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夢うつつの心地でぼんやりとしていると、聖が遠慮がちに言った。
「あの、よかったら、居間のほうまでいらっしゃいませんか?一応、食事の準備ができているので」
遥は目を丸くして、
「君が作ったの?」
「はい。下手くそですけど」
と、聖は言って頬を染めた。
居間までの廊下を歩きながら、しどろもどろになって言う。
「俺、遥さんにいろいろお世話になったのに、まだお金も払ってなくて、何のお礼もしてなくて。何とかお返ししようと思って由宇に話したら、いつの間にかこういう話になってたんです」
彼らしい健気な物言いを、遥はほほえましく思った。
「そんなこと気にしなくていいんだよ。聖君はまだ高校生だし、お金をもらおうとは思っていないよ」
それにまだ、自分の仕事は遂行されていない。
ヴァンはどこかへ身を隠し、今も虎視眈々と復活の機会を窺っているに違いないのだから。
遥は目を細める。
前を歩く聖はそれに気づかず、居間へと通ずる襖を開け放った。
「これは……」
想像以上の出来ばえに、遥は思わず感嘆した。
食卓にずらりと居並ぶのは、三人分の見事な和食だった。
焼き魚にほうれん草のおひたし、きんぴらごぼうと具だくさんの豚汁、出し巻き卵に筑前煮、そして湯気をあげる炊き立ての純白の米。
「すごいね。これ、全部一人で……」
賛辞を述べかけた遥は、食卓に勢ぞろいする家族の姿をみとめて絶句した。
「おかえり、遥」
奥の上座から父と曾祖母、その隣に祖母。向かい合うようにして母と弟が並んでいる。
何の変哲もない平和なその光景は、地震のように胸をゆすぶった。
自分は夢を見ているのだと遥は思った。一瞬にして喪われ、無残に壊された泡沫の夢の残骸を。
「……遥さん?」
怪訝な顔で呼びかけた聖は、遥の頬を透明な涙がつたい落ちるのを見て仰天した。
湯気をあげる食卓を前に、遥は声もなく泣いていた。
本人さえ気づいていないのかと思わせるほど、静かな泣き方だった。
打たれたように硬直する聖の前で、遥は心ゆくまで涙を流し続けた。
心にわだかまっていたしこりが優しく浄化され、すみやかに明澄になってゆく。
瞬きをするたびに幻影は薄れてゆき、やがて声も聞こえなくなった。
(そうか……誕生日だから、会いに来てくれたんだな)
「やっと会えた……」
遥は胸の震えを感じながら、最後の涙のしずくをはらった。
それから、わけが分からずたじろいでいる聖をそっと抱きしめた。
「ありがとう。聖君」
(君のおかげで家族に会えた。君の心が灯した優しい火が、薫の魂をここへ導いてくれたんだ)
理屈ではなく感情がそう告げていた。
突如として遥の腕の中に閉じ込められた聖は、化石のように動けなくなった。
「あの……遥さん?」
首元にかかる聖の柔らかな髪を撫で、遥はさらにきつく力をこめて抱きしめる。
まるで、少しでも力を緩めれば消えてしまうかのように、切実に。
胸の辺りに顔を押しつけていた聖は、遥の鼓動が直接身体に響き渡ってくる感覚にたじろいだ。
肩と腰に回されたしなやかな腕が、血管さえ強くしめつけてくる。
「ん……っ」
聖が息苦しさに思わず喘ぐと、遥はそれに気づいたのか少しだけ力を緩めた。
耳元で吐息交じりの声が囁く。
「ごめん。もう少しこのままでもいいかな」
聖は身体の奥底がかっと熱くなった。
まるでヴァンに血を吸われているときのように、思わずぎゅっと目をつむる。
「遥さん……っ」
その声の切羽詰った響きに、遥は小さく笑った。
「もう少しだけ」
そう言いながら背中を優しく撫でられて、聖は緊張した。
