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春の宵

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「遅くなってごめんなさい」

桜が近寄ると、斉は首を振った。

春とはいえ川辺は風があり、夜はやや肌寒い。

スプリングコートを着てきて正解だった。桜は思った。

「今、予備校に通ってるんだ」

斉は桜の目を真っすぐ見つめて言った。

「それって」

「うん。獣医学部コース」

「そうなんだ。よかった」

桜は声を弾ませた。

「だから、あの店に行くのは今日で最後にした」

穏やかな表情で斉は言った。

その発言が思っていた以上に心に突き刺さり、桜はしばらくの間、言葉を失う。

沈黙が流れ、斉が自分の言葉を待っていると分かったが、桜は唇を動かすことができなかった。

「寂しくなるね」

ようやく出た声は、無様にかすれていた。

こんなにも胸が痛んでいることを、なぜだろう、彼に悟られてはいけないと思った。

それは斉のためにはならないものだと。

「よくお店に来てくれてたから……。でも、そのほうがいいと思う。これからは受験に専念しないと」

「うん」

斉は覚悟を決めた眼差しで頷いた。

――ああ……だからか。

久しぶりに店に現れた斉が、別人のように見えた理由。

これからの道を自分で選び、決めた時点で、彼は今までの彼ではなくなっていたのだ。

そのことが苦しくもあり、嬉しくもあり、寂しくもあり、眩しくもあった。

さまざまな思いが胸に襲来し、桜は斉の顔を見ることができなかった。

――みんな、いつかは行ってしまう。

リエゾンを訪れた人たちは、つかの間そこで羽を休める。

けれども、また飛び立っていく。それぞれの世界へ。

――私はいつも立ち止まったまま、流れていく人を見守っているだけだ……。
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