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宵の明星
四夜
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◇◇◇
深い薫り。なんだろう優しくて甘くてでも異国情緒漂う薫り。
それをすぅっと吸い込むと微睡みの中、耳元でくすりっと笑われたのが分かった。
「こうして寝ているマコを見ているのも悪くないな」
まだ眠くて返事できない。さらさらと頭を撫でられ、頬に触れる大きい手はただただ労わりだけがあって眠りの中で涙が溢れそうになった。
この腕の中なら大丈夫。すりっと手に甘えれば僅かに息を飲む音がして、衣擦れの音と共に耳元で低いささやき声がする。
「その眠りを俺が守ろう」
だからそんな微睡みの中で、もう一人の神子がアルを訪ねて来ているだなんて気付かなかった。
◇
亜麻色の髪に宝石を散りばめ着飾った神子は衛士が守る第三皇子の宮殿入口にいた。
「第三皇子様はいらっしゃいますか」
「アルスラーン殿下に何用ですか」
彼女の持つ可愛らしさという武器でもって話しかけるのにこの第三皇子の宮殿の衛士は素っ気ない。
「だってまだあまりお話しできなかったんです」
「皇子はお忙しいですからね」
にべもない、その態度にやがて神子は不機嫌になった。
「神子である私が来ているのに何で取り次がないの」
「宮の主である皇子がそれを許されてません。」
取り付く島もない。だからつい彼女は後ろに控えている側仕マムルークの剣を指さしてこう言った。
「貴方の首を切ることなんて簡単なのよ」
明らかな脅迫に場が凍り付く。次の瞬間、
「何事だ」
アルスラーンが衛士の後ろから現れた。もはや皇子としての正体を明らかにしたため彼が纏う金地の衣は刺繍一つにいたるまで細やかで目ざとく見つけた神子は歓声をあげる。
「アルスラーン皇子っ会いたかった!」
だが神子はすぐに情事後の気だるげな彼の色気に当てられて頬を染め顔をそむける。対するアルスラーンと言えば対応は冷ややかだった。
「神子。俺の宮殿に働く一人ひとりは俺の身内も同然。その者の首を切るとはどういう了見か。」
先程のやり取りを一番聞かせたくない人に聞かせていたと知った神子は顔を青ざめ言い訳を重ねる。
「あれは、言葉の綾で」
だがその一言はアルスラーンの癇に障ったようだった。
「貴方は言葉の綾で人の命を脅(おど)すのか」
それはおいそれと口に出してはならないもので、軽々に口に出したことで更にアルスラーンは神子への不信感を募らせる。
「・・・ごめんなさい」
「口だけの謝罪など結構。不愉快だ。今日はもう下がって頂きたい。」
そう言って踵を返す、アルスラーンの腕をだが神子は掴み、「何を」と言う彼に神子は泣くように叫んだ。
「待ってっ本当に反省してる。本当よ、だって叱ってくれるの貴方だけなんだもの、話をしたかったのっ」
ふわりと甘い香りを嗅いだ気がして衛士が顔をあげる。神子の悲痛な声にだがアルスラーンは冷たく目を細めただけだった。
「それは貴方が周りの声を聴くだけの器が無かっただけのことだろう、不躾に俺に触れないで貰いたい」
そして彼は後ろに控えていたマムルークに声をかける。
「第三皇子アルスラーン・ベレカ・パシャとして命じる。速やかに神子を連れ、この宮殿を去るがいい。」
王族が名をもって命じたことに何人たりとも異議など唱えられる筈など無かった。マムルークは「御意」とだけ応えて神子に退室を促す。
「待ってまだっ」
「殿下と仲良くなりたいのであれば、ここはお引き下さい」
「…」
目の前の茶番劇にアルスラーンは表情一つ変えず無言を貫いた。
やがて神子が名残惜しそうにしながら柱を曲がり二人が見えなくなると彼は息を吐き出す。するとそんな彼に衛士は気軽に声をかけた。
「おモテになりますね」
うんざりとした様子のアルスラーンは気を取り直したように衛士の肩をかるく叩く。
「迷惑をかけたな」
「これぐらい何てことはありませんよ。少しは貴方への恩を返せましたかね」
とおどけていった衛士にアルスラーンは「むしろ俺が返しきれない」と笑った。
◇
囀る鳥の声と、瞼の裏からでも感じる光に意識を呼び起こされて目を開けると窓から射し込む陽の光が紗幕を通ってキラキラ降り注いでいた。そして枕元には上半身を起こしたアルスラーンが本を読んでいる。
しどけない格好で黒衣の上に金地の衣を身にまとった彼。
さらさらと彼の朱金色の髪が揺れて、ぱらりとページを繰(く)る音が聞こえる。
私がじっと見つめていることにも気づかずアルスラーンの蜂蜜色の瞳は字を追っている。
この静かな時間がなんだか堪らなくて、幸せで。アルスラーンを見詰める私にやがて彼は気づいた。
途端、ぶわわっと分かりやすく狼狽えてしまう。
「マコ、じっと見てないで声をかけてくれ」
と本で顔を隠すようにしてしまったけれど、本で隠れていない耳は赤いから彼が照れているのはバレバレだ。
「アルは何の本を読んでたの」
「・・・神子についてだよ」
気を取り直した彼がクッションの上に本を置いているのを視線で追いながら何とはなしに言葉を紡ぐ。
「私、なんの力もないね」
けれどアルは私を見詰め、私の言葉を否定も肯定もせずに静かに言った。
「マコ、神子の力は人には必要ないんだ。人には人の力があればいい。」
そしてアルはゆっくりと覆いかぶさるように額に口付けをくれた。そして「そろそろ起きようか?一日以上経ってしまった」と言うから、なんだか誤魔化された気がするけれどいいやって一日以上!?
