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2-1 約束のメダル

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「頼まれていた葡萄酒です」

 水筒代わりの皮袋をたぷん、と鳴らし、ブレアは父親・スタンレーに酒を渡した。トーナメントが始まる前に一服したいと言われ、慌てて市場で買ってきたのだ。彼は此度の武道大会で審判長を務めることになっていた。
 当時のブレアは半人前の従騎士であるため、雑用を言いつけられることが多かった。本来ならば、出場選手として身支度を済ませている時分である。

 スタンレーは岩のような体を揺らし、「うむ」と皮袋を受け取った。審判長のために用意された控室でくつろぐ姿は、そびえたつ山を彷彿させる。

「――して、城下はどうだった?」

 酒を煽り、スタンレーは鋭い目つきでこちらを見遣った。ブレアとは異なる黄褐色の瞳が、肉食獣のようにギラリと光る。
 獅子に睨まれたウサギの気分だ――そんなことを考えながらも、ブレアは背筋をピン、と伸ばした。

「はい。ヴェリオ凱旋二十周年の祭りとあって、どこもかしこも大賑わいでした」
「それだけか」
「『それだけ』、とは……?」

 聞かんとする意味が分からず、ブレアは目を泳がせた。寄り道をすれば父に雷を落とされると思い、慌てて買ってきたのだ。市場を観察する暇などない。
 スタンレーは再度葡萄酒を口に含むと、「不味い」と言って口を拭った。言われた通りの高級品を用意したはずなのに、とブレアは再び目を泳がせる。

「貴様これをいくらで買った?」
「三十オンスで4,800ペニーです……」
「ぼったくられたな。混ぜ物がしてある」
「ですが、産地も確認しましたし、試飲だって……!」
「味見用と売り物を分けていたんだろう。よくある手口だ」
「そんなの、詐欺じゃないですか……! 戻って文句を言ってきます!」

 ブレアは気色ばみ、勇み足で踵を返した。しかし、すぐさま呼び止められる。

「気付かないほうが悪いのだ。そもそもドルボー産の一級品が、港町付近の市場こんなところに卸されるはずがない。船に積んでレンジイトン本土に輸出したほうが高く売れるからな」

 皮袋を手にぐびぐびと喉を鳴らすスタンレーをうろんげに見つめ、ブレアは煮え切らない表情で相槌を打った。彼の話が正しければ、城下・フォルルーゼで売られている一級品はすべてまがい物ということになる。

 レンジイトン本島は資源が乏しい島国だと聞いているが、たかだか葡萄酒でこれ以上の高値がつくとは思えず、ブレアはいぶかし気に首を傾げた。生まれてこの方、大陸の新興地・ヴェリオから出たことがないため、『祖国』の実情が分からないのだ。
 スタンレーは顔色ひとつ変えずに酒を飲み干すと、空の皮袋をブレアに投げつけた。そして大仰に息を吐きながら、「二万」と言って皮袋をあごでしゃくる。

「もしこれが『本物』なら、本島の貴族はそのくらい出す」
「三十オンスで二万って……それこそぼったくりじゃないですか!」
「王都では安いほうだ」

 飲み込みの悪い息子・・に辟易していると言わんばかりに、スタンレーは眉間にしわを寄せた。バードー海峡の先にそびえる島国・レンジイトンは、大陸の西端・ヴェリオから船でおよそ十日の距離だ。

「気候に恵まれず、作物が育たないレンジイトン本島において、大陸の品は貴重な物資だ。関税がかからなくなったことにより、貴族たちは競うように輸入品を買い漁っている」

 そう言って、スタンレーは背もたれに体を預けた。重量に耐え切れず、木製の椅子が悲鳴を上げる。 床に落ちた皮袋を拾い上げ、ブレアは口を挟んだ。

「確か、オルレイユからヴェリオを奪うことによって、関税がかからなくなったんですよね? そのおかげで、王都は目覚ましい文化の発展を遂げたと聞いております」

 従来のレンジイトンは物資を他国からの輸入に頼っていたため、財政がひっ迫していた。優れた技術力を有するも、資源が乏しいために低迷を余儀なくされていたのだ。

 そこに目を付けたのが先代王・アントルだ。彼はオルレイユ国内が内乱によって混乱している隙に、ヴェリオ半島を侵攻した。
 大陸内に自国領を作り、交易の要にすれば、他国に関税を払う必要はない。法外な関税がなければ、レンジイトンの経済はいっそう豊かになる――それが、彼のねらいだった。

 事実、その読みは的中し、ここ二十年でレンジイトンの国力は格段に上がった。
 それまでは孤島の小国という位置付けだったものの、今では強国のひとつとして名を馳せている。

「レンジイトン本土が急成長を遂げたのは、交易の賜物に他ならない。それほど、王都はヴェリオに――フォルルーゼ港に依存しているのだ」
「この地をオルレイユに奪い返されたら、王都は生活が立ち行かないということですね?」
「そうだ。我がタウンゼント家の使命は辺境地アーカスターにて、他国からこの地を守ることにある」
「それを伝えるために、葡萄酒を……」
「レンジイトンの発展はアントル公の偉業の賜物だ。此度のトーナメントを通して、おまえも精進するように」
「はい!」

 皮袋を抱きしめ、ブレアは背筋を伸ばした。父の意図を知り、胸の奥が熱くなる。
 自分たちが何故、辺境の地で剣を振るわねばならないのか――その理由を実際の経験で教えたかったのだろう。ブレアは国境付近に広がるアーカスター領に常駐しているため、若くして視野狭窄に陥っていることを懸念したに違いない。

