悪魔は天使の面して嗤う

汐月 詩

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秘密

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 たろちゃんの秘密を探る、と息巻いていたものの、結局なにも行動を起こせずに季節は冬に突入していた。
 日中は日が照っていれば暖かいが、ひとたび風が吹くと、凍えるような寒さがこの身を襲う。仕事終わりの時間ともなれば尚更だ。
 木枯らしが窓を叩く。それだけで外の寒さが伺えた。

 ──そろそろ冬のコートに変えなくちゃ。

 心許なくなったトレンチコートの袖に腕を通しながら、そう思った。

「──じゃあ、忘年会はあそこで決まりね。お疲れさま……うわ、寒っ」

「お疲れさまです」

「お疲れさまでーす。きゃあ寒ーい」

 私たちは挨拶を交わすと、三人それぞれ帰路についた。日が落ちて、すっかり暗くなった夜道を歩く。
 時々学校帰りの女子高生とすれ違った。生足に短いソックスだけという、見るからに寒々しい格好をして堂々と歩いている。
 私も昔はああだったのだろうか。もう覚えていない。
 この冬の終わりに、私は三十になる。
 たろちゃんとは、その後、可もなく不可もなくな付き合いを続けていた。
 別に、上手くいっていないわけではないんだ。相変わらず優しいし、喧嘩もしたことがない。デートは二ヶ月で二回。両方とも電車に乗って少しだけ遠出。外食は四回ほど。キスはほぼ毎日、寝る前と日中不意に。セックスは四回。
 数字で見ると、わりとちゃんと『恋人同士』してると思う。だけどなんでだろう、近くにいるはずなのにほんの僅かに隙間があいていて、そこから冷たい風が吹いてくる、そんな感じがする。
 そう思う原因は、なんとなくわかっていた。
 たろちゃんがふとした瞬間に見せる、冷たい表情。私を見ているようで見ていない……別の誰かを、氷のような眼差しで見ている気がする。
 それにレザーブレスレットだ。お揃いで買ったはずなのに、たろちゃんがつけてくれているのを見たことがない。
 極めつけは『好き』の二文字をまだ言われていないこと。私がいくら『好き』だと伝えても、彼は『ありがとう』と微笑むだけなのだ。
 こんな状態だから、たろちゃんに面と向かってお金のことを聞けずにいた。
 心も体も満たされたい、なんて贅沢なことは言わない。蓮見に別れを告げて、たろちゃんに告白した時からこうなることはわかっていたんだ。
 今はただ、一緒にいられればそれでいい。

 向かい風に押し戻されながらなんとかアパートに着いた頃には、体は芯まで冷え切っていた。
 早く部屋に入って暖まりたい。そんな思いが私を焦らす。
 かじかむ指で手すりを掴んで階段を駆け上がった。そのまま廊下も足早に歩く。冷えた足は感覚が鈍り、隣の部屋の住人が廊下に出しっぱなしだった粗大ゴミに蹴躓いてしまった。
 ザザッと擦った音がして、直後に鋭い痛みが現れた。

「いったぁ……」

 転んだ拍子に、粗大ゴミから飛び出た針金が、私の脛をストッキングごと引き裂いていた。
 長さ十センチほどの傷口から、じわりと血が滲む。それはどんどん溢れてきて、ついには足を伝って地面に染みを作った。

 ──うわーやっちゃった……。

 とりあえずハンカチで傷口を押さえ、自分の部屋の扉を開けた。部屋の中は暗く、しんと静まり返っていた。たろちゃんはまだ帰っていないらしい。
 トレンチコートを脱いでカバンを置いたら、お風呂場に直行した。ストッキングを破り、蛇口を捻る。冷たい水が勢いよく流れ出てきた。お湯に変わるまでしばらくかかる。ヒリヒリとした痛みに耐えながらその時を待った。
 傷口は砂や埃が付いていてよく見えないが、多分縫うほどのものじゃなさそうだ。洗い流して消毒してガーゼで覆っておけば大丈夫だろう。
 丁度水からお湯に変わった瞬間だった。ガチャ、と扉が開く音がした。

「ただいまー! あれ? 千春さーん?」

 水音に混じってたろちゃんの声がする。電気がついた無人の部屋を見て不審に思ったのだろう。
 お湯をかけた傷口は、かなり痛んだ。叫び出したいのを我慢して、平常心で声をかける。

「おかえりー!」

「あれ、お風呂?」

 だんだんと声が大きくなる。足音が近づいてきて、ついにはドアの向こうにたろちゃんのシルエットが見えた。
 流れ出た血が、白いタイルの合間を縫って排水溝に吸い込まれていく。

「ちょっと、トラブって……」

「トラブルって……どうしたの?」

 ガラリ、となんの遠慮もなく、たろちゃんがドアを開けた。

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