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愛する人

49. 失くせない 〜リーゼロッテ〜

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 オリバー様からの手紙は、封を開ける前に封筒の色に注目しなければいけない。
 緑色は挨拶状やお礼状のような軽い内容、黄色は私的な手紙、そして青色は内政に関わる極秘文書。オリバー様の近親者や臣下なら誰もが知っている簡単な目印。

 ユリウスが差し出したのは、青色の封筒だった。その意味はユリウスももちろんよく知っている。

 一番最後に開けた木箱は飛行船に乗せて帰って来たもの。笑顔で見送って下さったあの時にはもう、この手紙は差し込まれていたことになる。

(どうして直接教えて下さらなかったの……ヴィンフリート様がいたから?)

 私はすぐに受け取り、封を切った。




 クレマチスでも有数の鉱山を挟んで隣国に位置するホクシアとは、常に小さないざこざが絶えない。先代の王……私とフローラの父の代より以前から長年続いているらしい。
 そして近年、ホクシアは軍備を着々と増強して来ている。まだクレマチスほどの規模では無いものの、いつかクレマチスを凌ぐ強さになるかもしれない。それを防ぐなら今しかないと、オリバー様は大胆な作戦に打って出た。

 ホクシアがクレマチスの北の大国とすれば、南から東にかけてはイキシアと言うまた別の大国がある。オリバー様はイキシアと秘密裏に同盟を結び、南と東の国境線に配置した騎士団をすべて退き上げ、そのままホクシアとの国境線に向かわせた。

 ……オリバー様の手紙によれば、それがちょうどヴィンフリート様と私の婚約式の直後のこと。

 予想外だったのは、そこへ西の隣国ネリネが参戦して来たことだった。ネリネは大国でもなければ軍事国家でもない、牧歌的で平和な雰囲気に満ちた小国。何より、ネリネとクレマチスの国境は向こう岸が見えないほどの大河で隔てられている。
 そんな土地柄、西の国境線に配置される騎士団は過去の戦いで負傷した者、持病や年齢などを理由に第一線を退いた者などで構成されている。皆オリバー様の温情で身分だけは騎士となっているものの、有事の際にまともに戦える人員構成ではない。
 
 そこへ突如として、ネリネの国旗を掲げた艦隊が川を渡り押し寄せて来た。寝耳に水とはまさにこのことで、南と東のイキシア国境線から北のホクシア国境線に向かうはずだった騎士団の一部が急遽、西のネリネ国境線のために割かれることとなった。

 こうしてオリバー様の目論見は失敗し、北を一気に攻めるはずだったところが、北と西の二箇所で戦争が勃発しどちらも膠着状態に陥っていると言う。



 アンナとユリウスをリビングに呼び集め、他の人は入れないように内側から鍵をかけた。オリバー様からの手紙を順に回し読みしていく。

「何故急にネリネが、わざわざあの河を渡ってまで出て来たんでしょうか? もしや」
「ええ、ホクシアと裏で繋がっていると考えるのが妥当ね」
「となると、戦況はあちらの方が有利と考えるべきか……いやそうとも言えないか。軍事力だけで言えばまだクレマチスの方が上のはずです」
「問題はイキシアの出方ね。同盟を結んだとは言え、チャンスがあればイキシアもクレマチスの領土が欲しいはず。今クレマチスの兵力はすべてホクシアとネリネに向いていて、イキシア側は丸裸も同然……」

 それほどまでに、クレマチスは他のどの国よりも豊かな土壌と溢れるほどの資源を持っている。

「今の状態でイキシアから背後を狙われたら、さすがのオリバー様も為す術なしじゃないですか」
「そんなこと……あり得ますね。同盟なんて所詮ただの約束事、反故にしたところで相手国を征服してしまえば問題ないわけですから」
「クレマチスの周りは汚い手を使う国ばっかりですね、本当嫌だ、反吐が出るわ」

 アンナが地団駄を踏み、ユリウスも唇を噛みしめ拳を壁にぶつけた。
 貴族や臣下から庶民層まで広く愛国心の強いクレマチス。それは私も同じ。自分の身がどこにあろうとも、大切な故郷を絶対に失くしたくない。そのために何が出来るか。

