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5-6 性別の垣根を超えて

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 あまりの不甲斐なさに、いっそのこと消えてしまいたい――。

 ブレアはベッドにうずくまり、声を殺して泣き濡れた。
 とっぷり日が暮れた小部屋の隅で、ろうそくの芯がじりり、と焦げる。発情ヒートで火照った身体は室内を照らす炎のように、やり場のない熱を燻ぶらせていた。

 舞踏会の会場から自室に戻る道中、クラリスに介抱されながら歩いたことを思い出す。
 ひとりになりたいことを告げると、彼女は別段こちらを心配する素振りもなく、そそくさと部屋を後にした。
 余計な世話を焼いたところでムキになるだけだと、長い付き合いから学んでいるのだろう。今頃はメイド姿に戻り、城の雑務に追われているはずだ。

 ブレアは荒い息を吐き、シーツの上で身じろいだ。うすぼんやりとした灯りに照らされ、シルクのドレスがつややかに光る。
 胸部からウエストの辺りを圧迫され、気怠さが込み上げるのだ。騎士の装備とは異なる締め付けに、頭がぼんやりしてしまう。

 身体だけではなく、呼吸すらも締め付けられている気分だ。ブレアは吸ったり吐いたりを繰り返しながら、ろうそくの光を見るでもなく眺めた。息をするたびに体の輪郭が浮き彫りになり、息をするのもままならない。
 体のラインが膨らまないよう、コルセットが常に睨みを利かせているのだ。いくら吸っても体に酸素が入っていかず、手足の力が抜けていく。

 そうこうしていると、会場で見たラザレスの横顔が脳裏をよぎり、ブレアは頬を赤らめた。呼応するように体の芯が熱くなったような気がして、シーツの上で呻吟する。
 普段の気さくな態度とは異なり、王者特有の威厳に満ちた表情――。
 毅然とした姿を遠くから眺めているうちに、気付けば発情ヒートを発症していたのだ。まっすぐに立つことすらままならず、クラリスに引きずられるかたちでその場を去った。

 揺れる炎に目を投じ、ズキズキと痺れる下腹に手を遣った。可憐な見た目とは裏腹に、ドレスは腰回りの締め付けが凄まじいということを今さら学ぶ。

 ――こんなことなら、クラリスにドレスを脱がせてもらえばよかった。

 今さら後悔しても後の祭りだが、そう思わずにはいられなかった。
 せっかく着付けてもらったドレスを脱ぐのが惜しくて、しばらく着ていたいと告げたのだ。しかし、着用しているうちにもっと苦しくなってきて、今ではぴくりとも動けない。

 ブレアは一瞬呼吸を止め、コルセットの結び目に手を遣った。そして複雑怪奇な構造に首を傾げ、諦める。
 やはり、自力で外すのは難しそうだ。留め具が正面にあるならまだしも、すべて背面に取り付けられているのだから始末に負えない。

 枕に顔を押し付け、誰に聞かせるでもなく長大息をついた。
 貴族たちのスピーチが終わり、今頃は各々ダンスに興じている時分だろうか。昼間、ラザレスと交わした約束を思い出し、ブレアは小さく鼻をすする。

 一曲踊って欲しい――ブレアの手を取り、ひざまずくラザレスの相貌が脳裏に浮かぶ。そのために、わざわざドレスまで用意してくれたのだ。なのに、その約束すら果たせなかった。
 Ωという性別が自身を彼のもとへ導いてくれたのは事実だが、そのせいでヒートを発症してしまう。つくづく厄介な性別だ。

「……一緒に、踊ってみたかった…………」

 彼との約束を反芻し、ブレアは蚊の鳴くような声でつぶやいた。考えれば考えるほど惨めになってきて、大粒の涙が止まらない。
 ブレアが後宮へ引き返したことはラザレスに伝えておく、とクラリスが言っていたから、余計な心配をかけることはなさそうだ。しかし、彼との約束を守れなかったことに変わりはない。

「――なら、今からでも踊るか?」

 出し抜けに声がして、ブレアは弾かれたように顔を上げた。

「殿、下……?」
「話はクラリスから聞いた。大方、着慣れない服で気分が悪くなったんだろう」

 ベッドのふちに腰を下ろし、ラザレスはドレスの留め具に触れた。慣れた手つきでほどいては、内部のコルセットをゆるめていく。

「苦しくないか?」

 ドレスの締め付けを調整しつつ、ラザレスが投げかけた。ブレアはされるがままで小さくうなずく。少し緩めただけだが、だいぶラクだ。
 ラザレスはドレスを元の状態に戻すと、ブレアの上体を持ち上げた。介抱するように抱えては、自身の隣に座らせる。

「コルセットを締めすぎだ。そりゃ、具合も悪くもなる」
「へ?」
「どうせ、力任せに締め上げたんだろ? クラリスの馬鹿力で縛られたら、内臓が破裂しそうだな」

 思い当たる節がありすぎて、ブレアはよそよそしく目を逸らした。
 まさに数時間前、クラリスと試行錯誤しながら着付けを行ったのだ。荷造りでもするような手つきで、容赦なく縛られたことを思い出す。

 あまりの締め付けに口から内臓を吐き出してしまいそうになったが、特に疑問は抱かなかった。
 生まれて初めてドレスを着たため、「こういうものか」と納得していたのだ。ラザレスと一曲踊ることに浮かれていた、というのもある。

 どうやら、知らず知らずのうちに体に負担をかけていたらしい。そうした背景により、ヒートが起きやすくなったのだろう。

「……面目ないです」

 ブレアは目線を下げ、決まり悪くつぶやいた。ラザレスはブレアの頬に手を添え、自身のほうへ向き直らせる。

「元気そうでよかった」
「でも、昼間の約束が……」

 ブレアは甲走った声を上げ、眉間にしわを寄せた。切羽詰まった物言いにラザレスは一瞬目を丸くするも、「そんなことか」と破顔する。

「どうだっていい。もともと、出るつもりのない催しだ」

 そう言って、彼はブレアに顔を寄せた。互いの額が触れ合い、自分のものではない呼吸を感じる。

「二人きりで過ごすほうが気楽でいいさ」

 耳元でささやかれ、ブレアは頬を紅潮させた。
 そうした所作に、ラザレスはいたずらっぽく口角を上げる。出し抜けにブレアを横抱きにして立ち上がり、庭先のほうへ歩みを進めた。

「ステップの踏み方を教えてやるよ。俺、上手いんだ」

 勝手口に手を掛け、ラザレスは声を弾ませる。雑木林から覗く星空の下で、子どものような無邪気さが輝きを放つ。

 鬱蒼とした木々から差し込む星明り。豪奢なシャンデリアとはほど遠いかすかな光が、なぜだかまぶしくて視界が滲む。

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