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第8話
しおりを挟む開催当日。
始まる数時間前から並んでいた、たくさんの行列が、開場の合図とともに、今かと待っていたかのように一気に流れ込んできた。来場者はそれぞれお目当てのブースの前に向かっていった。人気の品物は、事前に案内していた数量限定品の商品、そして試食販売のブースには、あっという間に行列が出来た。その様子を見ながら、僕はそわそわ落ち着かなかった。山形のブースの前は人もまばらだった。
隣のブースに視線が行く。どこかで見たことがある…その人の横顔は、はつらつとしていて、見ているこちらもなんだか元気になった。長い髪を後ろで一本にポニーテールにし、揃いのりんごマークが入ったTシャツを着、その上には赤いエプロンをしていた。屋台にはりんごジュースや青森の特産品が並んでいた。りんごシュースはタンクに入れられ、搾りたてのものをカップに配布していた。会場には人がごったがえし、たくさんの来客で忙しく動き回る中で、僕にはその人の動きだけが、なぜだかスローモーションに見えた。ボーっと目を離せずにいると、ハルキが隣からパンフレットで頭をはたいてきた。
「おい、何してんだよ」
僕は我に返った。
開場から一時間ほど経過し、賑わいも高まってきたころ、僕は近くのブースで不審な動きをしている男を見かけた。一見、スタッフの格好をして関係者のようにも思えるが、なんだか怪しい。気になって時々、見ていたが、山形のブースもだんだん忙しくなって、気が付いたら、その男を見失っていた。
ハルキの特製おでんに行列が出来、案内と配膳に動きまわっていた時、隣の青森のブースから「キャー」という叫び声が聞こえてきた。
「なんだ…?今の!?なんかあったのか…!?」
「な、なんだ…?」
ハルキとお互い顔を見合わせた。良く見ると、青森のブースに先ほどの不審な男が忍び込んで、売上金と高級品の日本酒を盗もうとしていた。青森のブースは、スタッフやらりんごジュースに並んでいるお客さんで、大騒ぎになっていた。お客さんが危ない。僕は並んでいる親子や老夫婦を安全な場所に誘導し、主催側のスタッフを探した。
不審な男はまだブースの中にいる。男は仮設置のレジに手を突っ込むと、札束を持ったまま逃げようとした。辺りに小銭や商品が散乱している。りんご娘の数人は、あまりの恐怖で隅っこに固まったまま動けなくなっていた。
ハルキが叫んだ。
「こら!まて!追いかけろ!!」
「おい、ちょっと待て!!!」
男を捕まえようとした瞬間、僕の頭の横をかすめて何かが飛んで来た。勢いよく投げられたそれは、見事に男の急所に命中した。男は股間を押えたまま、苦しそうに呻きながらその場にうずくまった。倒れた男の側には、一個の赤いりんごが転がっていた。一瞬の出来事に一同騒然となった。後ろを見ると、りんご娘の一人が腕を組みながら仁王立ちしていた。
しばらくすると、警察が来てその男を連れていった。開場はまだ騒然としていたが、少し落ち着いてきたのが分かると、来場客はまた徐々に戻ってきて、買い物などをし始めた。
青森のブースは商品や割れたガラスなどが散乱していてめちゃめちゃになっていた。片付けていたりんご娘の一人に、声をかけた。
「だいじょうぶですか…?こんなになっちゃって…ケガ無いですか?」
「あ、大丈夫です。そちらも、おケガ、無かったですか…?」
「ええ、大丈夫です。手伝いますよ」
「すいません」
良く見ると、さっきの女性だった。僕は片付けを手伝った。
二十時になり閉場となった。来場客の退店とともに、会場は照明が少し暗くなり、僕たちは撤収と片付けに追われていた。
「いやー、けっこう人気だったな!おまえのおでん。完売なんて予想外だよ。もっとたくさん作っとけばよかったな!」
「ほんと、こんな暑いのに、母さんのおでんがあんな売れるなんて以外だな…母さんも喜ぶぞ。次回も出そう」
「そうだな、そうしよう」
僕らがそう話していた時、山形のブースに、一人の女性が近づいてきて言った。
「あの…先ほどは…ありがとうございました」