「クレマチスを救うにはどうしたら良いと思う?」

 最も有効なのは、クレマチスの誰かがオリバー様の使者としてイキシアに直接赴き説得すること。
 あくまでも対等な関係を築くため、決して下手に出てはいけない。かと言って上に出過ぎてイキシアの機嫌を損ねてもいけない。絶妙な匙加減の交渉が出来る人……適任なのはやっぱりオリバー様ご自身だけれど、この状況で国王のオリバー様が国を離れることは出来ない。
 となると次に適しているのは誰なのか。オリバー様に近しい臣下か、王族の者か。
 臣下であれば、よっぽどオリバー様が信頼を寄せ地位も持ち合わせた者でないとイキシア側も納得しないだろう。けれどクレマチスには残念ながら、リングエラのディルクのような役職の者もいなければそれ相応の能力がある者もいない。良くも悪くもオリバー様の手腕一つでここまでやって来たのだ。
 では王族ならどうなのか。産後間もないフローラにそんな荷の重い役目を任せられるはずがない。
 となると残るのは、私。

「まさかリゼ様……イキシアへ行くおつもりですか?」
「無茶ですよ。まともな護衛も付けられないこんな状況じゃ……もし万が一うまくいかなかったら姫様がどうなるか! 危険過ぎます!」
「でも他に方法がある?」

 押し黙る二人。
 オリバー様もきっと同じことを考えたんだろう。イキシアに派遣するとしたら、私しかいないと。だからこの手紙を荷物の中に忍ばせた。
 けれど手紙にはそこまでは書かれていない。ただクレマチスの現状が淡々と記されているのみ。

(オリバー様は私に危険が及ぶことも念頭に置いた上で、私の意思に託して下さったんだわ)

 このまま私が動かなかったとしても、手紙には何の要請も書かれていないのだからオリバー様の命に背いたことにはならない。
 オリバー様は暗に救いを求めながらも、私がそれを無視した時の逃げ道も用意して下さっている。

(本当に、優しい方ね)

 ずっと変わらない。
 尊敬する国王であり、義理の兄。

「大丈夫、今すぐイキシアに直行する気はないわ。ただクレマチスに戻って一度オリバー様ときちんとお話をしようとは思うの」

 手紙だけでは詳細にはわからないこともあるし、もし本当に私がイキシアに赴くのなら、オリバー様との事前打ち合わせも必要になる。

「実は私、こっちに帰って来る時に慌てていて、忘れ物をしてしまって……それを取りに戻りたいの」
「忘れ物ですか?」

 これは本当。
 急に帰ることになって慌てて荷作りしたから、ドレッサーに置いたまま忘れて来てしまったものがある。
 リングエラからクレマチスに向かう日、ヴィンフリート様にいただいて髪を結んだ、青いスカーフ。
 ヴィンフリート様が咄嗟に出して下さった何の変哲もない普通のスカーフだけれど、私にとっては大切な宝物。失くさないように最後にしまおうと思ってそのままうっかり置き忘れてしまった。
 急ぎフローラに手紙を書いて送ってもらおうとしていたところで、自分で直接取りに戻れるならその方が良い。

「その忘れ物を取りに戻る、ってことで、それ以上は誰にも漏らしちゃ駄目よ」

 そう、あくまでも忘れ物を取りに戻るだけ。それ以上のことはヴィンフリート様にも誰にも知らせる気はない。もし帰るのが遅くなったら、クレマチスで熱でも出して寝込んだことにしてもらおう。
 これはクレマチスの問題であり、私の問題。リングエラは未だヴィンフリート様が正式に即位していない、不安定な状態。ヴィンフリート様が早々と旅行を切り上げた理由も結局わからないままだし、そんな状態のリングエラを巻き込むわけにはいかない。

 私は二人の臣下の顔を交互に見た。どちらの瞳にも強い光が宿っていて、私の真意が伝わったのだとわかる。

「急ぎ手配します」
「ええ、お願い」



 運良くハンスの都合が合い、さっそく明日にも出発できることになった。
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