18 / 91
バレた
3
しおりを挟む
そんなこんなで、結局蓮見とは何の進展もないまま一週間が過ぎた。お互い忙しくなかなか会えなかったというのもあるが、それよりも、返事を先延ばしにしたいという深層心理のあらわれが、私を消極的にさせたのだ。
会ったら返事を期待されるのではないか。けれども、まだ自分の気持ちを固めてはいない。このままの状態で会うのは気が引けるし、お互いの為にもよくないのではないか。
そう思っているうちに、私はメッセージを打つ手を止め、『今日も会わない』という選択をするのだった。
そして月が変わり五月、健康診断の時期に入った。そう、繁忙期だ。
朝っぱらから患者さんが来るわ来るわ。
検尿の紙コップを渡したかと思うと、健診専用の問診票の書き方を教えに、フロア内をかけまわる。紙コップを受け取って京子さんに渡したかと思うと、肺のレントゲンの準備に走る。痰の検査の容器を渡して使い方を説明したかと思うと、新規の患者さんが来て慌ててカルテを作る。
とにかく目が回るほど忙しい。
ただ、いいこともあった。これだけ忙しいと、蓮見とのことや『マリコさん』や『メグルちゃん』のことを考えなくて済むのだ。
「おつかれ……二人とも」
昼休憩に入るや否や、京子さんが朝よりげっそりした顔で話しかけてきた。この時ばかりは、いつも若々しい彼女も年相応になる。
「お疲れ様です……今日もなかなかハードですね」
「梨花なんてトイレにも行けませんでしたぁ」
三人それぞれが首やら肩やらのストレッチを始めたので、いろんな所からコキコキと音が聞こえてくる。
なんで健診って、来る時は一気に押し寄せるように来るのだろうか。午前中の病院なんて、死ぬほど混むことくらいわかるだろうに、老人たちは一体午後何をしているんだろう。
大きなため息をついたら、隣に座ってお弁当を広げ始めた梨花が、ニヤニヤ笑ってこっちを見てきた。
「あららぁ? 千春さん、恋煩いですかぁ?」
「はぁ?」
いきなり変なことを言うもんだから、おにぎりの包装を取るのに失敗して、海苔がビリッと千切れる。
「あの後どうなってるんですかぁ? ハ・ス・ミ・ンと」
「なによ、ただの同級生なんじゃなかったの?」
梨花の言葉に京子さんも反応した。
「デートしてるんですよぉ、二人」
「デート!? なによそれ、ただの同級生じゃないじゃない!」
「だから言ったじゃないですかー」
そう言えば蓮見に誘われた時、梨花がそばにいたんだっけ。
「別に……何もないですよ」
「うそうそ、うそですーぅ! 憂いを帯びた恋する乙女の表情……千春さん、告白でもされたんじゃないですか?」
「……ゴフォ」
ぎっくー! 飲んでいたお茶が気管の変なところに入って思わずむせる。なんで私の周りの人って、こうも察しがいいのか。
「図星ね」
「図星ですぅ」
尚も咳き込む私の背中を、京子さんが優しくさすってくれた。
──や、優しい……
と思ったのも束の間、京子さんは私の顔を覗き込むと、マリアのような顔でこう言った。
「さぁ千春、言うのよ」
──やっぱりそうなりますよね
見ると、梨花も京子さんもわくわくした顔で私の言葉を待っている。お昼休憩は始まったばかり。お昼ご飯もまだ食べ終わらない。これは、逃げ場がない。
「──告白、されましたよ」
ぼそり、と小さく呟いた。聴き逃してくれればいいのに、と期待してみたが、駄目だった。梨花は口を抑え、京子さんは両頬を抑え、二人とも恍惚の表情を浮かべていた。
「祝杯よー!!」
京子さんが叫んだ。あまりに突然だったので、ビックリしてなんこつの唐揚げが箸から滑り落ちた。
「いつにする? こういうのは早い方がいいわね。今日? 今日にする?」
京子さんはポケットから手帳を取り出し、パラパラとページを捲り始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。祝杯って……」
「……なによ。まさか断ったんじゃ──」
チクチクと刺さるような視線を向けられて、私はいよいよ気まずくなってきた。
「………………い、いや、そもそもまだ返事をしていなくって……」
「はいいいい!?」
再び叫び声。しかし今声をあげたのは京子さんではなく梨花だった。
「なにしてるんですかー! 千春さん、男が欲しくて合コン行ってたんじゃないんですか? ハスミン、超いい男じゃないですか! 早く! イエスと! 言うのです!」
「………………」
勢いに圧倒され、何も言えなかった。梨花がそこまで言うんだから、ハスミン、もとい蓮見は傍から見ると相当いい男なのだろう。
「……と、言うことでぇ」
