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春の宵
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その日以来、福田斉は『リエゾン』に姿を見せなくなった。
きっと、受験勉強に本腰を入れるようになったのだろう。
桜は一抹の寂しさを覚えながらも安堵していた。
朝の買い出しから戻ってくると、開店前の店舗に人影があり、何の気なしに覗き込んで目を剥いた。
見知らぬ男性が京介に向かって何か言いながら詰め寄っている。
ドアが閉ざされているので会話の内容は分からないが、あまり友好的な雰囲気とは言えなかった。
「ふらふら遊んで……こんなこと……いつになったら……父さんと母さんも……」
途切れ途切れに聞こえてくる口調は非難めいていて、京介にとってあまり都合のいい話ではないことが分かる。
松田が言っていたように、リエゾンを経営していくには困難が多く、周囲は決して賛成していないのだろう。
いい歳をした男性がこんな利益の出ない道楽のような店を続けられるのは、京介自身が物好きで金持ちだからだ。
その気まぐれがいつまで続くかは分からない。
――でも私は、ここがなくなったら、生きていくすべを失う……。
冷や汗が背中に吹き出してくる。
吐き気の前兆があり、桜は両手で口を覆った。
そのとき出しぬけに勢いよくドアが開いたので、とっさに体を反転させて路地に身を隠す。
「また来る。それまでに俺の言ったこと考えておいて」
「来なくていいよ」
軽口で京介が応じると、「兄さん」と強い語調でたしなめた。
――兄さん?
今まで京介から家族の話を聞いたことはなかったし、あまり話したそうな雰囲気でもなかったので聞かなかった。
が、弟がいるとは知らなかった。
「何で医者にならなかったんだよ。兄さんならきっと……」
弟は口ごもり、
「俺に気を遣ってるの?」
「全然?」
あっさりと京介は否定し、けらけら笑った。
「頭いいからって、あんまり考えすぎるとハゲるぞ~」
「兄さんが考えなさすぎなんだよ……」
「これぐらいがちょうどいいんだって」
脱力してしまうような会話が続き、のれんに腕押しと感じたのか、弟は諦めて踵を返そうとした。
すると、京介は不意に真顔で言った。
「宗介」
「何?」
振り返った彼は、京介の目を見て思わず表情を引き締める。
「俺は医者にならないよ。というか、なれないんだ」
ごく静かな声で京介は言った。
「どうして」
問いかけた弟に向けてか、それとも別の誰かに向かってか、京介は空を見上げて諦念を帯びた笑みを浮かべる。
予感がして、桜は思わず身を強張らせて目を閉じた。
京介の顔を見たくなかった。
「人殺しだから」
きっと、受験勉強に本腰を入れるようになったのだろう。
桜は一抹の寂しさを覚えながらも安堵していた。
朝の買い出しから戻ってくると、開店前の店舗に人影があり、何の気なしに覗き込んで目を剥いた。
見知らぬ男性が京介に向かって何か言いながら詰め寄っている。
ドアが閉ざされているので会話の内容は分からないが、あまり友好的な雰囲気とは言えなかった。
「ふらふら遊んで……こんなこと……いつになったら……父さんと母さんも……」
途切れ途切れに聞こえてくる口調は非難めいていて、京介にとってあまり都合のいい話ではないことが分かる。
松田が言っていたように、リエゾンを経営していくには困難が多く、周囲は決して賛成していないのだろう。
いい歳をした男性がこんな利益の出ない道楽のような店を続けられるのは、京介自身が物好きで金持ちだからだ。
その気まぐれがいつまで続くかは分からない。
――でも私は、ここがなくなったら、生きていくすべを失う……。
冷や汗が背中に吹き出してくる。
吐き気の前兆があり、桜は両手で口を覆った。
そのとき出しぬけに勢いよくドアが開いたので、とっさに体を反転させて路地に身を隠す。
「また来る。それまでに俺の言ったこと考えておいて」
「来なくていいよ」
軽口で京介が応じると、「兄さん」と強い語調でたしなめた。
――兄さん?
今まで京介から家族の話を聞いたことはなかったし、あまり話したそうな雰囲気でもなかったので聞かなかった。
が、弟がいるとは知らなかった。
「何で医者にならなかったんだよ。兄さんならきっと……」
弟は口ごもり、
「俺に気を遣ってるの?」
「全然?」
あっさりと京介は否定し、けらけら笑った。
「頭いいからって、あんまり考えすぎるとハゲるぞ~」
「兄さんが考えなさすぎなんだよ……」
「これぐらいがちょうどいいんだって」
脱力してしまうような会話が続き、のれんに腕押しと感じたのか、弟は諦めて踵を返そうとした。
すると、京介は不意に真顔で言った。
「宗介」
「何?」
振り返った彼は、京介の目を見て思わず表情を引き締める。
「俺は医者にならないよ。というか、なれないんだ」
ごく静かな声で京介は言った。
「どうして」
問いかけた弟に向けてか、それとも別の誰かに向かってか、京介は空を見上げて諦念を帯びた笑みを浮かべる。
予感がして、桜は思わず身を強張らせて目を閉じた。
京介の顔を見たくなかった。
「人殺しだから」
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