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6-5 騎士の功罪(ラザレス視点)
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戦場では個人の強さなんてあてにならない。
優劣を競うトーナメントとはわけが違うのだ。そんな当たり前の事実に今さら気付く。
敵の罠かもしれない――いぶかしむブレアの言葉を思い出し、ラザレスは己の浅慮を呪った。
当時は聞く耳を持たなかったが、賢明な判断だったと今になって思う。彼女の強さは剣術のみならず、経験に裏打ちされた勘の良さも含まれているのだろう。
ラザレスは馬にまたがり、草原をひた走った。己の『強さ』を模索するあまり、敵に足元をすくわれたかたちだ。
ブレアの読み通り、敵船は陽動だった。味方のふりをして城内に潜伏していた敵兵により、戦況はあっという間にひっくり返された。
崩れかけた自軍を立て直すべく、ラザレスは自らを囮に内地を奔走した。どうやら敵のねらいはヴェリオの制圧ではなく、自身を討つことにあるらしい。
ならば自ら敵兵を引きつければ、混乱はいずれ収まるだろう。ラザレスは咄嗟の判断で賭けに出た。今は劣勢を強いられているものの、兵の数はこちらが勝っている。自分さえ逃げ切れば、戦況は立て直せるだろう。
「城下と民を見捨てたか!? 腰抜けめ!」
背後から飛んでくる野次に心が痛むも、ラザレスはなりふり構わず馬を進めた。祖父からヴェリオを賜り、統治している以上、易々と討たれるわけにはいかない。
王族とあろう者が囮を引き受けるだなんて、ブレアが知ったら卒倒するな――そんなことを考え、ラザレスは兜の下で自嘲する。
城下から十数キロメートル離れた草原で、ラザレスは後ろを振り返った。目に見える追っ手はひとり。
こちらの魂胆にいち早く気付いた敵兵だ。メガネをかけたオリーブ色の瞳が、甲冑の下でぎらついている。見るからに神経質そうな風貌だ。
残る手勢は途中でラザレスを見失ったらしく、追いかけてくる気配はない。とはいえ、ここらは見通しの良い平原だから、見つかるのは時間の問題だろう。
――どこかに身を隠すことができればいいのだが。
そう考えるも、馬の様子を見て無理だと察する。
明らかに疲弊している。逃げるためとはいえ、無茶な走りを強いたのだ。このままでは、背後の兵士に追いつかれる。それを他の追手に嗅ぎつかれたら目も当てられない。
ラザレスは意を決し、馬を止めた。逃げ切れないのであれば、直接決着をつけるしかない。馬から降り、腰の剣に手を掛ける。
騎馬戦では槍による戦いが一般的だが、此度は砲撃戦を想定していたこともあり、互いに剣しか携えていない。
リーチが長い槍ならともかく、馬上で剣を振るえば馬の首を切ってしまう恐れがあるため、このような場合は互いに下馬するのが常識だ。そうした意思を汲んだのか、向こうも馬を止めた。
「ようやく首を差し出す気になったか」
男は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、剣を抜いてこちらを睨んだ。
ふたりのあいだを風が吹き抜け、相手の前髪が軽やかに揺れる。その色合いがブレアのそれと重なり、ラザレスは一瞬呼吸を忘れた。
「フン、チャンバラ遊びが取り柄のボンボンめ」
そのわずかな隙を見逃すことなく、男は疾風のごとく間合いを詰めた。
これまで受けた剣戟とは異なり、明確な殺意に満ちている。男の一撃を受け流すたび、ラザレスはじりじりと後ずさる。
これが戦場――圧倒的な緊迫感に呑まれ、剣を持つ手にしびれが走った。一瞬の隙が命取りになるだけではない。この手で相手を殺すことだってあり得る世界だ。
――お前は強い。
亡き祖父の声が、耳底からよみがえる。ラザレスは眉間にしわを寄せ、勇猛果敢に剣を振る。
なにをもってアントルはラザレスを『強い』を評したのか。その真意は分からない。
こうしている今も、心のどこかでは自分の『強さ』を模索している。暗闇のなか、泥を掻き分けているみたいに手応えがない。それでも、この戦いの先になにかあるはずだと、ラザレスはひたすら自分に言い聞かせる。
鍔競りあう白刃から火花が散り、彼は奥歯を食い締めた。