「信じられないっ」
「んっ?」
首をかしげる彼を睨んでみせる。
「止めてって言ったのに止めてくれなかったじゃないっ」
けれど彼はアルスラーンは嫣然と笑みを一つ零したかと思うと、手を伸ばして私の顎をすくい唇をチュッと奪う。
「やっんぅ」
そのまま舌を絡めてクチュッチュッと水音をたてて淫らなキスを仕掛けた後、彼は唇の端にチュッと幼いキスをした。そのアンバランスさにかえって体がぞくぞくと震えて欲情する。
「俺は止めないと言ったじゃないか。今夜も抱いて俺に溺れるマコを見たい。」
いつのまにか彼の腕の中で囲われて、間近に彼の整った顔がある。でも私は誤魔化されるわけにはいかない。浴場で侍女さんに見られていたことを私は忘れてはいない。
「アル、私は一般人だから居たたまれない。今も一杯いっぱいだからっ抱き合うんならもっと普通に他の人がいるなんて嫌なの」
「一般人とはなんだ」
あっそこから・・・異文化を強く感じる。一般人を説明するって難しいな。
「・・・普通の人ってこと」
「マコは神子だろう」
戸惑いの目線を向ける私にアルスは手をさし出す。
「神子とは心の在り様を示す。力など関係なく。マコの在り方が人の望みに適う者ならマコは”神子”だ。」
さらさらと頭を撫でられた。けど私は誤魔化されない。
「だから人前で私に触らないでねっ」
「ほぉ」
でも言い過ぎたと気付いた時には遅かった。彼は素肌のままベッドに沈んでいる無防備な私の太ももに手を這わして、まだ朝方まで繋がっていたそこを指先で触ってくる。
「ぁっ」
クチュッと毛布の下であっても聞き逃せないほど私のそこは潤っていた。
「これでも?俺に触れられたくない?」
「ずっるい、ぁっ」
クチュッとアルの長い指が入ってくる。そのままクチュクチュと愛撫されて息が乱れた私をアルが蜂蜜色の瞳を細めて艶やかに笑う。
「なにがズルいことがある。その欲望も俺があげるから」
彼が自身の着ていた衣の帯を緩めてしまえば、鍛え上げられた体があらわになって、どうしようもなく目がそらせない。このまま嗚呼。アルの熱い欲望が私のそこにあてられて、仰け反って逃げようとしても無理だった。すぐにアルが覆いかぶさってきて、
「俺を見て」
金色の瞳が私を映して閉じ込める。それはまるで琥珀の中の虫の様に。
「今から俺がマコを抱く」
グチュッと貫かれて、快楽で頭が真っ白になって仰け反ってしまう。
「ぁああぁっ」
私の首筋をアルがピチャリと舐め、甘噛みして囁いた。
「ただオレを飲み干して」
すぐに膝を抱えられて激しくグチュグチュと突き上げられて、アルのペニスが私の中を掻きまわす。囲われながら逃げられないままアルに繋がれる
「やぁっもう疲れたっぁぁっんぅっ」
奥の奥までアルスラーンに変えられてゆく、いや私は一晩で肌の匂いすら変わってしまった。
彼の精を受けて塗り替えられて、蜜を零して、彼を食(は)んで自分が蕩けてしまう。
背に縋って爪を立ててもアルは許してくれなかった。
「俺がっほしい?」
言葉のリズムで大きく奥を突き上げる彼の力強さに勝てるはず等なかった。
「ほしぃっアルッ!」
そしてまた奥のおくに彼の精をねだれば、彼は私の膝が肩につきそうなぐらい折り曲げて、ぐりぐりとペニスで奥をいじめる
「あああんっはっ」
「くっはぁっマコッ」
ドクドクッと熱が注がれて、境が分からないぐらい熱く蕩けて、自分が彼のためのもののようにすら想えた。呼吸すら溶け合って二人の息だけが紗幕で覆われたベッドの中で響いていた。
◇
ベッドの中で素足が触れて、大きな腕に包まれる。私が裸のままアルスラーンに抱きしめられていると昨夜の浴場の薄暗がりや起きぬけでは気付かなかったものに気づいた。
「アルこんなところに傷がある」
彼の胸。丁度心臓のところに星のような太陽のような痣があった。指でふれると少し盛り上がっていて色はそこだけ色が少し抜けたように白い。
「ケガしたの?」
と尋ねれば彼が頭上でくすりっと笑ったのが分かった。
「これはケガじゃないから大丈夫だ」
「そうなの?」
「そんなことより、もう夕方だがマコは眠るといい。昨夜から全然寝てないじゃないか。」
とたん私は昨夜から繰り返し抱かれて、蕩かされたアルスラーンとのセックスが思い出されて一杯いっぱいになる。
「誰のせいで」
「・・・俺のせいでいいさ」
囁く声と共に、チュッとまた額にキスをくれる。
「後で起こしてあげるから、おやすみ」
「・・・うん」
こういうところが敵わないと思って、彼の胸に甘える様に頭を預けると彼が私が冷えないように布団を肩まで上げてくれて、その腕で包んでくれた。目を閉じた私の鼻腔をまたふわりっとムスクの香りがくすぐった。
◇
陽が落ち始め、壁から吊り下がる幻想的なランプに灯りがともったころ第三皇子の宮殿を訪ねる一つの影があった。その影は昼間、神子が衛士に止められた扉を目礼だけで通され、躊躇することもなく宮殿の奥まで進み、やがて宮の主の執務室の前で膝をおる。
「アルスラーン殿下」
「ザイードか入れ」
呼び声だけで主の部屋に招かれた彼の名をザイード・ケデュといい。アルスラーンの乳兄弟にあたる。
その彼が部屋に入ると部屋の主であるアルスラーンは円筒形の帽子フェズを被り、朱色に金の刺繍が見事な衣をまとって絨毯の上でくつろいでいた。クッションに体重を預け、隠し切れない気だるげな様子が見て取れてザイードは「ほどほどになさいませんと、大切な方を抱き潰してしまいますよ」と苦言する。
