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ロミオとジュリエット
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「あ、千春さんおかえりー」
ドアを開けるとエプロン姿のたろちゃんがお出迎えしてくれた。部屋の中はビーフシチューらしきいい匂いが漂っている。
「あ、あれ? たろちゃん、今日早いね」
「千春さんこそ早いね? 飲み会って言ってたからてっきり深夜に帰ってくるのかと思った」
たろちゃんは不思議そうな顔で小首を傾げた。相変わらず、動作一つ一つがたまらなく可愛い。憎まれ口も叩くけど、最近はそれもご愛嬌かなと思うようになってきた。
これが年下パワーってやつなのか……。
「あー……うん。なんか、美穂子が明日朝早いとかで」
嘘。本当はたろちゃんに早く会いたかったから。だけどこんなこと、本人に言えるはずもなく。
「へぇ、そうなんだ? 楽しかった?」
たろちゃんはなんの疑いもなくニコリと笑った。
たろちゃんと出会ってからもうすぐ五ヶ月が経とうとしている。最初は絶対に好きにならないと思っていたのに……。
端正な顔立ち。スラリとした長身。見た目に恵まれているのに、そんなことを一つも感じさせないフランクな言動。年上でも関係なしに、真っ直ぐ意見をぶつけてくる、その姿勢。
気づいたら、好きになっていた。
「……お肉の匂い、するね。焼肉?」
ふいに、たろちゃんが私の肩に手をかけた。そのまま抱き寄せられるように、私の体は彼の胸元にすっぽりとおさまった。腰に回された手に、緊張して体が強ばっていく。
「え、に、匂いする……? や、やだなぁ……」
これは、友愛のハグ? それとも、恋人としてのハグ? たろちゃんなら、どっちも有り得る。
「んー、ちょっとするかなぁ。美味しそう」
『美味しそう』って何?
私の頭はもうパニック寸前だ。ただでさえ舞い上がっておかしくなっているというのに、こんなことされたら心臓が壊れてしまう。今だってほら、ドキンドキンと、まるで早鐘のように鳴っている。
たろちゃんの細い指が、私の髪を撫でる。一束掴むと、それを自然に口元へと持っていった。
「髪にも匂いが移ってるね?」
ああ、もう、限界だ──
「そ、そ、そ、そうかもねっ! でも私、冷麺しか食べてないからさ、口臭は問題ないと思うんだよねっ!」
もはや何を言っているのか、自分でもわからない。落ち着け、とにかく、落ち着くんだと、自分自身に言い聞かせる。
そんな私を見てたろちゃんは、目を細めると殺し文句を言い放った。
「……可愛い」
今私、絶対に顔が赤い。触れなくてもわかる火照った頬が、それを証明していた。
恥ずかしい、年下相手にこんな体たらく。初めての相手じゃあるまいし。『可愛い』って言われたくらいで赤くなるなんて……しっかりしろ。
キッと睨むように視線を上げると、たろちゃんが蕩けそうな瞳で私を見下ろしていた。
私は、そんな彼の澄んだ瞳から目を逸らせない。気づいた時にはもう、腰に回された腕がきつく締まり、逃げたくても逃げられなくなっていた。
たろちゃんの顔が徐々に近づいてくる。ゆっくりと、時間をかけて。
これは、もしかしてもしかすると、待ち望んでいた『アレ』なんじゃないか? 美穂子はああ言っていたけれど、たろちゃんもきっと、私の事を──。
息がかかる距離まできて、私はそっと目を瞑った。
胸の高鳴りを悟られないよう、平静を装った顔でその時を待つ。三秒、四秒、五秒……おかしい、なかなかその時が来ない。
ちらりと薄目を開けたら、ニヤニヤしているたろちゃんの顔が視界いっぱいに広がった。
「なーに目瞑ってるの? やらしー」
「っっ!?? べ、別に何もっ──」
「うーん、お肉の匂い堪能したー! 千春さん、ありがとね」
