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決断
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「それで? 話ってなに?」
平日の夜だというのに大賑わいの店内は、ひっきりなしに注文が飛び交っていた。どこにでもある、安さが売りの大衆居酒屋だ。そこの半個室に、私と美穂子、向き合って座っていた。
「えっと……その……」
私たちの真横を、店員が忙しそうに駆けずり回っている。
「あ、スミマセーン! 私、生で。……千春は?」
「あっ……私、いらない……」
「……あとウーロン茶で。とりあえずそれだけ、お願いします」
美穂子は若くてイケメンの店員に、にこりと愛想笑いを付け加えた。
店員が視界から消えると、ハァと一つため息をこぼす。
「千春が飲まないってことは、よっぽどの話なのね」
「…………ごめんね、急に呼び出して」
昨夜、パニックになった私は、思わず美穂子にメールをしたのだ。『話がある』と。
もうこれ以上一人で抱えるのは限界だった。それがたとえ自分でなんとかしなければならない話だとしても、誰かに、この胸の内を聞いて欲しかった。美穂子はそんな私に、二つ返事で『オーケー』をくれた。
「それは別に構わないんだけどさ。ほら、私ってば今自由に動けるから? ……でも、改まって話があるってことは、もしかしてそれって……蓮見とのこと?」
その名が美穂子の口から飛び出してきて、心臓がドキンと音を立てる。怖気付くな、美穂子に全部話すって決めたでしょう? そう自分自身を鼓舞した。
「うん……それもあるんだけど……」
「それ『も』? 『も』ってなによ」
「私ね、この間、美穂子に話してないことがあるの……」
美穂子は何か思いついたように目を見開いた。
「それって、『蓮見と付き合うことを躊躇う原因』ってやつ?」
「うん……」
「言ってくれる気になったんだ?」
「うん、ごめん……」
申し訳なさに、うつむき加減になる。使い古されたテーブルの、傷一つ一つがハッキリと目に映った。
『今更』、そう思われても仕方ない。私はあの時、美穂子にたろちゃんのことを隠した。美穂子は私に、離婚のことや結婚生活のことを赤裸々に語ってくれたというのに。
それなのに、こうして自分が苦しくなって助けを求めるなんて、そんな都合のいい話ったらない。『今更相談されても困る』と言われても、文句は言えない立場だ。
「いいよ。あんたが話す気になってくれたなら、別にいい」
それなのに美穂子は、私の顔を覗き込み、優しく笑った。
大丈夫。きっと彼女なら、わかってくれる。私は小さく深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めた。
職場の後輩の主催する合コンに参加したこと。その合コンで蓮見と再会したこと。体調が悪くなった私を、たろちゃんが助けてくれたこと。そのままなぜか、たろちゃんと共に生活することになったこと。
美穂子はビールを呑みながら、時折うんうんと相槌を打ってくれた。『ありえない』と思われても仕方がないことを、彼女は真剣に聞いてくれた。それがとても有難かった。
思えば、たった四ヶ月前の出来事なんだ。それなのに随分長い時を、たろちゃんと過ごしたように感じる。
それはきっと、たろちゃんが私にとって新しい発見の連続のような人であり、常に新鮮な気持ちにさせてくれる風のような人だからだと思う。いつまでも飽きることがない、いつまでもその風に吹かれていたい。
猫のように気まぐれで、犬のように人懐っこい。隣にいても繕うことなく、ちゃんと『私』でいさせてくれる、不思議な人。
たろちゃんのことを思い出していく内に、私の中で『ああ、なんだ』と腑に落ちることがあった。
ああ、なんだ。私がたろちゃんを好きになるのは当然のことだったんだ──と。
話し終わると、美穂子はうーんと低く唸った。そのまま残ったビールを一気に飲み干す。グラスをテーブルにガンっと強く置くと、こう切り出した。