結局のところ、剣は殺し合うために存在するのだ。それ以上でも、以下でもない。ひょっとしたら、自分が探し求めている『強さ』は、戦場には存在しないのかもしれない――初めて経験する「命の取り合い」に、冷たい汗が頬を伝う。
「遊びは終わりだッ!」
こちらの斬撃を弾き返し、男は剣を振り上げた。自身の心臓目掛けて突き進む刃に、ラザレスは息を飲む。
◇
剣を交えるふたりのもとへ駆け寄り、自身の刃を振り上げた。
こちらの殺気を気取ったのか、実兄はラザレスに向けた切っ先を引っ込め、ブレアの剣戟を受け止める。
「Ωの分際で戦場に出てくるとは、いい度胸じゃないか」
ヘルムから見え隠れする素顔でこちらの正体を見破ったのか、ライオットはメガネの奥を光らせた。ブレアは馴染みのプレートアーマーをガチャリ、と鳴らし、剣を握る手に力を込める。
自身と瓜二つのオリーブの瞳に憎しみを灯し、ライオットは斬撃を繰り出した。そのひとつひとつを受け流し、ブレアは声を張り上げる。
「なぜレンジイトンを恨むのです、兄上!」
「黙れっ!」
間合いを取り、ライオットは肩をそびやかす。一筋縄ではいかない相手であることを察し、隙をうかがっているのだろう。タウンゼントの名を捨ててもなお、剣の腕は確からしい。
「幼い頃から父親の言いなりだったおまえには分かるまい……! タウンゼントの家に生まれた、俺の苦悩など……!」
ライオットは腰を落とし、血相を変えてがなり立てた。長年胸に秘めてきたのであろう煩悶に、ブレアは自身と共通するものを垣間見る。
スタンレーが指摘した通り、彼は自身の理想と現実の乖離を受け入れられずにいた。ブレアが自身の性――女であり、Ωであること――といまだ折り合いがつかないように。
「――ヴェリオはオルレイユの文化が色濃く反映された、美しい港町だった」
丁々発止と火花を散らし、ライオットは相貌に怨嗟をにじませた。
今から二十五年ほど前、ヴェリオはオルレイユの西端に位置する半島だった。ブレアが生まれる以前の話だ。自国にはない華やいだ文化に、若きライオットは憧憬を抱いた。
「レンジイトンの侵攻により、ヴェリオに息づくオルレイユの文化はことごとく破壊された。残ったのは城くらいなもので、そのほかはすべて灰となった」
幼き頃より聞かされてきたヴェリオの成り立ち。疑いようのない信念に陰りが生じ、ブレアはヘルムの下で頬を引きつらせる。
亡き母が読み聞かせてくれた憧れの地を、この手で蹂躙しなければならなかった。いくらライオットがそれを拒もうと、騎士という立場が赦してくれるはずもなく。
「やれ騎士道だ、誇りだと言いながら、おまえらがしていることは単なる破壊と殺戮だ。欲深い貴様らレンジイトンが大陸に進出してきたせいで、オルレイユは衰退の一途を辿った」
苛烈なるライオットの剣戟が、さらなる勢いを増していく。
憎悪にも似た気迫に押され、ブレアは剣先がおぼつかなくなっていく。これまで従軍した戦場の数々が、走馬灯のごとくよみがえる。
「国を守る」という大義名分を掲げ、存分に剣を振るってきた。
相手は自国を脅かす侵略者なのだから、たとえ殺されても文句は言えない――そう自身に言い聞かせてきた。しかし、レンジイトンもかつては、オルレイユにとっての『侵略者』だったのだ。
兄の猛攻に圧されるなか、視界の端に金色の髪がちらついた。その奥で揺れる青い瞳に、ブレアは胸が締め付けられる。
五年前、ラザレスと約束を交わしたことを思い出す。暮れなずむ日の光に照らされ、共にこの地を守ると忠誠を誓った。
輝かしい決意の裏に、薄暗い現実が姿を覗かせる。討ち滅ぼしてきた敵の背後にだって、同じような信念があったのかもしれない、と。
固く信じてきた正義が、忠誠が、理想が、水面のように揺れていく。波立つ心を鎮めるべく、五年前にもらったメダルの在処を探るも、いまだライオットに奪われたままだ。
自分の行いは正しかったのか。ライオットの指摘通り、この胸に抱いた誇りは「単なる破壊と殺戮」でしかないのか。ブレアは次第に分からなくなってくる。
答えの見えない自問が頭をもたげ、足がすくんだ。ライオットはその隙を見逃さず、間合いを詰める。振り上げられる白銀の切っ先。甲冑に包まれたこの体は、ピクリとも動かない。
