【完結】正体を偽って皇太子の番になったら、クソデカ感情を向けられました~男として育てられた剛腕の女騎士は、身バレした挙句に溺愛される~

鐘尾旭

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4-3 憧れだけでよかった

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 濡れて団子みたいになったシーツを力任せに絞り上げ、ブレアは物干し竿に向き直った。途中、繊維のちぎれる音が聞こえたものの、気付かないふりをして作業を進める。

「できた……!」

 両端を洗濯ばさみで止め、ひと仕事終えたとばかりに額を拭った。次いで、 たらいを草むらの方へ傾け、汚れた水を捨てる。庭の片隅に雨水を溜めるための水瓶が置いてあったから、あと二、三回は洗濯できそうだ。

 あたたかな日差しを背に、ブレアは草むらを這う汚水をぼんやり眺めた。
 行き場を失ったそれらが淡褐色の土肌に滲むのを見て、誇らしげに口角を上げる。荒れ果てた後宮の庭をここまできれいにしたのは、他でもない彼女自身だ。

 生い茂る雑草をきれいにむしり、林の木で物干し台を作った。
 シーツひとつ洗濯するのに丸三日要したものの、暇つぶしにはちょうどいい。立場上、後宮から出ることは許されないため、退屈していたのだ。

「これだけ広けりゃ、剣を振るうこともできるな!」

 足元の小枝を拾っては振り回し、誰に聞かせるでもなく声を弾ませる。
 今さら研鑽を積んだところで騎士に返り咲くことはないにせよ、このまま腕が鈍るのももったいない。長年培ってきた習慣というのもあり、できれば継続したかった。

「あら、すっかりきれいになりましたね」

 後ろから声がして振り向くと、メイド服を着たクラリスが窓から身を乗り出している。
 昼食を持ってきたのだと察し、ブレアは「やっと来たか!」と相好を崩した。ひとりで過ごすのは苦ではないにせよ、馴染みの顔を見れば自然と心が華やいだ。

 ブレアの世話役として城に来たクラリスは、普段は下っ端メイドとして城の雑用をこなしている。
 そのかたわら、後宮から出られないブレアのためにこっそり食料を運んでいるのだ。少なくとも一日一回は、こうして様子を見に来てくれている。

「ここ数日草むしりばっかりしているものですから、気が狂ったのかと心配しておりました」

 勝手口を開け、クラリスは庭先をぐるりと眺めた。膝ほどの草で覆われていたのが嘘のようだ。
 ここ最近の行動を振り返り、ブレアは決まり悪そうに視線を下げた。確かに近頃の自分は、狂ったように草をむしっていたような気がする。一度火がつくと、周りが見えなくなる性格だ。

「……草だらけじゃ不便だろ」

 ブレアは面映ゆそうに口を尖らせるも、クラリスは気にすることなく庭に足を踏み入れた。

「では、せっかくですし外で食べましょうか」

 まかないが入ったバスケットを腕から下げ、クラリスは地面にテーブルクロスを敷いた。その上に水差しや食べ物を手際よく並べていく。ブレアはスカートを踏まないようにローブの裾を持ち上げ、シートの上に腰を下ろした。
 男性用のズボンばかり穿いていたため、動きにくい。女として暮らすことになってしばらく経っても慣れない自分に嫌気が差しつつ、スライスしたバケットにチーズを乗せる。

「しかし、なんでまた洗濯なんて」

 クラリスは胡坐あぐらをかいて燻製肉を頬張り、シーツを仰ぎ見た。頭上では洗いざらしの白いリネンが、そよそよと風に揺れている。
 ブレアは気まずそうに視線を逸らすと、硬くなったパンを口に押し込んだ。

「……汚れたからに決まってるだろう」
「おっしゃってくだされば、宮中の洗濯物に入れておきましたのに」
「……いや、人様に洗わせるのは、ちょっと…………」

 言葉を濁し、ブレアはパンを咀嚼した。噛んでいるだけで、口のなかが干上がってくる。その原因は数日前の同衾どうきんにあった。

 思い出しただけでラザレスに触れられた箇所が甘く疼き、ブレアは険しい顔で目を細めた。自分でも信じられないような声を上げ、彼を求めたのは記憶に新しい。
 あの日以降、暇さえあれば快楽に焦がれ、彼が恋しくなってしまうのだ。Ωの本能がそうさせているだけだと頭では理解していても、胸の苦しさは治まらない。
 そんな主人の気苦労など露知らず、クラリスはさして興味もなさそうに言葉を継いだ。

「十歳になってもおねしょのシーツを人に洗わせていたくせに、セックスで汚れたシーツはご自分で洗うんですね。感心です」
「相変わらずデリカシーもへったくれもないな、おまえは」

