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はじまり
因縁
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ふと、シンリはあることを思い出した。
「そういや、ほんとに怪我治ってるな。服まで元通りだ」
戦闘空間で負った傷が綺麗になくなっている。まるで最初から怪我などしていなかったのではないか思えるほど、完璧に。
今は消えた傷のあった場所に手を伸ばした。
「あっ──」
ルナリスが何かを言い掛ける。
だがそれよりも早く、擦り剥いていたはずの腕に指が触れた。
「痛ぁっ!?」
刹那、強力な電気に噛み付かれたような激痛が走る。忘れていた痛みが、忘れるなと言わんばかりに主張していた。
あまりに突然のことで、目尻に涙を溜めてうずくまる。
手から放れた刀が床を叩き、虚しげな音を鳴らす。
「何で……傷もないのに、痛みが……」
「ごめんなさい、言うのが遅れてしまったわね。それは脳の誤作動よ」
「誤作動って……?」
「あの空間での怪我は確かに治ったわ。でも痛みは本物だったでしょう? だから鮮烈に焼き付いた痛みの記憶が脳に誤作動を起こさせ、無意識に痛みを再現してしまうの。とはいえ、あくまでも幻覚のようなものだから、刺激しなければ何ともないし、少しすればその痛みも感じなくなるわ」
「そっか……よかった……」
確かに、少しずつ激痛が消えていく。
怪我をしていた箇所を触らぬようにして、安堵の息を漏らした。
「ルナリスは大丈夫?」
「ええ。私は怪我もしていないから」
「そういやそうだったね」
ルナリスは笑顔で頷く。
だが、急にその顔が引き締まった。
「……ごめんなさい」
唐突に深々と頭を下げる。
シンリは何事かと狼狽えた。
「貴方が悪い人ではないことはわかっていたのに……信じてあげられなかった……」
「何だ、そんなことか。そんなの気にすることないって。あれは王として正しい対応だったんだよ。多分だけどね。俺は偽物だから自信ないけどさ」
苦笑を冗談めかした笑みに変える。
ルナリスは少し安心したのか、わずかに微笑んだ。
「……ありがとう」
だがまたしても、すぐにルナリスから笑みが消えてしまう。
スカイブルーの瞳でシンリを見つめた。
「シンリは……どうしてⅥの王に?」
Ⅵの王というのがヴァンテのことだということはすぐにわかった。
だが、どうにも言葉が続かない。
「え、えっと……」
「貴方はもう戦いたくなかったのでしょう? それなのにどうして……」
表情は心配そうに曇っている。
早く答えなくてはと、言葉を探す。
「アイツが気に食わなかったから?」
「どうして首を傾げているの?」
もう一度、丁度いい理由を探そうとしたが、誤魔化す必要もないだろうと思い直し、素直に答えることにした。
「あいつなんだろ? ルナリスとシルファのお父さん──前のファルカリアの王様を殺したの」
「……えっ?」
「見てたらわかったよ」
ルナリスがヴァンテに向けていた、親の仇を見るような目。比喩表現などではなく、本当に親の仇だったのだとすれば当然のこと。
ヴァンテは、彼女たちとこの国に不幸をもたらした存在。
「そう考えたら余計に腹が立ってきて、つい」
せめて一発ぶん殴りたい、そんな気持ちでいっぱいだった。
ヴァンテも戦闘経験を重ねている相手だ、戦いに勝つことは難しいだろう。だとしても一矢報いる程度は……。
不意に「あの……」という遠慮がちな言葉が挟まれた。
ルナリスが顔を引きつらせている。
「申し訳ないのだけれど……勘違いしているわよ」
「へ? 勘違い……?」
「先代を殺害したのはⅥの王ではないわ」
途端に頭の中が真っ白になった。
