悪魔は天使の面して嗤う

汐月 詩

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 その後は、意外にも時間が迫っているということで、やや駆け足で映画館へ向かった。キャラメル味のポップコーンとジンジャエールを買ったところで中に入る。休みの日だからか、館内はカップルでいっぱいだった。
 私たちの席はど真ん中。梨花がこんないい席を予約して取っていたことを思うと、切なくなる。『恋人』って、いつなんどき何が起こるかわからないんだな。私と蓮見もそうだったからわかる。
 終わりって、あっけないんだ。

「ポップコーン、始まる前に食べちゃった方がいいかもね」

 隣に座るたろちゃんが、ひょいとそれを口に入れた。

「え、なんで?」

 答えるために横を向くと、たろちゃんと目が合ってドキリとする。
 たろちゃんはいつも近い・・から、このぐらいの距離、なんてことないはずなのに。どこか違和感。
 ああそうか。いつも真正面にいるからだ。正面から私を真っ直ぐ見るんだ、たろちゃんは。だから隣という慣れないシチュエーションに、ドギマギしてしまうんだ。

「きっと千春さん、映画に没頭しすぎて食べることも忘れちゃうから」

「何言ってんの。そんなわけないじゃん」

 ──まったく、分かったような口をきいて。
 けれども、結果としてたろちゃんの言ったことは当たった。
 映画は、ラブストーリーと言うよりミステリーと言った方がふさわしいものだった。梨花の言う『ラブラブ熱々の恋愛映画』ではないことは確かだ。
 ある男の話だ。
 三年前、自分のミスで部下を死なせてしまった刑事は、仕事を長期休養し、逃げるようにフランスで毎日を過ごしていた。ある日、男はひったくりに遭った女性を偶然助ける。彼女の名はヒナコ。留学に来ていた院生だった。
 ヒナコは助けてくれたお礼にと、毎日料理を作っては男の前に現れた。自責の念にかられ、塞ぎ込んでいた男にとって、彼女はまさに救世主だった。二人が惹かれ合うのに、時間はかからなかった。
 二人はいつしか愛し合うようになり、男の生活はそれまでのものとは一変した。幸せを感じるようになった。
 ヒナコの留学期間が終わりに近づき、そろそろ日本に帰ってケジメをつけようと心に誓った頃、男の元へ、ある一本の電話がかかってきた。相手は同僚だった。内容は、三年前の事件について。話をしていくうちに、衝撃の事実が発覚する。
 そう、ヒナコは、三年前に死なせてしまった部下の恋人だったのだ。
 その晩、男はヒナコに詰め寄る。知ってて近づいたのか、と。ヒナコはそれを肯定し、カバンから拳銃を取り出した。
 男の方にそれを向ける。このまま『復讐』のために撃つのかと思いきや、「さようなら」と呟き、自らの頭を撃ち抜いた。男はただその場で呆然と立ち尽くしていた。男が見ていたのは、今までのまるで幻のような記憶だった。
 これは『熱々ラブラブ』なんかじゃない。悲恋、だ。悲しくも激しい期間限定の恋愛物語だ。
 私は食い入るようにスクリーンを見つめ、ラストシーンは嗚咽を漏らした。たしかにポップコーンを食べる隙なんてなかった。
 それまで全然興味のなかった主役の俳優を、最後には好きになっていた。女優の体当たりのラブシーンは、エロティックというよりは芸術的で、その裸体をいつまでも見ていたかった。
 とにかく良かったのだ。これを観れてよかった。たろちゃんに誘ってもらえてよかった。
 私たち二人は、映画の余韻を噛み締めるべく、近くにあった喫茶店に入った。路地裏の小さな店だ。たろちゃん曰く、『ガチでうまい』らしい。
 ちょうどランチタイムで混雑していて、私たちの次の客から順番待ちになった。滑り込みで入れた私たちは、互いの顔を見て「セーフ」と笑った。
 私はナポリタン、たろちゃんはカルボナーラを頼んだ。甘い物も食べようか迷う私に、たろちゃんが「俺、これも頼もっと」と言って抹茶アイスを指さした。それなら、と私もゆずシャーベットを指さす。
 何気ない行動その一つ一つが、家にいる時と違って新鮮だ。ただ映画を観て、ご飯を食べるだけなのに。そういえば、こんなに長く一緒にいたのは初めてかもしれない。いつも私は仕事だし、休日はたろちゃんがいない場合がほとんどだったから。

「ナポリタンはねー、うまいよ」

「へぇ……よく来るの?」

「結構常連。今度は千春さんのよく行く店に案内してよ」

 今度は──その言葉に図らずも胸が弾む。それはたとえ『同居人』としてのことだとしても、今日だけじゃないという事実だけで嬉しかった。
 ほどなくしてナポリタンとカルボナーラが運ばれてきた。熱々のそれを、ほぼ同時に口に運ぶ。「うまいよ」とたろちゃんが言うだけあって、今まで食べたどのナポリタンよりも美味しかった。……って言うのはちょっと言い過ぎかもしれないけど。

「千春さんはさ」

 たろちゃんがフォークにパスタを絡めながら口を開いた。

「うん?」

「千春さんは、どのシーンがよかった?」

 そう言われて思い出す。二人の出会いのシーンもフランスの街並みが綺麗だったし、ラブシーンもよかった。だけど一番と言われるとやっぱり──

「ラストかな。主人公がヒナコに詰め寄るシーン」

 あの俳優の緊迫した演技。それに輪をかけるように、女優の演技が印象的だった。演技のことなんてよくわからないけれど、彼女は間違いなく『ヒナコ』だった。『ヒナコ』そのものだった。