 コップの水をぐいっとあおり、ブレアは憎々しげに応酬した。隙あらば嫌味を言ってくるから、この老婆は鼻持ちならない。
 不貞腐れる主人のことなど気にも留めず、クラリスはぶどうに手を伸ばした。ブレアも負けじと房から実をむしり、口に放る。

「それで? うなじは噛んでいただけましたか?」

 当然のように問いかける従者に、ブレアは口の中身を吹き出した。
 αとΩがつがいとして結ばれるための儀式のことだ。交尾中の猫が雌の首根っこを噛むように、αは自分のものだと認めたΩに歯型をつける。
 そうすることにより、精神的にも肉体的にも強く結ばれるのだ。結婚を社会的な契約とするならば、番は「本能の誓い」といえる。

「もう、こぼさないでください。汚いですねえ」

 バスケットから布巾を取りだし、クラリスは大仰にため息をついた。
 シートに飛び散ったぶどうの欠片を拾いつつ、ブレアは肩をそびやかす。

「おまえが変なこと言うからだろう!?」

 目を吊り上げて怒鳴り散らすも、クラリスはいけしゃあしゃあとまぜっかえす。

「だって、後宮ここはそういう場所ですし」
「だからっておまえ、食事中に……」

 呆れ顔の老婆に苛立ちを覚えるも、言い争ったところで得るものはない。彼女のデリカシーの無さは、なにも今に始まったことではないのだ。

「もういい。言ったところで無駄だ」

 残ったぶどうを平らげ、ブレアはバスケットに手を伸ばした。指先が残りのパンや塩漬け肉に触れたところで、クラリスに手の甲を叩かれる。

「それは夕飯の分ですよ」

 クラリスは籠を取り上げ、目を吊り上げた。
 夕飯を置いていくということは、夜は来ないことを意味する。ブレアは内心がっかりしつつも、シートに散らばった皿を片付ける。

「そんなに忙しいのか?」
「レンジイトン本島から国王様が視察にいらっしゃるとのことで、城じゅうてんやわんやです」
「それはまた、一大イベントだな」
「やれ式典だの、舞踏会だの……催しが多くてかないませんよ」

 クラリスは地面に敷いたテーブルクロスを畳んで籠に押し込み、うんざりした様子でため息をついた。
 か弱い老婆をこき使うなんて、と不満を口にしているものの、支給されたメイド服は筋肉で今にも張り裂けそうだ。明らかにサイズが合っていないのだが、これ以上大きい制服がこの世に存在するとも思えない。
 ブレアはそれ以上深く考えるのをやめ、林の木々に目を遣った。

「舞踏会ということは、着飾った令嬢たちが来るんだろ? 木に登れば、拝めるだろうか?」

 想像するだけで気分が高揚してきて、自ずと頬が緩みだす。
 無骨な騎士の町アーカスターでは、華やいだ装飾や美しい令嬢の類は滅多にお目にかかれない。綺麗にめかした『お姫様』なんて、絵本のなかの住民だ。なけなしの乙女心が騒ぐのも道理だろう。

「なんです、見たいんですか?」

 すかさずクラリスに冷やかされ、ブレアは「別に」とそっぽを向いた。
 数日間草むしりをしていたせいで、おろしたてのローブにはあちこち泥がついている。その姿は夜会に繰り出す貴族令嬢のそれとはほど遠い。

 女であることがばれないよう、社交の場はことごとく避けてきた。そのため、きらびやかな舞踏会は未知の世界だ。長年、男として生きてきたこともあり、そうした場に足を踏み入れるつもりはないにせよ、見物くらいはしてみたい。

「では、私はこれで」

 そんな主人の気持ちなど気にも留めず、クラリスはさっさと部屋を後にした。
 よほどメイド稼業が忙しいのだろう。世間から取り残されたような気がして、ブレアは小さく息をつく。

「靴、洗うか……」

 自身の足元に目を遣り、誰に聞かせるでもなくつぶやいた。
 庭仕事ばかりしていたため、すっかり泥まみれだ。こんなところをラザレスに見られたら、いよいよ愛想を尽かされかねない。

 そんなことを考えていると、背後で不穏な音がした。完全に気を抜いていたこともあり、意図せずとも肩が跳ねる。
 慌てて振り返ると、鋼の剣と目が合った。何者かが窓から投げ入れたらしく、地面に突き刺さっている。
 風にそよぐシーツの音が不協和音のように聞こえた。窓辺から身を乗り出しているのは、血相を変えた金髪と碧眼――。

「剣を取れ! ブレア・ウィズレー・タウンゼント=アーカスター!」

 ラザレスは額に青筋を立て、険のある声でがなり立てた。
 頭の整理が追い付かず、ブレアは顔を引きつらせて後ずさる。ポケットに入れた金色のメダルが、服のなかで重く圧し掛かった。

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