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人魚ちゃん、あっさり捕獲される

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 人魚の世界は弱肉強食、に少し人間味を足したようなもの。弱きものはできるだけ助けるが、いざという時にはあっさりと切り離す。厳しい海の世界では弱者に絶対的な居場所など存在しないのだ。それを彼女は恨んだことはないし、悪いことだとも思わない。

 「どうしよう」

 「もうすぐ後ろに」

 「このままじゃ囲まれちゃう」

 人魚は発情期を迎える春に生殖可能の特徴を示し始めると親から強制的に離される。一度の出産で生まれる約20匹がすべて同じタイミングで独り立ちをし、しばらくは兄弟姉妹でグループを作り行動する。そして親無しでの暮らしに慣れれば、別の群れと合流して将来の子作りの相手を探すのだ。

 そして彼女たちが他の群れと合流し初めての狩りを行っている最中、漁師の大きな船がやって来てしまった。

 「み、皆!私が囮になるから逃げて!!」

 「け、けど。そしたらーーが」

 「いいの。私泳ぐの一番遅いから、どうせ逃げられない」

 決断は一瞬だった。とっくに分かり切ったことだったから。この群れの中で最も無能なのは彼女なのは火を見るよりも明らかであった。じっと彼女を見た仲間たちの瞳には、ほんの僅かの戸惑いと、諦観と、憐み。

 「ありがとう、ーー」

 リーダー格の人魚の一言で生贄が決定した。皆申し訳なさそうにしていたが、遅かれ早かれ彼女が群れから見放されるだろうと思っていたので決定に異を唱える者はいない。

 「さよならーー」

 「ありがとうーー」

 「忘れないよーー」

 「ーー」、それが彼女の名前だった。人魚の名前は、他の動物が聞き取れない特殊な音を組み合わせて作られる。当然だが人の音では表せない。もう二度と呼ばれぬであろう名前を告げること、それが人魚流の奴隷となる同族への弔い方法だった。

 「もっと、もっと、一緒に居たかったよーー」

 最後まで残ったよく一緒に居た、もしかしたら伴侶となったかもしれない彼が、彼女が両親からもらった名前を呼んだ最後の人魚となった。

 「皆、立派な大人になってね」

 犠牲となった人魚ちゃんは深い青色の髪、美しい桃色の目とひれを持っている。だが、彼女の体は人魚にしては小さく華奢。尾鰭は長さは平均近くでも細いため、推進力は低い。方向転換の要となる左右二対の腰鰭は薄く、小回りを利かすことができない。波を起こすための手鰭も絹のようで、帆のように張るための骨の造りが細いため使い物にならない。他個体を癒す支援歌は多少上手でも、攻撃歌はからっきし。端的に言えばとても弱い。そのあまりの貧弱さから親にも半ば見捨てられながら育った。この年まで生きていたことが奇跡とすら言える。

 仲間の姿が見えなくなった頃には、船はすぐ後ろに迫っていた。

 「~~~~~!!!!」

 人魚ちゃんは海上に出て精一杯の攻撃歌を歌う。平均的な人魚なら聞いた人間を昏倒させ、上手な者なら人の脳に重度の障害を負わせられる代物だ。大きく口を開き、息を吸いあらん限りの力を振り絞った。

 「~~~、ーーーーーーーー!!!!!」

 生命の危機により極限まで集中した人魚ちゃんの攻撃歌は、史上最高の出来だった。それでも彼女の歌は対人魚専用の音波装置にいとも容易く掻き消されてしまう。どれだけ一生懸命歌っても人間たちの様子に変化はない。そもそも聞かれたところでちょっと重めの船酔いのような症状が出る程度のモノだったけれど。