 父の計らいに感じ入っていると、スタンレーは大仰にため息をついた。安楽椅子の上で頭を抱え、言葉を継ぐ。

「それで……そのアントル公だが、此度の大会を見物に来ているそうだ」
「ええ、聞き及んでおります。確か、後継者である第二皇太子も一緒なんですよね?」

 浮かない顔のスタンレーに対し、ブレアは嬉々とした表情で言葉を返した。王族相手に自身の剣技を披露できると思うと、それだけで心が躍る。

 大会に出場する選手はプレートアーマーを装着し、兜で顔を隠す規則だ。たとえ優勝しても、その正体が明かされることはない。身分の低い者が勝っても咎められないよう、配慮しているのだ。
 勝っても直接的な名誉はないものの、見習い騎士としての自尊心は満たせる。賢王と名高いアントルの御前で剣を振るう機会なんて、そうそうない。

 アントルはヴェリオの侵略後、王位を息子に譲り、自身はフォルルーゼ港近辺の城に移り住んだ。レンジイトン本島の王都を息子夫婦に託し、自分は新興地を治めることで連携を取りやすくしているのだ。
 加えて、既に高齢である彼は、自身の後継者に第二皇太子・ラザレスを指名した。歳はブレアの二つ上。王都に残った第一皇太子とは異なり、武芸に秀でた青年だと聞いている。

「その第二皇太子だが、今日の大会に参加することになった」

 大仰にため息をついたのち、スタンレーは重々しく切り出した。衝撃の事実にブレアは「え」と目を見開く。

「殿下のご所望だ。あくまで『お忍び』だから、そのつもりで接するように」
「でしたら、なぜ私に打ち明けるのです……?」

 嫌な予感がしつつも、ブレアは恐る恐るスタンレーに尋ねた。いくら匿名性の高い大会とはいえ、皇太子に剣を向けるのは畏れ多い。怪我でもさせたら大事では済まないし、あからさまに手を抜けば八百長疑惑がかかってしまう。
 どっちに転んでもいいことがない。できることなら、なにも知らずに大会に臨みたかったのに。

「無論、他の者は殿下の参加を知らない。おまえにのみ、打ち明けた」
「なぜ……?」

 ブレアは片頬を引きつらせ、険しい顔つきの父を見つめ返した。スタンレーは嘆息交じりに応酬する。

「おまえの剣戟けんげきを受けたら、殿下が死んでしまう」
「いや、大げさな」

 そう言いかけ、ブレアは言葉を詰まらせた。これまでの戦場を振り返り、二の句が継げなくなる。
 スタンレーは「それ見たことか」とばかりに鼻を鳴らした。父は時々、ラザレスに剣の稽古をつけるために城を訪れているため、その実力は把握している。

「殿下はレンジイトンでも指折りの剣豪だ。こちらが余計な気を回さずとも、実力だけで優勝できる……おまえさえいなければ」
「私、棄権しましょうか?」
「貴様、それでもタウンゼントの血族か?」
「そう言われましても……」

 凄みを利かせる父に圧されつつ、ブレアは蚊の鳴くような声で応酬した。一対一のトーナメント戦で優勝を争う以上、勝ち上がればいずれラザレスと当たってしまう。
 困惑するブレアに、スタンレーは「簡単なことだ」と言葉を続けた。

「相手が誰であろうと全力を尽くせ。ただし、殿下には勝つな」
「それは、『簡単なこと』なのでしょうか……?」

 脳筋過ぎる父の発言に頭が追い付かず、ブレアは思わず首を傾げた。第一、ラザレスとは面識すらないのだ。そのうえ、試合中は兜で顔を覆うため区別がつかない。
 どうしたものかと考えあぐねていると、見かねた父が切り出した。

「殿下はα性を有しておられるから、金髪碧眼の持ち主だ。ヘルムの隙間を注意深く観察していれば、見分けるのは容易だろう」

 そう言って、スタンレーは丸太のような腕を組んだ。
 王族は血統正しいαで構成されているため、全員が金髪碧眼の持ち主だ。βやΩとは異なり、先天的に第二の性が判明する。
 ヘルムの隙間から覗く金髪と青い瞳――見たこともない色合いを思い浮かべ、ブレアは考え込んだ。確かに、それなら見分けがつくかもしれない。

「いつまで油を売っているつもりだ。早く着替えねば開会式に間に合わなくなるぞ」

 父の声に意識が引き戻され、ブレアはビクン、と肩を揺らした。酒を届けたらすぐに選手用の控室に戻るつもりだったのに、思いのほか話が長引いてしまった。

「も、申し訳ありません! 失礼します!」

 ブレアは父に頭を下げ、大急ぎで部屋を後にした。他の選手たちは今頃、甲冑の装備を終え、闘技場の入場ゲートに集合している頃合いだ。
 誰もいない控室へ駆け込み、ブレアは大急ぎで着替え始めた。その間、頭の隅をよぎるのは、見たこともない金髪と碧眼。

「どんな人なんだろう……」

 兜を装着し、ブレアは誰に言うでもなく独りごちた。あの父が「指折りの剣士」と評するくらいだから、相当の腕前に違いない。

 勝ってはいけないという制約があるにもかかわらず、ある種のときめきが湧き上がる。
 いずれにせよ、強者を相手取るのは好きだ。そんなことを考えながら、ブレアは着替えを終わらせた。

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