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十一、もう一つの真実にて
しおりを挟む責めてしまったと沢田からも謝罪をされる。僕は黙って、首を横に振ることしかできなかった。
きつい言い方をしたのは僕の方にもかかわらず、自分の非を認めて謝ることができる点に人間力の違いを感じた。矮小な自分を見せつけられても、僕の心は疲弊していて一々落ちこむことができない。
気づかないうちに空が赤く染まっていた。帰宅を促す町内放送が流れ、『思い出探し』も終わりを告げる。
たった二日の「さーや」との思い出は、予想通り霞(かすみ)を掴むだけだった。各々の中に住む雅也の存在だけが、本物だと思うしかないと思えたらどんなに幸せだっただろう。
沢田と三崎が代表して教諭に挨拶しに行き、僕は日比野が泣きやむのを待つ。
「また連絡するから。必ず出てよ。絶対よ」
それが日比野なりの励ましだと分かった。
「ああ」と返事をすると、日比野は笑った。
「もっと明るく言いなさいよ」
その笑みは、雅也の笑顔と似ていた。
校門に移動して、沢田たちと合流する。各自帰り道が違うため、沢田と日比野は大きな駅の方へと別れることになった。
大きく手を振る沢田の腕が見えなくなって、視線を感じる方へ顔を向ける。冷めた表情は相変わらず。三崎の哀愁のこもった目と合った。
「そうやって、僕らを見透(みす)かす君が、僕らはとても怖かったよ」
気力なくそう告げると、三崎は微笑を浮かべた。
「高橋くんにも同じことを言われたことがあるわ」
雅也は顔を強張らせた。
二人の間で一体どんな会話が成されたのか。僕の想像できない、心理的な会話を交わしていたのだろう。
僕が入れない世界なんか、壊れてしまえばいいのに。そんな狭い視野で物事を考えるから、雅也の視野もどんどん狭まって、追い詰められることになったのだ。
「あなたが、高橋くんを殺したの?」
だから、本当に僕がとどめを刺してしまったのだろうか。
先程の会話を振り返るように、ぶり返すように三崎は問う。意味は本来のもので、彼らに話したような、誤魔化しを促すものではない。
「――そうだよ」
七年間、一度もしたことのなかった肯定を、僕は迷うことなく口にした。
日比野や沢田には直接的なことは言えなかったが、僕が導き、手を下したことは間違いない。
三崎は僕を赦(ゆる)さないが、気持ちを慮(おもんぱか)ってはくれるだろう。そんな自分の弱さも加味した吐露だった。
彼女は睫毛を下げ、逡巡するように黙る。それは僕の告白を知って動揺しているふうではない。もっと別の、何かを考察するような時間だった。
「それだと矛盾が生じるの」
「三崎!」
雅也は僕以外に触れられない。止められるはずもないのに、雅也は三崎へと駆けだした。そして、今自分が実体を持っていないことに気づいたのか、歯がゆさを顔に出して地面を激しく蹴った。
「一織! 三崎を止めてよ」
雅也の動揺に、僕は嫌な予感がした。心にぽっかりと空いた穴が、じわじわと体を侵食していく。僕はこの瞬間を、ずっと知りたいと思っていたのかもしれない。
「三崎」
声を落とす。三崎は僕の瞳をしっかりと捉えた。
「雅也は、どうして死んだんだ?」
尋ねる言葉は考えるまでもなく、するりと飛びでた。
そんなわけがないと、記憶が否定する。
雅也は僕が、自宅の庭で、木の下で殺したはずだと。
三崎は口を開いて閉じて、喉を揺らして言葉を吐いた。
「高橋くんは――土曜日の朝早くに、女の人の車に乗ったのよ」
静かに、感情が乗ることなく、事実だけが音に出る。
「私は散歩をしていたの。それで、彼が女の人といるところに遭遇した。高橋くんだけが私に気づいて、――口元に人差し指を持っていった」
それはこちらに気づかせないよう、静かにしていろという意味か。この状態を黙っていろという意味か。
「女の車に乗って、それで彼は――戻ってこなかった」
月曜日、雅也の席は空いたままだった。
「私も、高橋くんの気持ちを汲(く)んで、このことを誰にも言わなかった」
それが最適だと思ったの、という声がはるか遠くから聞こえた気がした。
三崎はハンドバッグを漁って、一枚のメモ用紙を取りだした。
「ずっと、誰かに言わなくちゃいけないと思ってた。でも最初に言うのは小野田くんしかいないと思ったの」
だから、三崎は僕に会いに来た。
「ここに書いてあるのは、その女の人が乗ってた車のナンバー。たぶん自分の車じゃないとは思うけど、何かしらの手掛かりになると思う」
