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2-4 約束のメダル

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「俺、もっと強くならなきゃいけないんだ」

 突然の告白に、ブレアは「え?」と目を丸くした。剣の技量のことを言っているなら、そのままでも充分すぎるくらいだ。
 単純な実力比べなら確かにブレアに軍配が上がるも、それは豊富な実戦経験によるものだ。王族は基本的に前線に出ないため、わざわざ剣技を磨く必要はない。

 ラザレスは自嘲気味に鼻を鳴らすと、自身の手に目を落とした。ごつごつとした大きな手のひらには、おびただしい数の肉刺まめができている。
 日頃から相当鍛えているのだろう。王族に似つかないその姿に、ブレアは人知れず息を飲む。

「俺は王都に残った第一皇太子あにうえのように頭が良いわけでも、周囲から期待されているでもない。これくらいしか、取り柄がないんだ」

 そう言って、ラザレスは苦く笑んだ。かけるべき言葉が見つからず、ブレアは口を引き結ぶ。

「いずれ、俺は祖父上の後を継ぎ、ヴェリオの地を治めることになるだろう。祖父上のような、『智将』にならなきゃいけないんだ」

 彼は目を細め、言葉を継ぐ。
 彼の祖父・アントルは、先代国王としてヴェリオ侵攻を成し遂げ、息子に王位を譲ってこの地に移り住んだ。その命が尽きるまで、自身が獲得した領土を守るために。

「『おまえは強い』――後継者として任命された時、祖父上から言われた言葉だ。俺なんか、まだ全然強くないのに。今日だって、おまえに後れを取ったろ?」
「そんなこと……」
「剣の腕を磨いたところで、俺は前線に立たないから、『一番』を目指す必要はない――それは分かっているんだ。けど、周りはきっと、『一番じゃない俺』を許さない。今回の大会だって、連中は俺を無理やり優勝させた」

 ブレアの手中のメダルを指差し、ラザレスは自嘲気味に微笑んだ。
 表彰式にて、彼は運営関係者に正体を明かされた。そうすることで、王族の力を民衆に知らしめたかったのだろう。
 匿名性の高い大会で優勝することにより、真の実力だということをアピールしたかったのだ。ラザレス本人の意思など、お構いなしに。

「いつかまた、手合わせをしてくれないか? 今度は八百長なしで。メダルはその証だ」

 金色の褒章をあごでしゃくり、ラザレスはいたずらっぽく歯をこぼした。赤い陽光に照らされた金髪が、メダルと同じ輝きをみせる。

「で、ですが……」

 手中のメダルと彼を交互に見比べ、ブレアは困惑気味につぶやいた。
 一介の従騎士が皇太子と言葉を交わすというだけで畏れ多いというのに、再戦の約束までされては荷が重い。
 正体を隠した大会という名目上、今回は甲冑姿での謁見が許されているが、次に会うときは素顔を晒さねば不敬にあたる。性別を偽って騎士業をしているブレアにとっては、どうしても避けたいシチュエーションだ。

 煮え切らない態度のまま逡巡していると、ラザレスはひらめいたとばかりに身を乗り出した。ブレアの甲冑に取り付けられた槍掛け――胸部に取り付けられたかぎ状の金具――に自身の指を強く押し付ける。
 瞬間、ぷち、と軽い音がして、指先から血が滴った。その鮮やかな色合いに、ブレアは思わず息を飲む。

「俺が贈った証拠がなきゃ、おまえに盗みの嫌疑がかかるよな」

 そう言って、彼はメダルから伸びるリボンを手に取った。
 首から下げるために取り付けられた幅広のものだ。一点の穢れもない真っ白な布地に、夕日と同じ色をした血が滲む。

