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第二王子の前日譚
4(完)
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学園の校舎は四階建ての本棟と二階建ての第二棟、そして講堂に分かれる。本棟には教室が、第二棟には実験室や図書館があり、講堂は式典や集会など行事の際に使用する。
自分の教室から抜け出したセドリックは一人、階段を上っていた。生徒会室に行くためだ。夕陽の射し込む人気のない階段はとても静かで、頭がスッキリとして来る。
生徒会室は本棟最上階の南廊下の突き当りにある。三台の事務作業用長机がコの字型に配置されており、生徒会役員と顧問の人数分の椅子が用意されているのみという貴族が使用する部屋としてはかなり質素なものだ。以前は貴族の執務室のような内装だったが、会議や作業するためだけの部屋が豪奢である必要がないとセドリックが会長に就任した際に撤去させた。
生徒会室に到着すると、そこは無人だった。
顧問であるブラッドレイが待っているという話だったが、どこにも見当たらない。
静まり返った室内の長机の上に、生徒会役員人数分の冊子が載っていた。生徒総会の資料だ。
その内の一冊を手に取り、一番奥の席に腰をかける。
今日は生徒総会の議題内容を精査し、当日の流れを役員全員で確認すれば終わりだ。さっさと終わらせて、とっとと帰りたい。王宮でやらなければいけない仕事もあるし、何よりお花畑の住人たちとの接触を一秒でも短くしたい。
セドリックが一人黙々と資料を確認していると、件のレイミナと愉快な取り巻きたちが後追いで生徒会室に入ってきた。
「あ、殿下いたいた」
「殿下、もうこちらにいらしたのですね。声をかけてくださったらご一緒したのに」
カシムとクラヴィスも総会資料を手に取って、セドリックの両サイドにそれぞれ腰を下ろす。
「楽しそうに話をしていたから邪魔をしては悪いかと思ってね。先に仕事をしていたよ」
真っ赤な嘘である。精神衛生上の問題で、あの場から早々に離れたかっただけだ。
そんな本音を語ることなく、一度友人たちに笑顔を向けてから再び視線を資料に戻す。
すると椅子を引きずってくる音が聞こえてきた。読んでいる資料に、ふと影が落ちる。レイミナだ。レイミナが前に来た。
レイミナはセドリックの正面までわざわざ椅子を引っ張って来て座ったかと思うと、机に頬杖をついてセドリックの顔を覗き込んできた。顔を上げていないので見たわけではないが、そんな気配がする。
物凄くレイミナの視線を感じるが、セドリックは気づかない振りをして淡々と資料を読み続けた。相手にしてたら仕事が終わらない。
誤字や文章のおかしいところを発見し、そこにペンで書き込みを入れては続きを確認する。黙々と作業をしているとレイミナが咳払いを始めた。露骨な気づいてアピールだ。しかしセドリックは無視を決め込む。
痰が絡んだような大きな咳払いをしてもセドリックが自分へ視線を寄越さないことが面白くないのか、レイミナが両手で二回机を叩いてきた。
「もぉー! セドリック様! セドリック様ってばぁ! こっち向いてくださいっ!」
「……今作業に集中していて気づかなかったよ、すまないね。どうしたんだい、モリス嬢。ああ、申し訳ないけど名前で呼ぶのをやめてもらえないか?」
心にもないが、申し訳なさそうな顔を作る。名前呼びを窘めることは忘れない。
「せっかく迎えに行ったのに、その私を置いてくし、追いついたと思ったらお仕事ばっかだしひどいですよ! ……あ、さては私がクラヴィスたちとばっかり話してたから寂しくて拗ねちゃったとか? うふ、可~愛~い~!」
レイミナが顎の前で両拳を作り、上目遣いで体をくねらせる。
(……頭をかち割ってもいいだろうか?)
バキンッ!