「雑兵め! オルレイユを貶めた報いを受けろ!」
怒声を上げ、ライオットは斬撃を繰り出した。
このまま斬られるのだと理解した刹那、背後から腕をつかまれた。考えるより先に後ろに引っ張られ、ブレアはたたらを踏んで尻もちをつく。
「貴様こそ、勝手な言い分でヴェリオの安寧を揺るがすな! 過去がどうだろうと、今は俺が賜った地だ!」
鋭い金属音と共に、迫る刃が退けられた。ブレアはうずくまったまま、ヘルムから覗く金髪を見上げる。
「ラザレス……」
聞こえるかどうかの声量で、ブレアは誰に聞かせるでもなくつぶやいた。ラザレスは振り返る素振りもなく、ライオットに反撃する。
目にも止まらぬ鋭い一撃。腕を斬りつけられ、ライオットは剣を落とした。
同時に、地平線の向こうから複数の蹄音が地鳴りのように迫りくる。タウンゼント家の援軍だ。ようやっとブレアに追いついたのだろう。
「殿下! ご無事ですか!?」
馬から降りた甲冑の騎士たちが、わらわらとラザレスに駆け寄った。ライオットは有無を言わさずひっ捕らえられ、フォルルーゼの方角へと連行される。
「ブレア、平気か?」
取り巻く兵士を軽くあしらい、ラザレスはこちらに駆け寄った。その兜の奥で見え隠れする凛々しい顔立ちに、体の芯が熱くなる。
「あ、ああ……」
かすれた声で応酬しつつ、ブレアはラザレスの腕を借りて立ち上がった。ひとまず危機を脱したせいか、疲れがどっと押し寄せる。
「ブレアの言う通りだった。敵の術中にはまって死にかけるだなんて、情けないな、俺」
やっぱり、おまえには敵わないよ――そう言って、ラザレスはブレアを馬に乗せた。先ほどの勇姿を思い出し、ブレアはゆるゆるとかぶりを振る。
「――今回ばかりは君の勝ちだ」
聞こえるかどうかのつぶやきが、周囲の喧騒に掻き消される。
「なんか言ったか?」
「いや、なんでも」
兜の下で小さく笑い、ブレアはラザレスに微笑んだ。
ライオットが見せた現実に揺らぐ自分と、意思を貫き通したラザレス。剣の腕前はさておき、どちらが『強い』かなんて明白だ。
ラザレスは馬に乗り、颯爽と駆け出した。護送の騎士に囲まれる彼を眺め、ブレアは目を細くした。
西に傾く陽光を受け、金色の髪ははち切れんほどに輝いている。
優劣を競うトーナメントとはわけが違うのだ。そんな当たり前の事実に今さら気付く。
敵の罠かもしれない――いぶかしむブレアの言葉を思い出し、ラザレスは己の浅慮を呪った。
当時は聞く耳を持たなかったが、賢明な判断だったと今になって思う。彼女の強さは剣術のみならず、経験に裏打ちされた勘の良さも含まれているのだろう。
ラザレスは馬にまたがり、草原をひた走った。己の『強さ』を模索するあまり、敵に足元をすくわれたかたちだ。
ブレアの読み通り、敵船は陽動だった。味方のふりをして城内に潜伏していた敵兵により、戦況はあっという間にひっくり返された。
崩れかけた自軍を立て直すべく、ラザレスは自らを囮に内地を奔走した。どうやら敵のねらいはヴェリオの制圧ではなく、自身を討つことにあるらしい。
ならば自ら敵兵を引きつければ、混乱はいずれ収まるだろう。ラザレスは咄嗟の判断で賭けに出た。今は劣勢を強いられているものの、兵の数はこちらが勝っている。自分さえ逃げ切れば、戦況は立て直せるだろう。
「城下と民を見捨てたか!? 腰抜けめ!」
背後から飛んでくる野次に心が痛むも、ラザレスはなりふり構わず馬を進めた。祖父からヴェリオを賜り、統治している以上、易々と討たれるわけにはいかない。
王族とあろう者が囮を引き受けるだなんて、ブレアが知ったら卒倒するな――そんなことを考え、ラザレスは兜の下で自嘲する。
城下から十数キロメートル離れた草原で、ラザレスは後ろを振り返った。目に見える追っ手はひとり。
こちらの魂胆にいち早く気付いた敵兵だ。メガネをかけたオリーブ色の瞳が、甲冑の下でぎらついている。見るからに神経質そうな風貌だ。
残る手勢は途中でラザレスを見失ったらしく、追いかけてくる気配はない。とはいえ、ここらは見通しの良い平原だから、見つかるのは時間の問題だろう。
――どこかに身を隠すことができればいいのだが。
そう考えるも、馬の様子を見て無理だと察する。
明らかに疲弊している。逃げるためとはいえ、無茶な走りを強いたのだ。このままでは、背後の兵士に追いつかれる。それを他の追手に嗅ぎつかれたら目も当てられない。