それにアルスラーンは嫣然と笑い。「心得ている。これでも自重しているのだ」と答えた。
ザイードは肩を竦めて、アルスラーンの側まで近寄ると人目を憚るように口を開いた。
「国の中枢は急速に麻痺しております。」
「であろうな。兄上たちがあの有様では…だが仕方がないで済む話でもない。」
アルスラーンも自分の目で神子を見ているのだ。まず間違いなく今の王宮の混乱は亜麻色の髪の神子によるものだろう。
「神子。否もはや魔女と呼ぶに相応しい災厄でございます。」
続けてザイードが言葉を発した。
「殿下がいち早く情報をつかみ対策しなければ軍も瓦解していたかもしれません。そう思えばそら恐ろしくてなりませぬ。」
だがその言葉にアルスラーンは眉を寄せた。
「だが防いだのは水際だ。あまりに遅すぎた・・・あの聡明で公明正大であられた兄上たちが傀儡とかすとは神威とはかくも恐ろしい。」
そしてアルスラーンは立ち上がり、茜がまじり始めた空を窓際で見詰める。
アルスラーンの僅かに項垂れるその背には苦渋が見て取れた。ザイードから見ても兄弟とても仲がいい王族だった。たとえ違う母から生まれてもハーレムの女性は同等に愛される。その気質は皇子たちが引き継ぎ互いが互いを助け敬う。そんな3人で在らせられたというのに嘆かれる。それもこれも、あの亜麻色の髪の神子が来てから全てが狂いだした。
「あの神子の能力は何でございましょう」
ザイードが憎々しげに言えばアルスラーンは考えながら口を開く。
「おそらく魅了の類であろうが…俺に効かないのだ、力も完璧なものではないのだろう」
それにザイードは自身の主も狙われている事実に血の気が引いた。
「恐ろしいことをおっしゃる。殿下まであの神子の手に堕ちれば国が滅びます。」
ザイードの言葉にアルスラーンは「お前は大袈裟だ」と苦笑したようだった。けれどザイードにとっては大袈裟でも何でも無い事実だ。今、国の屋台骨を持たせているのは間違いなくアルスラーンであり、また彼が速やかに各部へ送り込んだ精鋭たちである。
「あの黒き神子はまだ力を顕さないのですか」
「マコか。ああ」
親しみを込めて名を呼んだ主にザイードは知っていたとしても瞠目し、思わず黙る。するとアルスラーンはははっと軽快に笑った。
「何か言いたそうだな」
さらりっと砂の匂いがまじった風がアルスラーンのフェズについている房をサラサラと流して、斜陽が皇子の髪を朱金色に染め上げる。
「私から言わせれば、貴方様の心を勝ち取っただけで充分それ
は神威でございます。かつて3人もの美姫をハーレムで匿(かくま)いながら貴方はその誰も愛さなかった。」
ザイードの言葉にアルスラーンもかつての自分を思い出すように再び視線を外に向けた。
「ああそうだな。愛しているといわれ身を投げ出されたが、ついぞ俺には愛が分からなかった。彼女たちには悪いことをしたと思っている。愛するとはこんなにも、」
だが続く言葉はやってきた侍女によって遮られる。
「殿下。神子様がお目覚めでございます。」
そしてアルスラーンはそれに手をあげて応えた。
◇
紗幕がおりきったアルスラーンのベッドの中で私が目を開けると彼はいなかった。彼の姿を探して体を起こし、金糸で刺繍の施された毛布を胸元まで手繰り寄せる。
枕元に置かれた金細工の繊細な香炉から香が立ち上り、宙へ揺蕩っている頼りなさを何とはなしに見ていると、まるで自分のようだと不安で堪らなくなって迷子の様に私はアルスラーンを呼んだ。
「アルいるの?」
返事はない。そう思ったのに、
「マコ、おはよう」
すぐに声がかかってベッドを囲う紗幕を片手で開けてアルが佇んでいた。フェズを被って腰には銀のシャムシール。朱と金の衣装を纏った彼は本当に砂漠の貴公子だ。かくいう私の格好も彼と対をなすように朱と金の女性物のアラビアン衣装のようだった。
「よく眠れたか、体は辛くないか?」
そして彼はベッドの側に座ると側にあったクッションをさり気なく、私の背へ回してくれる。大切だと想ってくれている行動に気恥ずかしくなる。
「大丈夫」
彼の大きな手が私の頭をなでるたび私の不安はとけていく、そしてアルはその腕の中に私を引き寄せると、おもむろに懐からシャラッと何か首飾りを出した。
「マコ。これをあげよう」
それは革紐に色とりどりの宝石や金細工を通したものでペンダントトップには初めての夜の時に彼がくれた黒い羽根がついている。
「これ?この前の鳥の」
そういった私の首に彼はそっと飾りをかけてくれる。
「夜待鳥という名だ。この鳥の羽根は王族にとって現在・過去・未来の愛を誓うものなんだ」
「えっ」
驚いてアルスラーンを見上げた私に彼は蜂蜜色の瞳を蕩けさせて笑っていた。
「砂漠の男は言葉は違(たが)えない・・・俺の全てはマコのものだ。」
なんでだろう、首にかけられた飾りにふれる指先がふるえる。
アルスラーンはそんな私の手を包むようにしてくれて「愛している」と囁く。
ただ与えるだけの彼に自然と涙があふれた。ぽろぽろと涙が止まらない私にアルは強く強く抱き寄せて、
「受け取ってくれるだろうか」
