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バレた
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ぐつぐつと煮立つ音と、和風だしのいい匂いがしてきたところで、ベッドから這い出た。朝から何も食べていなかったので、まだかまだかと胃が期待している。
「できたよー、食べよ!」
たろちゃんは、湯気がたつ茶碗をテーブルの上に置いた。その数二つ。
「え……たろちゃんもおかゆ食べるの?」
「うん。俺だけ別のもの食べるのも千春さんに悪いし。それに久々におかゆ食べたかったんだよね」
私は舌が火傷しないよう、注意深く一口目を口に運んだ。
「……たろちゃんさ」
「んー?」
「モテる理由がわかる気がする」
「あはっ。ありがと」
それは本心だった。
たしかにたろちゃんは酷いことを言うし、女の子を簡単に捨てるしどうかと思う面もあるけど、ただカッコイイだけで女の子が寄ってきているわけじゃないことが、ここ最近わかってきた。
私に啖呵をきったあの女の子も、きっとたろちゃんの良いところを知っているから……だから別れたくなかったんだろうな。
「ねぇたろちゃん。昨日、たろちゃんの元カノに会ったよ」
成り行きで思い出した昨夜の彼女のことを、報告しようと思った。一体どんな顔をするんだろうと楽しみだったが、意外にもたろちゃんは興味なさげに「ふぅん」と呟く。
「え、なにその反応。興味なし?」
「んー……じゃあ聞くけど、元カノってどの子?」
──『じゃあ』って。
たろちゃんにとったら、元カノのことなんてどうでもいいんだろうか。
「あの子だよ。最近まで付き合ってた」
「あー……アヤね。ああ、もしかして、それで濡れたの?」
「え?」
「アヤは気性荒いからなー。納得して別れてくれたと思ったのに、詰めが甘かったか。ごめんね、千春さんとはそんなんじゃないって、ちゃんと説明しとくから」
ズキン。
なんだろう。胸のあたりがぎゅうと締め付けられる。私は今、何に傷ついたんだろう。
『アヤ』に対する愛情の欠けらも無い言動に、だろうか。うん、それもある。ストーカーまがいのことまでしちゃう『アヤ』。曲がってはいるけど、それだけたろちゃんのことを好きだったんだ。それをたろちゃんは、まるで丸めた紙くずをゴミ箱に投げ入れるみたいに簡単に捨てるんだ。
そして──
ズキンズキンと波紋のように広がっていく痛み。
私は今、たろちゃんと何の関係もないただの同居人だから、捨てられることのないぬるま湯の中で楽しく過ごせるのかもしれない。もし、もしも私がたろちゃんを好きになってしまったら──
その時は、私も簡単に捨てられるんだろうか。
「その子のせいで濡れたんじゃないよ」
「へ? そーなの? じゃあ何か言われた?」
「────っ」
『本命がいる』彼女のその言葉がチラつく。「マリコさんっていう本命がいるんだってね?」そう言えたらどんなに楽か。いや、言えたはずなんだ、ちょっと前までは。もしたろちゃんがここに来た初日にタイムスリップできるなら、私は間違いなくこのセリフを言うだろう。
だけど今は言えない。聞きたくないことまで聞かされるような気がするからかもしれない。
「……すっごく怒ってたよ」
彼女の般若顔を思い出し、ようやくそれだけ答えた。
「嫌なこと言われたんだ? ごめんね。でもさぁ──」
たろちゃんがふいに私の顔をのぞき込んだ。
「じゃあなんで濡れてたわけ?」
「そ、それは……」
あれ? なんでだっけ。つい昨日のことなのに、遠い昔の記憶の糸を手繰り寄せるようにゆっくりと思い出す。
「……あ、そうそう、浴室で転んだんだった」
「はぁ?」
たろちゃんは素っ頓狂な声を出したかと思うと、すぐに吹き出した。
「はっ……千春さん、案外ドジっ子?」
「どっ……き、昨日はたまたまそうなっただけで別にドジなわけじゃあ……あれ?」
「ん?」
「私、いつの間に着替えたんだろう……」
昨夜はたしか、ドットのスカートをびしょ濡れにしたんだった。その後自分で着替えたんだろうか。記憶はないが、今私が着ている服は、いつものパジャマだった。
「ああ、それね。俺が着替えさせたよ」
さらり、と。危うく聴き逃してしまいそうなくらい本当にさらりと、たろちゃんが呟いた。
「はぁっ!?」
「大丈夫だって、慣れてるから」
──慣れてるって何が?