ラザレスは意を決し、馬を止めた。逃げ切れないのであれば、直接決着をつけるしかない。馬から降り、腰の剣に手を掛ける。
騎馬戦では槍による戦いが一般的だが、此度は砲撃戦を想定していたこともあり、互いに剣しか携えていない。
リーチが長い槍ならともかく、馬上で剣を振るえば馬の首を切ってしまう恐れがあるため、このような場合は互いに下馬するのが常識だ。そうした意思を汲んだのか、向こうも馬を止めた。
「ようやく首を差し出す気になったか」
男は小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、剣を抜いてこちらを睨んだ。
ふたりのあいだを風が吹き抜け、相手の前髪が軽やかに揺れる。その色合いがブレアのそれと重なり、ラザレスは一瞬呼吸を忘れた。
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そのわずかな隙を見逃すことなく、男は疾風のごとく間合いを詰めた。
これまで受けた剣戟とは異なり、明確な殺意に満ちている。男の一撃を受け流すたび、ラザレスはじりじりと後ずさる。
これが戦場――圧倒的な緊迫感に呑まれ、剣を持つ手にしびれが走った。一瞬の隙が命取りになるだけではない。この手で相手を殺すことだってあり得る世界だ。
――お前は強い。
亡き祖父の声が、耳底からよみがえる。ラザレスは眉間にしわを寄せ、勇猛果敢に剣を振る。
なにをもってアントルはラザレスを『強い』を評したのか。その真意は分からない。
こうしている今も、心のどこかでは自分の『強さ』を模索している。暗闇のなか、泥を掻き分けているみたいに手応えがない。それでも、この戦いの先になにかあるはずだと、ラザレスはひたすら自分に言い聞かせる。
鍔競りあう白刃から火花が散り、彼は奥歯を食い締めた。
結局のところ、剣は殺し合うために存在するのだ。それ以上でも、以下でもない。ひょっとしたら、自分が探し求めている『強さ』は、戦場には存在しないのかもしれない――初めて経験する「命の取り合い」に、冷たい汗が頬を伝う。
「遊びは終わりだッ!」
こちらの斬撃を弾き返し、男は剣を振り上げた。自身の心臓目掛けて突き進む刃に、ラザレスは息を飲む。
◇
剣を交えるふたりのもとへ駆け寄り、自身の刃を振り上げた。
こちらの殺気を気取ったのか、実兄はラザレスに向けた切っ先を引っ込め、ブレアの剣戟を受け止める。
「Ωの分際で戦場に出てくるとは、いい度胸じゃないか」
ヘルムから見え隠れする素顔でこちらの正体を見破ったのか、ライオットはメガネの奥を光らせた。ブレアは馴染みのプレートアーマーをガチャリ、と鳴らし、剣を握る手に力を込める。
自身と瓜二つのオリーブの瞳に憎しみを灯し、ライオットは斬撃を繰り出した。そのひとつひとつを受け流し、ブレアは声を張り上げる。
「なぜレンジイトンを恨むのです、兄上!」
「黙れっ!」
間合いを取り、ライオットは肩をそびやかす。一筋縄ではいかない相手であることを察し、隙をうかがっているのだろう。タウンゼントの名を捨ててもなお、剣の腕は確からしい。
「幼い頃から父親の言いなりだったおまえには分かるまい……! タウンゼントの家に生まれた、俺の苦悩など……!」
ライオットは腰を落とし、血相を変えてがなり立てた。長年胸に秘めてきたのであろう煩悶に、ブレアは自身と共通するものを垣間見る。
スタンレーが指摘した通り、彼は自身の理想と現実の乖離を受け入れられずにいた。ブレアが自身の性――女であり、Ωであること――といまだ折り合いがつかないように。
「――ヴェリオはオルレイユの文化が色濃く反映された、美しい港町だった」
丁々発止と火花を散らし、ライオットは相貌に怨嗟をにじませた。
今から二十五年ほど前、ヴェリオはオルレイユの西端に位置する半島だった。ブレアが生まれる以前の話だ。自国にはない華やいだ文化に、若きライオットは憧憬を抱いた。
「レンジイトンの侵攻により、ヴェリオに息づくオルレイユの文化はことごとく破壊された。残ったのは城くらいなもので、そのほかはすべて灰となった」
幼き頃より聞かされてきたヴェリオの成り立ち。疑いようのない信念に陰りが生じ、ブレアはヘルムの下で頬を引きつらせる。
