その人事には理由がある

３２

何かは分からないが、そこはかとなく嫌なものを感じて、千春は身を翻した。

本来の職務に戻ろうと、エレベーターのボタンを押す。

「やってらんねえよ。なあ？」

耳元でやけに大きな声がしたのはそのときだった。

ぱっと振り向くと、予想以上に至近距離に真鍋祐太が立っていた。

スポーツで鍛え上げた体、刈り上げに近い短髪に、分厚い唇と濃い眉が特徴的で、大きくて健康そうな歯をむき出しにして笑っている。

何がおかしいのか、千春には全く理解できなかった。

思わず身を引くと、真鍋はさらに距離を詰めてくる。

もとから馴れ馴れしい奴ではあったが、ますます磨きがかかっているようだ。

「さっきのあれ聞いてたろ？自分の無能を棚に上げて、人にミスの責任押しつけやがって。マジふざけんなっつーの」

周囲の人の目もあり、何より数歩先の営業部の室内には上司や同僚が数多くいるというのに、真鍋はそれらを全く意に介していないようだった。

驚きが去ると、今度は冷ややかな軽蔑が取ってかわった。

「あのさ。私に愚痴る前に、まず先輩とグループ長に謝ったほうがいいと思うよ」

「何で俺が」

真鍋はむっとしたのか、不満げに唇を尖らせている。

相手にするだけ無駄だと悟り、千春は重い段ボール箱を持ち上げながら口早に言った。

「ごめん、急いでるんだ。じゃあね」

ちょうどタイミングよくやってきたエレベーターに乗り込み、急いで閉ボタンを押す。

扉が二人の間を強制的に遮断すると、何事もなかったかのように鉄の箱は降下し始めた。