「──で?」
彼女の予想外の反応に、ただただ面食らう。
「えっと……」
「千春……あんたさぁ、何を悩んでるわけ?」
「え? それは……その……これ以上嘘をついて蓮見といるのが辛くて……でも」
でも──なんだというのだろう。私はたろちゃんが好きで、でもそれは叶わなくて。だからこそ蓮見とやり直す決意をしたんじゃないか。
今の状態は辛い。けれどもそこから何かを変えられるかと言われたら、それは不可能な話だ。蓮見はそれでもいいと言った。私はそんな蓮見を選んだ。この苦しみは、自業自得以外のなにものでもないのだ。
私は一体、美穂子に何を言ってほしいんだろう……。
美穂子は私の目をじっと見つめ、深くため息をついた。
「あんたさぁ、誰のために恋愛してるの?」
「え──」
誰のためって、そんなの、そんなの、自分のために決まっているじゃないか。美穂子の言葉が理解できずに、首を傾げた。
「あんたの話だと、あんたが蓮見と付き合ってるのは、私とか、職場の人に強く薦められたからっていう風に聞こえるけど?」
「え……そんな……」
でも美穂子の言葉に否定はできない。蓮見とはとっくの昔に終わっていたんだ。梨花や京子さんが蓮見を推したりしなければ、そもそも蓮見とのことを考えただろうか? それに、美穂子の言葉がきっかけで、蓮見と付き合うことにしたようなものだった。
「私はさ、あんたが誰を好きかなんて知らないし、そりゃあ蓮見を応援するよね。だって友達だもの。でももう応援できない。そんな、二人共が幸せになれない恋、応援できるわけない」
私も美穂子も無言になったので、店内の音がよく聞こえてきた。男達の大きな笑いや、女達の騒がしい声が、いやに耳に響く。そんな中でも、さっきの美穂子の言葉が、消えることなくずしりと体内に居座っていた。
『応援できるわけない』
そうか、私と蓮見、応援できるような、そんな恋愛じゃないんだ。
沈黙を破るように、さっきのイケメン店員さんがやってきて、美穂子の前にビールを置いた。
そのビールに口をつけると、美穂子が再び話し始めた。
「千春、あんたって昔からそうだよね。高校の時……蓮見を好きだって私に打ち明けてくれた時、私言ったよね? 『告ったらいいよ』って」
「う、ん……」
「でもあんたは告らなかった。ダメでもオーケーでも、せっかくの四人組が破綻しちゃうって」
「そうだったね……」
懐かしい、思い出。私はあの四人組が大好きだったから、壊したくなかった。
「周りを気にして、自分を犠牲にして……いつもそう。私はあんたのそういうところ、好きだし尊敬するけど、でももうやめようよ。あんたの……千春の人生だよ? 周りなんか関係ない。自分の思うがままに生きなよ」
「でも……! でも、美穂子言ったじゃない! 『結婚は現実だ』って! だから私……いつまでも夢を見るのはやめようって……現実を見据えられる蓮見とやり直そうって……思って……」
体の奥の方で芽生えた熱いものが、とめどなく込み上げてくる。吐き出したくなくて、言葉と共に飲み込んだ。
こんなの、『この選択は美穂子のせいだ』って『私が苦しいのは美穂子のせいだ』って言ってるようなものじゃないか。違うのに。そんなこと言いたくないのに──
けれども美穂子は少しも怒らず、むしろ穏やかな口調で話を続けた。
「──たしかに私、言ったね。『結婚は現実だった』って。でもだからって、『現実的な男と結婚しろ』なんて言ってない。千春、私はたしかに離婚したよ? 失敗した。だけどね、最初から『この男とは無理だろうな』と思って結婚したわけじゃないよ? 最初は私だって、あの男のこと大好きだった、夢中だった。……好きな人と結婚したんだよ。わかる? 結婚って本来、好きな人とするんだよ?」
好きな人と──
堪えきれずにぽろり、と涙がこぼれた。蓮見のことは好きじゃないわけじゃない。だけど──
目の前には空のジョッキ。いつの間にか美穂子は二杯目も飲み切っていた。それをテーブルの端に寄せると、ずいっと前に身を寄せて、私の手を強く握った。