たろちゃんは、チロリと舌を出し、悪戯っぽく笑った。
──やられた。からかわれた。
たろちゃんは何食わぬ顔で私から体を離すと、再びキッチンへと向かった。
「たろちゃんの、ばーか」
悔しくなって、そんな彼の背中に暴言を投げかける。
だって、こんなのって、ない。せっかく付き合えたと思ったのに、せっかくいいムードだったのに、からかわれただけって。美穂子の言う通り、こんなの付き合ってるって言えるのだろうか。
しょんぼり肩を落としていると、たろちゃんがクスリと笑った気がした。
「へーえ? そんなこと言うんだ? そんなこと言っちゃうお口には……」
急に振り返ったたろちゃんの左手が、私の顎を掴む。クイッと上を向かされて、身動きがとれない。
これは……この体勢は──
──なーんて、思うはずがない。わかってるんだ、今回もからかって遊んでるだけだって。そうそう何度もひっかかってたまるか。
「あのね、二度も同じ罠にひっかかるわけないでしょ? からかうのもいい加減に────んむっ」
勢いよく文句を発する唇に、何かが触れた。しっとりと柔らかい感触のそれが、たろちゃんの唇だと気づくのに、五秒ほどかかった。
「……隙ありっ」
「な、な、な、な……」
上手く言葉が出てこなくて、口をただパクパクと、まるで金魚のような私。
「ホント千春さんって面白いね」
──やられた。
たろちゃんは今度こそキッチンへ向き直ると、冷めたビーフシチューの鍋に蓋をして、そのまま冷蔵庫の中へ突っ込んだ。
「ビーフシチュー、明日にでも温め直して食べてね」
涼しい横顔に、とにかく腹が立つ。
──やられた。やられた。やられた。
悔しいはずなのに、それでももう、どうしようもなく彼が好きだ。そして好きだと思ってしまう自分が、どうしようもなく悔しくもある。
まるで初恋のようにフワフワと、浮き足立った私が妙にこそばゆくて、それでいて心地いい。なんだこれ、こんな感情知らない。
たろちゃんがお風呂へと消えたタイミングで、そっと唇に触れてみた。ほんのわずか、一秒くらいの触れ合いだったけれど、たしかにあれは『キス』だった。
私とたろちゃんの初めてのキス。ちゃんと私たち、付き合っているんだ──
ドアを開けるとエプロン姿のたろちゃんがお出迎えしてくれた。部屋の中はビーフシチューらしきいい匂いが漂っている。
「あ、あれ? たろちゃん、今日早いね」
「千春さんこそ早いね? 飲み会って言ってたからてっきり深夜に帰ってくるのかと思った」
たろちゃんは不思議そうな顔で小首を傾げた。相変わらず、動作一つ一つがたまらなく可愛い。憎まれ口も叩くけど、最近はそれもご愛嬌かなと思うようになってきた。
これが年下パワーってやつなのか……。
「あー……うん。なんか、美穂子が明日朝早いとかで」
嘘。本当はたろちゃんに早く会いたかったから。だけどこんなこと、本人に言えるはずもなく。
「へぇ、そうなんだ? 楽しかった?」
たろちゃんはなんの疑いもなくニコリと笑った。
たろちゃんと出会ってからもうすぐ五ヶ月が経とうとしている。最初は絶対に好きにならないと思っていたのに……。
端正な顔立ち。スラリとした長身。見た目に恵まれているのに、そんなことを一つも感じさせないフランクな言動。年上でも関係なしに、真っ直ぐ意見をぶつけてくる、その姿勢。
気づいたら、好きになっていた。
「……お肉の匂い、するね。焼肉?」
ふいに、たろちゃんが私の肩に手をかけた。そのまま抱き寄せられるように、私の体は彼の胸元にすっぽりとおさまった。腰に回された手に、緊張して体が強ばっていく。
「え、に、匂いする……? や、やだなぁ……」
これは、友愛のハグ? それとも、恋人としてのハグ? たろちゃんなら、どっちも有り得る。
「んー、ちょっとするかなぁ。美味しそう」
『美味しそう』って何?
