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7(終) 揺るがぬものと移ろうもの

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「動きに無駄が多い。勝ち急ぎ過ぎだ」

 宮中の訓練場の真ん中で、ブレアはヘルムを外しながら投げかけた。季節の変わり目を継げる涼しい風が吹き抜け、周囲の兵士らは固唾を飲む。
 いずれも訓練を終えた近衛兵の面々だ。皇太子妃であり、自身らの隊長でもあるブレアがラザレスと手合わせをすると聞き、見物に来たらしい。

 Ωの妃という異例の存在に、はじめは批判の声が相次いだ。
 しかし、ブレアの勤勉さや仕事ぶりが功を成し、近頃は周囲に認められつつある。まだ妊娠の兆しはないにせよ、ラザレスの正妃として慕う者は多い。

 ブレアは群衆を一瞥し、風で乱れた髪を手ぐしで整えた。少年のように短かった髪も、もう少しで肩にかかりそうだ。
 ブレアはラザレスに視線を移しながら、そばに控えるクラリスにヘルムと剣を預けた。ふたりが婚姻を発表してから、ゆうに数か月が経過している。

「少し手元が狂っただけだ。もう一回やらないか?」

 兜を外し、ラザレスは悪びれもせず切り出した。ブレアは眉間にしわを寄せ、「見苦しいぞ」と突き放す。

 ブレアが後宮を出て以降、忙しい日が続いていた。今日もお互い、予定がびっしり詰まっているのだ。これ以上、戯れに付き合ってる暇はない。
 しかし、ラザレスはブレアと離れるのが名残惜しいらしく、子どものように駄々をこねている。

「久しぶりに剣を交えたんだ。もう少し付き合ってくれたっていいじゃないか」
「午後にはオルレイユの公爵との会合があるんだろ?」
「まだ一刻ある」
「もう一刻しかない」
「ケチ」
「ケチとはなんだ! 和平を結ぶための話し合いなのに、甲冑姿で参加する気か? 宣戦布告だと勘違いされても知らないぞ?」

 見物人に解散を促しつつ、ブレアは憮然とした表情で切り返した。
 小競り合いが続く隣国と平和条約を結ぶべく、近頃はオルレイユの主要人物と会議を重ねていた。必要以上に血を流すくらいなら、話し合いで解決したほうがいいと踏んでのことだ。

 敵対するオルレイユ西方の諸侯たちは、レンジイトンがフォルルーゼ港の利権を握っていることに反発しているらしい。とはいえ、侵攻から二十年以上経過しているため、レンジイトンとしてもヴェリオ半島を返還するつもりは毛頭ない。
 しかし、多少の譲歩なら可能なはず――ラザレスはその想いを胸に、隣国との交渉に精を出している。武力で解決するより困難な道だが、あえてそうした選択を取ることこそ、彼の『強さ』なのだろう。

「それで、進捗はどうだ?」

 ブレアは不貞腐れるラザレスをうろんに眺め、切り出した。もともと敵対していたこともあり、一筋縄ではいかないらしい。

「平行線だな。外交はヘイスティングが担っていたが、もういないし……」

 そう言って、ラザレスは決まり悪そうに目を逸らした。件の老父は謀反の罪で国外追放されたのは記憶に新しい。とはいえ、長年宰相を務めただけあり、政治的手腕は確かだったようだ。

「せめて、両国の事情に明るい人物がいればいいんだが……」

 遠くを見つめ、ラザレスは大仰にため息をついた。確かに、オルレイユの情勢に詳しい人間がいれば、現状を打破できそうだ。彼の視線を辿り、ブレアは訓練場の先に佇む塔を眺める。
 今回の騒動で捕らえられた兵士はみな、あのなかに収容されている。もちろん、ラザレスに剣を向けた実の兄、ライオットも。

「なあ」

 当時を振り返っていると、ラザレスに声を掛けられた。ブレアは我に返り、彼のほうへ向き直る。

「おまえの兄――」
「却下だ」
「まだなにも言ってない!」
「みなまで聞かずとも、兄上を外交の場に登用するつもりだろう!? そんなの、駄目に決まってるじゃないか!」