レイミナの頭の代わりに、持っていたペンが折れた。気に入っていた品の無残な最期に落ち込んでしまう。どうしたのかと三人から心配の声が上がったので、長く使っていたから寿命かなと笑顔で誤魔化した。
王子スマイルを間近で食らったレイミナが顔を真っ赤に染めている。それを見たカシムとクラヴィスが嫉妬にまみれた表情を浮かべた。嫉妬をされても困る。セドリックにとってはどうでもいいことだからだ。それよりもペンだ、お気に入りだったペンの方が気にかかる。
リリーディアに教えてもらった、ローゼ領の雑貨店が扱っている腕利きの職人が一本一本丁寧に作ったペンで、手にしっくりとくる持ちやすさで疲れにくく、ペン先の滑りもいい。一度使ったら手放せなくなってしまったほどだ。
念のためスペアも買ってはあるのものの、まだ一番最初に買ったペンを大事に使っていた。付き合いが長い分だけ愛着を持っていたのだが、それを自らの手で破壊する破目になるとは。
勝手に名前呼ぶは、注意しても直さないは、仕事を邪魔するは、イラつかせるは、ペンを折らせるは。本当に害しかない。
(今までありがとう、すまなかったなペン………安らかに)
心の中でペンに弔いの言葉をかける。修繕は不可能だろうと思いつつ、半分に折れてしまった尊い犠牲をハンカチで包んで鞄の中へとしまい込んだ。
(ああ、イライラする……でも今は感情に呑まれている場合じゃない)
それよりもやるべきことを片付けてしまおうと感情に蓋をして、再び総会資料を手に取る。そこへ生徒会顧問であるブラッドレイがやって来た。
「あ、ブラッドレイ先生~!」
「遅くなりました、殿下。待たせてすまなかったね、レイミナさん。これを作っていたんだ」
ブラッドレイの姿を認めた途端、レイミナは席を立ち上がる。ブラッドレイは甘く蕩けるような笑顔を浮かべると彼女に近寄り、書類を手渡した。レイミナは書類を読んで口の端を僅かに上げるとそれをブラッドレイへと戻し、カシムとクラヴィスに声をかけ手招きをする。
セドリックを挟んで座っていた二人が立ち上がってレイミナの方に回り込み、四人とセドリックは向き合う形になった。
「殿下、実は次の総会で追加したい議題がございます」
「彼女、レイミナ=モリスに対する誹謗中傷、及び嫌がらせについてです」
「これが報告書と、犯人の処分を求める嘆願書です」
ブラッドレイが先程持ってきた書類を今度はセドリックに手渡す。セドリックはそれを受け取り書面に目を通したが、読み始めてすぐに鼻で笑いそうになった。全ての中傷や嫌がらせはリリーディアによるものだと書いてある。嘆願書とやらには十名の男子生徒の名前が記載されていたが、全員レイミナ親衛隊のメンバーだった。そこに加えて二人の友人と一人の教師の名前もある。
公の場において、リリーディアは私情を挟まないように務めている。それが貴族に生まれた者として、そしていずれ王族に列する者としての姿勢だと思っているからだ。
素の彼女は聖人ではないので、愚痴や我儘を言うこともある。しかしそれは彼女が心を許した相手の前だけであって、日頃それを外部にさらすことはない。
学園は貴族社会の縮図でもある。つまりは公の場だ。その場合のリリーディアは仮に個人的に思うことがあっても心に秘め、口に出さない。故に、彼女が何かを口にするならばその時は必ずそれなりの理由があるということになる。それは提案、忠告などであり、言いがかりをつけることはまずない。
報告書に列挙された嫌がらせについては明確な証拠や他者の証言などの記載は一切なく、レイミナの証言のみを鵜呑みにした偏った情報しか書かれていない。有能と名高いはずのブラッドレイが、随分とお粗末な報告書を上げてきたものだ。