 「おい、こいつ歌うの下手みたいだぞ」

 「けほっ、う゛ぅ。~~~!!~~、~~~……」

 脅威ではないと判断した漁師たちは彼女の値踏みと他の個体の探索に入った。ソナーの反応を見たり、海面に出ている彼女の鰭の形や顔の作りを観察したりしている。

 「おい、もっと精出して歌えや!!!もうすぐ人間の玩具にされんだぞ!!」

 「お歌が聞こえませんよー」

 「気合い入れろよ半魚人!!」

 次々と人魚ちゃんに罵声が浴びせられる。漁師たちが荒くれ者の下種のように見えるがこれは立派な職務の一つ。こうして罵ってどのような態度をとるかを観察し、人魚たちのメンタルの強さを測るのだ。キッと睨み返したり言い返したりしてくるタイプは反抗心が高く、度胸もある。逆に、怯えて悲しげなそぶりを見せるタイプは気弱で扱いやすい。前者はどれほど痛めつけても誇りを失わず主人に攻撃を加えてくるため飼いにくい。だがその分、<飼育困難な人魚の飼い主である>というマウントをとることができる。後者は調教が簡単で飼いやすいため初心者向けだが価値がやや低い。このタイプを欲しがるのは人魚との<密>な接触を好む人間か、楽に飼育したい人間だ。1900年代後半に開発された人魚を一時的に人間体にする薬、人化剤を使って人の体を与えれば、自らの欲望を満たすことに人魚を使用できる。

 「ひ、ひどい、ーー!!けほけほッ、……、っ……、きゃあ?!」

 人魚ちゃんは罵声に眉を下げあからさまにショックを受けた様子を見せた上、船の上から空気砲で大きな音を立てれば悲鳴を挙げた。漁師たちはメンタルの弱い飼いやすいタイプだと判断し、商品タグの「気の弱い愛玩用」欄に印をつけた。

 (怖い、…けど、悔しい…っ)

 人魚ちゃんは折れかけの心を奮い立たせた。攻撃歌が効かないなら波を起こしてしてやろうと手を振りかぶった。

 「ん?あれ波起こしてんのか」

 「あはははは、適度な感じで気持ちいいな」

 だが、どれだけ懸命に腕を動かしても大きな船はびくともしない。波起こしは、手びれを大きく張り、波起こしの歌と共に繰り出される人魚の最終奥義。通常の個体なら瞬間的ではあるが3mほどの波を起こすことができるが、彼女の波は50㎝。なんとたったの十分の一。ちゃぷちゃぷと微妙な波をわたわたと必死に作り続ける姿はシンプルに滑稽だった。

 (悔しい!なんで、なんで皆みたいにできないの?なんでこんなに馬鹿にされるの?)

 「うぅ、う、ひっく…。うぅ…」

 群れにはあっさりと見捨てられ、倒すべき敵には全く歯が立たずに嘲笑われる。奴隷にされて惨い目に遭わされることへの恐怖とあまりにも惨めな状況に、ついに人魚ちゃんは泣き出してしまった。

 「おー、泣き出しちまった」
 
 「そんなんじゃすぐに遊ばれちまうぞ」

 「ちっ、今日はソナーの調子が悪い。残りはどこ行ったのか分からなくなった」

 「まぁいいじゃないか。今回は単発依頼。一匹捕まえられればいいんだ。第一条件は飼いやすさだから今回のは弱そうだしオッケー。これで容姿がこれなら文句言われんだろ」

 「そうだな。おーい、査定は済んだか?条件満たしてるか?いいなら捕獲しようと思うんだが」

 「オッケーっすよ。メンタルも力もクソ雑魚っす。綺麗なんだけどちょい童顔だから上の下。けど巨乳だから個人的には上の上っすね」

 「そっかそっか。買い手は若い男だし、その方が喜ぶだろうな」

 「ちょっとおっさん共!!聞こえてんぞ!!」

 雑談をしながら漁師が大きな筒を彼女に向ける。咄嗟に海に潜ろうとしたがもう遅い。

 「きゃっ」

 筒から放たれた網が彼女の体に絡みつく。振りほどこうと懸命に海中で藻掻くが

 「あ゛?!あぁあぁああああああっ!!」

 その網には電線が通っていた。そこを電流が走り、人魚ちゃんの体がビクンと大きく跳ねる。体が異様に強張る感覚に強い恐怖を感じたのも一瞬。痛々しい悲鳴と共に彼女の意識は落ちた。

