キングゼロ 〜13人の王〜

朝月 桜良

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ルナリス・ファルカリア

戦闘開始

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「うぉっ──っと」
 いきなり、足から離れたはずの地面が現れた。
 あまりにも突然過ぎてつんのめりそうになるが、どうにか堪える。
 恐る恐る目を開け、辺りを見渡した。
 やって来たのは緑に満ちた野原だった。青々と生い茂る草木に、景色に足りない色を塗る花々。建物などない、人の手が何一つ加えられていない自然がそこにあった。
 心地良い静けさに満ちている。
 辺りには誰もいない。生き物の気配すらない。
 しかし、草木が生い茂っているからか生命というものを強く感じさせる。
「ここは……」
 優しく涼しげな風が頬を撫で、黒髪を揺らした。
 シンリが立っているのは、周囲に木々の生えていない草花が幅を利かせる開けた場所だった。まるでこの世界で初めて目が覚めた場所のようだった。
「これが戦うために創られた空間?」
 これでもかと目を見開く。
「ここが……ほんとに異空間? まぁでも、さっきまでも異世界にいたわけだから、ここがどんな場所でも不思議じゃないのか」
 うんうんと、一人納得して頷いた。
 ふと、シンリのものではない声が風に乗って響く。
「シンリ」
「ルナリス」
 歩み寄ってくるルナリスを見つけた。
 ルナリスは、シルファから受け取った物に巻かれていた布を取り払っていた。姿を見せたのは大きな円錐型の槍。これがルナリスのサクトゥス──二ルグ。
 槍が放つ存在感は圧倒的で、自然と視線を奪われる。
「初めての移動はどうだったかしら」
「そうだな……エレベーターで最上階から一気に降りるような? いや、少し違うかな? うーん……よくわかんないや。それで……それがルナリスの?」
 視線で槍を指す。
 ルナリスは左手で優しく槍を撫でた。
「そう。二ルグよ」
 まるでペットを愛でる飼い主──あるいは、我が子を愛する母親のようだった。
 だが、そんな慈愛に満ちた表情が一変する。
「それでは始めましょうか」
 ルナリスは、見るからに重そうな槍を右手だけで軽々と持ち上げ、突き出した槍の先端をシンリに向ける。
 瞬間、空気が変わった。
 とても冷たく、重く張り詰める。
 慌ててシンリも身構えた。
 ルナリスは、決してシンリから槍の先を離さない。
 槍の先端はシンリの身体からさらに一点を狙っていた。
 胴体よりも上。
 肩よりも上。
 喉よりも上。
 狙っているのは額──頭だ。
「マジかよ!?」
 狙われている場所を察知し、驚愕の声を上げる。
 シンリが咄嗟に後退った瞬間、
疾槍しっそう
 ルナリスは槍先をシンリに向けたまま、普通では有り得ないまでの凄まじい速度で真っ直ぐ突進した。
 速い。駆ける姿は新幹線を連想させるほどの勢いだった。重そうな槍を担いでいるとはとても思えない。
 しかも槍先は一切ブレていなかった。
 ただ真っ直ぐにシンリの頭を狙っている。
 あっという間に距離を詰めてしまった。
「速っ──」
 気付いたときには、シンリの視界に銀色の円が姿を現す。
 その正体が円錐型の槍を正面から見たときの光景だと、一瞬気付かなかった。
 シンリは反射的に首を曲げ、身体を力の限り横に反らして躱そうとする。
 ルナリスは、シンリが先ほどまで立っていた場所を凄まじい勢いで通過していった。
 蹴り上げられた砂と草が高らかに宙を舞う。
 どうにか回避が間に合った。
「痛ぁぁっ」
 しかし避け切れはせず、頬が少しばかり切れて血を噴く。
 シンリは崩れかけた体勢を立て直し、振り返りながら手の甲で頬の血を拭った。べったりと赤く染まった手の甲を一瞥し、血の気が引く。
 慌ててルナリスに視線を戻す。追撃はなく、勢いを殺して止まっていた。
 ほんのわずかだが安堵する。
 ふと、身体に奇妙な違和感を覚えた。
「身体が……軽い?」
 まるで今まで背負っていた重りが急になくなったような感覚だった。
 試しに腕や足を動かしてみる。残念ながら、大した実感は得られなかった。
 自分の身体を訝しげに見下ろしていると、ルナリスが槍先を下ろす。
「……ここに来るのは初めてだったわね。いいわ、教えてあげる。この空間では、より激しい戦闘ができるようになっているのよ」
「どういうこと?」
「本来より力が漲っているのを感じないかしら? ここでは身体能力が向上するの」
「は? マジで?」
 手を力強く握ってみたり、ジャンプしてみたりした。跳んでみると一目瞭然だった。五メートルを軽く跳び越えてしまう。常人では不可能な高さだった。
「なるほどね。面白いな」
 着地にも成功し、納得する。
 超人的な力に、つい胸が躍った。
「わかってもらえたようね。それじゃあ、そろそろ再開しましょうか」
 言うが早いか、再びシンリに槍先を向けて重心を下げる。
 十分な構えを取り、
「疾槍っ」