ブラッドレイにとってレイミナの言葉は絶対的に正しいのだろう。この穴だらけの書類を、何の疑問も持たずに提出できるくらいには。
「……彼女が本当にこんなことをした、と?」
「あいつの婚約者の殿下にはずっと言えなかったけど……レイミナは健気にもずっと耐えてきたんだ」
「でももう我慢できません。清らかなレイミナがこれ以上ひどい目に遭うなど、許されることではない!!」
「ああっ、みんな……私のために……!」
「全生徒の前で、然るべき処断をお願い致します」
ブラッドレイの進言にカシムとクラヴィスがそうだそうだと声を上げ、レイミナは嬉しそうに涙ぐんでいる。まるで出来の悪い観劇を無理矢理鑑賞させられているような気分だ。
こんな報告書はビリビリに破って丸めてポイして即却下を言い渡してやりたいところだが、そこをぐっと堪える。
権力者が言葉一つで物事を片付けるのは良くない。冷静かつ公平に判断をしなくてはならない。彼女の無実は彼女本人の言葉と他者の証言で以って証明する、それが正しい道筋なのだ。
リリーディアは周囲に信用されているので証言者はきっとたくさんいるだろう。正しい行動をとれる人間がいるかの見極めもできそうだ。ただ、この機会にリリーディアを陥れようと考える輩もいないとも限らないので、念の為王室の隠密部隊にも事の子細の記録を上げさせておいたほうがいいかもしれないと思った。
隠密部隊は諜報活動や有事の際の暗殺活動の他、王族と王族が指定する人間への護衛役も担っており、常に陰ながら警護対象者を見守っている。王族の命令がない限り対象者から離れることはない。
セドリックにとってかけがえのない存在であるリリーディアにも当然つけられていた。彼らは警護対象者に何があったかなどの記録を残し、王族から求められれば事細かに説明できるようにしている。
隠密部隊にとって王族は絶対的存在なので虚偽の報告することはない。もしそんなことがあれば、仲間から死の制裁が待っている。つまり彼らから上がる報告は信頼性が高く証拠能力が高い。備えあれば憂いなしとも言うので、奥の手として用意しておこうと心に決める。
「わかった」
ぱさり。報告書を机に置き、長い息を吐く。
「当日、事実確認をしよう。いいね?」
セドリックの言葉に、断罪の許可を得たとでもいうように四人は大いに沸いた。
事実確認をするとは言ったが、誰をどうするかは一言も言ってはいないのに。
セドリックは当日、公正な手段でレイミナたち思惑を潰すつもりだ。そんな心の内も知らず喜び合う四人の様は、ひどく滑稽なものとして目に映る。だが、彼らにはこのまま思い通りに事が進んでいると思わせておくことにする。
(精々今のうちに喜んでおくといい。俺の愛しいリリィに冤罪をふっかけた上に侮辱までしてくれたんだ、相応の制裁を受けてもらうよ)
楽しみだなと思いつつ、セドリックは酷薄な笑みを浮かべた。
◆
生徒総会当日。
全校生徒が集まる中、予定していた全議題についての決議がなされ、残りは閉会宣言のみとなった。
ようやく解放されると生徒たちがさざめき出す。と、そこで司会進行役の生徒会役員が木槌を叩いた。
「静粛にお願いします。追加でもう一つ議題があります。ヴァレンシア副会長、お願いします」
「最後の議題は特待生レイミナ=モリス嬢に対する誹謗中傷及び嫌がらせについてだ。モリス嬢、壇上へどうぞ。リリーディア=ローゼ嬢は壇上の前へ」
クラヴィスの言葉に生徒たちがどよめく。視線が二人の令嬢へと向けられた。
そのうちの一人であるレイミナが登壇し、彼女の周りをクラヴィスとカシム、ブラッドレイが固める。そしてもう一人、戸惑いを浮かべたリリーディアが前へと進み出た。
シン、と場が静まり返る。
