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5-5 性別の垣根を超えて
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「それ以前に、おまえと親しくなりたかったんだ。一度剣を交えたきりで別れるのが惜しくて、メダルを渡した」
そう言って、ラザレスは褐色の筆跡を指でなぞる。ゆったりと細められた碧眼には、当時の情景がちらついている。
「確かに、おまえの正体を知った時は少なからず衝撃を受けた。尊敬する相手を知らず知らずに組み敷いていたという事実に、嫌悪すら抱いた」
「殿下……」
苦しげに吐露するラザレスを見て、ブレアは居ても立ってもいられなくなった。それほどまでに想われていたにもかかわらず、安易に後宮に足を踏み入れた自身の浅はかさを呪う。
ラザレスはメダルをシーツの上に置き、ブレアの痩躯を掻き抱いた。突然強く抱きしめられ、ブレアは総身をビクンと揺らす。
「でも、男とか女とか、αとかΩとか、そんなの関係ない……やっと再会できたんだ。この時をどれだけ待ち望んでいたことか」
ブレアの栗色の髪に鼻先を埋め、ラザレスは喉を絞るようにささやいた。腕から伝わる体温が、彼の想いを代弁している。
「ずっと一緒にいて欲しい……たとえどんな境遇に置かれようと、おまえの『強さ』は変わらない」
どちらのものともつかない鼓動が、どくどくどく、と全身を打ち付ける。ブレアは彼の肩口に目元を押し付け、「……はい」と小さくうなずいた。
鼻の奥を針で突かれたような、鋭い痛みが駆け抜ける。
目からこぼれるしずくを隠さんばかりに、ブレアはこっそり鼻をすすった。涙に濡れた熱い吐息に、体の力が抜けていく。
「許してくれるか?」
体を離し、ラザレスはまっすぐにこちらを見つめた。シーツに置いたメダルを手に取り、ブレアに握らせる。
「もち、ろん……」
ブレアはうっとりと目を潤ませ、相槌を打った。
体の芯がじわじわと火照り、頭のなかがねっとりと重くなる。だのに今にも宙に浮かんでしまいそうな、浮遊感と恍惚――。
ラザレスのα性に反応し、発情しかかっているのだ。ブレアはゆったりと深呼吸を繰り返しながら、自身の欲情を落ち着かせる。
そんなことなどつゆ知らず、ラザレスはドレスが入った木箱に目を遣った。
「今夜の舞踏会、これを着て参加しないか?」
「え」
不意を打つような発言に、ブレアは驚嘆の声を発した。後宮のΩは幽閉された存在だ。人前に姿を晒していいはずがない。
冷水を浴びせられたように酔いが醒め、ブレアは顔をこわばらせた。ラザレスはそんなことなどお構いなしに、いけしゃあしゃあと言葉を重ねる。
「俺が許可しているんだから、問題ないだろ」
「いや、大アリです……!」
「心配ないって。そもそもおまえの正体を知るのは、俺とクラリスくらいだ」
そう言って、ラザレスはブレアに向き直った。慈しむような優しい色合いの碧眼に、ブレアはなにも言い返せなくなる。
「今夜の舞踏会は、俺の妃候補を選出する意味合いもある。父上の御前で一曲踊り、判断してもらうという筋書きだ」
自嘲的な笑みを浮かべ、ラザレスは苦々しく顔を歪めた。王族特有の決まりに嫌気が差しているような、そんな表情だ。
気さくな彼には似合わない雰囲気に、ブレアは痛々しさを感じずにはいられなかった。殿上人ならではの苦悩に想いを馳せるも、彼はすぐさまケロッとした口ぶりで言葉を継ぐ。
「でも俺、決めたんだ。αの妃なんか、いらないって」
「は?」
思いもよらない一言に、ブレアはまなざしを決した。ラザレスは悪びれもせず、「だってブレアがいるし」と応酬する。
「いやいやいや、私は後宮のΩですから!」
「ああ、おまえはΩだから後継ぎを産める。それでいいじゃないか。体裁のために好きでもないαの女と結婚するだなんて、馬鹿馬鹿しいだろ? おまえと一曲踊ったあとは、後宮でゆっくりしようかなって」
「それでは、陛下が花嫁を決められません」
「親父のことなんて知るか。普段、兄上ばっかり気にかけているくせに」
