【完結】正体を偽って皇太子の番になったら、クソデカ感情を向けられました~男として育てられた剛腕の女騎士は、身バレした挙句に溺愛される~

鐘尾旭

文字の大きさ
上 下
32 / 37

6-4 騎士の功罪

しおりを挟む
「なにゆえ戻った」

 スタンレーは書斎机に向かったまま、顔も上げずにつぶやいた。人々から「軍神」と恐れられているだけあって、うなるような低声には威厳と貫禄が凝縮されている。

 ――まずい、今日は一段と機嫌が悪そうだ。

 声には出さず独りごち、ブレアは背筋を正して敬礼をした。
 オルレイユの兵を退けられないまま夜を迎え、苛立っているらしい。戦況は膠着こうちゃく状態にもつれ込み、長期戦が予想された。そのは様子まるで、タウンゼント家を足止めしているかのようだ。

「オルレイユの軍艦がフォルルーゼに向かっています。至急、応援願います」

 ブレアは深呼吸をしたのち、意を決して切り出した。普段より騒々しい部屋の外が、戦の緊張感を物語っている。ラザレスのもとに兵を回す余裕などなさそうだが、背に腹は代えられない。

「ならん」

 案の定、取り付く島もなく断られた。ブレアは納得がいかずに食い下がる。

「殿下の命が狙われているんですよ!?」

 甲走った声が、質素な書斎に響き渡った。フォルルーゼから一日半、休みなしに駆けてきたのだ。何の成果もなしには戻れない。
 スタンレーはペンを置き、背もたれに体を預けて腕を組んだ。
 ふたりきりの室内に、ぎい、と軋む音が鳴る。次いで、鋭い眼がこちらを見つめた。

「騎士でもないくせにでしゃばるな、ブレンダ・・・・

 含みのある言い方でその名を呼ばれ、ブレアは苦虫を噛み潰した。騎士の誇りを守るという名分で、出生を偽って後宮に入ったことを思い出す。

 書類上では、自分はもう『ブレア』ではなく、父の隠し子である『ブレンダ』なのだ。スタンレーの言う通り、こうして戦況に首を突っ込むこと自体がおかしい。
 痛いところを突かれて口をつぐむも、ブレアはすかさず顔を上げた。先日見たライオットの面影が、父のそれと重なる。

「後宮に兄上が来ました。恐らく、私を殺すつもりだったのでしょう」

 その言葉に岩のような体躯がぴくり、と揺れ、スタンレーは顔を上げた。ブレアは鋭い眼光に目を逸らしかけるも、平静を取り繕って言葉を継ぐ。

「レンジイトンに復讐するため、オルレイユに寝返ったと聞きました」
「……馬鹿な奴だ」

 唾棄するようにようにつぶやき、スタンレーは長大息をついた。次いで書き物机に目を落とし、目を細める。それを見て、ブレアは前のめりで応酬した。

「教えてください。十五年前、なにがあったのですか? 兄上はなぜ、家を出るに至ったのでしょう?」

 凛とした声が簡素な部屋にこだまする。睨みを利かせる父親に対して、ブレアは動じる素振りをみせない。

「……貴様も大概、聞きわけが悪いな」

 呆れたとばかりにつぶやき、スタンレーは背もたれに体を預けた。しばらく考える素振りをしたのち、重々しく口を開く。

ライオットあれは昔から、オルレイユの文化に傾倒していた」
「オルレイユの文化に?」
「母親の影響だ。当時のレンジイトンは文学が栄えていなかったから、子どもに他国の書物を読み聞かせるのは別段珍しくもなかった」

 壁の肖像に目を遣り、スタンレーは鼻を鳴らした。視線の先には栗色の髪とオリーブの瞳が特徴的な女性が描かれている。ブレアが生まれてすぐにこの世を去った、実の母だ。

「ライオットは自分の理想を高く掲げるあまり、己の出生を否定するようになった」

 スタンレーは細く長くため息をつき、自嘲気味な笑みを浮かべた。まるで、自分に言い聞かせているかのような口ぶりだ。

「奪い、殺すだけが取り柄の騎士を厭ってオルレイユについたのだろうが、自分も同じことをしているとは……皮肉な話だ」
「あの、おっしゃる意味が……」

 話についていくことができず、ブレアはおずおずと口を挟んだ。スタンレーは考え込むように視線を宙に漂わせ、「おまえは」と切り出す。

「自分の『性別』を恨んだことはないか?」

 その一言に胸の柔らかいところを射抜かれ、ブレアは目を見開いて息を飲んだ。これまで抱えてきた煩悶の数々が、走馬灯のごとくよみがえる。

 兄の失踪を機に、ブレアは女であることを諦めた。
 もとい、その選択肢すらなかった。兄が行方をくらませた以上、ブレアが『跡取り息子』の役を演じより他なかった。母であるタウンゼント夫人はすでに死んでいるため、新たな嫡子は見込めない。

