その人事には理由がある

凪子

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開いた扉から暗い廊下に光が射し、千春の足元に影を作り出している。

人事課の中で、朝木静が誰かと話しているようだった。

「親父が女好きなのは昔からですが、今回だけは特別みたいでね。新しい女を作ったというのは薄々気づいてましたが、どうも本気でその人と結婚しようともくろんでいるようなんです」

「もくろむって。実の父親に対して随分な言い草ね」

室内の様子は見ることができないが、静の口調からはやや呆れたニュアンスが伝わってくる。

「別に悪事を企てているわけじゃないでしょう。息子だからって、あなたに止める権利があるの?」

「大ありですよ。僕が今まで、どれだけあの人から被害を受けてきたか」

冗談っぽく言いながらも、切れ味のよい刃のような声色だった。

「結婚? 冗談じゃない。ただでさえ相続でもめるのは分かりきってるのに、これ以上ややこしい事態になるのはごめんですよ」

「結論から言うけど」

前置きして、静は言った。

「その話が本当だとして、お相手は私じゃない。確かに社長は私の恩人だし心から尊敬しているけれど、それ以上の関係になったことはないし、これからも絶対ない。これでよろしいかしら?」

「信用できませんね。あなたは魅力的すぎる」

「あら、光栄だわ。ありがとう」

罵り合うわけでもなく、激しい口論を繰り広げてもいない。

だが、あまりの迫力に千春は身動きがとれなかった。

室内に満ちている、この緊迫感はどうだろう。

一分あるいは二分ほど、沈黙が続いた。

二人とも室内にいることは間違いないが、本当にそこにいるかどうか疑われるほど静まり返っていて、呼吸音すら聞こえない。

「……あなたではないとして、では誰なんです?」

しばらくしてようやく、押し殺した声が言った。

「僕は親父からそれとなく結婚話を匂わされて、真っ先にあなたの顔が浮かびました。というか、あなた以外考えられなかった。朝木さんでないのなら誰だというんですか」

「さあ」

「ご存知なんでしょう。教えてください」

静の言葉が終わる前に、せっつくように追撃する。

「秘書の子にでも聞いてみたら?」

「聞きましたよ。でも、あっさりかわされました。親父のやつ、完全に味方につけてるみたいだ。彼女らは絶対に口を割らないでしょう」

「相手は秘書課の中にいて、その子をかばってるのかも」

「それも考えましたけど、恐らくないと思います。親父は公私の区別は徹底していますからね。今までも、秘書と関係を持ったことはありません。もし仮にそういうことがあったとしても、必ず先に秘書を辞めさせてからにしているようですから」

意味の分からないところで潔癖なんですよと、吐き捨てるように樹は言った。
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