梨花は仕切り直しというように、甘えるような声を出すと、上目遣いで私をじっと見た。
「作戦会議しましょう! 千春さんとハスミンをくっつける」
「え、あの、作戦会議って……」
「いいわね、とりあえず『ハスミンへの上手い返事』を考えなきゃね」
「可愛いやつを!」
京子さんと梨花が勝手に盛り上がり出した。こうなってしまったら彼女たちを止める術はない。
「じゃあ今日集まりましょう! 駅前に新しくできた肉バルでどうかしら。こういう時は肉よね、肉」
スマホを取り出し何やら検索を始めた京子さん。そんなノリノリの京子さんとは裏腹に、梨花が申し訳なさそうに、小さく「あ」と呟く。
「どうしたの、梨花ちゃん」
「あのぅ……今日はダメなんですぅ」
「あ、用事?」
「はい……ヒロくんがぁ、いつもは土日にしか会えないのに、話があるって……」
ポッと頬を赤らめもじもじと腕を交差させる。
「私たち付き合って二年なんですよぉ……もうそろそろ……かもしれません」
「え、なにが?」
「んもぉ、千春さん、マジボケやめてくださいよぉ! 結婚ですよ、けっこん!」
──ああ、そういう……ああ、プロポーズってことね。
すっかり縁遠くなってしまったその言葉。ユニコーンや麒麟なんかと同等の、空想上の出来事のように感じている自分がいた。
だからだろうか、すんなり受け入れられずに、「結婚」の二文字が皮膚の表面をゾワゾワと這う。
焦るな千春、大丈夫。流れに身を任せた恋愛をするって決めたじゃないか。
梨花はまるで少女漫画の主人公のように、瞳を輝かせていた。心なしかバックに花まで咲いているように見える。これが恋する乙女のパワーか。
「──で決まりね。……って聞いてる?」
京子さんに肘でつつかれて、現実世界に引き戻された。
「あ、ごめんなさい、聞いてなかった」
「だからーっ、作戦会議は次の木曜に決まりねって」
きっと二人は、私の話をツマミにただ飲みたいだけなんだと思う。きゃあきゃあ楽しそうにはしゃぐ二人を見て、そう思った。
蓮見が今更好きとか言ってこなければ、こんなことにならなかったのに。もっと言えば、蓮見が病院に来なければよかったのに。いや、その前に、合コンに来なければよかったのに。
全部、全部、蓮見のせいだ。こんな面倒なことになったのは、全部──
会ったら返事を期待されるのではないか。けれども、まだ自分の気持ちを固めてはいない。このままの状態で会うのは気が引けるし、お互いの為にもよくないのではないか。
そう思っているうちに、私はメッセージを打つ手を止め、『今日も会わない』という選択をするのだった。
そして月が変わり五月、健康診断の時期に入った。そう、繁忙期だ。
朝っぱらから患者さんが来るわ来るわ。
検尿の紙コップを渡したかと思うと、健診専用の問診票の書き方を教えに、フロア内をかけまわる。紙コップを受け取って京子さんに渡したかと思うと、肺のレントゲンの準備に走る。痰の検査の容器を渡して使い方を説明したかと思うと、新規の患者さんが来て慌ててカルテを作る。
とにかく目が回るほど忙しい。
ただ、いいこともあった。これだけ忙しいと、蓮見とのことや『マリコさん』や『メグルちゃん』のことを考えなくて済むのだ。
「おつかれ……二人とも」
昼休憩に入るや否や、京子さんが朝よりげっそりした顔で話しかけてきた。この時ばかりは、いつも若々しい彼女も年相応になる。
「お疲れ様です……今日もなかなかハードですね」
「梨花なんてトイレにも行けませんでしたぁ」
三人それぞれが首やら肩やらのストレッチを始めたので、いろんな所からコキコキと音が聞こえてくる。
なんで健診って、来る時は一気に押し寄せるように来るのだろうか。午前中の病院なんて、死ぬほど混むことくらいわかるだろうに、老人たちは一体午後何をしているんだろう。
大きなため息をついたら、隣に座ってお弁当を広げ始めた梨花が、ニヤニヤ笑ってこっちを見てきた。
「あららぁ? 千春さん、恋煩いですかぁ?」
「はぁ?」
いきなり変なことを言うもんだから、おにぎりの包装を取るのに失敗して、海苔がビリッと千切れる。
「あの後どうなってるんですかぁ? ハ・ス・ミ・ンと」
「なによ、ただの同級生なんじゃなかったの?」
梨花の言葉に京子さんも反応した。
「デートしてるんですよぉ、二人」
「デート!? なによそれ、ただの同級生じゃないじゃない!」
「だから言ったじゃないですかー」
そう言えば蓮見に誘われた時、梨花がそばにいたんだっけ。
「別に……何もないですよ」
「うそうそ、うそですーぅ! 憂いを帯びた恋する乙女の表情……千春さん、告白でもされたんじゃないですか?」