 幸い、ブレアには騎士の素質があった。
 体は大きくないにせよ、類まれなる剣捌きは名門・タウンゼント家の名にふさわしいものだった。しかし、今度は『女』という性別が彼女の足枷となる。

 丸みを帯びていく体、いつまでも高い声、女々しい童顔――『嫡男』になるべく捨てたはずのものが、今さらになってやってくる。
 思春期を迎え、ブレアは自身の立場と性の不一致に悩みを抱えるようになった。加えて、Ω性の発覚だ。
 長年演じてきた騎士の肩書きすら奪われ、捨てたはずの「女性性」に辱められる――そうした自身の境遇に、並みならない不満を抱いた。

ライオットあれも似たような煩悶を抱えているのだ。自身の理想と現実が噛み合わず、『復讐』という手段を取ることで、己の鬱憤を晴らそうとしている」

 そう言って、スタンレーはこちらに向き直った。言葉の真意が掴めそうで掴めず、ブレアはじれったい気分になる。

「噛み合わない理想と現実……」

 父の言葉を口の中で反芻し、ブレアはふと視線を落とした。
 女であり、Ωでもある現実に反し、騎士という理想にしがみつく自分の姿は、確かに『噛み合っていない』のかもしれない。
 それでも、ラザレスは受け止めてくれたのだ。
 「共にヴェリオを守る」という五年前の約束を果たせなくなった今でさえも、彼はブレアを騎士として認めてくれた。いまだうなじを噛ませる勇気もない弱い自分を赦し、愛することを誓ってくれた。

「――それでも、私は戦わねばなりません」

 ブレアは顔を上げ、凛とした声で応酬した。なにがあろうと揺るがない瞳に、スタンレーはかすかに肩を揺らす。

「女に産まれ、Ωの性が明らかになってもなお、私はこの地を守らねばならないのです……五年前、殿下と約束したから」

 そう言って、ブレアはスタンレーの瞳を見つめ返した。そのちっぽけな体からは、気迫と虚勢が溢れ出ている。
 スタンレーはしばし威圧的な目で彼女を睥睨していたものの、やがて匙を投げたとばかりに愁眉を開いた。大仰に嘆息しては、眉間を押さえる。

「相変わらず、おまえは聞きわけが悪いな。ブレア・・・よ」

 含みのある口調でこちらを睨み、懐を探る。ややあってスタンレーは鍵束のひとつを取り出すと、ブレアに向かって放り投げた。

「おまえの甲冑は倉庫にしまってある。西棟に休憩中の兵がいるから、援軍として率いるがよい。かつて、おまえを隊長として慕っていた連中だ」
「父上……!」
「タウンゼントの名に恥じぬよう、殿下をお守りせよ」

 ぶっきらぼうに返し、スタンレーは再び嘆息した。諦めの悪い息子・・に愛想が尽きたかのような表情だ表情だ。そのなかに自身への信頼をわずかに見出し、ブレアは胸を熱くする。

「御意……!」

 鍵束を握り直し、父に向って敬礼をした。スタンレーはその様を鬱陶しそうに眺め、羽虫を払う手つきで応酬する。

「去ね。時間の無駄だ」

 ため息交じりに追い払われ、ブレアは大急ぎで踵を返した。指示通り倉庫に寄り、長年愛用してきた鎧を身にまとう。厩舎に回って馬を調達しては、非常事態を知らせる鐘を鳴らした。

