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メグルちゃん
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「おはようございます。今日はどうされました?」
いつもの日常。いつもの忙しさ。私が誰と付き合おうがセックスしようが三時間しか寝てなかろうが、何も変わらない。
病院の受付で次から次へとやって来る患者を捌きながら、心の中で『なあんだ』と呟いた。
「お大事に」
ただ、やはり『彼氏がいる』という状態は、今までより格段に安心できる。『彼氏なしアラサー』から『彼氏あり。プラス、プロポーズされたアラサー』になったことで、今までよりも穏やかに患者に笑顔を向けられる自分がいた。
心が穏やかだと世界も優しい。今まで、ちょっとのことでイライラしたり落ち込んだりしていた時間が勿体ないとすら思えた。
「ふう。さ、お昼、お昼!」
カルテを全て棚にしまい、振り返ると、怪訝な表情の梨花と目が合った。
「梨花ちゃん……?」
「千春さん、ハスミンとうまくいってるんですかぁ?」
「はい? うまくいってるよ? 昨日だってデートだったし……」
「え! 昨日デートだったんですかぁ?」
「そうだよ。それがどうしたっていうの……」
いつもなら、『ちょっとウザイな』と思う梨花の質問攻めも、今日は余裕でかわすことができる。適当にあしらいつつ休憩室に入ると、先にお弁当を広げていた京子さんが、変な顔で私を見た。
「千春、昨日デートだったって本当?」
「い……一体なんなんですか、二人とも」
昨日、私と蓮見がデートしたことがそんなにおかしいのだろうか。呆然と立ちすくむ私の横を「京子さんもそう思いますよねっ?」と言いながら、梨花が軽やかに通り過ぎていった。
「そーねぇ。なんていうか……千春が『フツウ』なのよね」
「普通? 普通ですよ、そりゃあ……。たしかに睡眠不足ですけど、それを表に出すほど未熟じゃありません」
「そーじゃなくてぇ! 普通、初めてデートした後って『恋する乙女モード』に入りません?」
梨花の言葉に首を傾げる。『恋する乙女モード』って、なんだそりゃ。気にせず椅子に座ると、コンビニの袋からサンドイッチを取り出した。いざ食べようとパッケージを摘む私の手を、梨花がガシッと掴んだ。
「好きな人と結ばれたんですよねっ? もっとこう、『ウキウキ』とか『ルンルン』とか幸せオーラ出てるはずなのに、千春さんってば全然出てないんだもん!」
幸せオーラが出ていない。その一言が胸に刺さる。
「れ……恋愛にはいろんな形があるんだよ」
そう、いろんな形がある。浮かれてしまうような恋もあれば、こうしてしみじみと胸の中に留めておく恋もある。私と蓮見は後者で、私たちはちゃんと幸せだ。きっとそのはず。
「そう、ですかぁ?」
納得のいかない梨花が唇を突き出した。
「だ、だいたい、梨花ちゃんが蓮見とくっつけって言ったんだよ?」
「それは、そうですけどぉ……」
梨花の声がどんどん小さくなっていく。なんだかこっちがいじめているみたいで、それ以上何も言えなかった。
行き場のないもどかしさを抱え、サンドイッチを大きく頬張った。レタスのシャキッという音が、私たちの気まずい沈黙を埋める。
「梨花、千春さんに幸せになってほしいだけだもん。ハスミンだったら結婚相手にピッタリだし、千春さんともうまくいくかなあって。なのに……」
「や、やだなぁ! 大丈夫だって! ちゃんと幸せだから! も、もー、梨花ちゃんってばー」
語尾を震わす梨花に焦った私は、大袈裟に笑ってみせた。けれども彼女の表情は晴れることはない。その後も黙々と、まるで誰かの葬式にでも来たかのように静かにお弁当を食べ続けた。
「ね、千春」
お弁当を食べ終わった梨花がトイレへと向かった隙をついて、京子さんが話しかけてきた。
「私たち、ハスミンとくっつけようと、ちょっと急かしすぎたわね」
「そんなこと……」