 ラザレスが表彰台で授与されたものをブレアが所有していれば、当然周りは盗みを疑う――そうした可能性を懸念し、当惑しているのだろうと解釈したらしい。

「できた。これで誰も口出しできまい」

 ひと仕事終えたように息をつき、ラザレスはこちらに笑いかけた。白い布地には彼の署名と、自らの意思で手渡した旨を示す一文が添えられている。
 ブレアは真っ赤な文字に目を落とし、目を泳がせた。皇太子に血を流させたのだ。受け取る以外の選択肢はない。

「こ、光栄にございます……」

 やっとの思いで礼を言い、ブレアは兜を被ったまま首を垂れた。自身の情けない声音に面映ゆさを感じていると、細い手足がちらりと見える。着替えの途中だったこともあり、そこだけ甲冑をつけていない。

 ――我ながらなんて間抜けな格好をしているのだろう。

 耳底から声が湧き上がり、ブレアは自分に嫌気が差した。もし、性別が男なら、躊躇いなく鎧を脱ぎ捨てられるのに。

「顔、上げてくれ」

 ラザレスはブレアの肩を軽く叩くと、吐息だけで小さく笑った。その優しい瞳に、ブレアは目が離せない。

「別に、強要するつもりはないんだ。ただ、また会えたら楽しいだろうなって……。どうやら俺は、おまえのことが気に入ったらしい」

 夕日も佳境に差し掛かっているのか、紅い陽光はかすかな藍色を孕んでいた。その真ん中で光る碧眼に、ある種の寂寞せきばくが見て取れる。
 ブレア自身、できることなら今すぐにでも身の上を明かしたかった。しかし、騎士という立場が、女という性別が、それを固く阻むのだ。
 薄暗い日差しのなか、ラザレスはくしゃりと相好を崩した。沈みかけの夕日も相まって、ひょうきんな表情が切なく見える。

「おまえの強さに圧倒される反面、もっと知りたいと願う自分がいる……。俺たち、結構気が合いそうだと思わないか?」

 こちらが気を使わないよう配慮しているのか、冗談めかした口調で彼は言った。
 祖父のアントルをはじめ、周囲には歳の離れた重臣しかいないため、同世代の友達とかかわる機会がないらしい。

「まあ、なんだ。おまえと話していたら、久しぶりに心が安らいだよ」

 そう言って、ラザレスは目線を下げた。さして気にしていない態度だが、それが却って痛々しい。
 今後、彼は賢王と名高いアントルの後を継ぎ、この地を守り抜かねばならない。その重圧たるや、想像を絶するものだろう。

「……なにがあっても、私は殿下のために戦います」

 小さなメダルを握りしめ、ブレアは声帯を絞るように口火を切った。ひざまづいたままの格好で、見よう見まねの敬礼をする。
 うろ覚えのため不格好ではあるが、騎士が君主に忠誠を誓う際の所作だ。ブレアの応酬に、ラザレスは目を丸くする。

「ほんと、おまえは真面目だな」

 堪えきれなかったかのように息を吹き出し、彼は愁眉を開いた。
 赤い陽光をたたえた青い双眸。αであると同時に王者の証でもある美しい瞳が、こちらをまっすぐに見つめている。

「レンジイトンの勇士として、共にヴェリオを守ろう」

 ゆったり息を吐いたのち、ラザレスはいささか仰々しい口ぶりで言った。王者のそれを模しているかのような、芝居じみた振る舞いだ。
 神妙な表情で言葉を継ぐ彼の姿がおかしくて、ブレアは兜の下で頬をゆるませた。再度敬礼をしたのち、「お心のままに」と応じる。

「もし気が向いたら、メダルを手に城を訪ねてくれ。おまえとまた会える日を、楽しみにしているよ」

 そう言って、ラザレスは部屋を後にした。静寂に包まれた部屋は、紅とも藍ともつかない夕日に照らされている。

 彼の気持ちは嬉しいが、この身が女である以上、約束を果たすのは難しそうだ。
 自身の興奮と切なさを体現しているかのような陽光に、胸の高鳴りが治まらない。

     ◇

 去り際につぶやかれた約束は、五年経った今でも果たせずじまいだ。

 女であることがばれたら幻滅される――そう思うと、なかなか行動に移せなかった。無論、あの日の出来事はまだ誰にも打ち明けていない。

 体が小さいというコンプレックスを打ち明けた以上、向こうも再会なんて期待していないだろう。愛想の良い彼のことだから、リップサービスの可能性だって否めない。
 そもそも、目下の者が王族相手に再戦申し込むなど、いくらなんでもハードルが高すぎる。下手したら、ヴェリオ中が大騒ぎだ。