「出動だ! 城下・フォルルーゼが襲撃された! 殿下をお守りすべく、我がタウンゼントも馳せ参じようぞ!」

 かつての部下たちが待機する西棟目掛け、ブレアは声を張り上げた。何事かといぶかしんだ兵士たちが、窓から顔を覗かせる。

「あの声、あの甲冑……。まさか、ブレア様……?」
「馬鹿言うな。数か月前に死んだばかりじゃないか」

 窓から身を乗り出し、ひそひそと話し合う兵士を馬上から見上げ、ブレアは兜の下で青筋を立てた。事態は一刻の猶予を争うのだ。感動の再開に浸る暇はない。

「一度死んだくらいがなんだ! 城下が危機に瀕しているとなれば、私は何度でもよみがえる!」

 ヘルムの隙間からオリーブの瞳をぎらつかせ、ブレアは獣のように吠え立てた。くびり殺さんばかりの勢いに気圧され、騎士たちは慌てて身支度を整える。

「なあ、騎士って死んでも生き返るの?」
「んなわけねーだろ、それじゃ化け物だ」
「いやでも、ブレア様ならあり得る……」

 宿舎からぞろぞろと出てくる兵士たちを見て、ブレアは威勢よく馬の腹を蹴った。疾風のように駆ける駿馬のいななきに負けじと、ときの声を上げる。

「総員、我に続け! 命に代えても、殿下をお守りするのだ!」

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

今夜は帰さない~憧れの騎士団長と濃厚な一夜を

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
ラウニは騎士団で働く事務官である。 そんな彼女が仕事で第五騎士団団長であるオリベルの執務室を訪ねると、彼の姿はなかった。 だが隣の部屋からは、彼が苦しそうに呻いている声が聞こえてきた。 そんな彼を助けようと隣室へと続く扉を開けたラウニが目にしたのは――。

責任を取らなくていいので溺愛しないでください

澤谷弥(さわたに わたる)
恋愛
漆黒騎士団の女騎士であるシャンテルは任務の途中で一人の男にまんまと美味しくいただかれてしまった。どうやらその男は以前から彼女を狙っていたらしい。 だが任務のため、そんなことにはお構いなしのシャンテル。むしろ邪魔。その男から逃げながら任務をこなす日々。だが、その男の正体に気づいたとき――。 ※2023.6.14:アルファポリスノーチェブックスより書籍化されました。 ※ノーチェ作品の何かをレンタルしますと特別番外編(鍵付き)がお読みいただけます。

一途なエリート騎士の指先はご多忙。もはや暴走は時間の問題か?

はなまる
恋愛
 シエルは20歳。父ルドルフはセルベーラ国の国王の弟だ。17歳の時に婚約するが誤解を受けて婚約破棄された。以来結婚になど目もくれず父の仕事を手伝って来た。 ところが2か月前国王が急死してしまう。国王の息子はまだ12歳でシエルの父が急きょ国王の代理をすることになる。ここ数年天候不順が続いてセルベーラ国の食糧事情は危うかった。 そこで隣国のオーランド国から作物を輸入する取り決めをする。だが、オーランド国の皇帝は無類の女好きで王族の女性を一人側妃に迎えたいと申し出た。 国王にも王女は3人ほどいたのだが、こちらもまだ一番上が14歳。とても側妃になど行かせられないとシエルに白羽の矢が立った。シエルは国のためならと思い腰を上げる。 そこに護衛兵として同行を申し出た騎士団に所属するボルク。彼は小さいころからの知り合いで仲のいい友達でもあった。互いに気心が知れた中でシエルは彼の事を好いていた。 彼には面白い癖があってイライラしたり怒ると親指と人差し指を擦り合わせる。うれしいと親指と中指を擦り合わせ、照れたり、言いにくい事があるときは親指と薬指を擦り合わせるのだ。だからボルクが怒っているとすぐにわかる。 そんな彼がシエルに同行したいと申し出た時彼は怒っていた。それはこんな話に怒っていたのだった。そして同行できる事になると喜んだ。シエルの心は一瞬にしてざわめく。 隣国の例え側妃といえども皇帝の妻となる身の自分がこんな気持ちになってはいけないと自分を叱咤するが道中色々なことが起こるうちにふたりは仲は急接近していく…  この話は全てフィクションです。

【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。

五月ふう
恋愛
 リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。 「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」  今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。 「そう……。」  マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。    明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。  リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。 「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」  ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。 「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」 「ちっ……」  ポールは顔をしかめて舌打ちをした。   「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」  ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。 だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。 二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。 「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」

義兄に甘えまくっていたらいつの間にか執着されまくっていた話

よしゆき
恋愛
乙女ゲームのヒロインに意地悪をする攻略対象者のユリウスの義妹、マリナに転生した。大好きな推しであるユリウスと自分が結ばれることはない。ならば義妹として目一杯甘えまくって楽しもうと考えたのだが、気づけばユリウスにめちゃくちゃ執着されていた話。 「義兄に嫌われようとした行動が裏目に出て逆に執着されることになった話」のifストーリーですが繋がりはなにもありません。

腹黒宰相との白い結婚

恋愛
大嫌いな腹黒宰相ロイドと結婚する羽目になったランメリアは、条件をつきつけた――これは白い結婚であること。代わりに側妻を娶るも愛人を作るも好きにすればいい。そう決めたはずだったのだが、なぜか、周囲が全力で溝を埋めてくる。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

処理中です...