という船のような役割を果たす陸の乗り物だということは理解していたので進み始めたのだろう、と人魚ちゃんは考えた。実際合っている。

 「~~、~~」

 あの場所から遠ざかっていると思うと嬉しくて、泳ぎながら歌い始めた人魚ちゃん。ご機嫌だ。だが、暫くすると飽きてうつらうつらし始め、ついには眠ってしまった。見たのは、懐かしい海で自由に泳ぐ二度と叶わぬ夢だった。




 「死んでませんか、コレ」

 「いえ、眠ってるだけですね」

 「眠ってる」

 (ホントに野生の生物だったのかコレ?養殖じゃないだろうな)

 夜の9時過ぎ。巽の家に人魚ちゃんが到着した。すやすやと水槽の底で丸まって眠っている姿に巽もトラックの運転手も呆れていた。運転手曰く、ここまで呑気な個体は珍しいという。

 「健康状態は管理所の意志のお墨付きですので、問題はないかと思います。取り敢えず、生け簀に移しますか?」

 「お願いします」

 巽の家は鎌倉の海沿いの富裕層地域にある。海ごと所有しているのでそこに生け簀を造ったのだ。範囲はかなり広く、高い防波堤で囲まれているので脱出は不可能。だが小魚が入る入り口はあるので狩りもできる優れ物。その上寝床のため、岩盤を削り柔らかい耐水性の部屋を寝床用に複数作ってある。人魚一匹にしては豪勢な生け簀だ。家の縁側に面した位置にあるので人魚との触れ合いもしやすい。巽は海を眺めて休憩することにしか使っていなかったが。

 「オーライ、オーライ…よし」

 生け簀にバックでぎりぎりまでトラックを近づけ、後部を生け簀に向ける。そして荷台と水槽後部の扉を開けば、一気に水が流出し、人魚ちゃんも生け簀に放り込まれた。

 「すぅ…すぅ……わああああああ!!!!!」

 流石に起きた人魚ちゃん。バタバタと慌てて水面に顔を出す。

 「あ、ほら元気そうですよ!! 」

 「そうですね。ありがとうございます」

 「いえいえ、ではサインを」

 「はい」

 運転手はあっさりと帰った。残された二人は無言で見つめ合う。

 「……、三月十日、か」

 「さんがつとおか」

 「じゃ、お前の名前は弥生だ。いいな」

 「やよい」

 「そうだ。今日はもう遅いから寝てろ。中に魚はいるだろうから取って食っとけ」

 そう言って巽はあくびをして去っていった。言う通り魚は沢山いた。外敵もおらず、広いが魚の逃げ場は限られていたので狩りはしやすく、たらふく魚を食べて寝床で眠った。

 (やっぱりオーナーは良い人間だ…)

 人魚にとっては至れり尽せりの完璧な住処だ。名前もくれたし、気に入られるため頑張ろうと人魚ちゃんは決意した。
 
 
 
 

  
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