と腕の力強さとは別に私の気持ちを伺ってくる。強引なのに強引じゃない彼に思わず笑ってしまって、彼を見上げれば彼はその琥珀の瞳の中に私を捕らえていた。
そう彼という宝石に囚われたのは私の方。
そして私はチュッと自分からアルスラーンの唇に口づけをおくった。
◇◇◇
「砂漠の夜は冷えるからちゃんと着た方がいい」
とアルに言われて、厚手の毛織物を羽織って夜の宮殿の庭を案内された。アラベスク模様の宮殿を幻想的に色とりどりのランプが照らし出して、どこからともなく香が流れてくる。
彼に手を引かれながら踏みしめる地面は砂漠の国らしく乾いているなと思った。
その時だった。
アルの副官のザイードさんが「失礼いたします」とやってきて王太子殿下の来訪を告げたのは。
「アルスラーン殿下ッ申し訳ございませぬ。ファト王太子殿下がお渡りです」
「兄上なら仕方あるまい。」
「お止めすることができず、申し訳ございませんっ」
「よい。他の者の対応を任せてしまっていたからな、ご苦労だった。」
そんな二人の会話で私はアルがここに訪ねる人たちを止めていたのだと知った。それはきっと私のためだ。アルの横顔を見上げれば少し緊張をしているのが分かる。やがてコツリッと石畳を踏む音が響いて王太子殿下が数人の警護を引き連れて回廊から現れた。
もう見るだけで恐怖で体が竦む私をアルが背にかばって見えないように見ないようにしてくれる。
「ご機嫌麗しゅう、兄上」
「それが、そうでもないのだ弟よ。部下だけでなくカオルコまでお前がことごとく門前払いしたのでな」
「それは申し訳ない。我が宮殿に上げるには騒々しかったもので。」
火花が散った気がした。やがて沈黙の後に口を開いたのは王太子の方だった。
「・・・皆は、下がっていろ。」
「しかし」
「兄弟で話すだけだお前たちは出口で待っていろ」
「畏まりました」
そして三人だけになった庭で王太子の視線がアルの背に隠れた私に向けれられる、
「はっ、弟(アルスラーン)の後ろに隠れるだけの女か。」
冷たい水を浴びせられたように、悪意で固まる私の手をアルはぎゅっと握ってくれた。
「兄上、マコへの侮辱は俺への侮辱。兄上といえど彼女の尊厳を傷つけるというのなら俺と決闘する覚悟を持っていただきたい。」
ハッとして顔をあげると、アルは凛と前を向いていたから・・・私も顔を上げる。この人が側にいるなら大丈夫と一歩前にでると、王太子は目を見開いて私を見て、何事か呻く。
「貴様おのれ」
その意識はどうやら私の胸飾りに向いているようで、やがて王太子は私の胸飾りを指さして叫ぶ。
「夜待鳥は王鳥だ、何故その羽根をお前ごときが持っているっ!」
なんでこんなに怒られているのか分からず戸惑う私の手をきゅっと力強い手が支えてくれる。
「ファト兄上、おわかりでしょう。俺がマコに捧げました。」
途端、王太子はキッと視線をアルに向け、言いつのった。
「お前は何をしているっ?真の神子に仕えずに、みすぼらしい鼠の世話ばかりしてっ!ましてっ!生涯にたった一人しか渡せぬ王鳥の羽根を渡すなどっ!!」
生涯にたった一人。その衝撃で思わず目を見開いた私に声がふってくる。
「・・・兄上、貴方の口はいつから腐り落ちたのか」
「なんだと」
「異世界から来た女性を守りもせず、ただいたぶり何が王族だというのかっ!兄上たちの目を曇らせているのは何なのです。あの神子が来てから兄上たちも城の皆もおかしくなった」
「言葉を慎めっいかにお前でもカオルコへの無礼は許さんぞ!」
「では王太子の前に人として悖(もと)る態度をなさる兄上たちを俺は許さないっ!!!」
そして亀裂は決定的なものになってしまった。
◇◇◇
「ごめんなさい。私のせいでお兄さんと喧嘩してしまって」
食事が終わって、アルの膝の上でチャイを飲んで声をかける。するとアルは一瞬驚いたようだったけれど、すぐ優しく目を細めてくれた。
「マコ。信じられないかもしれないが兄上たちはとても優しく、公明正大な方々だったんだ。」
「信じられない」
だってあまりに恐ろしかったのだ。震える私にアルが頭をなでてくれて、
「俺も違う意味で今の兄上たちが信じられない。ファト兄上は左手に王の証がある。センド兄上は右手のひらに。」
「王の証?」
「ベレカ帝国創建の伝説だ。神は優れたものに神威の具現たる王の御証をお与えになる。」
”神は右手には剣を、左手には盾を持ちたもう。王の御証、其は即ち神威の具現なり”
「じゃあアルは?」
あの二人にあるなら、アルにもあると思って言った言葉に彼はてらいなく笑った。
「ないんだ」
「ない?」
「だから俺は兄上たちを支えることができれば、それで良かったんだがな。」
でも私には何より、誰よりもアルスラーンが王に相応しいと思った。
けれどそんな私の物思いも彼は嫣然と零す笑み一つで流して、
「そろそろ寝よう。疲れただろう?これから疲れさせるしな」
チュッと唇にキスをくれた。「やっ」と逃げると手を掴まれて、腰を掴まれて彼の舌が侵入してくる。
クチュッチュッと絡められた唾液でとろとろに口の中を愛撫されてゆけば、数日で彼に躾けられた私の体の奥はもう彼が欲しくて疼いた。
「ぁぁっ」
「良い顔だ、マコ。さぁもっと俺を甘受して?」
とろりっと蜂蜜の瞳から欲という名の蜜が滴るさまを見た気がした。
しゅるりっと帯をほどかれれば、わたしの体はすぐにアルスラーンの手によってひらかれていった。
