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6-4 騎士の功罪
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「なにゆえ戻った」
スタンレーは書斎机に向かったまま、顔も上げずにつぶやいた。人々から「軍神」と恐れられているだけあって、うなるような低声には威厳と貫禄が凝縮されている。
――まずい、今日は一段と機嫌が悪そうだ。
声には出さず独りごち、ブレアは背筋を正して敬礼をした。
オルレイユの兵を退けられないまま夜を迎え、苛立っているらしい。戦況は膠着状態にもつれ込み、長期戦が予想された。そのは様子まるで、タウンゼント家を足止めしているかのようだ。
「オルレイユの軍艦がフォルルーゼに向かっています。至急、応援願います」
ブレアは深呼吸をしたのち、意を決して切り出した。普段より騒々しい部屋の外が、戦の緊張感を物語っている。ラザレスのもとに兵を回す余裕などなさそうだが、背に腹は代えられない。
「ならん」
案の定、取り付く島もなく断られた。ブレアは納得がいかずに食い下がる。
「殿下の命が狙われているんですよ!?」
甲走った声が、質素な書斎に響き渡った。フォルルーゼから一日半、休みなしに駆けてきたのだ。何の成果もなしには戻れない。
スタンレーはペンを置き、背もたれに体を預けて腕を組んだ。
ふたりきりの室内に、ぎい、と軋む音が鳴る。次いで、鋭い眼がこちらを見つめた。
「騎士でもないくせにでしゃばるな、ブレンダ」
含みのある言い方でその名を呼ばれ、ブレアは苦虫を噛み潰した。騎士の誇りを守るという名分で、出生を偽って後宮に入ったことを思い出す。
書類上では、自分はもう『ブレア』ではなく、父の隠し子である『ブレンダ』なのだ。スタンレーの言う通り、こうして戦況に首を突っ込むこと自体がおかしい。
痛いところを突かれて口をつぐむも、ブレアはすかさず顔を上げた。先日見たライオットの面影が、父のそれと重なる。
「後宮に兄上が来ました。恐らく、私を殺すつもりだったのでしょう」
その言葉に岩のような体躯がぴくり、と揺れ、スタンレーは顔を上げた。ブレアは鋭い眼光に目を逸らしかけるも、平静を取り繕って言葉を継ぐ。
「レンジイトンに復讐するため、オルレイユに寝返ったと聞きました」
「……馬鹿な奴だ」
唾棄するようにようにつぶやき、スタンレーは長大息をついた。次いで書き物机に目を落とし、目を細める。それを見て、ブレアは前のめりで応酬した。
「教えてください。十五年前、なにがあったのですか? 兄上はなぜ、家を出るに至ったのでしょう?」
凛とした声が簡素な部屋にこだまする。睨みを利かせる父親に対して、ブレアは動じる素振りをみせない。
「……貴様も大概、聞きわけが悪いな」
呆れたとばかりにつぶやき、スタンレーは背もたれに体を預けた。しばらく考える素振りをしたのち、重々しく口を開く。
「ライオットは昔から、オルレイユの文化に傾倒していた」
「オルレイユの文化に?」
「母親の影響だ。当時のレンジイトンは文学が栄えていなかったから、子どもに他国の書物を読み聞かせるのは別段珍しくもなかった」
壁の肖像に目を遣り、スタンレーは鼻を鳴らした。視線の先には栗色の髪とオリーブの瞳が特徴的な女性が描かれている。ブレアが生まれてすぐにこの世を去った、実の母だ。
「ライオットは自分の理想を高く掲げるあまり、己の出生を否定するようになった」
スタンレーは細く長くため息をつき、自嘲気味な笑みを浮かべた。まるで、自分に言い聞かせているかのような口ぶりだ。
「奪い、殺すだけが取り柄の騎士を厭ってオルレイユについたのだろうが、自分も同じことをしているとは……皮肉な話だ」
「あの、おっしゃる意味が……」
話についていくことができず、ブレアはおずおずと口を挟んだ。スタンレーは考え込むように視線を宙に漂わせ、「おまえは」と切り出す。
「自分の『性別』を恨んだことはないか?」
その一言に胸の柔らかいところを射抜かれ、ブレアは目を見開いて息を飲んだ。これまで抱えてきた煩悶の数々が、走馬灯のごとくよみがえる。
