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手紙
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「……そんなことより荷物ってなんなの? 着替え? それとも本?」
「千春、ちょっと待って」
二階へ上がろうとする私を母が阻止した。
「ちょっと……話があるの」
いつもと違う雰囲気の母に、なんだか嫌な予感がする。話って、あのおばちゃんが言っていた若い男のことだろうか……。
階段に乗せた足を引っ込めると、母の後に続いてリビングに入った。中はやっぱり物で溢れかえっていて、こんな家で育ったから、逆に物を持たない生活を選択したのかなぁなんて思った。
久しぶりに使い古したキルトのソファに座ったはずなのに、そう感じさせないくらいに私のお尻にそれはフィットした。ソファに座って部屋を見渡すと、なぜだかここに住んでいた当時にタイムスリップしたかのように感じる。実家って、不思議だ。
「これ……──」
辺りを見渡していた私に、母が通帳を手渡した。
「なに? これ……」
「いいから、見てみなさい」
誰のものかもわからない通帳の中身を恐る恐る覗く。そこには二百万という数字が書かれていた。
「……どうしたの? このお金……」
「あんたのよ」
「へー…………はっ?」
危うく通帳を落としそうになった。
「え、だって、に、二百万もあるよ?」
「そうよ」
「なんで急に? なに? 怖いんだけど!」
いきなり舞い込んできた大金に、恐怖を抱かずにはいられない。そんな私の顔を見て、母がふふふと笑った。
「やぁねぇ。結婚資金よ」
「結婚資金……? ちょっと待ってよ、私がいつ結婚するって言った?」
「もうそろそろ結婚したい相手でも見つかったんじゃないかなぁと思ったのよ」
「は……はい……?」
結婚はしたい……とずっと思っていたけれど、今付き合っている人とは結婚できそうにもない。でもそんなこと母に言えるはずがない。
「……でも……こんな大金……」
「いいのよ、いいの。あんたには、ほら……あの時……悪いことしちゃったから……こんなことで許されるとは思ってないけど……せめてこのくらいさせて?」
「それって……──」
『あの時』
母は、十五年前の心中未遂のことを謝っているんだ、とピンときた。あの日からあの時の話はタブーとされていた。母も私も、今まで一度だって口に出したことはなかった。それなのに──
「……い、いいよ、もう。友達に笑い話として話せるようになったし」
今更謝られるのも気恥ずかしくて、ぶっきらぼうにそう答えた。でも本心では、やっぱり嬉しい。
もうとっくに、自分の中で過去のこととして処理したものと思っていたのに、実はそうじゃなかったのかもしれない。
それは母も同じで、きっと私たちには、あの時のことを共有する時間が必要だったんだ。そんなことを、ホッとしたように静かに笑う母の姿を見て思った。
「でもなんで急に。どういう心境の変化?」
「ちょっとね……あの人も骨を折るくらいしたし、私もちゃんとしなくちゃって」
「お父さんが喧嘩して骨を折ったのとどう関係あるのよ」
「ふふ、内緒よ」
母は立ち上がると、キッチンにその身を隠した。母は母で恥ずかしいらしい。
骨を折ることとあの時のことを謝ることになんの関連性も見いだせないけれど、きっとくだらないことだろう。これ以上の話はなさそうだと、私もソファから立ち上がった。
「荷物は着替えと本でいいの?」
「そう、お願い! 適当にそこらへんにあるカバンに入れてもらっていいから」
母がキッチンの奥で叫んだ。
二階の父の部屋はとてもホコリっぽかった。足を踏み入れた途端にふわっとホコリが舞う。
父の部屋と言っても名ばかりで、父がこの部屋にいることはほとんどない。私が赤ちゃんの頃の使わなくなったグッズなどをしまっていくうちに、最終的に物置と化していた。
父は、この部屋にある大きな棚に、買ってきた本をしまっていた。
何度かくしゃみをしながらも棚の真ん前に立つ。文庫本や単行本など、何十冊も本が置かれていた。その数に度肝を抜かれる。
──知らなかった。お父さんって読書家だったんだ。
私は父のことをあまり知らない。忙しい父と遊んだ記憶もなく、思春期真っ盛りのあの時期に浮気をされたため、それ以降も心を開くことはなかった。
会えば会話はする。「元気か」「元気」そのくらいだ。だから父がこんなにも本を持っていたことに少し驚いた。
──どれを持っていけばいいんだろう。私チョイスでいいのかな。
迷いに迷い、名作と呼ばれる一冊と私も読んだことのある一冊を選び、カバンの中にしまう。
そして、最後の一冊を棚から取り出そうと、本に手をかけた時のことだ。
パサリ──
本の上に置かれていたであろうなにかが、ひらひらと床に落ちた。
元の位置に戻すために手に取った。それは、一通の手紙だった。本に比べてホコリをあまり被っていない。きっと、わりと最近ここに置かれたものじゃないだろうか。
宛名は母の名前になっていた。しかし送り主の名前が書いてない。誰からの手紙だろうか。
『若い男に入れ込んでるんじゃないでしょうね……』
ここにきておばちゃんの言葉が気になりだしてきた。
まさか、母に限ってそんなことは……。うん、そんなはずない。それに、もし仮にそうだとしても、こんな場所に無防備に置いておくわけないじゃないか。いくら普段出入りしていない部屋だとしても、見つかる可能性がある場所に置いておくほど、バカじゃない……。
だけど──
一度気になり出すと、もうどうしようもなかった。私はゆっくりと封筒の中から便箋を取り出した。