真面目な眼差しに応えるよう、京子さんに向き直った。
「梨花ちゃん、あの子……千春のことが本当に好きなのよ。尊敬してるのよ。だからただ振り回したかっただけじゃなくて、本当にあなたのことを想って、千春が幸せになれるようにってハスミンとのことを応援してたのよ。その気持ちはわかってあげてね」
「それは……はい……」
私の返事を聞くと、京子さんはホッとしたように息を吐いた。
「ねぇ千春。もし……もしもよ? あなたが今幸せじゃないなら、私たちはもう、ハスミンとのことを無理にけしかけたりしない。千春が幸せなのが一番だもの。たしかに私、妥協しろって言ったけど、千春にそんな顔させたいわけじゃないから……」
「き、京子さんまでそんな……」
私はそんなに『不幸』な顔をしているのだろうか。梨花や京子さんに、そう言われるなんて……。
でも、もしそうだとしても、今更やめることはできない。私にはこの道しかないのだから。
午後からの診療は、午前中とは打って変わって身が入らなかった。梨花と京子さんに言われた言葉が、いつまでも耳にこびりついて離れない。
『幸せオーラが出ていない』『今、幸せじゃないなら』
そんなのは、自分自身が一番よくわかっている。
蓮見といても、ときめかない。四年前には確かにあったときめきが、今はもう無くなっていた。その代わりじんわりと、静かに胸の奥に優しい気持ちが芽生えている。きっとそれは、これから『愛情』に育っていくことだろう。
それでもいいと、私は思う。だってすごく現実的だ。私は今、地に足がついている。ということは、美穂子理論で言うと、結婚だって上手くいくはずだ。
そう、そもそも私は結婚がしたかったはずなんだ。結婚がしたくて、合コンに行っては『結婚できる男』を探していた。
ならなんの問題もないじゃないか。誰に何を言われても、私は蓮見と突き進めばいいんだ。迷うことなんかない。
なのに──
なのになぜだろう。小骨のように 、何かがひっかかっている。『このままでいいの?』と誰かが囁いている。
その度に私は、『これでいいんだ』と首を縦に振るんだ。
いつもの日常。いつもの忙しさ。私が誰と付き合おうがセックスしようが三時間しか寝てなかろうが、何も変わらない。
病院の受付で次から次へとやって来る患者を捌きながら、心の中で『なあんだ』と呟いた。
「お大事に」
ただ、やはり『彼氏がいる』という状態は、今までより格段に安心できる。『彼氏なしアラサー』から『彼氏あり。プラス、プロポーズされたアラサー』になったことで、今までよりも穏やかに患者に笑顔を向けられる自分がいた。
心が穏やかだと世界も優しい。今まで、ちょっとのことでイライラしたり落ち込んだりしていた時間が勿体ないとすら思えた。
「ふう。さ、お昼、お昼!」
カルテを全て棚にしまい、振り返ると、怪訝な表情の梨花と目が合った。
「梨花ちゃん……?」
「千春さん、ハスミンとうまくいってるんですかぁ?」
「はい? うまくいってるよ? 昨日だってデートだったし……」
「え! 昨日デートだったんですかぁ?」
「そうだよ。それがどうしたっていうの……」
いつもなら、『ちょっとウザイな』と思う梨花の質問攻めも、今日は余裕でかわすことができる。適当にあしらいつつ休憩室に入ると、先にお弁当を広げていた京子さんが、変な顔で私を見た。
「千春、昨日デートだったって本当?」
「い……一体なんなんですか、二人とも」
昨日、私と蓮見がデートしたことがそんなにおかしいのだろうか。呆然と立ちすくむ私の横を「京子さんもそう思いますよねっ?」と言いながら、梨花が軽やかに通り過ぎていった。
「そーねぇ。なんていうか……千春が『フツウ』なのよね」
「普通? 普通ですよ、そりゃあ……。たしかに睡眠不足ですけど、それを表に出すほど未熟じゃありません」
「そーじゃなくてぇ! 普通、初めてデートした後って『恋する乙女モード』に入りません?」
梨花の言葉に首を傾げる。『恋する乙女モード』って、なんだそりゃ。気にせず椅子に座ると、コンビニの袋からサンドイッチを取り出した。いざ食べようとパッケージを摘む私の手を、梨花がガシッと掴んだ。
「好きな人と結ばれたんですよねっ? もっとこう、『ウキウキ』とか『ルンルン』とか幸せオーラ出てるはずなのに、千春さんってば全然出てないんだもん!」
幸せオーラが出ていない。その一言が胸に刺さる。
「れ……恋愛にはいろんな形があるんだよ」
そう、いろんな形がある。浮かれてしまうような恋もあれば、こうしてしみじみと胸の中に留めておく恋もある。私と蓮見は後者で、私たちはちゃんと幸せだ。きっとそのはず。
「そう、ですかぁ?」
納得のいかない梨花が唇を突き出した。
「だ、だいたい、梨花ちゃんが蓮見とくっつけって言ったんだよ?」
「それは、そうですけどぉ……」
梨花の声がどんどん小さくなっていく。なんだかこっちがいじめているみたいで、それ以上何も言えなかった。
行き場のないもどかしさを抱え、サンドイッチを大きく頬張った。レタスのシャキッという音が、私たちの気まずい沈黙を埋める。
「梨花、千春さんに幸せになってほしいだけだもん。ハスミンだったら結婚相手にピッタリだし、千春さんともうまくいくかなあって。なのに……」
「や、やだなぁ! 大丈夫だって! ちゃんと幸せだから! も、もー、梨花ちゃんってばー」
語尾を震わす梨花に焦った私は、大袈裟に笑ってみせた。けれども彼女の表情は晴れることはない。その後も黙々と、まるで誰かの葬式にでも来たかのように静かにお弁当を食べ続けた。
「ね、千春」
お弁当を食べ終わった梨花がトイレへと向かった隙をついて、京子さんが話しかけてきた。
「私たち、ハスミンとくっつけようと、ちょっと急かしすぎたわね」
「そんなこと……」
真面目な眼差しに応えるよう、京子さんに向き直った。
「梨花ちゃん、あの子……千春のことが本当に好きなのよ。尊敬してるのよ。だからただ振り回したかっただけじゃなくて、本当にあなたのことを想って、千春が幸せになれるようにってハスミンとのことを応援してたのよ。その気持ちはわかってあげてね」
「それは……はい……」
私の返事を聞くと、京子さんはホッとしたように息を吐いた。
「ねぇ千春。もし……もしもよ? あなたが今幸せじゃないなら、私たちはもう、ハスミンとのことを無理にけしかけたりしない。千春が幸せなのが一番だもの。たしかに私、妥協しろって言ったけど、千春にそんな顔させたいわけじゃないから……」
「き、京子さんまでそんな……」
私はそんなに『不幸』な顔をしているのだろうか。梨花や京子さんに、そう言われるなんて……。
でも、もしそうだとしても、今更やめることはできない。私にはこの道しかないのだから。
午後からの診療は、午前中とは打って変わって身が入らなかった。梨花と京子さんに言われた言葉が、いつまでも耳にこびりついて離れない。
『幸せオーラが出ていない』『今、幸せじゃないなら』
そんなのは、自分自身が一番よくわかっている。
蓮見といても、ときめかない。四年前には確かにあったときめきが、今はもう無くなっていた。その代わりじんわりと、静かに胸の奥に優しい気持ちが芽生えている。きっとそれは、これから『愛情』に育っていくことだろう。
それでもいいと、私は思う。だってすごく現実的だ。私は今、地に足がついている。ということは、美穂子理論で言うと、結婚だって上手くいくはずだ。
そう、そもそも私は結婚がしたかったはずなんだ。結婚がしたくて、合コンに行っては『結婚できる男』を探していた。
ならなんの問題もないじゃないか。誰に何を言われても、私は蓮見と突き進めばいいんだ。迷うことなんかない。
なのに──
なのになぜだろう。小骨のように 、何かがひっかかっている。『このままでいいの?』と誰かが囁いている。
その度に私は、『これでいいんだ』と首を縦に振るんだ。
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