深い薫り。なんだろう優しくて甘くてでも異国情緒漂う薫り。
それをすぅっと吸い込むと微睡みの中、耳元でくすりっと笑われたのが分かった。
「こうして寝ているマコを見ているのも悪くないな」
まだ眠くて返事できない。さらさらと頭を撫でられ、頬に触れる大きい手はただただ労わりだけがあって眠りの中で涙が溢れそうになった。
この腕の中なら大丈夫。すりっと手に甘えれば僅かに息を飲む音がして、衣擦れの音と共に耳元で低いささやき声がする。
「その眠りを俺が守ろう」
だからそんな微睡みの中で、もう一人の神子がアルを訪ねて来ているだなんて気付かなかった。
◇
亜麻色の髪に宝石を散りばめ着飾った神子は衛士が守る第三皇子の宮殿入口にいた。
「第三皇子様はいらっしゃいますか」
「アルスラーン殿下に何用ですか」
彼女の持つ可愛らしさという武器でもって話しかけるのにこの第三皇子の宮殿の衛士は素っ気ない。
「だってまだあまりお話しできなかったんです」
「皇子はお忙しいですからね」
にべもない、その態度にやがて神子は不機嫌になった。
「神子である私が来ているのに何で取り次がないの」
「宮の主である皇子がそれを許されてません。」
取り付く島もない。だからつい彼女は後ろに控えている側仕マムルークの剣を指さしてこう言った。
「貴方の首を切ることなんて簡単なのよ」
明らかな脅迫に場が凍り付く。次の瞬間、
「何事だ」
アルスラーンが衛士の後ろから現れた。もはや皇子としての正体を明らかにしたため彼が纏う金地の衣は刺繍一つにいたるまで細やかで目ざとく見つけた神子は歓声をあげる。
「アルスラーン皇子っ会いたかった!」
だが神子はすぐに情事後の気だるげな彼の色気に当てられて頬を染め顔をそむける。対するアルスラーンと言えば対応は冷ややかだった。
「神子。俺の宮殿に働く一人ひとりは俺の身内も同然。その者の首を切るとはどういう了見か。」
先程のやり取りを一番聞かせたくない人に聞かせていたと知った神子は顔を青ざめ言い訳を重ねる。
「あれは、言葉の綾で」
だがその一言はアルスラーンの癇に障ったようだった。
「貴方は言葉の綾で人の命を脅(おど)すのか」
それはおいそれと口に出してはならないもので、軽々に口に出したことで更にアルスラーンは神子への不信感を募らせる。
「・・・ごめんなさい」
「口だけの謝罪など結構。不愉快だ。今日はもう下がって頂きたい。」
そう言って踵を返す、アルスラーンの腕をだが神子は掴み、「何を」と言う彼に神子は泣くように叫んだ。
「待ってっ本当に反省してる。本当よ、だって叱ってくれるの貴方だけなんだもの、話をしたかったのっ」
ふわりと甘い香りを嗅いだ気がして衛士が顔をあげる。神子の悲痛な声にだがアルスラーンは冷たく目を細めただけだった。
「それは貴方が周りの声を聴くだけの器が無かっただけのことだろう、不躾に俺に触れないで貰いたい」
そして彼は後ろに控えていたマムルークに声をかける。
「第三皇子アルスラーン・ベレカ・パシャとして命じる。速やかに神子を連れ、この宮殿を去るがいい。」
王族が名をもって命じたことに何人たりとも異議など唱えられる筈など無かった。マムルークは「御意」とだけ応えて神子に退室を促す。
「待ってまだっ」
「殿下と仲良くなりたいのであれば、ここはお引き下さい」
「…」
目の前の茶番劇にアルスラーンは表情一つ変えず無言を貫いた。
やがて神子が名残惜しそうにしながら柱を曲がり二人が見えなくなると彼は息を吐き出す。するとそんな彼に衛士は気軽に声をかけた。
「おモテになりますね」
うんざりとした様子のアルスラーンは気を取り直したように衛士の肩をかるく叩く。
「迷惑をかけたな」
「これぐらい何てことはありませんよ。少しは貴方への恩を返せましたかね」
とおどけていった衛士にアルスラーンは「むしろ俺が返しきれない」と笑った。
◇
囀る鳥の声と、瞼の裏からでも感じる光に意識を呼び起こされて目を開けると窓から射し込む陽の光が紗幕を通ってキラキラ降り注いでいた。そして枕元には上半身を起こしたアルスラーンが本を読んでいる。
しどけない格好で黒衣の上に金地の衣を身にまとった彼。
さらさらと彼の朱金色の髪が揺れて、ぱらりとページを繰(く)る音が聞こえる。
私がじっと見つめていることにも気づかずアルスラーンの蜂蜜色の瞳は字を追っている。
この静かな時間がなんだか堪らなくて、幸せで。アルスラーンを見詰める私にやがて彼は気づいた。
途端、ぶわわっと分かりやすく狼狽えてしまう。
「マコ、じっと見てないで声をかけてくれ」
と本で顔を隠すようにしてしまったけれど、本で隠れていない耳は赤いから彼が照れているのはバレバレだ。
「アルは何の本を読んでたの」
「・・・神子についてだよ」
気を取り直した彼がクッションの上に本を置いているのを視線で追いながら何とはなしに言葉を紡ぐ。
「私、なんの力もないね」
けれどアルは私を見詰め、私の言葉を否定も肯定もせずに静かに言った。
「マコ、神子の力は人には必要ないんだ。人には人の力があればいい。」
そしてアルはゆっくりと覆いかぶさるように額に口付けをくれた。そして「そろそろ起きようか?一日以上経ってしまった」と言うから、なんだか誤魔化された気がするけれどいいやって一日以上!?