「だってそのままにしてたら風邪ひくなーって思ったからさ。まぁどっちみち風邪ひいちゃったけどね。はは」
──それはそうだけど、でも!
「あは、千春さん、茹でダコみたい。可愛いなぁ」
──ムカつく
──ムカつく、ムカつく、ムカつく
彼氏でもない男の子に下着姿(恐らく)を見られただけでも恥ずかしいのに、たろちゃんがケロリとしているのにも腹が立つ。
──そりゃあ私はただの同居人ですけどねっ!
やけくそになりながら、最後の一口を口に放り入れた。このままふて寝でもしようかと思い立ち上がろうとしたら、たろちゃんがそれを制止した。
「あ、ねぇ千春さん、それで結局昨日はどうなったの?」
「え?」
「ほら、デートだったんでしょ? 蓮見……だっけ? その男は部屋に入らなかったの?」
沈黙。確実に今時間が止まっている。
そういえば昨日は蓮見とデートだった。そのためにたろちゃんに家を空けてもらったんだから、そりゃあ気になるのは当然のことだ。
デートなんて久しぶりのことで、しかも相手があの蓮見というだけでもインパクト大なのに。それなのに、私はすっかり忘れて呑気におかゆを食べていた。
「えーと……いや、入ってないよ。普通にご飯食べてここまで送ってくれた」
「ご飯食べただけ?」
たろちゃんの目が訝しげに細められる。
「食べただけっていうか……えーと……」
『今でも、宮下さんのこと、好きだから』
蓮見の低い声。私の腕を掴んだ手の温もり。彼の瞳の奥に宿る熱を思い出し、鼓動が速くなった。でもどうしよう。こんなことまでたろちゃんに言う義務ってあるのかな。
「──ふーん、やっぱり『何か』あったんだ」
「え!」
「千春さん、顔に出るからわかりやすい」
──そんな馬鹿な。
自分の弱点とともに、たろちゃんには今後秘密は持てなさそうだということもわかった。
「ほらほら、何があったのさ」
異様な食いつきを見せるたろちゃんに、私は全て、洗いざらい白状するしかなかった。
「……い、今でも好きだって──」
「ほらぁ! やっぱり!」
半ば食い気味にたろちゃんが大声をあげる。かつてクローゼットの中を探っていた時のように、キラキラした瞳をしていた。なんだろう、すっごく喜ばれている気がする。
「たろちゃんってもしかして、私の事割と心配してた?」
「そりゃあね。ここに住むことになって嬉しい反面悪いなぁって。俺のせいで千春さんに彼氏が出来なかったらどうしようって。今朝は焦りを感じさせる変な本も見つけちゃうしさぁ。あーでもよかったね! これで千春さんにも春が来たかー! あ、でも蓮見を毎日ここに連れ込むのはだめだよ? 俺だって一応お金払ってここに住んでるんだし? そーだなぁ、週に三日くらいなら空けてもいいよ」
たろちゃんは早口でまくしたてる。私は相槌さえも打たせては貰えなくて、ただただ目を瞬かせて、彼が話し終わるのを見守るしかなかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
「え?」
息継ぎをした頃合を見計らって口を挟む。
「あの……まだ返事はしてないんだけど……」
たろちゃんは、まさしく『目が点』といった表情で固まる。
「え、なんで?」
「だって……元彼だよ?」
「だからなに?」
信じられない、とでも言いたげに私の目を見つめ返してきた。
「……たろちゃんて元カノと付き合うってアリの人?」
「うん、別に。なんで?」
「な、なんでって……だって問題があって別れたんだよ? それをもう一度やり直すのって、かなり勇気が必要じゃない?」
「んー……その子がより一層魅力的になって戻ってきたんだったらアリじゃない?」
どうやら聞く人を間違えたようだ。そうだよな、たろちゃんって自由な人だ。体裁なんて気にしない。凝り固まった概念も持ってない。その時に自分がしたいようにする、そんな人だ。
「元彼だって理由だけで迷ってるんだったら、とりあえず付き合ってみればいいのに」
たろちゃんはそう言い残すと、空になった茶碗をキッチンまで運ぶのに、席を立った。