兄の失踪を機に、ブレアは女であることを諦めた。
もとい、その選択肢すらなかった。兄が行方をくらませた以上、ブレアが『跡取り息子』の役を演じより他なかった。母であるタウンゼント夫人はすでに死んでいるため、新たな嫡子は見込めない。
幸い、ブレアには騎士の素質があった。
体は大きくないにせよ、類まれなる剣捌きは名門・タウンゼント家の名にふさわしいものだった。しかし、今度は『女』という性別が彼女の足枷となる。
丸みを帯びていく体、いつまでも高い声、女々しい童顔――『嫡男』になるべく捨てたはずのものが、今さらになってやってくる。
思春期を迎え、ブレアは自身の立場と性の不一致に悩みを抱えるようになった。加えて、Ω性の発覚だ。
長年演じてきた騎士の肩書きすら奪われ、捨てたはずの「女性性」に辱められる――そうした自身の境遇に、並みならない不満を抱いた。
「ライオットも似たような煩悶を抱えているのだ。自身の理想と現実が噛み合わず、『復讐』という手段を取ることで、己の鬱憤を晴らそうとしている」
そう言って、スタンレーはこちらに向き直った。言葉の真意が掴めそうで掴めず、ブレアはじれったい気分になる。
「噛み合わない理想と現実……」
父の言葉を口の中で反芻し、ブレアはふと視線を落とした。
女であり、Ωでもある現実に反し、騎士という理想にしがみつく自分の姿は、確かに『噛み合っていない』のかもしれない。
それでも、ラザレスは受け止めてくれたのだ。
「共にヴェリオを守る」という五年前の約束を果たせなくなった今でさえも、彼はブレアを騎士として認めてくれた。いまだうなじを噛ませる勇気もない弱い自分を赦し、愛することを誓ってくれた。
「――それでも、私は戦わねばなりません」
ブレアは顔を上げ、凛とした声で応酬した。なにがあろうと揺るがない瞳に、スタンレーはかすかに肩を揺らす。
「女に産まれ、Ωの性が明らかになってもなお、私はこの地を守らねばならないのです……五年前、殿下と約束したから」
そう言って、ブレアはスタンレーの瞳を見つめ返した。そのちっぽけな体からは、気迫と虚勢が溢れ出ている。
スタンレーはしばし威圧的な目で彼女を睥睨していたものの、やがて匙を投げたとばかりに愁眉を開いた。大仰に嘆息しては、眉間を押さえる。
「相変わらず、おまえは聞きわけが悪いな。ブレアよ」
含みのある口調でこちらを睨み、懐を探る。ややあってスタンレーは鍵束のひとつを取り出すと、ブレアに向かって放り投げた。
「おまえの甲冑は倉庫にしまってある。西棟に休憩中の兵がいるから、援軍として率いるがよい。かつて、おまえを隊長として慕っていた連中だ」
「父上……!」
「タウンゼントの名に恥じぬよう、殿下をお守りせよ」
ぶっきらぼうに返し、スタンレーは再び嘆息した。諦めの悪い息子に愛想が尽きたかのような表情だ表情だ。そのなかに自身への信頼をわずかに見出し、ブレアは胸を熱くする。
「御意……!」
鍵束を握り直し、父に向って敬礼をした。スタンレーはその様を鬱陶しそうに眺め、羽虫を払う手つきで応酬する。
「去ね。時間の無駄だ」
ため息交じりに追い払われ、ブレアは大急ぎで踵を返した。指示通り倉庫に寄り、長年愛用してきた鎧を身にまとう。厩舎に回って馬を調達しては、非常事態を知らせる鐘を鳴らした。
「出動だ! 城下・フォルルーゼが襲撃された! 殿下をお守りすべく、我がタウンゼントも馳せ参じようぞ!」
かつての部下たちが待機する西棟目掛け、ブレアは声を張り上げた。何事かといぶかしんだ兵士たちが、窓から顔を覗かせる。
「あの声、あの甲冑……。まさか、ブレア様……?」
「馬鹿言うな。数か月前に死んだばかりじゃないか」
窓から身を乗り出し、ひそひそと話し合う兵士を馬上から見上げ、ブレアは兜の下で青筋を立てた。事態は一刻の猶予を争うのだ。感動の再開に浸る暇はない。
「一度死んだくらいがなんだ! 城下が危機に瀕しているとなれば、私は何度でもよみがえる!」
ヘルムの隙間からオリーブの瞳をぎらつかせ、ブレアは獣のように吠え立てた。くびり殺さんばかりの勢いに気圧され、騎士たちは慌てて身支度を整える。
「なあ、騎士って死んでも生き返るの?」
「んなわけねーだろ、それじゃ化け物だ」