「信じられないっ」
「んっ?」
首をかしげる彼を睨んでみせる。
「止めてって言ったのに止めてくれなかったじゃないっ」
けれど彼はアルスラーンは嫣然と笑みを一つ零したかと思うと、手を伸ばして私の顎をすくい唇をチュッと奪う。
「やっんぅ」
そのまま舌を絡めてクチュッチュッと水音をたてて淫らなキスを仕掛けた後、彼は唇の端にチュッと幼いキスをした。そのアンバランスさにかえって体がぞくぞくと震えて欲情する。
「俺は止めないと言ったじゃないか。今夜も抱いて俺に溺れるマコを見たい。」
いつのまにか彼の腕の中で囲われて、間近に彼の整った顔がある。でも私は誤魔化されるわけにはいかない。浴場で侍女さんに見られていたことを私は忘れてはいない。
「アル、私は一般人だから居たたまれない。今も一杯いっぱいだからっ抱き合うんならもっと普通に他の人がいるなんて嫌なの」
「一般人とはなんだ」
あっそこから・・・異文化を強く感じる。一般人を説明するって難しいな。
「・・・普通の人ってこと」
「マコは神子だろう」
戸惑いの目線を向ける私にアルスは手をさし出す。
「神子とは心の在り様を示す。力など関係なく。マコの在り方が人の望みに適う者ならマコは”神子”だ。」
さらさらと頭を撫でられた。けど私は誤魔化されない。
「だから人前で私に触らないでねっ」
「ほぉ」
でも言い過ぎたと気付いた時には遅かった。彼は素肌のままベッドに沈んでいる無防備な私の太ももに手を這わして、まだ朝方まで繋がっていたそこを指先で触ってくる。
「ぁっ」
クチュッと毛布の下であっても聞き逃せないほど私のそこは潤っていた。
「これでも?俺に触れられたくない?」
「ずっるい、ぁっ」
クチュッとアルの長い指が入ってくる。そのままクチュクチュと愛撫されて息が乱れた私をアルが蜂蜜色の瞳を細めて艶やかに笑う。
「なにがズルいことがある。その欲望も俺があげるから」
彼が自身の着ていた衣の帯を緩めてしまえば、鍛え上げられた体があらわになって、どうしようもなく目がそらせない。このまま嗚呼。アルの熱い欲望が私のそこにあてられて、仰け反って逃げようとしても無理だった。すぐにアルが覆いかぶさってきて、
「俺を見て」
金色の瞳が私を映して閉じ込める。それはまるで琥珀の中の虫の様に。
「今から俺がマコを抱く」
グチュッと貫かれて、快楽で頭が真っ白になって仰け反ってしまう。
「ぁああぁっ」
私の首筋をアルがピチャリと舐め、甘噛みして囁いた。
「ただオレを飲み干して」
すぐに膝を抱えられて激しくグチュグチュと突き上げられて、アルのペニスが私の中を掻きまわす。囲われながら逃げられないままアルに繋がれる
「やぁっもう疲れたっぁぁっんぅっ」
奥の奥までアルスラーンに変えられてゆく、いや私は一晩で肌の匂いすら変わってしまった。
彼の精を受けて塗り替えられて、蜜を零して、彼を食(は)んで自分が蕩けてしまう。
背に縋って爪を立ててもアルは許してくれなかった。
「俺がっほしい?」
言葉のリズムで大きく奥を突き上げる彼の力強さに勝てるはず等なかった。
「ほしぃっアルッ!」
そしてまた奥のおくに彼の精をねだれば、彼は私の膝が肩につきそうなぐらい折り曲げて、ぐりぐりとペニスで奥をいじめる
「あああんっはっ」
「くっはぁっマコッ」
ドクドクッと熱が注がれて、境が分からないぐらい熱く蕩けて、自分が彼のためのもののようにすら想えた。呼吸すら溶け合って二人の息だけが紗幕で覆われたベッドの中で響いていた。
◇
ベッドの中で素足が触れて、大きな腕に包まれる。私が裸のままアルスラーンに抱きしめられていると昨夜の浴場の薄暗がりや起きぬけでは気付かなかったものに気づいた。
「アルこんなところに傷がある」
彼の胸。丁度心臓のところに星のような太陽のような痣があった。指でふれると少し盛り上がっていて色はそこだけ色が少し抜けたように白い。
「ケガしたの?」
と尋ねれば彼が頭上でくすりっと笑ったのが分かった。
「これはケガじゃないから大丈夫だ」
「そうなの?」
「そんなことより、もう夕方だがマコは眠るといい。昨夜から全然寝てないじゃないか。」
とたん私は昨夜から繰り返し抱かれて、蕩かされたアルスラーンとのセックスが思い出されて一杯いっぱいになる。
「誰のせいで」
「・・・俺のせいでいいさ」
囁く声と共に、チュッとまた額にキスをくれる。
「後で起こしてあげるから、おやすみ」
「・・・うん」
こういうところが敵わないと思って、彼の胸に甘える様に頭を預けると彼が私が冷えないように布団を肩まで上げてくれて、その腕で包んでくれた。目を閉じた私の鼻腔をまたふわりっとムスクの香りがくすぐった。
◇
陽が落ち始め、壁から吊り下がる幻想的なランプに灯りがともったころ第三皇子の宮殿を訪ねる一つの影があった。その影は昼間、神子が衛士に止められた扉を目礼だけで通され、躊躇することもなく宮殿の奥まで進み、やがて宮の主の執務室の前で膝をおる。
「アルスラーン殿下」
「ザイードか入れ」
呼び声だけで主の部屋に招かれた彼の名をザイード・ケデュといい。アルスラーンの乳兄弟にあたる。
その彼が部屋に入ると部屋の主であるアルスラーンは円筒形の帽子フェズを被り、朱色に金の刺繍が見事な衣をまとって絨毯の上でくつろいでいた。クッションに体重を預け、隠し切れない気だるげな様子が見て取れてザイードは「ほどほどになさいませんと、大切な方を抱き潰してしまいますよ」と苦言する。