細身の体にワンピースを着ていて、髪の毛が長く、小さなショルダーバックを下げている。一体誰だろう…。僕が考えて込んでいると、ハルキが先に気が付いて言った。
「あ、さっきの…いや、こっちはぜんぜん大丈夫です……ぷっ…っていうか、命中って…ぶっ…くっくっく」
ハルキが笑っている様子を見て、女性の顔がぱぁっと赤くなった。すると、女性は慌ててかばんから何かを取り出した。
「あの…これ、少しですけど、お礼です」
女性は小さな包みを僕たちに手渡した。
「…いいんですか?頂いて…すいません、ありがとうございます。残念だったけど、またがんばりましょう」
「はい、ありがとうございます」
女性は深々とお辞儀をして、帰って行った。
帰りがけ、軽トラの中で包みを開けてみると、中には白米が入っていた。袋には良く見ると、「つがる農協グループ」と書かれていた。
帰り道はハルキも同乗することになった。
「いやーそれにしても、化粧品があんなに売れるとはなー」
「ああ、米ぬか入り乳液、完売だったな」
「もっと持っていけばよかったな、八百五十円、そんなに安くもないよな?三本も買って行ったおばあさん、いたよな?」
「あーあれは驚いたな、あ、そういえば、入浴剤と石けんのセット販売は正解だったな。ハルキのアイディア、当たったな」
「へへへ、みんな、喜ぶぞ」
虫の声が夜空にいっせいに響いていた。月はぽっかりと明るい。帰り道は渋滞も無く、思ったよりも早く着いた。ハルキを「ほのぼの」に下ろすと、僕は家へと急いだ。
窓を開けると、山の涼しい空気が一気に車内に入り込んできて、目が冴えた。牧場に到着し、早速、様子を見に行くと、牛舎の中はさんさんたる状況だった。掃除用具が散乱していて、糞尿もきちんと処理されていない。エサと搾乳だけで手一杯だったのか。母さんが奥で作業していたので声をかけた。
「ただいま!」
「おかえり、どうだった?」
「すごい、良かったよ。おでんが大盛況だった。売上金、少しもらってきたよ。はい、お土産」
僕は東京駅で買った、土産物を手渡した。
「あと、米ももらった」
牛舎を見渡し、僕は言った。
「なんだよ、これ!ぐちゃぐちゃじゃないか…」
母さんは折りたたみ椅子に座ると、タオルで汗を拭きながら応えた。
「エサ、やるので精いっぱいだったよ、今日は」
「さー、これからまたがんばって世話しないとなー」
「そうだ、さっそくだけど、飼料、今日の分でもう切れちゃうんだ!町行って買ってきてくれるかい?」
僕はまた軽トラに乗り込むと、牛たちの飼料を買いに再度町へと車を走らせた。
数日後、物産展の報告をしに、養鶏場を訪れた。ヒロさんとノリは、他のスタッフとともに、品質チェック室で作業をしていた。たくさんの産みたての白い卵が並んでいる。奥の箱の中では、たくさんのひよこが、ひしめくように鳴いている。
「ノリ、なんとか終わったぞ、物産展。いろいろあって大変だったけどな…山形の商品、けっこう喜ばれたよ。もっとどんどんアピールしないともったいないな」
「そうかぁ、タカちゃんお疲れさまーオレも東京行きたかったぁーいいなぁー」
新庄からあまり出たことがなく、地元でずっと過ごしているノリは、僕の報告を受けて、たいそう悔しがっていた。
「お疲れさま。遠くて大変だっただろう。どんなものが売れてたんだ?もっとアピールして都会の人にもって買ってもらわないとな」
「そうですね、他の県からの参加も多くて、競争が激しかったんで」
ヒロさんは卵をチェックする手を動かしたまま、僕の言葉を聞いていた。
「ウチらも、作るだけじゃなくて、もっと良いもの出せるように、努力していかないとな。消費者の好みも、多様化してきてる。ほんと勉強が必要だよ」
ノリは鼻歌を歌いながら、光に当てた卵を素早い手付きでチェックしている。
「おい、お前、聞いてんのか?」
ノリはヒロさんの強い言葉に気が付いて言った。
「分かってるよ…もちろん。でも一番大事なのは、愛情だろ、愛情ーーなーーぴよこ、ちゃんたちーーー」
隣の箱の中でぴよぴよと鳴いている、小さな黄色いひよこに、ノリはにっこりと話しかけた。
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