セドリックの傍らには瞳を潤ませた黄金色の髪を持つ美少女が、目の前には輝くような銀髪と紫水晶を思わせる紫眼を持つ彼の愛する婚約者が立っている。役者は揃った。
フゥ、と息を吐き、セドリックはリリーディアを見据える。
「リリーディア=ローゼ、質問に答えてもらおう」
凛とした声が講堂内に響いた。
己もまた事を思い通りに運べなくなってしまうことを、この時のセドリックはまだ知らない。
自分の教室から抜け出したセドリックは一人、階段を上っていた。生徒会室に行くためだ。夕陽の射し込む人気のない階段はとても静かで、頭がスッキリとして来る。
生徒会室は本棟最上階の南廊下の突き当りにある。三台の事務作業用長机がコの字型に配置されており、生徒会役員と顧問の人数分の椅子が用意されているのみという貴族が使用する部屋としてはかなり質素なものだ。以前は貴族の執務室のような内装だったが、会議や作業するためだけの部屋が豪奢である必要がないとセドリックが会長に就任した際に撤去させた。
生徒会室に到着すると、そこは無人だった。
顧問であるブラッドレイが待っているという話だったが、どこにも見当たらない。
静まり返った室内の長机の上に、生徒会役員人数分の冊子が載っていた。生徒総会の資料だ。
その内の一冊を手に取り、一番奥の席に腰をかける。
今日は生徒総会の議題内容を精査し、当日の流れを役員全員で確認すれば終わりだ。さっさと終わらせて、とっとと帰りたい。王宮でやらなければいけない仕事もあるし、何よりお花畑の住人たちとの接触を一秒でも短くしたい。
セドリックが一人黙々と資料を確認していると、件のレイミナと愉快な取り巻きたちが後追いで生徒会室に入ってきた。
「あ、殿下いたいた」
「殿下、もうこちらにいらしたのですね。声をかけてくださったらご一緒したのに」
カシムとクラヴィスも総会資料を手に取って、セドリックの両サイドにそれぞれ腰を下ろす。
「楽しそうに話をしていたから邪魔をしては悪いかと思ってね。先に仕事をしていたよ」
真っ赤な嘘である。精神衛生上の問題で、あの場から早々に離れたかっただけだ。
そんな本音を語ることなく、一度友人たちに笑顔を向けてから再び視線を資料に戻す。
すると椅子を引きずってくる音が聞こえてきた。読んでいる資料に、ふと影が落ちる。レイミナだ。レイミナが前に来た。
レイミナはセドリックの正面までわざわざ椅子を引っ張って来て座ったかと思うと、机に頬杖をついてセドリックの顔を覗き込んできた。顔を上げていないので見たわけではないが、そんな気配がする。
物凄くレイミナの視線を感じるが、セドリックは気づかない振りをして淡々と資料を読み続けた。相手にしてたら仕事が終わらない。
誤字や文章のおかしいところを発見し、そこにペンで書き込みを入れては続きを確認する。黙々と作業をしているとレイミナが咳払いを始めた。露骨な気づいてアピールだ。しかしセドリックは無視を決め込む。
痰が絡んだような大きな咳払いをしてもセドリックが自分へ視線を寄越さないことが面白くないのか、レイミナが両手で二回机を叩いてきた。
「もぉー! セドリック様! セドリック様ってばぁ! こっち向いてくださいっ!」
「……今作業に集中していて気づかなかったよ、すまないね。どうしたんだい、モリス嬢。ああ、申し訳ないけど名前で呼ぶのをやめてもらえないか?」
心にもないが、申し訳なさそうな顔を作る。名前呼びを窘めることは忘れない。
「せっかく迎えに行ったのに、その私を置いてくし、追いついたと思ったらお仕事ばっかだしひどいですよ! ……あ、さては私がクラヴィスたちとばっかり話してたから寂しくて拗ねちゃったとか? うふ、可~愛~い~!」
レイミナが顎の前で両拳を作り、上目遣いで体をくねらせる。
(……頭をかち割ってもいいだろうか?)
バキンッ!