 そこまで考え、ブレアは小さく息をついた。
 できなかった言い訳ならいくらでも思いつく。しかし、それらが罪悪感の慰めになることはない。魚の骨が喉に引っかかったような疼きが、五年間ずっと心のなかで燻ぶっていた。

 ブレアはトランクの前にしゃがみ込んだまま、メダルの表面に触れた。
 肌身離さず持ち歩いたせいで、リボンの血文字はすっかり滲んでいる。ラザレスの署名は辛うじて判読できるが、他の文章は当時の記憶を頼らねば難しい。

 トランクから余分な荷物を引き抜いてふたを閉め、灯りを消して布団にもぐった。窓から差し込む月明かりが、部屋全体を青白く染めあげる。

 覆面のままラザレスに誓いを立て、城下から遠く離れたアーカスターでヴェリオの国境を守るべく戦い続けた。
 ようやっと一人前の騎士として叙任され、まさにこれからというタイミングでΩの発覚。ゆくゆくは父の後を継ぐつもりだったが、ラザレスの番として後宮に入ることになった以上、騎士を続けることはできない。

「……情けない」

 月の光に照らされて輝くメダルを見るでもなく眺め、誰に言うでもなくつぶやいた。

 ――騎士の名を穢されるくらいなら、別人として生きろ。

 父の助言通り、明日はタウンゼント家の令嬢・ブレンダとして後宮に足を踏み入れる。『ブレア』は死んだことになっているから、今さら引き返すわけにもいかない。

 ――これでいいんだ。

 声には出さず自分に言い聞かせながら、ブレアは窓の外を仰ぎ見た。
 五年前、選手用の控室で目にした夕日とは真逆の冷たい色――自身の心境を体現しているかのような色合いに、胸の奥処がチクン、と痛む。

 後宮で再会を果たすとはいえ、『ブレンダ』はブレアとは別人だ。
 あの日、誓いを立てた甲冑の従騎士はもう、この世に存在しない。『ブレンダ』として生きる以上、『ブレア』の痕跡は残せない。もちろん、このメダルだって――。

 手中で輝く金色に目を落とし、ブレアは自身の胸に押し付けた。
 捨てられるはずがない。騎士である『ブレア』が死んでも、この忠誠心は生きている。五年間ずっと、肌身離さず持ち歩いてきたのだ。もはや体の一部と言っても過言ではなかった。

「どんな顔して会えばいいんだろう……」

 メダルを握りしめ、ため息交じりにつぶやいた。
 体を重ね、子を孕むのが目的である以上、ラザレスとの再会は避けられない。騎士として誓いを立てた相手に、体を許さねばならないだなんて。

 想像しただけでも屈辱的な気がして、ブレアは口を引き結んだ。
 別人に成りすましているとはいえ、自らの誇りを踏みにじる行為だ。そもそも女として暮らしたことがない自分に、後宮のΩらしい対応なんてできるのだろうか。

 メダルを握ったまま、ブレアはまぶたを閉ざした。
 後宮に入れば最後、死ぬまで外に出られない。他の異性に襲われでもしたら、王家の血筋が狂ってしまうからだ。そうした事態を避けるべく、後宮はその場所すらも秘匿されている。
 αの後継者を産むために飼い殺しにされ、世間からはその存在すらも抹消される。そこには、騎士のような名誉も誇りも忠誠もない。

 なんて虚しい人生なんだ。他人事のように考えつつ、ブレアは意識を闇に溶かした。
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