悪魔は天使の面して嗤う

汐月 詩

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バレた

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 そんなこんなで、結局蓮見とは何の進展もないまま一週間が過ぎた。お互い忙しくなかなか会えなかったというのもあるが、それよりも、返事を先延ばしにしたいという深層心理のあらわれが、私を消極的にさせたのだ。
 会ったら返事を期待されるのではないか。けれども、まだ自分の気持ちを固めてはいない。このままの状態で会うのは気が引けるし、お互いの為にもよくないのではないか。
 そう思っているうちに、私はメッセージを打つ手を止め、『今日も会わない』という選択をするのだった。
 そして月が変わり五月、健康診断の時期に入った。そう、繁忙期だ。
 朝っぱらから患者さんが来るわ来るわ。
 検尿の紙コップを渡したかと思うと、健診専用の問診票の書き方を教えに、フロア内をかけまわる。紙コップを受け取って京子さんに渡したかと思うと、肺のレントゲンの準備に走る。痰の検査の容器を渡して使い方を説明したかと思うと、新規の患者さんが来て慌ててカルテを作る。
 とにかく目が回るほど忙しい。
 ただ、いいこともあった。これだけ忙しいと、蓮見とのことや『マリコさん』や『メグルちゃん』のことを考えなくて済むのだ。

「おつかれ……二人とも」

 昼休憩に入るや否や、京子さんが朝よりげっそりした顔で話しかけてきた。この時ばかりは、いつも若々しい彼女も年相応になる。

「お疲れ様です……今日もなかなかハードですね」

「梨花なんてトイレにも行けませんでしたぁ」

 三人それぞれが首やら肩やらのストレッチを始めたので、いろんな所からコキコキと音が聞こえてくる。
 なんで健診って、来る時は一気に押し寄せるように来るのだろうか。午前中の病院なんて、死ぬほど混むことくらいわかるだろうに、老人たちは一体午後何をしているんだろう。
 大きなため息をついたら、隣に座ってお弁当を広げ始めた梨花が、ニヤニヤ笑ってこっちを見てきた。

「あららぁ? 千春さん、恋煩いですかぁ?」

「はぁ?」

 いきなり変なことを言うもんだから、おにぎりの包装を取るのに失敗して、海苔がビリッと千切れる。

「あの後どうなってるんですかぁ? ハ・ス・ミ・ンと」

「なによ、ただの同級生なんじゃなかったの?」

 梨花の言葉に京子さんも反応した。

「デートしてるんですよぉ、二人」

「デート!? なによそれ、ただの同級生じゃないじゃない!」

「だから言ったじゃないですかー」

 そう言えば蓮見に誘われた時、梨花がそばにいたんだっけ。

「別に……何もないですよ」

「うそうそ、うそですーぅ! 憂いを帯びた恋する乙女の表情……千春さん、告白でもされたんじゃないですか?」

「……ゴフォ」

 ぎっくー! 飲んでいたお茶が気管の変なところに入って思わずむせる。なんで私の周りの人って、こうも察しがいいのか。

「図星ね」
「図星ですぅ」

 尚も咳き込む私の背中を、京子さんが優しくさすってくれた。
──や、優しい……
 と思ったのも束の間、京子さんは私の顔を覗き込むと、マリアのような顔でこう言った。

「さぁ千春、言うのよ」

──やっぱりそうなりますよね
 見ると、梨花も京子さんもわくわくした顔で私の言葉を待っている。お昼休憩は始まったばかり。お昼ご飯もまだ食べ終わらない。これは、逃げ場がない。

「──告白、されましたよ」

 ぼそり、と小さく呟いた。聴き逃してくれればいいのに、と期待してみたが、駄目だった。梨花は口を抑え、京子さんは両頬を抑え、二人とも恍惚の表情を浮かべていた。

「祝杯よー!!」

 京子さんが叫んだ。あまりに突然だったので、ビックリしてなんこつの唐揚げが箸から滑り落ちた。

「いつにする? こういうのは早い方がいいわね。今日? 今日にする?」

 京子さんはポケットから手帳を取り出し、パラパラとページを捲り始めた。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。祝杯って……」

「……なによ。まさか断ったんじゃ──」
 
 チクチクと刺さるような視線を向けられて、私はいよいよ気まずくなってきた。

「………………い、いや、そもそもまだ返事をしていなくって……」

「はいいいい!?」

 再び叫び声。しかし今声をあげたのは京子さんではなく梨花だった。

「なにしてるんですかー! 千春さん、男が欲しくて合コン行ってたんじゃないんですか? ハスミン、超いい男じゃないですか! 早く! イエスと! 言うのです!」

「………………」

 勢いに圧倒され、何も言えなかった。梨花がそこまで言うんだから、ハスミン、もとい蓮見は傍から見ると相当いい男なのだろう。

「……と、言うことでぇ」

 梨花は仕切り直しというように、甘えるような声を出すと、上目遣いで私をじっと見た。

「作戦会議しましょう! 千春さんとハスミンをくっつける」

「え、あの、作戦会議って……」

「いいわね、とりあえず『ハスミンへの上手い返事』を考えなきゃね」

「可愛いやつを!」

 京子さんと梨花が勝手に盛り上がり出した。こうなってしまったら彼女たちを止める術はない。

「じゃあ今日集まりましょう! 駅前に新しくできた肉バルでどうかしら。こういう時は肉よね、肉」

 スマホを取り出し何やら検索を始めた京子さん。そんなノリノリの京子さんとは裏腹に、梨花が申し訳なさそうに、小さく「あ」と呟く。

「どうしたの、梨花ちゃん」

「あのぅ……今日はダメなんですぅ」

「あ、用事?」

「はい……ヒロくんがぁ、いつもは土日にしか会えないのに、話があるって……」

 ポッと頬を赤らめもじもじと腕を交差させる。

「私たち付き合って二年なんですよぉ……もうそろそろ……かもしれません」

「え、なにが?」

「んもぉ、千春さん、マジボケやめてくださいよぉ! 結婚ですよ、けっこん!」

──ああ、そういう……ああ、プロポーズってことね。

 すっかり縁遠くなってしまったその言葉。ユニコーンや麒麟なんかと同等の、空想上の出来事のように感じている自分がいた。
 だからだろうか、すんなり受け入れられずに、「結婚」の二文字が皮膚の表面をゾワゾワと這う。
 焦るな千春、大丈夫。流れに身を任せた恋愛をするって決めたじゃないか。
 梨花はまるで少女漫画の主人公のように、瞳を輝かせていた。心なしかバックに花まで咲いているように見える。これが恋する乙女のパワーか。

「──で決まりね。……って聞いてる?」

 京子さんに肘でつつかれて、現実世界に引き戻された。

「あ、ごめんなさい、聞いてなかった」

「だからーっ、作戦会議は次の木曜に決まりねって」

 きっと二人は、私の話をツマミにただ飲みたいだけなんだと思う。きゃあきゃあ楽しそうにはしゃぐ二人を見て、そう思った。
 蓮見が今更好きとか言ってこなければ、こんなことにならなかったのに。もっと言えば、蓮見が病院に来なければよかったのに。いや、その前に、合コンに来なければよかったのに。
 全部、全部、蓮見のせいだ。こんな面倒なことになったのは、全部──
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