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ロミオとジュリエット
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「ね、ねぇ、少し話そうよ」
少しでも気を紛らわせたくて、そう提案した。
「話ぃ? いいよ~何を~?」
半分夢の中のたろちゃんが、ふにゃふにゃ声で答えた。
もしかしたら、これはチャンスかもしれない。酔っ払いでその上眠そうなたろちゃんなら、何を聞いても答えてくれるんじゃないか。
そんな思いが頭を掠めた。
「そ、そうだね……ええと……たろちゃんのご両親ってどんな人なの?」
それは、今まで聞きたくても聞けなかったことだった。現在のことについては口が硬いたろちゃんのことだ、絶対にはぐらかすに決まっている。でもご両親のことなら? 子供時代のことなら? もしかしたらサラリと話してくれるかもしれない。そう踏んでのことだった。
「両親? ……別に、普通だよ」
たろちゃんは布団を頭まですっぽり被った。表情が、見えない。
「ふ、普通? へぇ、そっかぁ……。でもたろちゃんの両親だもん、二人とも美男美女なんだろうね? お母さんとか、素敵だろうなぁ──」
そこまで言ってハッとした。そういば、たろちゃんに『母親』の話はタブーだったのだ。
『母の愛っていいね?』
たろちゃんの言葉を思い出す。以前母から荷物が届いた時、たろちゃんは私に、意味ありげにそう言ったのだった。
たろちゃんは昔、お母さんと何かあったんだ。だからお母さんの話は聞いちゃいけない。そう心に留めておいたというのに、私ったら──。
「ご、ごめんやっぱなんでもな──」
「クソ女」
質問をなかったことにしようと口を挟んだ時だった。たしかに今、たろちゃんの口からおぞましい言葉が聞こえてきたような気がしたんだけど──
でもまさか。聞き間違いだろうか。きっと聞き間違いだ。たろちゃんがそんなこと、言うはずない。
しかしそんな私の期待を裏切るように、たろちゃんはもう一度、今度はハッキリとその言葉を告げた。
「俺の母親は、クソ女、だよ」
しん、と静まり返る室内。相変わらず布団を被っているので、たろちゃんがどんな顔でその言葉を言っているのかわからない。
それに……どんな言葉を返したらいいのかもわからなかった。
チクタクチクタク、秒針の音が五回ほど鳴ったところで、先に口を開いたのは私ではなくたろちゃんの方だった。
「──なーんて。びっくりしたぁ?」
布団からいきなり顔を出したたろちゃんは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。今のは、冗談──?
「たろちゃん……?」
「千春さん、本っ当にからかいがいがあるなぁ。母親はね、普通だよ? 普通の主婦」
いつも通りのたろちゃんに、ホッと胸を撫で下ろす。さっきの張り詰めた空気は、きっと気のせいだったんだ。
「そんなことより」と、たろちゃんがベッドの端で固まっている私をぐいっと引っ張った。
その勢いで半回転し、目の前にほんのり顔の赤いたろちゃんが迫る。
突然のことで体が動かない私に、じりじりとたろちゃんの顔が近づいてきた。
これは、もしかして──
どうしよう。たしかに私たち付き合ってるんだから、いつそういうことをしてもおかしくない。だけど、こんな状況で? それに、今日の下着、可愛いのじゃない。
ぐちゃぐちゃ考えている間にも、彼の筋の通った鼻が私の頬を掠めた。
「ひゃんっ」
吐息が耳に当たり、思わず変な声が出た。
「千春さん、かわいー」
耳元でたろちゃんの声がして、ぞくりとする。余計なことは、もう何も考えられない。私──
たろちゃんが頬にそっとキスを落とした。そして……そして……そして?
「おやすみぃ」
──おやすみ?
急いで体を離すと、たろちゃんは瞼を閉じて寝る体勢に入っていた。
「ね、寝るの?」
「寝ないのぉ?」
私が急に離れたので、たろちゃんは小さな子供のように『イヤイヤ』をしながら手を伸ばし、私の体を元の位置に戻した。
……ですよね。
こうなることはわかっていたんだ。たろちゃん、酔ってたし、眠そうだったし。でも『万が一』を考えてドキドキしていた私が、なんだか馬鹿みたいだ。
そして、やっぱりちょっと虚しい。
『年上の女をからかって遊ぼうとしてるんじゃないでしょうね』
今になって美穂子の言葉が、私のみぞおちらへんをぎゅうぎゅう締め付ける。そんなことないって信じてるけど、キスの時のこともあるし……安心できるなにか『たしかなもの』がほしい。
「ねぇ、たろちゃん……私たちってなんなのかな?」
『恋人同士だよ』その言葉が欲しくて、ウトウト眠りにつく寸前の横顔に問いかけた。
けれどもたろちゃんが口にしたのは、予想外の言葉だった。
「んん……『ロミオとジュリエット』かなぁ……」
「は──」
「もちろん……千春さんがロミオねぇ?」
「え、は、なんでそうなるの?」
「だって……ビール五杯も六杯も呑む……ジュリエットなんか……聞いたことない、し……」
「わ、悪かったね……ってそういうことじゃなくて、それどういう意味──」
たろちゃんに問いかけるも、彼は既に可愛らしい寝息をたてていた。本当に、寝るのが早いんだから。
拍子抜けだ。ドキドキもモヤモヤも、一気にどこかへ吹っ飛んだ。
「おやすみ、たろちゃん」
彼の頬にそっとキスを落とし、私も瞼を閉じた。