私はと言うと、たろちゃんが座っていた場所をぼんやりと見つめて、そんな簡単なことじゃないんだよなぁと、ため息を一つ零すのだった。
「できたよー、食べよ!」
たろちゃんは、湯気がたつ茶碗をテーブルの上に置いた。その数二つ。
「え……たろちゃんもおかゆ食べるの?」
「うん。俺だけ別のもの食べるのも千春さんに悪いし。それに久々におかゆ食べたかったんだよね」
私は舌が火傷しないよう、注意深く一口目を口に運んだ。
「……たろちゃんさ」
「んー?」
「モテる理由がわかる気がする」
「あはっ。ありがと」
それは本心だった。
たしかにたろちゃんは酷いことを言うし、女の子を簡単に捨てるしどうかと思う面もあるけど、ただカッコイイだけで女の子が寄ってきているわけじゃないことが、ここ最近わかってきた。
私に啖呵をきったあの女の子も、きっとたろちゃんの良いところを知っているから……だから別れたくなかったんだろうな。
「ねぇたろちゃん。昨日、たろちゃんの元カノに会ったよ」
成り行きで思い出した昨夜の彼女のことを、報告しようと思った。一体どんな顔をするんだろうと楽しみだったが、意外にもたろちゃんは興味なさげに「ふぅん」と呟く。
「え、なにその反応。興味なし?」
「んー……じゃあ聞くけど、元カノってどの子?」
──『じゃあ』って。
たろちゃんにとったら、元カノのことなんてどうでもいいんだろうか。
「あの子だよ。最近まで付き合ってた」
「あー……アヤね。ああ、もしかして、それで濡れたの?」
「え?」
「アヤは気性荒いからなー。納得して別れてくれたと思ったのに、詰めが甘かったか。ごめんね、千春さんとはそんなんじゃないって、ちゃんと説明しとくから」
ズキン。
なんだろう。胸のあたりがぎゅうと締め付けられる。私は今、何に傷ついたんだろう。
『アヤ』に対する愛情の欠けらも無い言動に、だろうか。うん、それもある。ストーカーまがいのことまでしちゃう『アヤ』。曲がってはいるけど、それだけたろちゃんのことを好きだったんだ。それをたろちゃんは、まるで丸めた紙くずをゴミ箱に投げ入れるみたいに簡単に捨てるんだ。
そして──
ズキンズキンと波紋のように広がっていく痛み。
私は今、たろちゃんと何の関係もないただの同居人だから、捨てられることのないぬるま湯の中で楽しく過ごせるのかもしれない。もし、もしも私がたろちゃんを好きになってしまったら──
その時は、私も簡単に捨てられるんだろうか。
「その子のせいで濡れたんじゃないよ」
「へ? そーなの? じゃあ何か言われた?」
「────っ」
『本命がいる』彼女のその言葉がチラつく。「マリコさんっていう本命がいるんだってね?」そう言えたらどんなに楽か。いや、言えたはずなんだ、ちょっと前までは。もしたろちゃんがここに来た初日にタイムスリップできるなら、私は間違いなくこのセリフを言うだろう。
だけど今は言えない。聞きたくないことまで聞かされるような気がするからかもしれない。
「……すっごく怒ってたよ」
彼女の般若顔を思い出し、ようやくそれだけ答えた。
「嫌なこと言われたんだ? ごめんね。でもさぁ──」
たろちゃんがふいに私の顔をのぞき込んだ。
「じゃあなんで濡れてたわけ?」
「そ、それは……」
あれ? なんでだっけ。つい昨日のことなのに、遠い昔の記憶の糸を手繰り寄せるようにゆっくりと思い出す。
「……あ、そうそう、浴室で転んだんだった」
「はぁ?」
たろちゃんは素っ頓狂な声を出したかと思うと、すぐに吹き出した。
「はっ……千春さん、案外ドジっ子?」
「どっ……き、昨日はたまたまそうなっただけで別にドジなわけじゃあ……あれ?」
「ん?」
「私、いつの間に着替えたんだろう……」
昨夜はたしか、ドットのスカートをびしょ濡れにしたんだった。その後自分で着替えたんだろうか。記憶はないが、今私が着ている服は、いつものパジャマだった。
「ああ、それね。俺が着替えさせたよ」
さらり、と。危うく聴き逃してしまいそうなくらい本当にさらりと、たろちゃんが呟いた。
「はぁっ!?」
「大丈夫だって、慣れてるから」
──慣れてるって何が?