それにアルスラーンは嫣然と笑い。「心得ている。これでも自重しているのだ」と答えた。
ザイードは肩を竦めて、アルスラーンの側まで近寄ると人目を憚るように口を開いた。
「国の中枢は急速に麻痺しております。」
「であろうな。兄上たちがあの有様では…だが仕方がないで済む話でもない。」
アルスラーンも自分の目で神子を見ているのだ。まず間違いなく今の王宮の混乱は亜麻色の髪の神子によるものだろう。
「神子。否もはや魔女と呼ぶに相応しい災厄でございます。」
続けてザイードが言葉を発した。
「殿下がいち早く情報をつかみ対策しなければ軍も瓦解していたかもしれません。そう思えばそら恐ろしくてなりませぬ。」
だがその言葉にアルスラーンは眉を寄せた。
「だが防いだのは水際だ。あまりに遅すぎた・・・あの聡明で公明正大であられた兄上たちが傀儡とかすとは神威とはかくも恐ろしい。」
そしてアルスラーンは立ち上がり、茜がまじり始めた空を窓際で見詰める。
アルスラーンの僅かに項垂れるその背には苦渋が見て取れた。ザイードから見ても兄弟とても仲がいい王族だった。たとえ違う母から生まれてもハーレムの女性は同等に愛される。その気質は皇子たちが引き継ぎ互いが互いを助け敬う。そんな3人で在らせられたというのに嘆かれる。それもこれも、あの亜麻色の髪の神子が来てから全てが狂いだした。
「あの神子の能力は何でございましょう」
ザイードが憎々しげに言えばアルスラーンは考えながら口を開く。
「おそらく魅了の類であろうが…俺に効かないのだ、力も完璧なものではないのだろう」
それにザイードは自身の主も狙われている事実に血の気が引いた。
「恐ろしいことをおっしゃる。殿下まであの神子の手に堕ちれば国が滅びます。」
ザイードの言葉にアルスラーンは「お前は大袈裟だ」と苦笑したようだった。けれどザイードにとっては大袈裟でも何でも無い事実だ。今、国の屋台骨を持たせているのは間違いなくアルスラーンであり、また彼が速やかに各部へ送り込んだ精鋭たちである。
「あの黒き神子はまだ力を顕さないのですか」
「マコか。ああ」
親しみを込めて名を呼んだ主にザイードは知っていたとしても瞠目し、思わず黙る。するとアルスラーンはははっと軽快に笑った。
「何か言いたそうだな」
さらりっと砂の匂いがまじった風がアルスラーンのフェズについている房をサラサラと流して、斜陽が皇子の髪を朱金色に染め上げる。
「私から言わせれば、貴方様の心を勝ち取っただけで充分それ
は神威でございます。かつて3人もの美姫をハーレムで匿(かくま)いながら貴方はその誰も愛さなかった。」
ザイードの言葉にアルスラーンもかつての自分を思い出すように再び視線を外に向けた。
「ああそうだな。愛しているといわれ身を投げ出されたが、ついぞ俺には愛が分からなかった。彼女たちには悪いことをしたと思っている。愛するとはこんなにも、」
だが続く言葉はやってきた侍女によって遮られる。
「殿下。神子様がお目覚めでございます。」
そしてアルスラーンはそれに手をあげて応えた。
◇
紗幕がおりきったアルスラーンのベッドの中で私が目を開けると彼はいなかった。彼の姿を探して体を起こし、金糸で刺繍の施された毛布を胸元まで手繰り寄せる。
枕元に置かれた金細工の繊細な香炉から香が立ち上り、宙へ揺蕩っている頼りなさを何とはなしに見ていると、まるで自分のようだと不安で堪らなくなって迷子の様に私はアルスラーンを呼んだ。
「アルいるの?」
返事はない。そう思ったのに、
「マコ、おはよう」
すぐに声がかかってベッドを囲う紗幕を片手で開けてアルが佇んでいた。フェズを被って腰には銀のシャムシール。朱と金の衣装を纏った彼は本当に砂漠の貴公子だ。かくいう私の格好も彼と対をなすように朱と金の女性物のアラビアン衣装のようだった。
「よく眠れたか、体は辛くないか?」
そして彼はベッドの側に座ると側にあったクッションをさり気なく、私の背へ回してくれる。大切だと想ってくれている行動に気恥ずかしくなる。
「大丈夫」
彼の大きな手が私の頭をなでるたび私の不安はとけていく、そしてアルはその腕の中に私を引き寄せると、おもむろに懐からシャラッと何か首飾りを出した。
「マコ。これをあげよう」
それは革紐に色とりどりの宝石や金細工を通したものでペンダントトップには初めての夜の時に彼がくれた黒い羽根がついている。
「これ?この前の鳥の」
そういった私の首に彼はそっと飾りをかけてくれる。
「夜待鳥という名だ。この鳥の羽根は王族にとって現在・過去・未来の愛を誓うものなんだ」
「えっ」
驚いてアルスラーンを見上げた私に彼は蜂蜜色の瞳を蕩けさせて笑っていた。
「砂漠の男は言葉は違(たが)えない・・・俺の全てはマコのものだ。」
なんでだろう、首にかけられた飾りにふれる指先がふるえる。
アルスラーンはそんな私の手を包むようにしてくれて「愛している」と囁く。
ただ与えるだけの彼に自然と涙があふれた。ぽろぽろと涙が止まらない私にアルは強く強く抱き寄せて、
「受け取ってくれるだろうか」
