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疑問
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日付が変わる一時間前。
まもなく、聖夜と呼ばれる一日が終わる。
辺りは恐ろしいほどの静寂に満ちていた。
まるで世界から切り離されたかのよう──。
今日は大変だった。十時に家を出て、まず図書館へ。次に駅前の古本屋と本屋に行って、昼食とも夕食とも言えない肉まんを食べた。その後は歩いて行ける範囲にある早川が何度も足を運んだことのある本屋を回り、最後に電車で一駅先まで行き、そこの駅前にある本屋にも入った。最後の本屋を出たのは二十一時を過ぎてからだった。
──しかし収穫は無い。
残念なことに、何一つとして変化は起こらなかった。
そんな現状に、俺はどこかほっとしている。
本屋という本屋を回り尽くした俺たちは、どちらからともなく彼女の家に歩を進めた。
理由は簡単だ。本関連以外で、彼女に思い入れがあるであろう場所を考えた時、自宅しか思いつかなかった。どうやらそれは俺だけではなく、本人もだったらしい。
そして俺たちは今、早川の家の前にいる。
彼女が住む──いや、正確に言うと、住んでいたマンション。
その脇にある植え込みを、俺たちは黙って眺めていた。
昨日も来た場所。
早川が飛び降り、落ちて、亡くなった場所。
そして彼女が幽霊という存在になり、俺の前に現れた、原点とも言える場所。
ここに来て──
ここを見て──
彼女は何を思うのだろう。
何を想うのだろう。
もう帰ろうと言うべきなのかもしれない。
何度もそう口から出ようとした。
だけど、何やら思案顔の彼女に声を掛けることは、俺には出来なかった。
ただただ黙って、一緒に何の変哲も無い植え込みを眺め続ける。
不意に早川が口を開いた。
「今日はありがとう。楽しかった」
本心からの言葉だろうか。
こちらに目も向けず紡がれた言葉の真意など、残念なことに俺には読めない。だけど、本心だと思った。本心であってほしいと思う。
そんなことを思ってしまっていることに自分で驚く。
すると唐突に、奇妙な焦燥感に心が圧迫された。
このままじゃ駄目だと言われているようで、胸がざわつく。
衝動に駆られるまま、ずっと気になっていながらも避けていた疑問を言葉にした。
「本当に、自殺したのか?」
恐る恐る、けれどハッキリと。
「何で死のうと思ったんだ」
そう尋ねた。
早川は一瞬目を細め、次の瞬間にはぱちりと見開き、数え切れぬ星々が瞬く空を見上げる。
「佐倉は、キリストって知ってるよね?」
その名前に一瞬だが反応してしまう。
(やっぱりキリストが何か関係してるのか……?)
黙って頷くと、彼女は横目でそれを確認し、植え込みに視線を戻した。
それから数分間、彼女は何も言わなかった。
堪え切れず、代わりに俺が言葉を続ける。
「キリストがどうしたんだよ」
なぜ、何で死のうとしたのかという問いに、キリストの名前が出てくるのか。
考えると怖くなり、彼女が答える前にもう一つ尋ねた。
「早川はキリスト教徒なのか?」
「急に饒舌だね」
早川はこちらを見ることすらせず、小さな笑みを返す。
沈黙。
静寂。
人の声どころか虫の鳴き声すら聞こえない、静かな時間が流れる。
(やっぱり、死んだことについてなんて聞くべきじゃなかったのかな……)
後悔し始めた頃、ようやく早川が重い口を開いた。
「キリスト教徒じゃないよ」
遅れてやってきた答え。
視線を向けると、彼女はまだ夜空を眺めていた。
「少なくとも私は、キリストを侵攻をしているわけじゃないから」
「そうか……」
少しばかり安心した。
(でも、だったらどうしてキリストの名前が出たんだ?)