「好きな人がいるなら、その気持ちを大切にしなきゃ。好きな人がいるって、素晴らしいことだよ。気持ちが後から付いてくるような結婚は、最終手段でいいの」
「でも……でも……『好きになるな』って言われたんだもん……」
小さい子が駄々をこねるように小さくこぼすと、美穂子がくすりと笑った。
「それは最初でしょ? この四ヶ月で向こうの気持ちも変わったかもしれないじゃない。何も伝えずに諦めるのは、もったいないよ」
「でも……無理だよ、私なんか……」
「なんかって言わない! その子はあんたにどう接してくれてたの? 対等に接してくれたんじゃないの? その子はあんたのことを『なんか』なんて思ってると思うの?」
美穂子の言葉にハッとした。たろちゃんはいつも本音で語ってくれていたじゃない。そこには遠慮なんて全くなくて、私と彼の年の差が九あることなんか、感じたこともなかった。
「このまま『好き』の気持ちを持ったまま蓮見と付き合うのは、どちらも幸せになれないよ。私はあんたとも蓮見とも友達だから、二人共が幸せになってほしいと思う」
「美穂子……」
美穂子の想いが、手を通して伝わってくる。温かい、強い気持ち。その想いが心臓に届いて、そこから体中に行き渡る。何かが浄化していくような、そんな感じがした。
「──私……」
「いい? 一度きりの人生だよ、後悔しないように思いっきりぶつかっておいで」
そっと手を離した美穂子は通りかかった店員を呼ぶと、『私のために』とカシスオレンジを頼んでくれた。
美穂子と別れた後、部屋に入る前にそっと空を見上げた。そこには丸くて大きい月が浮かんでいた。あの日──蓮見が『俺を利用しろ』と言った日と、同じ月。
蓮見──
優しくて、紳士的で、でも不器用な蓮見。彼の私を見つめる瞳を思い出すと、胸が苦しくなる。
でも、私──……
ポケットからスマホを取り出すと、履歴から名前をタップして電話をかけた。
そろそろちゃんと決断しなくちゃいけない。誰に流されるでもなく、私の……私自身の考えで進まなくちゃ。
『私の人生』だもん。
3コール目で繋がった彼は、疲れた声で私の名を呼んだ。
平日の夜だというのに大賑わいの店内は、ひっきりなしに注文が飛び交っていた。どこにでもある、安さが売りの大衆居酒屋だ。そこの半個室に、私と美穂子、向き合って座っていた。
「えっと……その……」
私たちの真横を、店員が忙しそうに駆けずり回っている。
「あ、スミマセーン! 私、生で。……千春は?」
「あっ……私、いらない……」
「……あとウーロン茶で。とりあえずそれだけ、お願いします」
美穂子は若くてイケメンの店員に、にこりと愛想笑いを付け加えた。
店員が視界から消えると、ハァと一つため息をこぼす。
「千春が飲まないってことは、よっぽどの話なのね」
「…………ごめんね、急に呼び出して」
昨夜、パニックになった私は、思わず美穂子にメールをしたのだ。『話がある』と。
もうこれ以上一人で抱えるのは限界だった。それがたとえ自分でなんとかしなければならない話だとしても、誰かに、この胸の内を聞いて欲しかった。美穂子はそんな私に、二つ返事で『オーケー』をくれた。
「それは別に構わないんだけどさ。ほら、私ってば今自由に動けるから? ……でも、改まって話があるってことは、もしかしてそれって……蓮見とのこと?」
その名が美穂子の口から飛び出してきて、心臓がドキンと音を立てる。怖気付くな、美穂子に全部話すって決めたでしょう? そう自分自身を鼓舞した。
「うん……それもあるんだけど……」
「それ『も』? 『も』ってなによ」
「私ね、この間、美穂子に話してないことがあるの……」
美穂子は何か思いついたように目を見開いた。
「それって、『蓮見と付き合うことを躊躇う原因』ってやつ?」
「うん……」
「言ってくれる気になったんだ?」
「うん、ごめん……」
申し訳なさに、うつむき加減になる。使い古されたテーブルの、傷一つ一つがハッキリと目に映った。
