悪魔は天使の面して嗤う

汐月 詩

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たろちゃん

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 たろちゃんがいなくなってから、三日が過ぎようとしていた。
 もう人生三十年も生きているから、なんとなくわかる。
 ああ、私たち、終わったんだな……って。
 酷い別れ方だった。きっと、今までで一番酷い別れ方なんじゃないだろうか。怒鳴り散らして、挙句の果てには「顔も見たくない」だもん。
 たろちゃんと出会って、十一ヶ月。付き合ってから、たったの半年……──。
 もっと長いように感じていたけれど、実際はたったこれだけの期間だったんだ。その終わりが、アレって。
 なんともあっけない、そして、寂しい終わり方だ。
 たろちゃんのいなくなった部屋は妙にガランとしていて、どこに身を置けばいいかわからなかった。だから私は、夜な夜な遊びに出かける。仕事終わりに一人でカラオケに行ったり、バーに行ったり、漫画喫茶に行ったり……とにかく部屋に帰りたくなかった。
 部屋に帰った時の静けさが怖かった。あのベッドで一人で眠るのが怖かった。
 部屋中どこにいても、彼との生活を思い出す。忘れさせてはもらえない。それほどまでに、私にとってあの十一ヶ月は、重く、濃いものだったのだ。


「……大丈夫ですか? 千春さん」
 患者が帰った隙をついて、梨花がこそっと囁いた。

「え……なにが?」

 いけない。今はまだ仕事中だった。ぼんやりしていたらまたミスをしてしまう。

「なにがって……なんか変ですよ?」

「やだなぁ、梨花ちゃん。私はいつも通り、元気元気……」

 パソコンの前に座る彼女ににっこりと笑顔を向けるはずが、中途半端に頬が引きつって終わった。どうしよう、笑顔の作り方を忘れてしまったみたいだ。
 誤魔化すように手で頬を隠す。
 『いつも通り』ってどうやってたっけ。どんなふうに過ごしていたっけ。わからない、全然わからない。

「ほらやっぱり、おかしいですよぉ。梨花には言えないことですか……?」
 
 そんな私を、梨花は不安そうに上目遣いで見上げた。

「そうよ。私たち、本気で心配してるのよ? 顔色も悪いしやつれてるし……ちゃんと食べてる? 寝てる?」

 京子さんまで受付に顔を出してきた。

「も、もー……やだな、そんなこと──」

 二人の真剣な視線が心に突き刺さる。優しい二人。本当に心配してくれているんだ。
 思わずすがってしまいたくなって、小さくぽつりとこぼした。


「──……実は、別れたんです」
「え……えええっ! んぐっ……」

 仕事中ということも忘れて梨花が絶叫した。すかさず京子さんが口を塞ぐ。

「……そうだったんですかぁ……。あんなにラブラブだったのに……悲しいですぅ」

 恐らく蓮見とのことを考えているんだろう。違うけど、この際どうでもいい。蓮見と別れたのもまた、事実だからだ。

「肉よ!」

 しゅんとする梨花の横で、京子さんが小声で叫んだ。

「とにかく栄養あるもの食べて、元気つけないと! 一人でいるより三人でいた方がいいでしょ?」

「そうですよぉ! 京子さんが奢りますから! ね? 行きましょ千春さん!」

「なんで私が奢るのよ」

「だってぇ、医療事務って薄給なんですよぉ……」

「んもー、仕方ないわね……」

「やったぁー!」

 京子さんと梨花が楽しそうに言い合っている。賑やかな職場でよかった。それだけで、救われる気がする。
 とにかく今はこうやって気を紛らわしていないと。頭の中を違うことでいっぱいにして考えないようにしないと。
 私が私でいられなくなってしまうから……。

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