 ブレアは気色ばみ、負けじと肩をそびやかした。一方、ラザレスは図星を刺されたとばかりに、目を泳がせる。

「オルレイユに寝返ったのも、複雑な事情があってのことだろ?」
「それとこれとは話が別だ! 君はあの男に殺されかけたんだぞ!?」
「まあまあ、そうムキになるなって」

 声を荒げるブレアに対し、ラザレスは応酬する。
 敵であろうと実力があれば起用したい――ラザレスの意見は理解できるものの、ブレアは納得できずにいた。第一、話を聞いてくれる保証はないし、後々裏切る可能性だって否めない。

 他国の文化に惹かれながらも、自国の騎士として侵略しなければならない――生まれと理想が噛み合わないライオットの境遇は、ブレアのそれと似たものを感じさせた。
 ボタンの掛け違いが生じれば、自分だって暗澹とした感情を胸に生きていたかもしれない。鍔競つばぜり合う刃の向こうで睥睨へいげいする兄を見て、ブレアはそのことを痛感した。

 ――こうして揺らいでしまう時点で、自分は兄上にほだされているのだろうか。

 甲冑越しに空のポケットをなで、ブレアは頭のなかで独りごちた。
 ラザレスから賜ったメダルを失ってからずっと、心のなかの迷いが消えない。

「……私がしてきたことは、正しかったのだろうか」

 後宮に入る以前の自身を振り返り、ブレアはぽつりとつぶやいた。

「タウンゼント家は国境を守る軍神と名高いが、かつては兄上の言う通り、『侵略者』だった。自らの忠誠を貫くためとはいえ、私はたくさんの兵を殺した」

 そう言って、視線を落とす。
 騎士がしていることは所詮、破壊と殺戮に過ぎない――怨嗟を孕んだライオットの言葉が、耳底によみがえる。そのたびに、立ち止まらずにはいられなくて。
 破壊と殺戮を誇りとして生きた自分の半生は、間違っていたのだろうか。そう考えると、五年前の約束が色褪せてしまうのだ。

 たとえオルレイユと和平を築いたとしても、時が立てば事情も変わる。
 独立したふたつの国として存在している以上、衝突は避けられない。そうなった時、自分は騎士として、再び剣を抜けるのか。

「物事に『正しい』も『間違い』もないさ」

 消沈するブレアの肩を抱き寄せ、ラザレスは小さく笑った。

「意志を貫けたか、どうか――それだけの話だろ?」

 そう言って、彼は青い瞳でこちらを見つめた。優しく細められた青い瞳には、頂点に立つ者の貫禄が備わっている。

「たとえ最後のひとりになっても、俺はこの地を守るつもりだ」
「強いな、君は」
「でも、その『強さ』の裏には、傲慢という『弱さ』が潜んでいる」

 甲冑を外して懐を探りながら、ラザレスは言葉を継いだ。現れた金色のメダルに、ブレアは思わず息を飲む。

「悩み、移ろい、迷う――そんなブレアが居てくれるからこそ、俺は『強い』ままでいられるんだろうな」
「ラザレス……」
「レンジイトンの勇士として、共にヴェリオを守ろう」

 そう言って、ラザレスはブレアの手を取ると、手中のものを握らせた。
 手のひらからこぼれた首掛け用のリボンが、風に吹かれてはらり、と揺れる。そこに刻まれた赤黒い署名は、かつて彼が己の血で記したものだ。

「どうして……?」

 メダルをめつすがめつしながら、ブレアは目を丸くした。それを聞き、ラザレスはクラリスを見遣る。

「リボンに名前が書いてあるのを見て、俺のだと勘違いしたらしい」
「ちなみに、私はライオット様から預かりました」

 ブレアやラザレスの装備品を片付け終えたクラリスが、横から口を挟む。
 長年タウンゼント家に仕えているこの老婆は、ブレアのみならずライオットの世話もしてきたらしい。幼い頃から母親同然に面倒をみてきたこともあり、投獄後はしょっちゅう見舞いに訪れていたそうだ。
 はじめは鬱陶しがっていたライオットも徐々に絆され、最終的には盗んだメダルをブレアに返すようクラリスに依頼した。もっとも、言葉が足りなかったせいで、ラザレスを経由することになったのだが。