紙を掲げてみせる三崎に、僕は手を伸ばす。
その手を雅也が掴んだ。僕からは決して触れられない手の指が添えられる。僕がそちらに視線をやると、悄然とした様子の雅也が、怒られるのを恐れる子どものように立っていた。
その小さな僕の視線の動きに気づいたのか、三崎は微かに笑う。
「そこに、高橋くんがいるの?」
心臓が大きく鳴る。三崎の目を見るとその目は穏やかで、疑いは少しも感じられなかった。
「ああ」
僕の幻影だけど、と続けられる自信はない。しかし、完全に否定できるほど、僕は強くない。
「そうね。あなたたちは、ずっと一緒にいるべきよ」
僕しか分からない雅也に、三崎が信じてくれた。そのことに、嬉しさが込みあがる。同時に、気づいたのが三崎であることにぐるぐると感情が錯綜する。
満足したように笑う三崎は印象がだいぶ違う。以前より明るい笑顔に僕は固まり、その一瞬の隙を突いて、三崎は僕にナンバーの紙を握らせた。
片足を軸に後ろを向いて、首だけで振り向く。
「さようなら」
そのままこちらを一切振り返ることなく、三崎はバス停の方へ去っていった。
僕らは呆然と立ちすくむ。落ち着かない沈黙は、僕らの中では初めてだった。
雅也は顔を下げて黙っていた。顔を見せないのは卑怯だ。僕では顔を上向かせることができない。
「雅也は結局止めなかったな」
『思い出探し』という茶番を、雅也は一度も諫(いさ)めなかった。
「一織がそうしてほしいように思ったから」
いじけた調子で視線を合わせないまま雅也は言う。
「でもおまえが止めないから、おまえは日比野たちの中でも死んでしまった」
「別にいいよ。本当のことだ。それに、それもまた――」
すべて、七年前の伽藍洞(がらんどう)に残してきたことなのだ。雅也のために作った手作りの墓に、置いてきたことなのだ。
「おまえは、一体いつまでこっちにいるんだ」
墓参りをしたとき尋ねた疑問を、僕はもう一度聞き直す。返答を期待した問いではなかった。いつも通りの適当にあしらう言葉が返ってくると予想していた。
しかし、雅也は優しげな瞳を僕に向ける。
「一織は僕を救ってくれた恩人だからね。僕は一織と、ずっとここにいるよ」
だから最期まで見守るよ、と僕の耳元で囁いた。
鳥肌が立ったのは恐怖のせいではなく、言葉にできぬ歓喜によるものだった。目の上が熱くなるような、喉奥がくすぐられて焦げつくような、気持ちが沸きあがる感覚だ。
でも、――問わねばならない。
僕は泣きそうになるのを耐えられず、声を震わせた。
「全部、嘘だったのに」
雅也は顔を強張らせて、ただ一言小さく「ごめん」と言った。
――ああ、そうだったのか。
雅也はぽつぽつと語りだした。
「あの日。僕は、君の所に行けなかった」
あの日とは、あの雨の日を差すのだろう。
あの梅雨の早朝、雅也は僕のところに来られなかった。
僕は雨の中、雅也が来るのを見ていた。しかし、雅也に触れたわけではない。脈を確かめたわけではない。
あの早朝に来た雅也が、実体を持っていないとは想像さえしていなかった。
「一織のところへ行く途中、僕はお母さんに会ったんだよ。お母さんは、僕やお父さんがひどく幸せそうに見えたんだろうね。許せないって、ただそればかりを叫んでいたよ」
三崎が言った「女の人」に僕の心当たりは雅也の母親以外にいなかった。自分のストレスの捌け口だった雅也と、再婚をしたかつての旦那に、母親が恨みを持たないとは言い切れなかった。
「お母さんに山の奥に連れてかれた。抵抗しなかったわけじゃないよ? だけどできなかった。お母さんの声で怒鳴られると、体が固まっちゃうんだ。お母さんの持っていた包丁で、僕は刺された。心臓を一突きにされて、それから何度も刺して抜いてを繰り返された」
淡々と事実のみを口にする。これは誰かに聞かせるための言葉ではない。始終黙って、雅也の言葉を噛みしめる。
「心残りだったのは、君のところに行けなかったこと。だから魂だけ一織の元に行ったんだよ。一織は約束通り、僕が死ぬのを手伝ってくれたね」
ああ、だから。雅也はあの日、傘を持っていなかったのだ。レインコートさえも着ていなかった。服が真っ黒に見えたのは雨のせいなんかじゃなく、彼の血の色だったのだと今更気がつく。
雅也が僕の揺れ動く瞳を絡めとった。
「ありがとう、一織。僕の最初で最期の友達」
僕は静かに涙を流す。
結局、僕が作った墓も、伽藍洞でしかなかったのだ。
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