ルナリスが発した言葉の意味を理解するのに、かなりの時間を要した。
悪寒のようなものを感じ、ようやく我に返る。
「うっそ……」
あまりのことに呆然と立ち尽くす。
思考をどうにか手繰り寄せ、状況を把握していく。
「つまり俺は……人違いで喧嘩を売って、無駄な戦いを約束しちゃったってこと?」
「そう……なるわね……」
ルナリスは苦笑いを浮かべた。
シンリもまた、苦笑だろうと何だろうと、笑うことしかできなかった。笑っていなければショックで寝込みそうだ。
だがそうなると、どうしても腑に落ちないことがある。
「じゃあ、何であんなにあいつのことを敵視してたの?」
同じ他国の王であるヴァンテとカドラでは、態度にかなりの差があった。
もちろんヴァンテの性格には難があった。だがシンリには、ルナリスがそれだけの理由であそこまで誰かを敵視するとは思えなかったのだ。
突然、重力が倍増したと錯覚するほど空気が重くなる。
ルナリスの目がすぅっと細く、鋭くなった。
「Ⅵの王は、確かに先代を手に掛けた事件とは無関係。けれど、突然に王を失い、まだ幼くあまりに未熟だった娘の私が必然的に新たな王となると、好機と見た六の王はすかさず私にキングゼロを仕掛けたの」
「弱ったところを狙いすましたってこと? 卑怯なやつだな」
ルナリスは横に首を振る。
「いいえ。それ自体は別に悪いことではないわ。どんな事情であれ、隙を見せたのなら突くのが定石。それだけ必死な戦いということよ」
「それは──……」
何か言おうとしたが、口を噤んだ。
キングゼロの熾烈さをシンリはよく知らない。王たちがどんな想いで、どれほど真剣に戦っているのかも。そんな者に何かを言う資格などない。
黙するシンリを一瞥し、小さく頷いた。
ルナリスは固く拳を握り、下唇の端を噛んだ。桜色の唇に血が滲む。
荒ぶる感情を鎮めるように深呼吸し、こう続けた。
「だけど……Ⅵの王は卑劣にも、勝ち得たファルカリアの民だった者たちの何人かを、民衆の前で処刑したの」
「はぁっ!? 何のために!?」
「見せしめよ」
ルナリスは一言でそう言ってみせた。
感情を見せない淡々とした言葉だった。
彼女なりの王としての振る舞いだったのだろうが、その表情は見ていられないほどの苦悶に染まっている。
シンリは思わず息を呑んだ。
理解の範疇を超えている。平然と人を殺す心情を理解できなかった。
「キングゼロで勝ち取れる三つのうち、一番厄介なのが民なの。誰もが自分の意思を持っているから。誰だっていきなり他国に行くことになったら嫌だろうし、来られる側としてもあまり良い気はしないでしょう。そうしたものが元で諍いが起こることもある。そして当然、自分たちにとっての新たな王に対する不満や反感なんかもね。だからこそ『民は王を害せない』というルールがあるくらい」
そう聞いて、わずかだが思考を寄せる。
「そうか、だから……」
奪い取った元ファルカリアの民を殺した。
恐怖で従わせるために。
ルナリスは沈痛な面持ちで天井を見上げた。
シンリもまた、胸が締め付けられるような思いだった。
静寂を引き連れた重い空気が間に居座る。
何も言わない。
何も言えない。
呼吸も難しいほどに張り詰めている。
この嫌な空気が、ルナリスの想いを代弁しているのだろう。
だからこそシンリは、どうにか言葉を紡いだ。
「だったら俺のやったこと、完全に無駄だったわけじゃないな」
「えっ……?」
やや驚いた様子でシンリの顔を見つめた。
そんな彼女に笑い掛ける。
「キングゼロでアイツを倒す」
そう言って、持っていた刀を掲げた。
別れ際のやりとりから、嫌でもヴァンテに指名されるだろう。拒むことのできない戦いだ。啖呵を切った手前、逃げることもできない。どちらにしても戦うことになるのなら、今回に限っては全力で勝ちに行ってもいい。