「そういうことだったのか……」

 ようやっと合点がいき、ブレアはまじまじと手中のものを見つめた。敵対していた兄がメダルを返してくれるとは思わず、少々意外に感じてしまう。

「案外、話の通じるやつだったりしてな」

 ブレアの顔を覗き込み、ラザレスは朗らかに歯を見せた。
 ライオットをオルレイユとの交渉の席に呼ぼうとしているのだ。諜報活動をしていただけあり、両国の事情には詳しいだろう。

「まあ、話をしに行くだけなら……」

 決まり悪そうに視線を落とし、ブレアはメダルをポケットにしまった。久方ぶりのずっしりとした重さに、胸の奥がくすぐったくなる。

「ブレア様、そろそろお時間です」

 感じ入っていると、クラリスの声で意識が引き戻された。
 ラザレスは興味津々といった表情で、「そっちも予定があるのか?」と聞き返す。ブレアは我に返り、顔面を引きつらせる。

「クラリス、間に合うか……?」
「そのままの格好で馬車に乗れば、あるいは」
「こんな格好でアカデミーに行けるわけないだろ!」

 質問を繰り返すラザレスを引き連れ、ブレアは急いで城に戻った。お互い、公務にはふさわしくない格好だ。早急に着替えねば、国家の威信が揺らいでしまう。
 特に、アカデミーは武芸より学道を重んじるから、騎士然とした姿で訪れれば皇太子妃であろうと追い返されかねない。

 発情ヒートの抑制薬が開発されたという報告を受け、様子を見に行くことになっているのだ。
 Ωの人権を向上させる意味でも、今回の視察は重要だ。ヒートさえ制御できれば、Ωは大多数を占める平凡な性――β同様の暮らしが可能となるのだから。
 βとΩを見分けるのは、結局のところ発情期の有無しかない。上手くいけば、数世紀に及ぶ差別問題に終止符が打たれるだろう。

 勧められたドレスを身にまとい、ブレアはポケットの中に手指を伸ばした。
 ブレアが悩み、移ろい、迷うからこそ、ラザレスは『強く』いられる――今しがた耳にした彼の言葉を反芻し、メダルの重みを確かめる。

 騎士として剣を取り、女として彼を愛し、いずれ母として彼との子を産む。自分の人生はきっと、そうやって移ろいゆくものなのだろう。
 不動の輝きを放つ彼の裏で、月のように姿を変える――それこそが、己に与えられた使命なのだ。ふたりでひとつの対を成し、永久とわにこの地を守り続ける。

 騎士という枠組みから外れた、独自の『忠誠』。
 クラリスに着付けを手伝ってもらいつつ、ブレアは肩の荷が下りたように頬をゆるめた。


<了>
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感想 1

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みんなの感想(1件)

マムシカ
2024.09.21 マムシカ

楽しく読ませていただきました。

クラリス最強説を唱えたいと思います。
強い…精神的にも、愛情的にも、肉体的にも。。。

強い女性はカッコいいですよね。

また、次の作品を期待しております。

鐘尾旭
2024.09.21 鐘尾旭

マムシカさま 感想ありがとうございます!
とても嬉しいです!!

>>クラリス最強
脳筋ヒロインの従者に最強BBAがいたら面白そうだなと思い、登場させてみました 笑
他サイトでも掲載しているのですが、そっちでもクラリスへの言及が多いのでみんなおもしろBBAが好きなんだなと思ってます 笑

>>強い女性
かっこいいですよね!!!!
かっこいいヒロインが夜はにゃんにゃんしてるのいいですよね!!!
殺意高い女が好物なのです 笑

こちらこそ感想ありがとうございます!
年内にもう一編出せればいいなと思ってるのでよかったらお付き合いください〜

解除

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