ラザレスは子どものように口を尖らせ、フンと鼻を鳴らした。ブレアはなにも言い返せず、口ごもる。
「一曲でいい。俺と踊ってくれないか? きらびやかな夜会に興味があるんだろう?」
そう言って、ラザレスはブレアの手をつかみ、ベッドから降りてひざまずいた。貴族が求愛するかのような素振りで、指先に口づけする。
「万一発情が来ても対応できるよう、クラリスが付き添ってくれるそうだ。貴族たちへの挨拶回りが済んだら、俺も駆けつける」
だからそれまでの間、会場を見物しててほしい。そう付け加え、ラザレスははにかんだ。
紳士然とした振る舞いに気圧され、ブレアは二の句が継げない。ラザレスは用は済んだとばかりに立ち上がり、踵を返した。
「黄昏の鐘が鳴る頃、クラリスが身支度を手伝いに来るそうだ」
愛想のいい笑顔を浮かべ、ラザレスは扉に手を掛けた。変わり身の早さに虚を突かれ、ブレアは開いた口が塞がらない。
去り際、ラザレスはいたずらっぽく挨拶をして部屋を出た。そのひょうきんな口ぶりに、ブレアは顔を赤らめる。
部屋に静寂が訪れるや否や、ブレアはベッドに倒れ込んだ。嬉しいやら恥ずかしいやらで、頭のなかが茹ってしまう。
シーツの上で手足をばたばたさせた後、ブレアは改めて木箱のなかを検めた。
大輪のバラをひっくり返したような、赤々と燃える可憐なドレス。その向こうに手を取り合う二人の姿がちらつき、照れ臭さに視線を逸らす。
自分には関係ない世界だと思ってきた。女として着飾ることも、きらびやかな世界に足を踏み入れることも。
だからこそ、彼の誘いに舞い上がってしまうのだろう。実感の伴わないふわふわとした喜びが、酔いとなって全身を巡る。
見よう見まねでステップを踏みつつ、さっそくドレスを取り出した。
ウキウキと体にあてがったりしながら、着用した際の自分を思い浮かべる。しかし、ドレスから無数に伸びる紐や金具を見て、ブレアは顔面を引きつらせた。
「どうやって着るんだ、これ……」
見れば見るほど複雑なその造りに、オリーブの瞳が絶望に染まる。
クラリスが手伝いに来るとはいえ、元は戦場を駆け回っていた二人だ。ドレスの着方なんて、知るはずもなく。
――大丈夫だろうか。
一抹の不安を覚えつつ、ブレアは窓の外に目を遣った。傾きかけた日の光は、間もなく訪れるであろう夕暮れを匂わせている。
そう言って、ラザレスは褐色の筆跡を指でなぞる。ゆったりと細められた碧眼には、当時の情景がちらついている。
「確かに、おまえの正体を知った時は少なからず衝撃を受けた。尊敬する相手を知らず知らずに組み敷いていたという事実に、嫌悪すら抱いた」
「殿下……」
苦しげに吐露するラザレスを見て、ブレアは居ても立ってもいられなくなった。それほどまでに想われていたにもかかわらず、安易に後宮に足を踏み入れた自身の浅はかさを呪う。
ラザレスはメダルをシーツの上に置き、ブレアの痩躯を掻き抱いた。突然強く抱きしめられ、ブレアは総身をビクンと揺らす。
「でも、男とか女とか、αとかΩとか、そんなの関係ない……やっと再会できたんだ。この時をどれだけ待ち望んでいたことか」
ブレアの栗色の髪に鼻先を埋め、ラザレスは喉を絞るようにささやいた。腕から伝わる体温が、彼の想いを代弁している。
「ずっと一緒にいて欲しい……たとえどんな境遇に置かれようと、おまえの『強さ』は変わらない」
どちらのものともつかない鼓動が、どくどくどく、と全身を打ち付ける。ブレアは彼の肩口に目元を押し付け、「……はい」と小さくうなずいた。
鼻の奥を針で突かれたような、鋭い痛みが駆け抜ける。
目からこぼれるしずくを隠さんばかりに、ブレアはこっそり鼻をすすった。涙に濡れた熱い吐息に、体の力が抜けていく。
「許してくれるか?」
体を離し、ラザレスはまっすぐにこちらを見つめた。シーツに置いたメダルを手に取り、ブレアに握らせる。
「もち、ろん……」
ブレアはうっとりと目を潤ませ、相槌を打った。
体の芯がじわじわと火照り、頭のなかがねっとりと重くなる。だのに今にも宙に浮かんでしまいそうな、浮遊感と恍惚――。
ラザレスのα性に反応し、発情しかかっているのだ。ブレアはゆったりと深呼吸を繰り返しながら、自身の欲情を落ち着かせる。