ほのかに香る、シトラスの香り……──
かさかさに乾燥した指先で、そっと便箋を開いた。
「千春、ちょっと待って」
二階へ上がろうとする私を母が阻止した。
「ちょっと……話があるの」
いつもと違う雰囲気の母に、なんだか嫌な予感がする。話って、あのおばちゃんが言っていた若い男のことだろうか……。
階段に乗せた足を引っ込めると、母の後に続いてリビングに入った。中はやっぱり物で溢れかえっていて、こんな家で育ったから、逆に物を持たない生活を選択したのかなぁなんて思った。
久しぶりに使い古したキルトのソファに座ったはずなのに、そう感じさせないくらいに私のお尻にそれはフィットした。ソファに座って部屋を見渡すと、なぜだかここに住んでいた当時にタイムスリップしたかのように感じる。実家って、不思議だ。
「これ……──」
辺りを見渡していた私に、母が通帳を手渡した。
「なに? これ……」
「いいから、見てみなさい」
誰のものかもわからない通帳の中身を恐る恐る覗く。そこには二百万という数字が書かれていた。
「……どうしたの? このお金……」
「あんたのよ」
「へー…………はっ?」
危うく通帳を落としそうになった。
「え、だって、に、二百万もあるよ?」
「そうよ」
「なんで急に? なに? 怖いんだけど!」
いきなり舞い込んできた大金に、恐怖を抱かずにはいられない。そんな私の顔を見て、母がふふふと笑った。
「やぁねぇ。結婚資金よ」
「結婚資金……? ちょっと待ってよ、私がいつ結婚するって言った?」
「もうそろそろ結婚したい相手でも見つかったんじゃないかなぁと思ったのよ」
「は……はい……?」
結婚はしたい……とずっと思っていたけれど、今付き合っている人とは結婚できそうにもない。でもそんなこと母に言えるはずがない。
「……でも……こんな大金……」
「いいのよ、いいの。あんたには、ほら……あの時……悪いことしちゃったから……こんなことで許されるとは思ってないけど……せめてこのくらいさせて?」
「それって……──」
『あの時』
母は、十五年前の心中未遂のことを謝っているんだ、とピンときた。あの日からあの時の話はタブーとされていた。母も私も、今まで一度だって口に出したことはなかった。それなのに──
「……い、いいよ、もう。友達に笑い話として話せるようになったし」
今更謝られるのも気恥ずかしくて、ぶっきらぼうにそう答えた。でも本心では、やっぱり嬉しい。
もうとっくに、自分の中で過去のこととして処理したものと思っていたのに、実はそうじゃなかったのかもしれない。
それは母も同じで、きっと私たちには、あの時のことを共有する時間が必要だったんだ。そんなことを、ホッとしたように静かに笑う母の姿を見て思った。
「でもなんで急に。どういう心境の変化?」
「ちょっとね……あの人も骨を折るくらいしたし、私もちゃんとしなくちゃって」
「お父さんが喧嘩して骨を折ったのとどう関係あるのよ」
「ふふ、内緒よ」
母は立ち上がると、キッチンにその身を隠した。母は母で恥ずかしいらしい。
骨を折ることとあの時のことを謝ることになんの関連性も見いだせないけれど、きっとくだらないことだろう。これ以上の話はなさそうだと、私もソファから立ち上がった。
「荷物は着替えと本でいいの?」
「そう、お願い! 適当にそこらへんにあるカバンに入れてもらっていいから」
母がキッチンの奥で叫んだ。
二階の父の部屋はとてもホコリっぽかった。足を踏み入れた途端にふわっとホコリが舞う。
父の部屋と言っても名ばかりで、父がこの部屋にいることはほとんどない。私が赤ちゃんの頃の使わなくなったグッズなどをしまっていくうちに、最終的に物置と化していた。
父は、この部屋にある大きな棚に、買ってきた本をしまっていた。
何度かくしゃみをしながらも棚の真ん前に立つ。文庫本や単行本など、何十冊も本が置かれていた。その数に度肝を抜かれる。
──知らなかった。お父さんって読書家だったんだ。
私は父のことをあまり知らない。忙しい父と遊んだ記憶もなく、思春期真っ盛りのあの時期に浮気をされたため、それ以降も心を開くことはなかった。
会えば会話はする。「元気か」「元気」そのくらいだ。だから父がこんなにも本を持っていたことに少し驚いた。
──どれを持っていけばいいんだろう。私チョイスでいいのかな。
迷いに迷い、名作と呼ばれる一冊と私も読んだことのある一冊を選び、カバンの中にしまう。
そして、最後の一冊を棚から取り出そうと、本に手をかけた時のことだ。
パサリ──
本の上に置かれていたであろうなにかが、ひらひらと床に落ちた。
元の位置に戻すために手に取った。それは、一通の手紙だった。本に比べてホコリをあまり被っていない。きっと、わりと最近ここに置かれたものじゃないだろうか。
宛名は母の名前になっていた。しかし送り主の名前が書いてない。誰からの手紙だろうか。
『若い男に入れ込んでるんじゃないでしょうね……』
ここにきておばちゃんの言葉が気になりだしてきた。
まさか、母に限ってそんなことは……。うん、そんなはずない。それに、もし仮にそうだとしても、こんな場所に無防備に置いておくわけないじゃないか。いくら普段出入りしていない部屋だとしても、見つかる可能性がある場所に置いておくほど、バカじゃない……。
だけど──
一度気になり出すと、もうどうしようもなかった。私はゆっくりと封筒の中から便箋を取り出した。
ほのかに香る、シトラスの香り……──
かさかさに乾燥した指先で、そっと便箋を開いた。
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