「……ゴフォ」
ぎっくー! 飲んでいたお茶が気管の変なところに入って思わずむせる。なんで私の周りの人って、こうも察しがいいのか。
「図星ね」
「図星ですぅ」
尚も咳き込む私の背中を、京子さんが優しくさすってくれた。
──や、優しい……
と思ったのも束の間、京子さんは私の顔を覗き込むと、マリアのような顔でこう言った。
「さぁ千春、言うのよ」
──やっぱりそうなりますよね
見ると、梨花も京子さんもわくわくした顔で私の言葉を待っている。お昼休憩は始まったばかり。お昼ご飯もまだ食べ終わらない。これは、逃げ場がない。
「──告白、されましたよ」
ぼそり、と小さく呟いた。聴き逃してくれればいいのに、と期待してみたが、駄目だった。梨花は口を抑え、京子さんは両頬を抑え、二人とも恍惚の表情を浮かべていた。
「祝杯よー!!」
京子さんが叫んだ。あまりに突然だったので、ビックリしてなんこつの唐揚げが箸から滑り落ちた。
「いつにする? こういうのは早い方がいいわね。今日? 今日にする?」
京子さんはポケットから手帳を取り出し、パラパラとページを捲り始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。祝杯って……」
「……なによ。まさか断ったんじゃ──」
チクチクと刺さるような視線を向けられて、私はいよいよ気まずくなってきた。
「………………い、いや、そもそもまだ返事をしていなくって……」
「はいいいい!?」
再び叫び声。しかし今声をあげたのは京子さんではなく梨花だった。
「なにしてるんですかー! 千春さん、男が欲しくて合コン行ってたんじゃないんですか? ハスミン、超いい男じゃないですか! 早く! イエスと! 言うのです!」
「………………」
勢いに圧倒され、何も言えなかった。梨花がそこまで言うんだから、ハスミン、もとい蓮見は傍から見ると相当いい男なのだろう。
「……と、言うことでぇ」
梨花は仕切り直しというように、甘えるような声を出すと、上目遣いで私をじっと見た。
「作戦会議しましょう! 千春さんとハスミンをくっつける」
「え、あの、作戦会議って……」
「いいわね、とりあえず『ハスミンへの上手い返事』を考えなきゃね」
「可愛いやつを!」
京子さんと梨花が勝手に盛り上がり出した。こうなってしまったら彼女たちを止める術はない。
「じゃあ今日集まりましょう! 駅前に新しくできた肉バルでどうかしら。こういう時は肉よね、肉」
スマホを取り出し何やら検索を始めた京子さん。そんなノリノリの京子さんとは裏腹に、梨花が申し訳なさそうに、小さく「あ」と呟く。
「どうしたの、梨花ちゃん」
「あのぅ……今日はダメなんですぅ」
「あ、用事?」
「はい……ヒロくんがぁ、いつもは土日にしか会えないのに、話があるって……」
ポッと頬を赤らめもじもじと腕を交差させる。
「私たち付き合って二年なんですよぉ……もうそろそろ……かもしれません」
「え、なにが?」
「んもぉ、千春さん、マジボケやめてくださいよぉ! 結婚ですよ、けっこん!」
──ああ、そういう……ああ、プロポーズってことね。
すっかり縁遠くなってしまったその言葉。ユニコーンや麒麟なんかと同等の、空想上の出来事のように感じている自分がいた。
だからだろうか、すんなり受け入れられずに、「結婚」の二文字が皮膚の表面をゾワゾワと這う。
焦るな千春、大丈夫。流れに身を任せた恋愛をするって決めたじゃないか。
梨花はまるで少女漫画の主人公のように、瞳を輝かせていた。心なしかバックに花まで咲いているように見える。これが恋する乙女のパワーか。
「──で決まりね。……って聞いてる?」
京子さんに肘でつつかれて、現実世界に引き戻された。
「あ、ごめんなさい、聞いてなかった」
「だからーっ、作戦会議は次の木曜に決まりねって」
きっと二人は、私の話をツマミにただ飲みたいだけなんだと思う。きゃあきゃあ楽しそうにはしゃぐ二人を見て、そう思った。
蓮見が今更好きとか言ってこなければ、こんなことにならなかったのに。もっと言えば、蓮見が病院に来なければよかったのに。いや、その前に、合コンに来なければよかったのに。
全部、全部、蓮見のせいだ。こんな面倒なことになったのは、全部──
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
10
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる