16 / 25
第十六話 裏切り
しおりを挟む梨花の暴行で受けた傷が癒え、教室に顔を見せると美代やほかの友人たちがいっせいに駆け寄ってきた。美代が飛ぶように抱きついてきて、押し倒されそうになりながらもしっかりと受けとめる。
「けがはもういいの?」
心配そうに顔や体を交互に見てくる彼女たちに、蓮華は笑顔を向けた。
「もう大丈夫だよ。心配させてごめんね」
「蓮華ちゃんが無事ならそれでいいんだよ。美代ちゃんから話は聞いてたんだけど、実物を見るまでは不安でさ」
「実物ってあんた……。でも、けがが治ってよかったよ。あっ、あの話は聞いた?」
目に涙を浮かべる友人に「ありがとう」と声をかけて、もう一人の問いに首を傾げた。
「話、っていうのは?」
「蓮華をいじめたやつら、自主退学したんだって」
「え……」
絶句する蓮華に、強く抱きついていた美代が顔を上げる。
「蓮華ちゃん、自分のせいとか思っちゃだめだよ。自業自得なんだから!」
「なんでも、主犯の父親の汚職が見つかったとかで、家族で雲隠れしたみたいで。取り巻きたちも今までしてきた悪さが発覚して、逃げるように退学したみたいよ」
「きっと天罰が下ったんだよ!」
頬をふくらませ、可愛らしく怒る美代の頭をなでながら、梨花たちの顛末(てんまつ)を聞く。
蓮華は驚いていたが、陽治郎はその一連に紫が関わっているだろうと考える。あいつならやる、とかつての友の本性を知る者としては、蓮華を虐げた者たちを野放しにするとは思えなかった。
――蓮華さんは神様に見守られているんだね。
語りかければ、蓮華の心はいっそう嬉しそうにじんわりと温かくなった。
編入してからは珍しく何事もない平和な一日を終え、蓮華は紫たちが待つ家に帰宅する。
玄関前に立ちどまり、胸を押さえ深呼吸をする。今日こそは、と力を入れて戸を開けようと手をかける。とたんに、中から横に開き、なだれ込む勢いで右白と左黒が抱きついてきた。
「蓮華様、おかえりなさい!」
「おかえり」
面で口元は分からないものの、満面の笑みを二人は浮かべていた。蓮華はつられるようにして笑みを深める。
「ただいま!」
初めて、心から言うことができた。陽治郎はもうほとんど表には出ていない。蓮華の意思で体を動かし、気持ちを整理づけている。
陽治郎は自分の存在が必要なくなるのも時間の問題だと感じていた。それを寂しいと思いつつ、大切な守り子である蓮華が前に進めるのならそれでいいと割りきっていた。
――私は所詮、死人であり魂だけの存在。蓮華を救えたのなら、私の役目も終わりだ。
蓮華にも伝えなければと、右白たちに手を引かれ、縁側へと誘われる彼女に思う。
別れはいつだって寂しいけれど、蓮華には紫たちがいる。心の中に住む陽治郎よりも、よほど力強い存在ばかりだ。あとは陽治郎が抱く、整理のつかない、最愛の友への罪悪感だけである。
どうしたものか、と陽治郎が考えていると、縁側には先客が日を浴びていた。
「猫神様だ!」
「おやつ、いる?」
お菓子の皿を持った左黒に突かれた猫神様は、面倒そうな顔を向けて蓮華を見て目を細めた。
「なんだ、帰ったのか。いやだ、いやだ。騒がしいのが増えたわい」
蓮華の体がびくっと跳ねる。陽治郎もぎょっとして猫神様に目を向けた。
「ね、猫がしゃべった……」
「猫がしゃべって何が悪い? そもそも、わしをただの猫だなんて思ってるんじゃないだろうね? あの狗(いぬ)どもも言ってるだろ。わしは猫神。神なんだからしゃべるくらいなんともないわい」
どうやって人と同じ声色を出しているのか観察しても分からないほど、猫神様はすべるように人の言葉を使う。蓮華はびっくりして、ガラス戸に寄りかかって座りこんだ。
「猫神様ー、普通の猫はしゃべんないよー?」
「わしは神様だからしゃべるんだよ」
「でも、猫」
「猫の神様なんだから猫に決まってんだろ。つか、狗ども! わしの周りで騒ぐんじゃねえって、何度! 言ったら! 学習するんだ! よぅ!」
右白がどこかから取りだした猫じゃらしを、左黒が絶妙な技術で操る。左黒が猫じゃらしを揺らすたび、猫神様の体はぴくっ、ぴくっと反応してしまう。目を光らせた猫神様は一気に飛びついたものの、左黒の腕使いによって翻弄されている。そのさまを、右白はやんややんやと手を叩いてはしゃいでいた。
神様とは言っても、しゃべる以外、見た目のぽっちゃり体型も動作もほとんど猫と変わらない。夢中になって猫じゃらしに戯れる姿は、まさに猫である。
「たくっ! わしで遊ぶんじゃねえっていつも言ってるだろ狗ども!」
なかなか掴みとれない猫じゃらしを前足で叩き返し、猫神様は少女たちに怒鳴る。二人はまったく反省した様子を見せず、笑いながら居間の方へと逃げていった。とたとたたっと、廊下を走っていく二人の足音を聞きながら、取り残された蓮華はちらっと隣を盗み見た。
「あー、たくっ、あやつら覚えてろよ」
文句を言いながらも追いかけない猫神様は、香箱座りに体勢を直し、日向ぼっこを再開した。
手持無沙汰になってしまった蓮華は、迷った末にそろりと猫神様の隣に腰かけた。
まぶしい日差しに対して、目をまっすぐにして丸くなっている様子は、まさに猫そのもの。ぽかぽか陽気に包まれている温かそうな毛並みを触りたい欲求が込みあげる。
神様に対してこちらから手を出してはいけないと手を慌てて引っこめ、猫神様と同様に日向ぼっこをする。蓮華の紺地の制服も日向の熱で段々と温まっていく。まるで風呂に浸かっているかのような心地だ。
「おまえさん、陽治郎のことは知っているのかい?」
突然、猫神様から声がかかった。閉じていた目を見開き、隣を見る。猫神様は相変わらず気持ちよさそうに目を細め、庭の方を向いていた。
――なぜ私のことを?
蓮華がどう答えるか逡巡していると、再び猫神様が口を開いた。
「陽治郎は残念だったなぁ。まさか最も信頼を置いていた者に裏切られるとは」
もしここに陽治郎の体があったなら、それは深く低い鼓動を鳴らしただろう。陽治郎の動揺は真っ先に蓮華に伝わる。蓮華は戸惑いながらも猫神様に問いかけた。
「裏切られた、って……どういうことですか?」
「そのままの意味さ。陽治郎が死んだのは、あやつ(、、、)が病魔を引き寄せたからだ」
「それは、故意に、ってこと?」
「その通り。陽治郎を殺して、あやつはいったい何がしたかったんだか」
ずどんっと衝撃が心をむしばみ、陽治郎は魂の形を保っていられなくなった。
――神様が、私を殺した?
蓮華が心の中で陽治郎を呼ぶ。その声は、溺れていって遠のいていく。蓮華が心の奥底でかたくなに閉じこもっていたときと同じく、陽治郎の魂は深い闇に包まれる。
信じていた。最愛の友を信頼していた。
その友に殺されたと知って、陽治郎は自分の形を確立できない。真実が知りたくて、真実を突きつけられるのが恐ろしい。
それならば、一生知らないまま死んでいられたときに戻してほしかった。
蓮華の声がもうほとんど聞こえない。陽治郎の魂は浮上できない底へ沈みきってしまった。
0
お気に入りに追加
7
あなたにおすすめの小説
ニンジャマスター・ダイヤ
竹井ゴールド
キャラ文芸
沖縄県の手塚島で育った母子家庭の手塚大也は実母の死によって、東京の遠縁の大鳥家に引き取られる事となった。
大鳥家は大鳥コンツェルンの創業一族で、裏では日本を陰から守る政府機関・大鳥忍軍を率いる忍者一族だった。
沖縄県の手塚島で忍者の修行をして育った大也は東京に出て、忍者の争いに否応なく巻き込まれるのだった。
千切れた心臓は扉を開く
綾坂キョウ
キャラ文芸
「貴様を迎えに来た」――幼い頃「神隠し」にあった女子高生・美邑の前に突然現れたのは、鬼面の男だった。「君は鬼になる。もう、決まっていることなんだよ」切なくも愛しい、あやかし現代ファンタジー。
『別れても好きな人』
設樂理沙
ライト文芸
大好きな夫から好きな女性ができたから別れて欲しいと言われ、離婚した。
夫の想い人はとても美しく、自分など到底敵わないと思ったから。
ほんとうは別れたくなどなかった。
この先もずっと夫と一緒にいたかった……だけど世の中には
どうしようもないことがあるのだ。
自分で選択できないことがある。
悲しいけれど……。
―――――――――――――――――――――――――――――――――
登場人物紹介
戸田貴理子 40才
戸田正義 44才
青木誠二 28才
嘉島優子 33才
小田聖也 35才
2024.4.11 ―― プロット作成日
💛イラストはAI生成自作画像
猫の私が過ごした、十四回の四季に
百門一新
キャラ文芸