「いやでも、ブレア様ならあり得る……」
宿舎からぞろぞろと出てくる兵士たちを見て、ブレアは威勢よく馬の腹を蹴った。疾風のように駆ける駿馬のいななきに負けじと、鬨の声を上げる。
「総員、我に続け! 命に代えても、殿下をお守りするのだ!」
スタンレーは書斎机に向かったまま、顔も上げずにつぶやいた。人々から「軍神」と恐れられているだけあって、うなるような低声には威厳と貫禄が凝縮されている。
――まずい、今日は一段と機嫌が悪そうだ。
声には出さず独りごち、ブレアは背筋を正して敬礼をした。
オルレイユの兵を退けられないまま夜を迎え、苛立っているらしい。戦況は膠着状態にもつれ込み、長期戦が予想された。そのは様子まるで、タウンゼント家を足止めしているかのようだ。
「オルレイユの軍艦がフォルルーゼに向かっています。至急、応援願います」
ブレアは深呼吸をしたのち、意を決して切り出した。普段より騒々しい部屋の外が、戦の緊張感を物語っている。ラザレスのもとに兵を回す余裕などなさそうだが、背に腹は代えられない。
「ならん」
案の定、取り付く島もなく断られた。ブレアは納得がいかずに食い下がる。
「殿下の命が狙われているんですよ!?」
甲走った声が、質素な書斎に響き渡った。フォルルーゼから一日半、休みなしに駆けてきたのだ。何の成果もなしには戻れない。
スタンレーはペンを置き、背もたれに体を預けて腕を組んだ。
ふたりきりの室内に、ぎい、と軋む音が鳴る。次いで、鋭い眼がこちらを見つめた。
「騎士でもないくせにでしゃばるな、ブレンダ」
含みのある言い方でその名を呼ばれ、ブレアは苦虫を噛み潰した。騎士の誇りを守るという名分で、出生を偽って後宮に入ったことを思い出す。
書類上では、自分はもう『ブレア』ではなく、父の隠し子である『ブレンダ』なのだ。スタンレーの言う通り、こうして戦況に首を突っ込むこと自体がおかしい。
痛いところを突かれて口をつぐむも、ブレアはすかさず顔を上げた。先日見たライオットの面影が、父のそれと重なる。
「後宮に兄上が来ました。恐らく、私を殺すつもりだったのでしょう」
その言葉に岩のような体躯がぴくり、と揺れ、スタンレーは顔を上げた。ブレアは鋭い眼光に目を逸らしかけるも、平静を取り繕って言葉を継ぐ。
「レンジイトンに復讐するため、オルレイユに寝返ったと聞きました」
「……馬鹿な奴だ」
唾棄するようにようにつぶやき、スタンレーは長大息をついた。次いで書き物机に目を落とし、目を細める。それを見て、ブレアは前のめりで応酬した。
「教えてください。十五年前、なにがあったのですか? 兄上はなぜ、家を出るに至ったのでしょう?」
凛とした声が簡素な部屋にこだまする。睨みを利かせる父親に対して、ブレアは動じる素振りをみせない。
「……貴様も大概、聞きわけが悪いな」
呆れたとばかりにつぶやき、スタンレーは背もたれに体を預けた。しばらく考える素振りをしたのち、重々しく口を開く。
「ライオットは昔から、オルレイユの文化に傾倒していた」
「オルレイユの文化に?」
「母親の影響だ。当時のレンジイトンは文学が栄えていなかったから、子どもに他国の書物を読み聞かせるのは別段珍しくもなかった」
壁の肖像に目を遣り、スタンレーは鼻を鳴らした。視線の先には栗色の髪とオリーブの瞳が特徴的な女性が描かれている。ブレアが生まれてすぐにこの世を去った、実の母だ。
「ライオットは自分の理想を高く掲げるあまり、己の出生を否定するようになった」
スタンレーは細く長くため息をつき、自嘲気味な笑みを浮かべた。まるで、自分に言い聞かせているかのような口ぶりだ。
「奪い、殺すだけが取り柄の騎士を厭ってオルレイユについたのだろうが、自分も同じことをしているとは……皮肉な話だ」
「あの、おっしゃる意味が……」
話についていくことができず、ブレアはおずおずと口を挟んだ。スタンレーは考え込むように視線を宙に漂わせ、「おまえは」と切り出す。
「自分の『性別』を恨んだことはないか?」
その一言に胸の柔らかいところを射抜かれ、ブレアは目を見開いて息を飲んだ。これまで抱えてきた煩悶の数々が、走馬灯のごとくよみがえる。
兄の失踪を機に、ブレアは女であることを諦めた。