私の頭はもうパニック寸前だ。ただでさえ舞い上がっておかしくなっているというのに、こんなことされたら心臓が壊れてしまう。今だってほら、ドキンドキンと、まるで早鐘のように鳴っている。
たろちゃんの細い指が、私の髪を撫でる。一束掴むと、それを自然に口元へと持っていった。
「髪にも匂いが移ってるね?」
ああ、もう、限界だ──
「そ、そ、そ、そうかもねっ! でも私、冷麺しか食べてないからさ、口臭は問題ないと思うんだよねっ!」
もはや何を言っているのか、自分でもわからない。落ち着け、とにかく、落ち着くんだと、自分自身に言い聞かせる。
そんな私を見てたろちゃんは、目を細めると殺し文句を言い放った。
「……可愛い」
今私、絶対に顔が赤い。触れなくてもわかる火照った頬が、それを証明していた。
恥ずかしい、年下相手にこんな体たらく。初めての相手じゃあるまいし。『可愛い』って言われたくらいで赤くなるなんて……しっかりしろ。
キッと睨むように視線を上げると、たろちゃんが蕩けそうな瞳で私を見下ろしていた。
私は、そんな彼の澄んだ瞳から目を逸らせない。気づいた時にはもう、腰に回された腕がきつく締まり、逃げたくても逃げられなくなっていた。
たろちゃんの顔が徐々に近づいてくる。ゆっくりと、時間をかけて。
これは、もしかしてもしかすると、待ち望んでいた『アレ』なんじゃないか? 美穂子はああ言っていたけれど、たろちゃんもきっと、私の事を──。
息がかかる距離まできて、私はそっと目を瞑った。
胸の高鳴りを悟られないよう、平静を装った顔でその時を待つ。三秒、四秒、五秒……おかしい、なかなかその時が来ない。
ちらりと薄目を開けたら、ニヤニヤしているたろちゃんの顔が視界いっぱいに広がった。
「なーに目瞑ってるの? やらしー」
「っっ!?? べ、別に何もっ──」
「うーん、お肉の匂い堪能したー! 千春さん、ありがとね」
たろちゃんは、チロリと舌を出し、悪戯っぽく笑った。
──やられた。からかわれた。
たろちゃんは何食わぬ顔で私から体を離すと、再びキッチンへと向かった。
「たろちゃんの、ばーか」
悔しくなって、そんな彼の背中に暴言を投げかける。
だって、こんなのって、ない。せっかく付き合えたと思ったのに、せっかくいいムードだったのに、からかわれただけって。美穂子の言う通り、こんなの付き合ってるって言えるのだろうか。
しょんぼり肩を落としていると、たろちゃんがクスリと笑った気がした。
「へーえ? そんなこと言うんだ? そんなこと言っちゃうお口には……」
急に振り返ったたろちゃんの左手が、私の顎を掴む。クイッと上を向かされて、身動きがとれない。
これは……この体勢は──
──なーんて、思うはずがない。わかってるんだ、今回もからかって遊んでるだけだって。そうそう何度もひっかかってたまるか。
「あのね、二度も同じ罠にひっかかるわけないでしょ? からかうのもいい加減に────んむっ」
勢いよく文句を発する唇に、何かが触れた。しっとりと柔らかい感触のそれが、たろちゃんの唇だと気づくのに、五秒ほどかかった。
「……隙ありっ」
「な、な、な、な……」
上手く言葉が出てこなくて、口をただパクパクと、まるで金魚のような私。
「ホント千春さんって面白いね」
──やられた。
たろちゃんは今度こそキッチンへ向き直ると、冷めたビーフシチューの鍋に蓋をして、そのまま冷蔵庫の中へ突っ込んだ。
「ビーフシチュー、明日にでも温め直して食べてね」
涼しい横顔に、とにかく腹が立つ。
──やられた。やられた。やられた。
悔しいはずなのに、それでももう、どうしようもなく彼が好きだ。そして好きだと思ってしまう自分が、どうしようもなく悔しくもある。
まるで初恋のようにフワフワと、浮き足立った私が妙にこそばゆくて、それでいて心地いい。なんだこれ、こんな感情知らない。
たろちゃんがお風呂へと消えたタイミングで、そっと唇に触れてみた。ほんのわずか、一秒くらいの触れ合いだったけれど、たしかにあれは『キス』だった。
私とたろちゃんの初めてのキス。ちゃんと私たち、付き合っているんだ──
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