と腕の力強さとは別に私の気持ちを伺ってくる。強引なのに強引じゃない彼に思わず笑ってしまって、彼を見上げれば彼はその琥珀の瞳の中に私を捕らえていた。
そう彼という宝石に囚われたのは私の方。
そして私はチュッと自分からアルスラーンの唇に口づけをおくった。
◇◇◇
「砂漠の夜は冷えるからちゃんと着た方がいい」
とアルに言われて、厚手の毛織物を羽織って夜の宮殿の庭を案内された。アラベスク模様の宮殿を幻想的に色とりどりのランプが照らし出して、どこからともなく香が流れてくる。
彼に手を引かれながら踏みしめる地面は砂漠の国らしく乾いているなと思った。
その時だった。
アルの副官のザイードさんが「失礼いたします」とやってきて王太子殿下の来訪を告げたのは。
「アルスラーン殿下ッ申し訳ございませぬ。ファト王太子殿下がお渡りです」
「兄上なら仕方あるまい。」
「お止めすることができず、申し訳ございませんっ」
「よい。他の者の対応を任せてしまっていたからな、ご苦労だった。」
そんな二人の会話で私はアルがここに訪ねる人たちを止めていたのだと知った。それはきっと私のためだ。アルの横顔を見上げれば少し緊張をしているのが分かる。やがてコツリッと石畳を踏む音が響いて王太子殿下が数人の警護を引き連れて回廊から現れた。
もう見るだけで恐怖で体が竦む私をアルが背にかばって見えないように見ないようにしてくれる。
「ご機嫌麗しゅう、兄上」
「それが、そうでもないのだ弟よ。部下だけでなくカオルコまでお前がことごとく門前払いしたのでな」
「それは申し訳ない。我が宮殿に上げるには騒々しかったもので。」
火花が散った気がした。やがて沈黙の後に口を開いたのは王太子の方だった。
「・・・皆は、下がっていろ。」
「しかし」
「兄弟で話すだけだお前たちは出口で待っていろ」
「畏まりました」
そして三人だけになった庭で王太子の視線がアルの背に隠れた私に向けれられる、
「はっ、弟(アルスラーン)の後ろに隠れるだけの女か。」
冷たい水を浴びせられたように、悪意で固まる私の手をアルはぎゅっと握ってくれた。
「兄上、マコへの侮辱は俺への侮辱。兄上といえど彼女の尊厳を傷つけるというのなら俺と決闘する覚悟を持っていただきたい。」
ハッとして顔をあげると、アルは凛と前を向いていたから・・・私も顔を上げる。この人が側にいるなら大丈夫と一歩前にでると、王太子は目を見開いて私を見て、何事か呻く。
「貴様おのれ」
その意識はどうやら私の胸飾りに向いているようで、やがて王太子は私の胸飾りを指さして叫ぶ。
「夜待鳥は王鳥だ、何故その羽根をお前ごときが持っているっ!」
なんでこんなに怒られているのか分からず戸惑う私の手をきゅっと力強い手が支えてくれる。
「ファト兄上、おわかりでしょう。俺がマコに捧げました。」
途端、王太子はキッと視線をアルに向け、言いつのった。
「お前は何をしているっ?真の神子に仕えずに、みすぼらしい鼠の世話ばかりしてっ!ましてっ!生涯にたった一人しか渡せぬ王鳥の羽根を渡すなどっ!!」
生涯にたった一人。その衝撃で思わず目を見開いた私に声がふってくる。
「・・・兄上、貴方の口はいつから腐り落ちたのか」
「なんだと」
「異世界から来た女性を守りもせず、ただいたぶり何が王族だというのかっ!兄上たちの目を曇らせているのは何なのです。あの神子が来てから兄上たちも城の皆もおかしくなった」
「言葉を慎めっいかにお前でもカオルコへの無礼は許さんぞ!」
「では王太子の前に人として悖(もと)る態度をなさる兄上たちを俺は許さないっ!!!」
そして亀裂は決定的なものになってしまった。
◇◇◇
「ごめんなさい。私のせいでお兄さんと喧嘩してしまって」
食事が終わって、アルの膝の上でチャイを飲んで声をかける。するとアルは一瞬驚いたようだったけれど、すぐ優しく目を細めてくれた。
「マコ。信じられないかもしれないが兄上たちはとても優しく、公明正大な方々だったんだ。」
「信じられない」
だってあまりに恐ろしかったのだ。震える私にアルが頭をなでてくれて、
「俺も違う意味で今の兄上たちが信じられない。ファト兄上は左手に王の証がある。センド兄上は右手のひらに。」
「王の証?」
「ベレカ帝国創建の伝説だ。神は優れたものに神威の具現たる王の御証をお与えになる。」
”神は右手には剣を、左手には盾を持ちたもう。王の御証、其は即ち神威の具現なり”
「じゃあアルは?」
あの二人にあるなら、アルにもあると思って言った言葉に彼はてらいなく笑った。
「ないんだ」
「ない?」
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チュッと唇にキスをくれた。「やっ」と逃げると手を掴まれて、腰を掴まれて彼の舌が侵入してくる。
クチュッチュッと絡められた唾液でとろとろに口の中を愛撫されてゆけば、数日で彼に躾けられた私の体の奥はもう彼が欲しくて疼いた。
「ぁぁっ」
「良い顔だ、マコ。さぁもっと俺を甘受して?」
とろりっと蜂蜜の瞳から欲という名の蜜が滴るさまを見た気がした。
しゅるりっと帯をほどかれれば、わたしの体はすぐにアルスラーンの手によってひらかれていった。
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