護国の鳥

凪子

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夏の章

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「ユリシス」

振り向くと、深い思慮を湛えた瞳で、レッドが静かに言った。

「お前に軍人は向いてないよ。悪いことを言わないから、やめたほうがいい」

あまりにも包容力のある優しい声で言うものだから、ユリシスは意味を一瞬判じかねた。

――レッドは今、何と言ったのだ?

「もう十分頑張ったじゃん。この辺が潮時なんじゃねえの?」

ようやく神経が情報を伝達し、点灯した意識が思考を連れてくる。

咀嚼しづらいものを食べているかのように、ユリシスの口は重くなった。

「本気で言ってるのか」

ああ、とレッドは頷いた。

「残り人数も四十を切った。今なら辞めて帰っても、逃げ出してきたなんて誰も思わないだろ。お父君だって、お前を認めてくれるはずだ」

「黙れ」

ユリシスは語気を荒げた。

こじれた感情が、胸の内で熾火のようにくすぶっている。

「……本当は、自分が一番よく分かってるはずだろ」

レッドは痛ましい目つきで諭した。

「お前はただ、アレクシス様の偉大さから逃れたいだけだ。わざと刃向うことで、気を引きたいだけだ。逆らって自己主張して、自分の存在を認めてほしいだけだ」

「うるさい」

耳を塞いで目をつむり、大声で叫ぶ。

「でもな。どんなに違う道を行っているつもりでも、お前はお前なんだよ」

ユリシスはもう何も聞くまいとして、もと来た道をひた走った。

回廊をこだまする足音が遠ざかるのを聞きながら、レッドは風になびく前髪をかき上げる。

――与えられた道から逃れるすべなど、誰にもない。

レッドの肩にも背負うべきものはある。それは恐らく、ユリシスに課せられたものとは全く別の種類のものだった。

同じようにフィンやルートも、それぞれに何かを背負っている。

それを使命と呼ぶのか役割と呼ぶのか、はたまた宿業や天運と呼ぶのかは分からない。

けれども、その『何か』を握りしめ、人はこの世に生まれてくるのだ。たった一人で、みずからの力で。

ユリシスは気づいていない。なぜ、これほどまで豊かな環境に自分はいるのか。

どうして、こんなにも欠けたるもののない境遇に生まれついたのか。

それはきっと、果たすべき大きな役目が、これからの彼を待ち受けているからだ。

誰もが同じ場所に立てるわけではない。

彼にしか引き受けることのできない責務、望むと望まざるとに関わらずやらなければならないことが確実にある。

ユリシス自身がそれに気づかず逃げ回っている限り、試練は何度でも手を変え品を変え、彼の目の前に立ち現れるだろう。

ルートがユリシスを憎悪する一番の理由はその、自己に対する致命的な甘さなのだ。

あるいは、それを育ちのよさと言い替えてもいいのかもしれない。

レッドは口の端に微苦笑をほのめかせる。

物見遊山のつもりで来たけれど、案外歯ごたえのある毎日だったし、面白い連中と知り合うこともできた。

けれどもこれ以上、戦い抜く覚悟もなしにここにいるべきではない。

サイクロイドでは淘汰イコール、死を意味するのだから。

たとえ次の標的がユリシスでなくとも、人が減れば減るほど危険に巻き込まれる可能性は上がってゆく。

身の安全を確保するのは至難の業だった。

ここは戦場だ。銃口はいつ、誰が、どのようにして向けてくるか分からない。

この期に及んでそれを本当の意味では理解しておらず、信じてもいない主君を、レッドは愚かだと感じつつも愛おしかった。

夕暮れは夜へと姿を変え、ひっそりと大地に身を潜めている。

薄く紗のかかったような夏の夜の闇が、そこかしこにひしめいている。

――予言してやるよ、ユリシス。

心の中で呟いた、レッドの瞳の底に炎が散る。

――お前のその優しさが、いつか人を殺すだろう。




































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