「私がどうして飛び降りたのか、知りたいの?」
「う、うん」
躊躇いがちに、だけど迷わず頷く。
すると、早川は柔らかな笑みを浮かべた。
「相変わらず好奇心が強いなぁ」
意外な言葉に驚く。
(まさか人一倍──少なくとも俺の知る限り、誰よりも好奇心に満ちている早川にそんなことを言われるなんて)
思わず俺も笑ってしまいそうになった。
「さすがに早川ほどじゃないよ」
そう返すと、彼女は嬉しそうに笑う。
「私たち、似てるのかもね」
かと思えば、すぐに笑みの色が変わった。
微笑んではいるが、さっきとは何かが違うように思える。
「ううん、私と佐倉は似てるんじゃなくて──」
早川は何やらブツブツと呟いていた。
どうしたのかと少し心配していると、
「ごめん、話が脱線しちゃったね。私が自殺した理由、だったっけ?」
そう言って、彼女はまた空を眺める。
だが、急に立ち込めた雲に月や星が隠されてしまった。
ただでさえ暗いのに、より一層暗くなる。
「うーん、何から話そうかな」
不意に冷たい一陣の風が吹き、暗闇に溶けていた彼女の長い髪が踊った。
それを右手で掻くように押さえる早川。
髪を撫でるそんな仕草に、思わずドキッとした。
「キリストのこと、どれくらい知ってる?」
(またキリストか)
記憶の引き出しからキリストについて漁る。
「えっと……数々の奇跡を起こしたせいじんで、多くの人を救ったとか。それで……何があったのかは知らないけど、追われる身になって、最後は弟子の一人に裏切られて捕まって、磔にされたとか。串刺しにされて死んだんだっけ?」
うろ覚えだし、ほとんどは漫画やゲームの知識だから、正しいのか自身は無い。
それでも、これが俺の知ってる範囲でのキリストだ。
すると、早川は一つだけ訂正した。
「串刺しにされたわけじゃないよ。佐倉が言ってるのは多分、ロンギヌスの槍のことだと思うけど、ロンギヌスの槍は、キリストが死んだ後に生死を確認するために脇腹に刺したものだから。けどまぁ、それ以外はあながち間違ってないと思う」
「……そうなのか」
「それじゃあ、キリストが実在の人物がどうかは?」
「それは……」
今日たまたま少し調べたことだ。調べたと言っても、読んだのはほんのちょっとだけだけど。
(結局、答えは分からなかったしな)
それでもあえて答えるなら、俺の答えは一つ。
「分からない。けど、いなかったんじゃないかな」
俺なりの答えを出すと、彼女はほんの僅かだが頷いた、ように見えた。
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって……いなかったって考える方が納得出来るからかな」
「納得?」
「存在したって確証が無いからね。それに奇跡だとかっていう伝承が本当だとはさすがに思えない。実在していて、なおかつ本人の意思で奇跡を起こしたとはね。それなら、最初からただの作り話か、偶然の出来事を周りの人たちが勝手に神聖視した方が、まだ納得出来る」
こんな答えで大丈夫だろうか、などと思ったが杞憂だったらしい。
「そっか。そうだね」
意外にも早川はすぐに頷いた。
まもなく、聖夜と呼ばれる一日が終わる。
辺りは恐ろしいほどの静寂に満ちていた。
まるで世界から切り離されたかのよう──。
今日は大変だった。十時に家を出て、まず図書館へ。次に駅前の古本屋と本屋に行って、昼食とも夕食とも言えない肉まんを食べた。その後は歩いて行ける範囲にある早川が何度も足を運んだことのある本屋を回り、最後に電車で一駅先まで行き、そこの駅前にある本屋にも入った。最後の本屋を出たのは二十一時を過ぎてからだった。
──しかし収穫は無い。
残念なことに、何一つとして変化は起こらなかった。
そんな現状に、俺はどこかほっとしている。
本屋という本屋を回り尽くした俺たちは、どちらからともなく彼女の家に歩を進めた。
理由は簡単だ。本関連以外で、彼女に思い入れがあるであろう場所を考えた時、自宅しか思いつかなかった。どうやらそれは俺だけではなく、本人もだったらしい。
そして俺たちは今、早川の家の前にいる。
彼女が住む──いや、正確に言うと、住んでいたマンション。
その脇にある植え込みを、俺たちは黙って眺めていた。
昨日も来た場所。
早川が飛び降り、落ちて、亡くなった場所。
そして彼女が幽霊という存在になり、俺の前に現れた、原点とも言える場所。
ここに来て──
ここを見て──
彼女は何を思うのだろう。
何を想うのだろう。
もう帰ろうと言うべきなのかもしれない。
何度もそう口から出ようとした。
だけど、何やら思案顔の彼女に声を掛けることは、俺には出来なかった。
ただただ黙って、一緒に何の変哲も無い植え込みを眺め続ける。
不意に早川が口を開いた。
「今日はありがとう。楽しかった」
本心からの言葉だろうか。
こちらに目も向けず紡がれた言葉の真意など、残念なことに俺には読めない。だけど、本心だと思った。本心であってほしいと思う。
そんなことを思ってしまっていることに自分で驚く。
すると唐突に、奇妙な焦燥感に心が圧迫された。
このままじゃ駄目だと言われているようで、胸がざわつく。
衝動に駆られるまま、ずっと気になっていながらも避けていた疑問を言葉にした。
「本当に、自殺したのか?」
恐る恐る、けれどハッキリと。
「何で死のうと思ったんだ」
そう尋ねた。
早川は一瞬目を細め、次の瞬間にはぱちりと見開き、数え切れぬ星々が瞬く空を見上げる。
「佐倉は、キリストって知ってるよね?」
その名前に一瞬だが反応してしまう。
(やっぱりキリストが何か関係してるのか……?)