レイミナの頭の代わりに、持っていたペンが折れた。気に入っていた品の無残な最期に落ち込んでしまう。どうしたのかと三人から心配の声が上がったので、長く使っていたから寿命かなと笑顔で誤魔化した。
王子スマイルを間近で食らったレイミナが顔を真っ赤に染めている。それを見たカシムとクラヴィスが嫉妬にまみれた表情を浮かべた。嫉妬をされても困る。セドリックにとってはどうでもいいことだからだ。それよりもペンだ、お気に入りだったペンの方が気にかかる。
リリーディアに教えてもらった、ローゼ領の雑貨店が扱っている腕利きの職人が一本一本丁寧に作ったペンで、手にしっくりとくる持ちやすさで疲れにくく、ペン先の滑りもいい。一度使ったら手放せなくなってしまったほどだ。
念のためスペアも買ってはあるのものの、まだ一番最初に買ったペンを大事に使っていた。付き合いが長い分だけ愛着を持っていたのだが、それを自らの手で破壊する破目になるとは。
勝手に名前呼ぶは、注意しても直さないは、仕事を邪魔するは、イラつかせるは、ペンを折らせるは。本当に害しかない。
(今までありがとう、すまなかったなペン………安らかに)
心の中でペンに弔いの言葉をかける。修繕は不可能だろうと思いつつ、半分に折れてしまった尊い犠牲をハンカチで包んで鞄の中へとしまい込んだ。
(ああ、イライラする……でも今は感情に呑まれている場合じゃない)
それよりもやるべきことを片付けてしまおうと感情に蓋をして、再び総会資料を手に取る。そこへ生徒会顧問であるブラッドレイがやって来た。
「あ、ブラッドレイ先生~!」
「遅くなりました、殿下。待たせてすまなかったね、レイミナさん。これを作っていたんだ」
ブラッドレイの姿を認めた途端、レイミナは席を立ち上がる。ブラッドレイは甘く蕩けるような笑顔を浮かべると彼女に近寄り、書類を手渡した。レイミナは書類を読んで口の端を僅かに上げるとそれをブラッドレイへと戻し、カシムとクラヴィスに声をかけ手招きをする。
セドリックを挟んで座っていた二人が立ち上がってレイミナの方に回り込み、四人とセドリックは向き合う形になった。
「殿下、実は次の総会で追加したい議題がございます」
「彼女、レイミナ=モリスに対する誹謗中傷、及び嫌がらせについてです」
「これが報告書と、犯人の処分を求める嘆願書です」
ブラッドレイが先程持ってきた書類を今度はセドリックに手渡す。セドリックはそれを受け取り書面に目を通したが、読み始めてすぐに鼻で笑いそうになった。全ての中傷や嫌がらせはリリーディアによるものだと書いてある。嘆願書とやらには十名の男子生徒の名前が記載されていたが、全員レイミナ親衛隊のメンバーだった。そこに加えて二人の友人と一人の教師の名前もある。
公の場において、リリーディアは私情を挟まないように務めている。それが貴族に生まれた者として、そしていずれ王族に列する者としての姿勢だと思っているからだ。
素の彼女は聖人ではないので、愚痴や我儘を言うこともある。しかしそれは彼女が心を許した相手の前だけであって、日頃それを外部にさらすことはない。
学園は貴族社会の縮図でもある。つまりは公の場だ。その場合のリリーディアは仮に個人的に思うことがあっても心に秘め、口に出さない。故に、彼女が何かを口にするならばその時は必ずそれなりの理由があるということになる。それは提案、忠告などであり、言いがかりをつけることはまずない。
報告書に列挙された嫌がらせについては明確な証拠や他者の証言などの記載は一切なく、レイミナの証言のみを鵜呑みにした偏った情報しか書かれていない。有能と名高いはずのブラッドレイが、随分とお粗末な報告書を上げてきたものだ。
ブラッドレイにとってレイミナの言葉は絶対的に正しいのだろう。この穴だらけの書類を、何の疑問も持たずに提出できるくらいには。
「……彼女が本当にこんなことをした、と?」
「あいつの婚約者の殿下にはずっと言えなかったけど……レイミナは健気にもずっと耐えてきたんだ」
「でももう我慢できません。清らかなレイミナがこれ以上ひどい目に遭うなど、許されることではない!!」
「ああっ、みんな……私のために……!」
「全生徒の前で、然るべき処断をお願い致します」
ブラッドレイの進言にカシムとクラヴィスがそうだそうだと声を上げ、レイミナは嬉しそうに涙ぐんでいる。まるで出来の悪い観劇を無理矢理鑑賞させられているような気分だ。
こんな報告書はビリビリに破って丸めてポイして即却下を言い渡してやりたいところだが、そこをぐっと堪える。
権力者が言葉一つで物事を片付けるのは良くない。冷静かつ公平に判断をしなくてはならない。彼女の無実は彼女本人の言葉と他者の証言で以って証明する、それが正しい道筋なのだ。
リリーディアは周囲に信用されているので証言者はきっとたくさんいるだろう。正しい行動をとれる人間がいるかの見極めもできそうだ。ただ、この機会にリリーディアを陥れようと考える輩もいないとも限らないので、念の為王室の隠密部隊にも事の子細の記録を上げさせておいたほうがいいかもしれないと思った。
隠密部隊は諜報活動や有事の際の暗殺活動の他、王族と王族が指定する人間への護衛役も担っており、常に陰ながら警護対象者を見守っている。王族の命令がない限り対象者から離れることはない。
セドリックにとってかけがえのない存在であるリリーディアにも当然つけられていた。彼らは警護対象者に何があったかなどの記録を残し、王族から求められれば事細かに説明できるようにしている。
隠密部隊にとって王族は絶対的存在なので虚偽の報告することはない。もしそんなことがあれば、仲間から死の制裁が待っている。つまり彼らから上がる報告は信頼性が高く証拠能力が高い。備えあれば憂いなしとも言うので、奥の手として用意しておこうと心に決める。
「わかった」
ぱさり。報告書を机に置き、長い息を吐く。
「当日、事実確認をしよう。いいね?」
セドリックの言葉に、断罪の許可を得たとでもいうように四人は大いに沸いた。
事実確認をするとは言ったが、誰をどうするかは一言も言ってはいないのに。
セドリックは当日、公正な手段でレイミナたち思惑を潰すつもりだ。そんな心の内も知らず喜び合う四人の様は、ひどく滑稽なものとして目に映る。だが、彼らにはこのまま思い通りに事が進んでいると思わせておくことにする。
(精々今のうちに喜んでおくといい。俺の愛しいリリィに冤罪をふっかけた上に侮辱までしてくれたんだ、相応の制裁を受けてもらうよ)
楽しみだなと思いつつ、セドリックは酷薄な笑みを浮かべた。
◆
生徒総会当日。
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ようやく解放されると生徒たちがさざめき出す。と、そこで司会進行役の生徒会役員が木槌を叩いた。
「静粛にお願いします。追加でもう一つ議題があります。ヴァレンシア副会長、お願いします」
「最後の議題は特待生レイミナ=モリス嬢に対する誹謗中傷及び嫌がらせについてだ。モリス嬢、壇上へどうぞ。リリーディア=ローゼ嬢は壇上の前へ」
クラヴィスの言葉に生徒たちがどよめく。視線が二人の令嬢へと向けられた。
そのうちの一人であるレイミナが登壇し、彼女の周りをクラヴィスとカシム、ブラッドレイが固める。そしてもう一人、戸惑いを浮かべたリリーディアが前へと進み出た。
シン、と場が静まり返る。
セドリックの傍らには瞳を潤ませた黄金色の髪を持つ美少女が、目の前には輝くような銀髪と紫水晶を思わせる紫眼を持つ彼の愛する婚約者が立っている。役者は揃った。
フゥ、と息を吐き、セドリックはリリーディアを見据える。
「リリーディア=ローゼ、質問に答えてもらおう」
凛とした声が講堂内に響いた。
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