「だってそのままにしてたら風邪ひくなーって思ったからさ。まぁどっちみち風邪ひいちゃったけどね。はは」
──それはそうだけど、でも!
「あは、千春さん、茹でダコみたい。可愛いなぁ」
──ムカつく
──ムカつく、ムカつく、ムカつく
彼氏でもない男の子に下着姿(恐らく)を見られただけでも恥ずかしいのに、たろちゃんがケロリとしているのにも腹が立つ。
──そりゃあ私はただの同居人ですけどねっ!
やけくそになりながら、最後の一口を口に放り入れた。このままふて寝でもしようかと思い立ち上がろうとしたら、たろちゃんがそれを制止した。
「あ、ねぇ千春さん、それで結局昨日はどうなったの?」
「え?」
「ほら、デートだったんでしょ? 蓮見……だっけ? その男は部屋に入らなかったの?」
沈黙。確実に今時間が止まっている。
そういえば昨日は蓮見とデートだった。そのためにたろちゃんに家を空けてもらったんだから、そりゃあ気になるのは当然のことだ。
デートなんて久しぶりのことで、しかも相手があの蓮見というだけでもインパクト大なのに。それなのに、私はすっかり忘れて呑気におかゆを食べていた。
「えーと……いや、入ってないよ。普通にご飯食べてここまで送ってくれた」
「ご飯食べただけ?」
たろちゃんの目が訝しげに細められる。
「食べただけっていうか……えーと……」
『今でも、宮下さんのこと、好きだから』
蓮見の低い声。私の腕を掴んだ手の温もり。彼の瞳の奥に宿る熱を思い出し、鼓動が速くなった。でもどうしよう。こんなことまでたろちゃんに言う義務ってあるのかな。
「──ふーん、やっぱり『何か』あったんだ」
「え!」
「千春さん、顔に出るからわかりやすい」
──そんな馬鹿な。
自分の弱点とともに、たろちゃんには今後秘密は持てなさそうだということもわかった。
「ほらほら、何があったのさ」
異様な食いつきを見せるたろちゃんに、私は全て、洗いざらい白状するしかなかった。
「……い、今でも好きだって──」
「ほらぁ! やっぱり!」
半ば食い気味にたろちゃんが大声をあげる。かつてクローゼットの中を探っていた時のように、キラキラした瞳をしていた。なんだろう、すっごく喜ばれている気がする。
「たろちゃんってもしかして、私の事割と心配してた?」
「そりゃあね。ここに住むことになって嬉しい反面悪いなぁって。俺のせいで千春さんに彼氏が出来なかったらどうしようって。今朝は焦りを感じさせる変な本も見つけちゃうしさぁ。あーでもよかったね! これで千春さんにも春が来たかー! あ、でも蓮見を毎日ここに連れ込むのはだめだよ? 俺だって一応お金払ってここに住んでるんだし? そーだなぁ、週に三日くらいなら空けてもいいよ」
たろちゃんは早口でまくしたてる。私は相槌さえも打たせては貰えなくて、ただただ目を瞬かせて、彼が話し終わるのを見守るしかなかった。
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
「え?」
息継ぎをした頃合を見計らって口を挟む。
「あの……まだ返事はしてないんだけど……」
たろちゃんは、まさしく『目が点』といった表情で固まる。
「え、なんで?」
「だって……元彼だよ?」
「だからなに?」
信じられない、とでも言いたげに私の目を見つめ返してきた。
「……たろちゃんて元カノと付き合うってアリの人?」
「うん、別に。なんで?」
「な、なんでって……だって問題があって別れたんだよ? それをもう一度やり直すのって、かなり勇気が必要じゃない?」
「んー……その子がより一層魅力的になって戻ってきたんだったらアリじゃない?」
どうやら聞く人を間違えたようだ。そうだよな、たろちゃんって自由な人だ。体裁なんて気にしない。凝り固まった概念も持ってない。その時に自分がしたいようにする、そんな人だ。
「元彼だって理由だけで迷ってるんだったら、とりあえず付き合ってみればいいのに」
たろちゃんはそう言い残すと、空になった茶碗をキッチンまで運ぶのに、席を立った。
私はと言うと、たろちゃんが座っていた場所をぼんやりと見つめて、そんな簡単なことじゃないんだよなぁと、ため息を一つ零すのだった。
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