黙って頷くと、彼女は横目でそれを確認し、植え込みに視線を戻した。
それから数分間、彼女は何も言わなかった。
堪え切れず、代わりに俺が言葉を続ける。
「キリストがどうしたんだよ」
なぜ、何で死のうとしたのかという問いに、キリストの名前が出てくるのか。
考えると怖くなり、彼女が答える前にもう一つ尋ねた。
「早川はキリスト教徒なのか?」
「急に饒舌だね」
早川はこちらを見ることすらせず、小さな笑みを返す。
沈黙。
静寂。
人の声どころか虫の鳴き声すら聞こえない、静かな時間が流れる。
(やっぱり、死んだことについてなんて聞くべきじゃなかったのかな……)
後悔し始めた頃、ようやく早川が重い口を開いた。
「キリスト教徒じゃないよ」
遅れてやってきた答え。
視線を向けると、彼女はまだ夜空を眺めていた。
「少なくとも私は、キリストを侵攻をしているわけじゃないから」
「そうか……」
少しばかり安心した。
(でも、だったらどうしてキリストの名前が出たんだ?)
「私がどうして飛び降りたのか、知りたいの?」
「う、うん」
躊躇いがちに、だけど迷わず頷く。
すると、早川は柔らかな笑みを浮かべた。
「相変わらず好奇心が強いなぁ」
意外な言葉に驚く。
(まさか人一倍──少なくとも俺の知る限り、誰よりも好奇心に満ちている早川にそんなことを言われるなんて)
思わず俺も笑ってしまいそうになった。
「さすがに早川ほどじゃないよ」
そう返すと、彼女は嬉しそうに笑う。
「私たち、似てるのかもね」
かと思えば、すぐに笑みの色が変わった。
微笑んではいるが、さっきとは何かが違うように思える。
「ううん、私と佐倉は似てるんじゃなくて──」
早川は何やらブツブツと呟いていた。
どうしたのかと少し心配していると、
「ごめん、話が脱線しちゃったね。私が自殺した理由、だったっけ?」
そう言って、彼女はまた空を眺める。
だが、急に立ち込めた雲に月や星が隠されてしまった。
ただでさえ暗いのに、より一層暗くなる。
「うーん、何から話そうかな」
不意に冷たい一陣の風が吹き、暗闇に溶けていた彼女の長い髪が踊った。
それを右手で掻くように押さえる早川。
髪を撫でるそんな仕草に、思わずドキッとした。
「キリストのこと、どれくらい知ってる?」
(またキリストか)
記憶の引き出しからキリストについて漁る。
「えっと……数々の奇跡を起こしたせいじんで、多くの人を救ったとか。それで……何があったのかは知らないけど、追われる身になって、最後は弟子の一人に裏切られて捕まって、磔にされたとか。串刺しにされて死んだんだっけ?」
うろ覚えだし、ほとんどは漫画やゲームの知識だから、正しいのか自身は無い。
それでも、これが俺の知ってる範囲でのキリストだ。
すると、早川は一つだけ訂正した。
「串刺しにされたわけじゃないよ。佐倉が言ってるのは多分、ロンギヌスの槍のことだと思うけど、ロンギヌスの槍は、キリストが死んだ後に生死を確認するために脇腹に刺したものだから。けどまぁ、それ以外はあながち間違ってないと思う」
「……そうなのか」
「それじゃあ、キリストが実在の人物がどうかは?」
「それは……」
今日たまたま少し調べたことだ。調べたと言っても、読んだのはほんのちょっとだけだけど。
(結局、答えは分からなかったしな)
それでもあえて答えるなら、俺の答えは一つ。
「分からない。けど、いなかったんじゃないかな」
俺なりの答えを出すと、彼女はほんの僅かだが頷いた、ように見えた。
「どうしてそう思うの?」
「どうしてって……いなかったって考える方が納得出来るからかな」
「納得?」
「存在したって確証が無いからね。それに奇跡だとかっていう伝承が本当だとはさすがに思えない。実在していて、なおかつ本人の意思で奇跡を起こしたとはね。それなら、最初からただの作り話か、偶然の出来事を周りの人たちが勝手に神聖視した方が、まだ納得出来る」
こんな答えで大丈夫だろうか、などと思ったが杞憂だったらしい。
「そっか。そうだね」
意外にも早川はすぐに頷いた。
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