「君は……」

「え……?」

「君は、幻だったのか? 君と過ごしたあの美しい日々は、全て幻だと言うのか? ……お願いだヒナコ。嘘だと言ってくれ。君を心から、愛しているんだ」
 
 それはあの俳優のセリフ。たろちゃんはそれを情感たっぷりに読み上げた。私はパスタを口に入れるのも忘れて、彼に釘付けになる。まるで自分が『ヒナコ』になったみたいに、彼から目がそらせない。

「び……っくりした。たろちゃん、俳優向いてるんじゃない?」

 ようやくそれだけ絞り出す。巻いたパスタはいつの間にか解かれていた。

「千春さん、ほら」

「え?」

「次のヒナコのセリフ言ってよ」

「はぁ?」

「千春さんのことだから、覚えてるでしょ」


 図星。なんでわかるんだろ。
 次の『ヒナコ』のセリフは、私の中で強く印象に残っていた。私はフォークをそっと置くと、セリフを頭の中で反芻する。

「私は──」

『私は、たしかに悪い女です。嘘もたくさんつきました。だけど、あなたと愛し合ったあの日々だけは──』

「──って言わないよ!」

 いきおいよくフォークを持ち上げる。今度はガチャンと音が出た。
 言えるわけないじゃないか。『愛し合った』なんてセリフ。本当、からかうのもいい加減にしてほしい。コーヒーを飲むたろちゃんの口角が、わずかに上がっているのが見えた。
 腹立つ……けど楽しい。たろちゃんといると、自然体でいられるんだ。

「千春さんも女優になったら?」

「なんで今のでそう思うわけ……」

 たろちゃんはクスクスと楽しそうに笑うと店員を呼んでアイスを持ってきてもらうよう頼んだ。私もちょうど食べ終わったところだから、ナイスタイミングだ。
 アイスがくるまでの間も、私たちは映画『幻』について、ああでもないこうでもないと話し合った。隣の席の人に「ネタバレやめろ!」と怒られそうなくらい、私たちは盛り上がっていた。
 たろちゃんがふいに「千春さんと観れてよかった」と呟く。ほとんど独り言のようなそれを私は聞き逃さなかったけど、どこか意味深な気がして何も言えなかった。
 アイスがテーブルの上に乗った時、私は思わず感嘆の声を上げた。たろちゃんの抹茶アイスには寒天と餡子が、私のゆずシャーベットにはサクランボが乗っていたからだ。

「おまけがついてるって素敵ー!」

「ね、女子は好きでしょ?」

 思いがけず『女子』扱いされて照れる。自分で言う『女子』と異性の言う『女子』はやっぱり違うもんだな。フッと笑みが零れた。
 すごく、楽しかったのだ。私もたろちゃんも終始笑顔が絶えなくて、もう私たちの関係に名前なんていらなんじゃないかと、そう思えるくらい楽しかったのだ。
──ここまでは。
 たろちゃんの顔から急に笑顔が消えたのは、彼のポケットの中のスマホが振動を始めたからだと思う。一瞬気まずい顔をして、でも彼はそのままアイスを食べ続けた。多分、出るつもりなんてなかったんだ。
 振動はほどなくして止んだ。ホッとしたのもつかの間、再び聞こえてくるバイブ音。まるで地獄の目覚まし時計だ。たろちゃんが出るまで、スヌーズ機能のように永遠に唸り続けるに違いない。

「出ていいよ?」

「……ごめん」

 私の言葉に、申し訳なさそうにスマホを手に取る。

「もしもし? ……ああ、どうした?」

 『メグルちゃん』の時とは明らかに異なる反応。微かに聞こえる向こうの声は、どうやら男性のもののようだ。
 女の子じゃなくてよかった。そう思ってアイスを口に運ぶ。もしこれが女の子だったら、試着室であの子達に「親戚のお姉ちゃん」と言われた時よりも、もっと惨めな気持ちになっていたと思うから。
 たろちゃんの相槌を聞きながら、最後のひと口を口に入れようとしたその時だ。

「──え? マリコさんが?」

 私の耳に一際ボリュームが大きく届いたのは『マリコさん』という単語。驚きたろちゃんを見ると、彼は病的なほど青白い顔で一点を見つめていた。

「うん……うん……で、どこの病院?」

 妙な胸騒ぎがする。激しくなる動機とは裏腹に、体の芯が氷のように冷えていくのを感じる。

「わかった、すぐ向かう」

ドキン
 呼吸するのも忘れて、たろちゃんの一挙一動を見守った。彼は財布からお札を取り出すと、テーブルの上に置いた。

「ごめん、千春さん。俺、出るから、これで払っておいて」

──待って、行かないで
 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。たろちゃんは、私の返事を待たずにそのまま店を飛び出した。
 目の前の抹茶アイス。もう溶けてしまってドロドロの緑の液体になっていた。ひと口しか食べてなかったのに、勿体ないよ、たろちゃん。
 テーブルの上には五千円札。二人分でも三千円もしないのに。そんなにいらないよ。
 たろちゃんがいた空間をぼんやりと眺める。自分がさっき何を言おうとしたのか思い返すと、馬鹿らしくて笑えてきた。

『待って、行かないで』

 こんなこと言ったら、『アヤ』とかいう元カノと同じじゃないか。たろちゃんが一番軽蔑する、重い女。束縛女。
 あははと声に出して笑ったら、隣の席の男が気味悪そうにこっちを一瞥した。でも笑いは止まらない。だって可笑しいんだもん。
 可笑しいよ。自分が馬鹿すぎて。

 今になって気付いた。私、たろちゃんのこと────







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