『ロミオとジュリエット』
その言葉が何を意味するのか、この時の私は知る由もない。
少しでも気を紛らわせたくて、そう提案した。
「話ぃ? いいよ~何を~?」
半分夢の中のたろちゃんが、ふにゃふにゃ声で答えた。
もしかしたら、これはチャンスかもしれない。酔っ払いでその上眠そうなたろちゃんなら、何を聞いても答えてくれるんじゃないか。
そんな思いが頭を掠めた。
「そ、そうだね……ええと……たろちゃんのご両親ってどんな人なの?」
それは、今まで聞きたくても聞けなかったことだった。現在のことについては口が硬いたろちゃんのことだ、絶対にはぐらかすに決まっている。でもご両親のことなら? 子供時代のことなら? もしかしたらサラリと話してくれるかもしれない。そう踏んでのことだった。
「両親? ……別に、普通だよ」
たろちゃんは布団を頭まですっぽり被った。表情が、見えない。
「ふ、普通? へぇ、そっかぁ……。でもたろちゃんの両親だもん、二人とも美男美女なんだろうね? お母さんとか、素敵だろうなぁ──」
そこまで言ってハッとした。そういば、たろちゃんに『母親』の話はタブーだったのだ。
『母の愛っていいね?』
たろちゃんの言葉を思い出す。以前母から荷物が届いた時、たろちゃんは私に、意味ありげにそう言ったのだった。
たろちゃんは昔、お母さんと何かあったんだ。だからお母さんの話は聞いちゃいけない。そう心に留めておいたというのに、私ったら──。
「ご、ごめんやっぱなんでもな──」
「クソ女」
質問をなかったことにしようと口を挟んだ時だった。たしかに今、たろちゃんの口からおぞましい言葉が聞こえてきたような気がしたんだけど──
でもまさか。聞き間違いだろうか。きっと聞き間違いだ。たろちゃんがそんなこと、言うはずない。
しかしそんな私の期待を裏切るように、たろちゃんはもう一度、今度はハッキリとその言葉を告げた。
「俺の母親は、クソ女、だよ」
しん、と静まり返る室内。相変わらず布団を被っているので、たろちゃんがどんな顔でその言葉を言っているのかわからない。
それに……どんな言葉を返したらいいのかもわからなかった。
チクタクチクタク、秒針の音が五回ほど鳴ったところで、先に口を開いたのは私ではなくたろちゃんの方だった。
「──なーんて。びっくりしたぁ?」
布団からいきなり顔を出したたろちゃんは、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。今のは、冗談──?
「たろちゃん……?」
「千春さん、本っ当にからかいがいがあるなぁ。母親はね、普通だよ? 普通の主婦」
いつも通りのたろちゃんに、ホッと胸を撫で下ろす。さっきの張り詰めた空気は、きっと気のせいだったんだ。
「そんなことより」と、たろちゃんがベッドの端で固まっている私をぐいっと引っ張った。
その勢いで半回転し、目の前にほんのり顔の赤いたろちゃんが迫る。
突然のことで体が動かない私に、じりじりとたろちゃんの顔が近づいてきた。
これは、もしかして──
どうしよう。たしかに私たち付き合ってるんだから、いつそういうことをしてもおかしくない。だけど、こんな状況で? それに、今日の下着、可愛いのじゃない。
ぐちゃぐちゃ考えている間にも、彼の筋の通った鼻が私の頬を掠めた。
「ひゃんっ」
吐息が耳に当たり、思わず変な声が出た。
「千春さん、かわいー」
耳元でたろちゃんの声がして、ぞくりとする。余計なことは、もう何も考えられない。私──
たろちゃんが頬にそっとキスを落とした。そして……そして……そして?
「おやすみぃ」
──おやすみ?
急いで体を離すと、たろちゃんは瞼を閉じて寝る体勢に入っていた。
「ね、寝るの?」
「寝ないのぉ?」
私が急に離れたので、たろちゃんは小さな子供のように『イヤイヤ』をしながら手を伸ばし、私の体を元の位置に戻した。
……ですよね。
こうなることはわかっていたんだ。たろちゃん、酔ってたし、眠そうだったし。でも『万が一』を考えてドキドキしていた私が、なんだか馬鹿みたいだ。
そして、やっぱりちょっと虚しい。
『年上の女をからかって遊ぼうとしてるんじゃないでしょうね』
今になって美穂子の言葉が、私のみぞおちらへんをぎゅうぎゅう締め付ける。そんなことないって信じてるけど、キスの時のこともあるし……安心できるなにか『たしかなもの』がほしい。
「ねぇ、たろちゃん……私たちってなんなのかな?」
『恋人同士だよ』その言葉が欲しくて、ウトウト眠りにつく寸前の横顔に問いかけた。
けれどもたろちゃんが口にしたのは、予想外の言葉だった。
「んん……『ロミオとジュリエット』かなぁ……」
「は──」
「もちろん……千春さんがロミオねぇ?」
「え、は、なんでそうなるの?」
「だって……ビール五杯も六杯も呑む……ジュリエットなんか……聞いたことない、し……」
「わ、悪かったね……ってそういうことじゃなくて、それどういう意味──」
たろちゃんに問いかけるも、彼は既に可愛らしい寝息をたてていた。本当に、寝るのが早いんだから。
拍子抜けだ。ドキドキもモヤモヤも、一気にどこかへ吹っ飛んだ。
「おやすみ、たろちゃん」
彼の頬にそっとキスを落とし、私も瞼を閉じた。
『ロミオとジュリエット』
その言葉が何を意味するのか、この時の私は知る由もない。
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