亡き母が読み聞かせてくれた憧れの地を、この手で蹂躙しなければならなかった。いくらライオットがそれを拒もうと、騎士という立場が赦してくれるはずもなく。
「やれ騎士道だ、誇りだと言いながら、おまえらがしていることは単なる破壊と殺戮だ。欲深い貴様らレンジイトンが大陸に進出してきたせいで、オルレイユは衰退の一途を辿った」
苛烈なるライオットの剣戟が、さらなる勢いを増していく。
憎悪にも似た気迫に押され、ブレアは剣先がおぼつかなくなっていく。これまで従軍した戦場の数々が、走馬灯のごとくよみがえる。
「国を守る」という大義名分を掲げ、存分に剣を振るってきた。
相手は自国を脅かす侵略者なのだから、たとえ殺されても文句は言えない――そう自身に言い聞かせてきた。しかし、レンジイトンもかつては、オルレイユにとっての『侵略者』だったのだ。
兄の猛攻に圧されるなか、視界の端に金色の髪がちらついた。その奥で揺れる青い瞳に、ブレアは胸が締め付けられる。
五年前、ラザレスと約束を交わしたことを思い出す。暮れなずむ日の光に照らされ、共にこの地を守ると忠誠を誓った。
輝かしい決意の裏に、薄暗い現実が姿を覗かせる。討ち滅ぼしてきた敵の背後にだって、同じような信念があったのかもしれない、と。
固く信じてきた正義が、忠誠が、理想が、水面のように揺れていく。波立つ心を鎮めるべく、五年前にもらったメダルの在処を探るも、いまだライオットに奪われたままだ。
自分の行いは正しかったのか。ライオットの指摘通り、この胸に抱いた誇りは「単なる破壊と殺戮」でしかないのか。ブレアは次第に分からなくなってくる。
答えの見えない自問が頭をもたげ、足がすくんだ。ライオットはその隙を見逃さず、間合いを詰める。振り上げられる白銀の切っ先。甲冑に包まれたこの体は、ピクリとも動かない。
「雑兵め! オルレイユを貶めた報いを受けろ!」
怒声を上げ、ライオットは斬撃を繰り出した。
このまま斬られるのだと理解した刹那、背後から腕をつかまれた。考えるより先に後ろに引っ張られ、ブレアはたたらを踏んで尻もちをつく。
「貴様こそ、勝手な言い分でヴェリオの安寧を揺るがすな! 過去がどうだろうと、今は俺が賜った地だ!」
鋭い金属音と共に、迫る刃が退けられた。ブレアはうずくまったまま、ヘルムから覗く金髪を見上げる。
「ラザレス……」
聞こえるかどうかの声量で、ブレアは誰に聞かせるでもなくつぶやいた。ラザレスは振り返る素振りもなく、ライオットに反撃する。
目にも止まらぬ鋭い一撃。腕を斬りつけられ、ライオットは剣を落とした。
同時に、地平線の向こうから複数の蹄音が地鳴りのように迫りくる。タウンゼント家の援軍だ。ようやっとブレアに追いついたのだろう。
「殿下! ご無事ですか!?」
馬から降りた甲冑の騎士たちが、わらわらとラザレスに駆け寄った。ライオットは有無を言わさずひっ捕らえられ、フォルルーゼの方角へと連行される。
「ブレア、平気か?」
取り巻く兵士を軽くあしらい、ラザレスはこちらに駆け寄った。その兜の奥で見え隠れする凛々しい顔立ちに、体の芯が熱くなる。
「あ、ああ……」
かすれた声で応酬しつつ、ブレアはラザレスの腕を借りて立ち上がった。ひとまず危機を脱したせいか、疲れがどっと押し寄せる。
「ブレアの言う通りだった。敵の術中にはまって死にかけるだなんて、情けないな、俺」
やっぱり、おまえには敵わないよ――そう言って、ラザレスはブレアを馬に乗せた。先ほどの勇姿を思い出し、ブレアはゆるゆるとかぶりを振る。
「――今回ばかりは君の勝ちだ」
聞こえるかどうかのつぶやきが、周囲の喧騒に掻き消される。
「なんか言ったか?」
「いや、なんでも」
兜の下で小さく笑い、ブレアはラザレスに微笑んだ。
ライオットが見せた現実に揺らぐ自分と、意思を貫き通したラザレス。剣の腕前はさておき、どちらが『強い』かなんて明白だ。
ラザレスは馬に乗り、颯爽と駆け出した。護送の騎士に囲まれる彼を眺め、ブレアは目を細くした。
西に傾く陽光を受け、金色の髪ははち切れんほどに輝いている。
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