そんなことなどつゆ知らず、ラザレスはドレスが入った木箱に目を遣った。
「今夜の舞踏会、これを着て参加しないか?」
「え」
不意を打つような発言に、ブレアは驚嘆の声を発した。後宮のΩは幽閉された存在だ。人前に姿を晒していいはずがない。
冷水を浴びせられたように酔いが醒め、ブレアは顔をこわばらせた。ラザレスはそんなことなどお構いなしに、いけしゃあしゃあと言葉を重ねる。
「俺が許可しているんだから、問題ないだろ」
「いや、大アリです……!」
「心配ないって。そもそもおまえの正体を知るのは、俺とクラリスくらいだ」
そう言って、ラザレスはブレアに向き直った。慈しむような優しい色合いの碧眼に、ブレアはなにも言い返せなくなる。
「今夜の舞踏会は、俺の妃候補を選出する意味合いもある。父上の御前で一曲踊り、判断してもらうという筋書きだ」
自嘲的な笑みを浮かべ、ラザレスは苦々しく顔を歪めた。王族特有の決まりに嫌気が差しているような、そんな表情だ。
気さくな彼には似合わない雰囲気に、ブレアは痛々しさを感じずにはいられなかった。殿上人ならではの苦悩に想いを馳せるも、彼はすぐさまケロッとした口ぶりで言葉を継ぐ。
「でも俺、決めたんだ。αの妃なんか、いらないって」
「は?」
思いもよらない一言に、ブレアはまなざしを決した。ラザレスは悪びれもせず、「だってブレアがいるし」と応酬する。
「いやいやいや、私は後宮のΩですから!」
「ああ、おまえはΩだから後継ぎを産める。それでいいじゃないか。体裁のために好きでもないαの女と結婚するだなんて、馬鹿馬鹿しいだろ? おまえと一曲踊ったあとは、後宮でゆっくりしようかなって」
「それでは、陛下が花嫁を決められません」
「親父のことなんて知るか。普段、兄上ばっかり気にかけているくせに」
ラザレスは子どものように口を尖らせ、フンと鼻を鳴らした。ブレアはなにも言い返せず、口ごもる。
「一曲でいい。俺と踊ってくれないか? きらびやかな夜会に興味があるんだろう?」
そう言って、ラザレスはブレアの手をつかみ、ベッドから降りてひざまずいた。貴族が求愛するかのような素振りで、指先に口づけする。
「万一発情が来ても対応できるよう、クラリスが付き添ってくれるそうだ。貴族たちへの挨拶回りが済んだら、俺も駆けつける」
だからそれまでの間、会場を見物しててほしい。そう付け加え、ラザレスははにかんだ。
紳士然とした振る舞いに気圧され、ブレアは二の句が継げない。ラザレスは用は済んだとばかりに立ち上がり、踵を返した。
「黄昏の鐘が鳴る頃、クラリスが身支度を手伝いに来るそうだ」
愛想のいい笑顔を浮かべ、ラザレスは扉に手を掛けた。変わり身の早さに虚を突かれ、ブレアは開いた口が塞がらない。
去り際、ラザレスはいたずらっぽく挨拶をして部屋を出た。そのひょうきんな口ぶりに、ブレアは顔を赤らめる。
部屋に静寂が訪れるや否や、ブレアはベッドに倒れ込んだ。嬉しいやら恥ずかしいやらで、頭のなかが茹ってしまう。
シーツの上で手足をばたばたさせた後、ブレアは改めて木箱のなかを検めた。
大輪のバラをひっくり返したような、赤々と燃える可憐なドレス。その向こうに手を取り合う二人の姿がちらつき、照れ臭さに視線を逸らす。
自分には関係ない世界だと思ってきた。女として着飾ることも、きらびやかな世界に足を踏み入れることも。
だからこそ、彼の誘いに舞い上がってしまうのだろう。実感の伴わないふわふわとした喜びが、酔いとなって全身を巡る。
見よう見まねでステップを踏みつつ、さっそくドレスを取り出した。
ウキウキと体にあてがったりしながら、着用した際の自分を思い浮かべる。しかし、ドレスから無数に伸びる紐や金具を見て、ブレアは顔面を引きつらせた。
「どうやって着るんだ、これ……」
見れば見るほど複雑なその造りに、オリーブの瞳が絶望に染まる。
クラリスが手伝いに来るとはいえ、元は戦場を駆け回っていた二人だ。ドレスの着方なんて、知るはずもなく。
――大丈夫だろうか。
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