『今更』、そう思われても仕方ない。私はあの時、美穂子にたろちゃんのことを隠した。美穂子は私に、離婚のことや結婚生活のことを赤裸々に語ってくれたというのに。
それなのに、こうして自分が苦しくなって助けを求めるなんて、そんな都合のいい話ったらない。『今更相談されても困る』と言われても、文句は言えない立場だ。
「いいよ。あんたが話す気になってくれたなら、別にいい」
それなのに美穂子は、私の顔を覗き込み、優しく笑った。
大丈夫。きっと彼女なら、わかってくれる。私は小さく深呼吸をすると、ゆっくりと話し始めた。
職場の後輩の主催する合コンに参加したこと。その合コンで蓮見と再会したこと。体調が悪くなった私を、たろちゃんが助けてくれたこと。そのままなぜか、たろちゃんと共に生活することになったこと。
美穂子はビールを呑みながら、時折うんうんと相槌を打ってくれた。『ありえない』と思われても仕方がないことを、彼女は真剣に聞いてくれた。それがとても有難かった。
思えば、たった四ヶ月前の出来事なんだ。それなのに随分長い時を、たろちゃんと過ごしたように感じる。
それはきっと、たろちゃんが私にとって新しい発見の連続のような人であり、常に新鮮な気持ちにさせてくれる風のような人だからだと思う。いつまでも飽きることがない、いつまでもその風に吹かれていたい。
猫のように気まぐれで、犬のように人懐っこい。隣にいても繕うことなく、ちゃんと『私』でいさせてくれる、不思議な人。
たろちゃんのことを思い出していく内に、私の中で『ああ、なんだ』と腑に落ちることがあった。
ああ、なんだ。私がたろちゃんを好きになるのは当然のことだったんだ──と。
話し終わると、美穂子はうーんと低く唸った。そのまま残ったビールを一気に飲み干す。グラスをテーブルにガンっと強く置くと、こう切り出した。
「──で?」
彼女の予想外の反応に、ただただ面食らう。
「えっと……」
「千春……あんたさぁ、何を悩んでるわけ?」
「え? それは……その……これ以上嘘をついて蓮見といるのが辛くて……でも」
でも──なんだというのだろう。私はたろちゃんが好きで、でもそれは叶わなくて。だからこそ蓮見とやり直す決意をしたんじゃないか。
今の状態は辛い。けれどもそこから何かを変えられるかと言われたら、それは不可能な話だ。蓮見はそれでもいいと言った。私はそんな蓮見を選んだ。この苦しみは、自業自得以外のなにものでもないのだ。
私は一体、美穂子に何を言ってほしいんだろう……。
美穂子は私の目をじっと見つめ、深くため息をついた。
「あんたさぁ、誰のために恋愛してるの?」
「え──」
誰のためって、そんなの、そんなの、自分のために決まっているじゃないか。美穂子の言葉が理解できずに、首を傾げた。
「あんたの話だと、あんたが蓮見と付き合ってるのは、私とか、職場の人に強く薦められたからっていう風に聞こえるけど?」
「え……そんな……」
でも美穂子の言葉に否定はできない。蓮見とはとっくの昔に終わっていたんだ。梨花や京子さんが蓮見を推したりしなければ、そもそも蓮見とのことを考えただろうか? それに、美穂子の言葉がきっかけで、蓮見と付き合うことにしたようなものだった。
「私はさ、あんたが誰を好きかなんて知らないし、そりゃあ蓮見を応援するよね。だって友達だもの。でももう応援できない。そんな、二人共が幸せになれない恋、応援できるわけない」
私も美穂子も無言になったので、店内の音がよく聞こえてきた。男達の大きな笑いや、女達の騒がしい声が、いやに耳に響く。そんな中でも、さっきの美穂子の言葉が、消えることなくずしりと体内に居座っていた。
『応援できるわけない』
そうか、私と蓮見、応援できるような、そんな恋愛じゃないんだ。
沈黙を破るように、さっきのイケメン店員さんがやってきて、美穂子の前にビールを置いた。
そのビールに口をつけると、美穂子が再び話し始めた。
「千春、あんたって昔からそうだよね。高校の時……蓮見を好きだって私に打ち明けてくれた時、私言ったよね? 『告ったらいいよ』って」
「う、ん……」