限界まで抱きしめていると、遥はようやく手を離した。
「あの、よかったら、居間のほうまでいらっしゃいませんか?一応、食事の準備ができているので」
遥は目を丸くして、
「君が作ったの?」
「はい。下手くそですけど」
と、聖は言って頬を染めた。
居間までの廊下を歩きながら、しどろもどろになって言う。
「俺、遥さんにいろいろお世話になったのに、まだお金も払ってなくて、何のお礼もしてなくて。何とかお返ししようと思って由宇に話したら、いつの間にかこういう話になってたんです」
彼らしい健気な物言いを、遥はほほえましく思った。
「そんなこと気にしなくていいんだよ。聖君はまだ高校生だし、お金をもらおうとは思っていないよ」
それにまだ、自分の仕事は遂行されていない。
ヴァンはどこかへ身を隠し、今も虎視眈々と復活の機会を窺っているに違いないのだから。
遥は目を細める。
前を歩く聖はそれに気づかず、居間へと通ずる襖を開け放った。
「これは……」
想像以上の出来ばえに、遥は思わず感嘆した。
食卓にずらりと居並ぶのは、三人分の見事な和食だった。
焼き魚にほうれん草のおひたし、きんぴらごぼうと具だくさんの豚汁、出し巻き卵に筑前煮、そして湯気をあげる炊き立ての純白の米。
「すごいね。これ、全部一人で……」
賛辞を述べかけた遥は、食卓に勢ぞろいする家族の姿をみとめて絶句した。
「おかえり、遥」
奥の上座から父と曾祖母、その隣に祖母。向かい合うようにして母と弟が並んでいる。
何の変哲もない平和なその光景は、地震のように胸をゆすぶった。
自分は夢を見ているのだと遥は思った。一瞬にして喪われ、無残に壊された泡沫の夢の残骸を。
「……遥さん?」
怪訝な顔で呼びかけた聖は、遥の頬を透明な涙がつたい落ちるのを見て仰天した。
湯気をあげる食卓を前に、遥は声もなく泣いていた。
本人さえ気づいていないのかと思わせるほど、静かな泣き方だった。
打たれたように硬直する聖の前で、遥は心ゆくまで涙を流し続けた。
心にわだかまっていたしこりが優しく浄化され、すみやかに明澄になってゆく。
瞬きをするたびに幻影は薄れてゆき、やがて声も聞こえなくなった。
(そうか……誕生日だから、会いに来てくれたんだな)
「やっと会えた……」
遥は胸の震えを感じながら、最後の涙のしずくをはらった。
それから、わけが分からずたじろいでいる聖をそっと抱きしめた。
「ありがとう。聖君」
(君のおかげで家族に会えた。君の心が灯した優しい火が、薫の魂をここへ導いてくれたんだ)
理屈ではなく感情がそう告げていた。
突如として遥の腕の中に閉じ込められた聖は、化石のように動けなくなった。
「あの……遥さん?」
首元にかかる聖の柔らかな髪を撫で、遥はさらにきつく力をこめて抱きしめる。
まるで、少しでも力を緩めれば消えてしまうかのように、切実に。
胸の辺りに顔を押しつけていた聖は、遥の鼓動が直接身体に響き渡ってくる感覚にたじろいだ。
肩と腰に回されたしなやかな腕が、血管さえ強くしめつけてくる。
「ん……っ」
聖が息苦しさに思わず喘ぐと、遥はそれに気づいたのか少しだけ力を緩めた。
耳元で吐息交じりの声が囁く。
「ごめん。もう少しこのままでもいいかな」
聖は身体の奥底がかっと熱くなった。
まるでヴァンに血を吸われているときのように、思わずぎゅっと目をつむる。
「遥さん……っ」
その声の切羽詰った響きに、遥は小さく笑った。
「もう少しだけ」
そう言いながら背中を優しく撫でられて、聖は緊張した。
限界まで抱きしめていると、遥はようやく手を離した。
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