「そういや、ほんとに怪我治ってるな。服まで元通りだ」
戦闘空間で負った傷が綺麗になくなっている。まるで最初から怪我などしていなかったのではないか思えるほど、完璧に。
今は消えた傷のあった場所に手を伸ばした。
「あっ──」
ルナリスが何かを言い掛ける。
だがそれよりも早く、擦り剥いていたはずの腕に指が触れた。
「痛ぁっ!?」
刹那、強力な電気に噛み付かれたような激痛が走る。忘れていた痛みが、忘れるなと言わんばかりに主張していた。
あまりに突然のことで、目尻に涙を溜めてうずくまる。
手から放れた刀が床を叩き、虚しげな音を鳴らす。
「何で……傷もないのに、痛みが……」
「ごめんなさい、言うのが遅れてしまったわね。それは脳の誤作動よ」
「誤作動って……?」
「あの空間での怪我は確かに治ったわ。でも痛みは本物だったでしょう? だから鮮烈に焼き付いた痛みの記憶が脳に誤作動を起こさせ、無意識に痛みを再現してしまうの。とはいえ、あくまでも幻覚のようなものだから、刺激しなければ何ともないし、少しすればその痛みも感じなくなるわ」
「そっか……よかった……」
確かに、少しずつ激痛が消えていく。
怪我をしていた箇所を触らぬようにして、安堵の息を漏らした。
「ルナリスは大丈夫?」
「ええ。私は怪我もしていないから」
「そういやそうだったね」
ルナリスは笑顔で頷く。
だが、急にその顔が引き締まった。
「……ごめんなさい」
唐突に深々と頭を下げる。
シンリは何事かと狼狽えた。
「貴方が悪い人ではないことはわかっていたのに……信じてあげられなかった……」
「何だ、そんなことか。そんなの気にすることないって。あれは王として正しい対応だったんだよ。多分だけどね。俺は偽物だから自信ないけどさ」
苦笑を冗談めかした笑みに変える。
ルナリスは少し安心したのか、わずかに微笑んだ。
「……ありがとう」
だがまたしても、すぐにルナリスから笑みが消えてしまう。
スカイブルーの瞳でシンリを見つめた。
「シンリは……どうしてⅥの王に?」
Ⅵの王というのがヴァンテのことだということはすぐにわかった。
だが、どうにも言葉が続かない。
「え、えっと……」
「貴方はもう戦いたくなかったのでしょう? それなのにどうして……」
表情は心配そうに曇っている。
早く答えなくてはと、言葉を探す。
「アイツが気に食わなかったから?」
「どうして首を傾げているの?」
もう一度、丁度いい理由を探そうとしたが、誤魔化す必要もないだろうと思い直し、素直に答えることにした。
「あいつなんだろ? ルナリスとシルファのお父さん──前のファルカリアの王様を殺したの」
「……えっ?」
「見てたらわかったよ」
ルナリスがヴァンテに向けていた、親の仇を見るような目。比喩表現などではなく、本当に親の仇だったのだとすれば当然のこと。
ヴァンテは、彼女たちとこの国に不幸をもたらした存在。
「そう考えたら余計に腹が立ってきて、つい」
せめて一発ぶん殴りたい、そんな気持ちでいっぱいだった。
ヴァンテも戦闘経験を重ねている相手だ、戦いに勝つことは難しいだろう。だとしても一矢報いる程度は……。
不意に「あの……」という遠慮がちな言葉が挟まれた。
ルナリスが顔を引きつらせている。
「申し訳ないのだけれど……勘違いしているわよ」
「へ? 勘違い……?」
「先代を殺害したのはⅥの王ではないわ」
途端に頭の中が真っ白になった。
ルナリスが発した言葉の意味を理解するのに、かなりの時間を要した。
悪寒のようなものを感じ、ようやく我に返る。
「うっそ……」
あまりのことに呆然と立ち尽くす。