もとい、その選択肢すらなかった。兄が行方をくらませた以上、ブレアが『跡取り息子』の役を演じより他なかった。母であるタウンゼント夫人はすでに死んでいるため、新たな嫡子は見込めない。
幸い、ブレアには騎士の素質があった。
体は大きくないにせよ、類まれなる剣捌きは名門・タウンゼント家の名にふさわしいものだった。しかし、今度は『女』という性別が彼女の足枷となる。
丸みを帯びていく体、いつまでも高い声、女々しい童顔――『嫡男』になるべく捨てたはずのものが、今さらになってやってくる。
思春期を迎え、ブレアは自身の立場と性の不一致に悩みを抱えるようになった。加えて、Ω性の発覚だ。
長年演じてきた騎士の肩書きすら奪われ、捨てたはずの「女性性」に辱められる――そうした自身の境遇に、並みならない不満を抱いた。
「ライオットも似たような煩悶を抱えているのだ。自身の理想と現実が噛み合わず、『復讐』という手段を取ることで、己の鬱憤を晴らそうとしている」
そう言って、スタンレーはこちらに向き直った。言葉の真意が掴めそうで掴めず、ブレアはじれったい気分になる。
「噛み合わない理想と現実……」
父の言葉を口の中で反芻し、ブレアはふと視線を落とした。
女であり、Ωでもある現実に反し、騎士という理想にしがみつく自分の姿は、確かに『噛み合っていない』のかもしれない。
それでも、ラザレスは受け止めてくれたのだ。
「共にヴェリオを守る」という五年前の約束を果たせなくなった今でさえも、彼はブレアを騎士として認めてくれた。いまだうなじを噛ませる勇気もない弱い自分を赦し、愛することを誓ってくれた。
「――それでも、私は戦わねばなりません」
ブレアは顔を上げ、凛とした声で応酬した。なにがあろうと揺るがない瞳に、スタンレーはかすかに肩を揺らす。
「女に産まれ、Ωの性が明らかになってもなお、私はこの地を守らねばならないのです……五年前、殿下と約束したから」
そう言って、ブレアはスタンレーの瞳を見つめ返した。そのちっぽけな体からは、気迫と虚勢が溢れ出ている。
スタンレーはしばし威圧的な目で彼女を睥睨していたものの、やがて匙を投げたとばかりに愁眉を開いた。大仰に嘆息しては、眉間を押さえる。
「相変わらず、おまえは聞きわけが悪いな。ブレアよ」
含みのある口調でこちらを睨み、懐を探る。ややあってスタンレーは鍵束のひとつを取り出すと、ブレアに向かって放り投げた。
「おまえの甲冑は倉庫にしまってある。西棟に休憩中の兵がいるから、援軍として率いるがよい。かつて、おまえを隊長として慕っていた連中だ」
「父上……!」
「タウンゼントの名に恥じぬよう、殿下をお守りせよ」
ぶっきらぼうに返し、スタンレーは再び嘆息した。諦めの悪い息子に愛想が尽きたかのような表情だ表情だ。そのなかに自身への信頼をわずかに見出し、ブレアは胸を熱くする。
「御意……!」
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「去ね。時間の無駄だ」
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「あの声、あの甲冑……。まさか、ブレア様……?」
「馬鹿言うな。数か月前に死んだばかりじゃないか」
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「一度死んだくらいがなんだ! 城下が危機に瀕しているとなれば、私は何度でもよみがえる!」
ヘルムの隙間からオリーブの瞳をぎらつかせ、ブレアは獣のように吠え立てた。くびり殺さんばかりの勢いに気圧され、騎士たちは慌てて身支度を整える。
「なあ、騎士って死んでも生き返るの?」
「んなわけねーだろ、それじゃ化け物だ」
「いやでも、ブレア様ならあり得る……」
宿舎からぞろぞろと出てくる兵士たちを見て、ブレアは威勢よく馬の腹を蹴った。疾風のように駆ける駿馬のいななきに負けじと、鬨の声を上げる。
「総員、我に続け! 命に代えても、殿下をお守りするのだ!」
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