 烈火の如く駆け出した。尋常ではない速さで迷いなく直進する姿は、まるで銃口から放たれた一発の弾丸である。風を貫き進む彼女もまた、身体能力が向上しているからこその動きということだろう。
 猛然と向かってくる姿に恐怖が込み上げる。
 だがシンリは、ルナリスが駆け出しても動かなかった。彼女の動きをまばたき一つせずに見据える。
(やっぱりだ。速いけど、見えないほどじゃない。動体視力も良くなってるのかな? だからさっきも避けられたんだ。だったら今度も……っ!)
 距離はどんどん詰められていき、やがて槍の間合いに入った。
 真っ直ぐ突き出された槍先がシンリに襲い掛かる。
「これで終わりよ!」
 ルナリスが勝利を確信した声を上げた。
 負けじとシンリも大声を出す。
「終わらせるか!」
 首を力いっぱい曲げる。筋が軋む音を立てるが、そんなことお構いなしに曲げ続けた。
 連動するように全身も捻り、動きを後押しする。
 槍先がシンリの頭部──そのすぐ横を通り過ぎていく。
「ここで」
 続けて足腰に力を入れ、
「死んで」
 一気に地面を蹴り、
「たまるかっ!」
 全力で後ろに跳ぶ。
 どうにかルナリスの一撃を見切り、上手く躱して距離を取ることに成功した。
 だが、その跳躍は予想を大きく上回った高さと幅だった。
「ありゃ、跳び過ぎた。思ったより凄いんだな」
 滑走するように着地する。
 見た目には何ら変化は見受けられないが、凄まじい跳躍の体験後である今となっては、この空間と実際の動きに確かな違いが感じられた。
「すげぇ……」
 感動するシンリを尻目に、ルナリスは進行方向を変え、止まらずに再度突進してくる。
「ぃやぁぁっ!」
「──危なっ」
 真上に跳んで躱す。
 今度はある程度、力加減に成功した。
 それでも十分人間離れした跳躍だった。
 ルナリスは単調な攻撃を嫌ってか、突進を諦めて止まろうとする。だが、勢いがあり過ぎたためか、止まろうと踏ん張るがなかなか止まれないでいた。右足を軸にして滑り込むことで、ようやく勢いを殺す。
「くっ!」
 体勢が崩れてもなお、槍先だけはシンリに向けていた。
 逃がさないと言わんばかりの一挙手一投足が、彼女の執念を物語っている。
 シンリは着地するなり、抱いていた不満を口にした。
「おい、戦うのは仕方ないとしても──今の喰らってたら確実に死んでたぞ!?」
 槍先は岩をも容易く貫きそうなまでに鋭い。串刺しになれば間違いなく致命傷。刺さらずとも、弾かれただけで相当な深手を負ったことだろう。
 問題なのは攻撃自体ではなく、そんな攻撃を躊躇なく使ったことだ。
 だが、ルナリスは即答する。
「当然よ! 殺す気で攻撃しているんだから!」
 その言葉にシンリは言いようもない怒りを覚えた。
「ルナリス、お前──人の命を何だと思って思ってるんだッ!」
 冷たく張り詰めていた空気が熱を持つ。
 気圧されたのか、ルナリスが一瞬委縮したように見えた。
 すぐにまた威風堂々とした様子を取り戻し、顔をしかめる。
「……そういえば、これも伝え忘れていたわね。まったく、まどろこしい」
 煩わしそうに槍先を下ろした。ゆっくりと立ち上がり、優美な動作でドレスに付いた砂や草を払う。
「この空間でなら、死んでも本当には死なないわ」
「……はぁ?」
「そうね……ここにいるのは精神だけで肉体は別にある、に近いのかしら。それとも死んでも生き返る、の方がわかりやすい?」
「どういうこと?」
「簡単に言ってしまうと、この空間内で死んでも本当には死なないし、傷も残らない。戦いが終われば何事もなかったかのように全部元に戻るわ。痛みは本物だし、死ねば死ぬほどの苦痛を味わうことになるけれど」
 最後に苦笑しながら、そう説明した。
 非現実的過ぎて理解が及ばないため、自分なりの解釈で考える。
「それって、ゲームみたいなもの?」
「貴方の言っているそれが何かは知らないけれど、理解したのならそれでいいわ。わかったのなら早く再開しましょう」
「……ほんとに無傷で済むんだな?」
「ええ。戦いが終わり、元の場所に戻ったら無傷で生きているわ。もちろん、負ければ私たち王にとって命よりも大事なものを失うけどね。それでも、どうせ貴方にはその大事なものすらないと言うのだろうから、安心して戦いなさい」
 ルナリスは睨みながら皮肉る。
 そして槍を構え直した。
 シンリは一瞬思案し、
「──嫌だね!」
 べーっ、と舌を出した。
 ルナリスが立ち塞がる方とは反対方向に全力で走り出す。
「なっ!? に、逃がさないわよ!」
 いきなり逃げ出したものだから、さすがのルナリスも虚を衝かれたのか一瞬唖然としたが、すぐさま追うべく駆け出した。

 逃げるシンリと、追うルナリス。
 単純な足の速さに大差はなく、付かず離れず、追いかけっこ状態だった。
 シンリはルナリスが追ってきているのを確認する。
 向かう先にあるのは、今までいた草花だけが生い茂る草原の終わり。
 木々が多く立ち並ぶ、鬱蒼とした森林のような場所だった。
 そこに全速力のまま駆け込んだ。
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