 「はい、終わりー」

 「かつてないくらい楽だったなー」

 ずるずると船に引き上げられた人魚ちゃん。あまりにも呆気ない捕縛劇。漁師たちに緊張感など欠片も無く、その間およそ十分にも満たない。カップラーメン約三個分だ。人魚ちゃんは意識のないまま自害防止の猿轡を嚙まされ、装飾品や服を脱がされ体を丁寧に洗われる。そして健康状態を軽くチェック。処女性が重要視されるため全て女性乗組員に行われたことだけが不幸中の幸いだった。

 「はい。出荷準備完了」

 傷がつかないようシリコン製の拘束具を付けられ、ふわふわの布にくるまれた人魚ちゃん。こうして彼女は捕まった。漁師は早速依頼者に電話を掛けた。

 「お客様、いいのが取れました。簡易検査した結果、健康状態は良好。容姿もピカイチ。鱗や鰭の色も薄いピンクで桜みたいですよ。それに歌う力も弱いから管理もしやすいでしょう」

 「そうですか」

 「気も弱そうですし、初期調教は四日もあれば終わるでしょう。その後の詳しい身体検査に二日、移動に一日かかるのでお客様のところに届けるのには大体一週間後になります。予定よりずいぶん早くなるのですが、よろしいですか?」

 「大丈夫です」

 「了解です。何か足りてないものはありませんか?正直、今回は捕獲が非常にスムーズだったので燃料代や船の管理費用が浮いているんです。サービスしますよ」

 「いえ、すべて揃えてますので要りません」

 「そうですか。では、楽しみに待っていてくださいね」

 「よろしくお願いします」

 電話が切れる。

 「ちっ」

 今回の依頼主——片桐巽は舌打ちをした。人魚を捕らえることの嫌悪感ではなく、面倒ごとを背負い込むことになったことへの苛立ちで、だ。巽の机の上には両親からの手紙が無造作に置かれていた。20半ばを過ぎても人魚を飼おうとしない巽への催促が主な内容だ。巽は人魚を飼うことに興味は全くない。

 「おい、お前そろそろ帰れよ」

 「えぇ、つれないなぁ。もうちょっとゆっくり」

 「体だけでいいっつったのはお前だろ。一度寝ただけで彼女面か?」

 「……分かった」

 女に不自由はしていないため人魚の性的な魅力も彼には価値は無い。強面だが整った容姿に金もある彼に寄って来る女は掃いて捨てるほどいる。適当に連れ込んだ女を返した後、風呂に入って書斎で仕事を始める。
 
 「誰がこんなくだらないことを通過儀礼にしやがったんだ」

 片桐巽26歳。実家はいくつもの不動産や会社を経営している金持ち。本業は作家で、若いながらに幾つも賞を取っている売れっ子。その上、実家の手伝いで会社の経営にも携わっている。容姿も頭も良く、若くして成功した優良物件であるが、その中身は人嫌いの捻くれ者。その気難しさは一種の災害とすら言われる程だ。誠意を示した人間には優しさを見せるが少しでも下心があれば容赦はしない。利用しようと近づいた者は拒絶し伝手を使って弱みを握り、媚びておこぼれを頂戴しようとした者は適当に使って捨てる。

 「情を母の胎に捨ててきた畜生」、「ハンムラビ法典を地で行く男」、「下種野郎オブ・ザ・人類」、「性格以外は一級品」

 所謂、金と権力のある頭脳明晰のクソ野郎。それが人魚ちゃんの飼い主である。
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