思考をどうにか手繰り寄せ、状況を把握していく。
「つまり俺は……人違いで喧嘩を売って、無駄な戦いを約束しちゃったってこと?」
「そう……なるわね……」
ルナリスは苦笑いを浮かべた。
シンリもまた、苦笑だろうと何だろうと、笑うことしかできなかった。笑っていなければショックで寝込みそうだ。
だがそうなると、どうしても腑に落ちないことがある。
「じゃあ、何であんなにあいつのことを敵視してたの?」
同じ他国の王であるヴァンテとカドラでは、態度にかなりの差があった。
もちろんヴァンテの性格には難があった。だがシンリには、ルナリスがそれだけの理由であそこまで誰かを敵視するとは思えなかったのだ。
突然、重力が倍増したと錯覚するほど空気が重くなる。
ルナリスの目がすぅっと細く、鋭くなった。
「Ⅵの王は、確かに先代を手に掛けた事件とは無関係。けれど、突然に王を失い、まだ幼くあまりに未熟だった娘の私が必然的に新たな王となると、好機と見た六の王はすかさず私にキングゼロを仕掛けたの」
「弱ったところを狙いすましたってこと? 卑怯なやつだな」
ルナリスは横に首を振る。
「いいえ。それ自体は別に悪いことではないわ。どんな事情であれ、隙を見せたのなら突くのが定石。それだけ必死な戦いということよ」
「それは──……」
何か言おうとしたが、口を噤んだ。
キングゼロの熾烈さをシンリはよく知らない。王たちがどんな想いで、どれほど真剣に戦っているのかも。そんな者に何かを言う資格などない。
黙するシンリを一瞥し、小さく頷いた。
ルナリスは固く拳を握り、下唇の端を噛んだ。桜色の唇に血が滲む。
荒ぶる感情を鎮めるように深呼吸し、こう続けた。
「だけど……Ⅵの王は卑劣にも、勝ち得たファルカリアの民だった者たちの何人かを、民衆の前で処刑したの」
「はぁっ!? 何のために!?」
「見せしめよ」
ルナリスは一言でそう言ってみせた。
感情を見せない淡々とした言葉だった。
彼女なりの王としての振る舞いだったのだろうが、その表情は見ていられないほどの苦悶に染まっている。
シンリは思わず息を呑んだ。
理解の範疇を超えている。平然と人を殺す心情を理解できなかった。
「キングゼロで勝ち取れる三つのうち、一番厄介なのが民なの。誰もが自分の意思を持っているから。誰だっていきなり他国に行くことになったら嫌だろうし、来られる側としてもあまり良い気はしないでしょう。そうしたものが元で諍いが起こることもある。そして当然、自分たちにとっての新たな王に対する不満や反感なんかもね。だからこそ『民は王を害せない』というルールがあるくらい」
そう聞いて、わずかだが思考を寄せる。
「そうか、だから……」
奪い取った元ファルカリアの民を殺した。
恐怖で従わせるために。
ルナリスは沈痛な面持ちで天井を見上げた。
シンリもまた、胸が締め付けられるような思いだった。
静寂を引き連れた重い空気が間に居座る。
何も言わない。
何も言えない。
呼吸も難しいほどに張り詰めている。
この嫌な空気が、ルナリスの想いを代弁しているのだろう。
だからこそシンリは、どうにか言葉を紡いだ。
「だったら俺のやったこと、完全に無駄だったわけじゃないな」
「えっ……?」
やや驚いた様子でシンリの顔を見つめた。
そんな彼女に笑い掛ける。
「キングゼロでアイツを倒す」
そう言って、持っていた刀を掲げた。
別れ際のやりとりから、嫌でもヴァンテに指名されるだろう。拒むことのできない戦いだ。啖呵を切った手前、逃げることもできない。どちらにしても戦うことになるのなら、今回に限っては全力で勝ちに行ってもいい。
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