「でもあんたは告らなかった。ダメでもオーケーでも、せっかくの四人組が破綻しちゃうって」
「そうだったね……」
懐かしい、思い出。私はあの四人組が大好きだったから、壊したくなかった。
「周りを気にして、自分を犠牲にして……いつもそう。私はあんたのそういうところ、好きだし尊敬するけど、でももうやめようよ。あんたの……千春の人生だよ? 周りなんか関係ない。自分の思うがままに生きなよ」
「でも……! でも、美穂子言ったじゃない! 『結婚は現実だ』って! だから私……いつまでも夢を見るのはやめようって……現実を見据えられる蓮見とやり直そうって……思って……」
体の奥の方で芽生えた熱いものが、とめどなく込み上げてくる。吐き出したくなくて、言葉と共に飲み込んだ。
こんなの、『この選択は美穂子のせいだ』って『私が苦しいのは美穂子のせいだ』って言ってるようなものじゃないか。違うのに。そんなこと言いたくないのに──
けれども美穂子は少しも怒らず、むしろ穏やかな口調で話を続けた。
「──たしかに私、言ったね。『結婚は現実だった』って。でもだからって、『現実的な男と結婚しろ』なんて言ってない。千春、私はたしかに離婚したよ? 失敗した。だけどね、最初から『この男とは無理だろうな』と思って結婚したわけじゃないよ? 最初は私だって、あの男のこと大好きだった、夢中だった。……好きな人と結婚したんだよ。わかる? 結婚って本来、好きな人とするんだよ?」
好きな人と──
堪えきれずにぽろり、と涙がこぼれた。蓮見のことは好きじゃないわけじゃない。だけど──
目の前には空のジョッキ。いつの間にか美穂子は二杯目も飲み切っていた。それをテーブルの端に寄せると、ずいっと前に身を寄せて、私の手を強く握った。
「好きな人がいるなら、その気持ちを大切にしなきゃ。好きな人がいるって、素晴らしいことだよ。気持ちが後から付いてくるような結婚は、最終手段でいいの」
「でも……でも……『好きになるな』って言われたんだもん……」
小さい子が駄々をこねるように小さくこぼすと、美穂子がくすりと笑った。
「それは最初でしょ? この四ヶ月で向こうの気持ちも変わったかもしれないじゃない。何も伝えずに諦めるのは、もったいないよ」
「でも……無理だよ、私なんか……」
「なんかって言わない! その子はあんたにどう接してくれてたの? 対等に接してくれたんじゃないの? その子はあんたのことを『なんか』なんて思ってると思うの?」
美穂子の言葉にハッとした。たろちゃんはいつも本音で語ってくれていたじゃない。そこには遠慮なんて全くなくて、私と彼の年の差が九あることなんか、感じたこともなかった。
「このまま『好き』の気持ちを持ったまま蓮見と付き合うのは、どちらも幸せになれないよ。私はあんたとも蓮見とも友達だから、二人共が幸せになってほしいと思う」
「美穂子……」
美穂子の想いが、手を通して伝わってくる。温かい、強い気持ち。その想いが心臓に届いて、そこから体中に行き渡る。何かが浄化していくような、そんな感じがした。
「──私……」
「いい? 一度きりの人生だよ、後悔しないように思いっきりぶつかっておいで」
そっと手を離した美穂子は通りかかった店員を呼ぶと、『私のために』とカシスオレンジを頼んでくれた。
美穂子と別れた後、部屋に入る前にそっと空を見上げた。そこには丸くて大きい月が浮かんでいた。あの日──蓮見が『俺を利用しろ』と言った日と、同じ月。
蓮見──
優しくて、紳士的で、でも不器用な蓮見。彼の私を見つめる瞳を思い出すと、胸が苦しくなる。
でも、私──……
ポケットからスマホを取り出すと、履歴から名前をタップして電話をかけた。
そろそろちゃんと決断しなくちゃいけない。誰に流されるでもなく、私の……私自身の考えで進まなくちゃ。
『私の人生』だもん。
3コール目で繋がった彼は、疲れた声で私の名を呼んだ。
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