「私」は、捨てられた小さな黒猫だった。愛想もない野良猫だった私は、ある日、一人の人間の男と出会った。彼は雨が降る中で、小さく震えていた私を迎えに来て――共に暮らそうと家に連れて帰った。
それから私は、その家族の一員としてと、彼と、彼の妻と、そして「小さな娘」と過ごし始めた。何気ない日々を繰り返す中で愛おしさが生まれ、愛情を知り……けれど私は猫で、「最期の時」は、十四回の四季にやってくる。
※「小説家になろう」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
アルバートの屈辱
プラネットプラント
恋愛
妻の姉に恋をして妻を蔑ろにするアルバートとそんな夫を愛するのを諦めてしまった妻の話。
『詰んでる不憫系悪役令嬢はチャラ男騎士として生活しています』の10年ほど前の話ですが、ほぼ無関係なので単体で読めます。
夢見がちな園 〜続・僕の頭痛のタネたち〜
ウサギノヴィッチ
キャラ文芸
いつだって僕は蚊帳の外。そう、今回も。結局、僕はミズキのお守りなんだ。
夏の事件から2ヶ月が経った。世の中は平常に戻っても、僕の周りは常に異常だった。天才作家はスランプに陥り、国民的アイドルはずっと引きこもり、ギャル探偵は仕事を探している。そんな周囲に状況に流されずに生きていく僕のメンタルをだれか褒めてください。
2番目の1番【完】
綾崎オトイ
恋愛
結婚して3年目。
騎士である彼は王女様の護衛騎士で、王女様のことを何よりも誰よりも大事にしていて支えていてお護りしている。
それこそが彼の誇りで彼の幸せで、だから、私は彼の1番にはなれない。
王女様には私は勝てない。
結婚3年目の夫に祝われない誕生日に起こった事件で限界がきてしまった彼女と、彼女の存在と献身が当たり前になってしまっていたバカ真面目で忠誠心の厚い騎士の不器用な想いの話。
※ざまぁ要素は皆無です。旦那様最低、と思われる方いるかもですがそのまま結ばれますので苦手な方はお戻りいただけると嬉しいです
自己満全開の作品で個人の趣味を詰め込んで殴り書きしているため、地雷多めです。苦手な方はそっとお戻りください。
批判・中傷等、作者の執筆意欲削られそうなものは遠慮なく削除させていただきます…
あかりの燈るハロー【完結】
虹乃ノラン
ライト文芸
――その観覧車が彩りゆたかにライトアップされるころ、あたしの心は眠ったまま。迷って迷って……、そしてあたしは茜色の空をみつけた。
六年生になる茜(あかね)は、五歳で母を亡くし吃音となった。思い出の早口言葉を歌い今日もひとり図書室へ向かう。特別な目で見られ、友達なんていない――吃音を母への愛の証と捉える茜は治療にも前向きになれないでいた。
ある日『ハローワールド』という件名のメールがパソコンに届く。差出人は朱里(あかり)。件名は謎のままだが二人はすぐに仲良くなった。話すことへの抵抗、思いを伝える怖さ――友だちとの付き合い方に悩みながらも、「もし、あたしが朱里だったら……」と少しずつ自分を見つめなおし、悩みながらも朱里に対する信頼を深めていく。
『ハローワールド』の謎、朱里にたずねるハローワールドはいつだって同じ。『そこはここよりもずっと離れた場所で、ものすごく近くにある場所。行きたくても行けない場所で、いつの間にかたどり着いてる場所』
そんななか、茜は父の部屋で一冊の絵本を見つける……。
誰の心にも燈る光と影――今日も頑張っているあなたへ贈る、心温まるやさしいストーリー。
―――――《目次》――――――
◆第一部
一章 バイバイ、お母さん。ハロー、ハンデ。
二章 ハローワールドの住人
三章 吃音という証明
◆第二部
四章 最高の友だち
五章 うるさい! うるさい! うるさい!
六章 レインボー薬局
◆第三部
七章 はーい! せんせー。
八章 イフ・アカリ
九章 ハウマッチ 木、木、木……。
◆第四部
十章 未来永劫チクワ
十一章 あたしがやりました。
十二章 お父さんの恋人
◆第五部
十三章 アカネ・ゴー・ラウンド
十四章 # to the world...
◆エピローグ
epilogue...
♭
◆献辞
《第7回ライト文芸大賞奨励賞》
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる