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60 初恋
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私は久しぶりに、城の大広間で開かれる夜会へと出席した。
友人たちに新しい婚約者ジュスト・アシュラム伯爵を紹介すると、皆私のことを羨ましそうにしていた。
何故かというと、以前に私の婚約者であったラザール・クロッシュは、今では王家の顔に泥を塗った痴れ者として知れ渡り、社交の場に出てくることも珍しくなってしまったらしい。
事態を重く見たクロッシュ公爵は、後継者を彼の弟にすることも考えているとか。彼のしたことを思えば、気の毒だとは思えないし、正直に言ってしまうと良い気味だわ。
それに、ドレイクお父様がいくつかの難病の特効薬を開発し、フィオーラ様とジュストの二人が協力し、莫大な資産を築いているという話は、耳の早い貴族たちには既に共有されていた。
だから、私はあのラザールと結婚しなくて良かったし、巨額の富を持つ伯爵ジュストと結婚することになり、意図せずに皆から羨ましいと思われる存在になってしまっていた。
私は別に羨ましく思われたくて、ジュストと結婚しようと思った訳でもないんだけど……。
「……ミシェル。疲れました? 囲まれていましたね」
久しぶりの夜会に疲れてバルコニーで冷たい風を受けていた私は、知り合いの紳士たちに挨拶をしていたはずのジュストの声が聞こえたので背後を振り向いた。
夜会に来た貴族たちはひとしきり踊ったら、男女に別れて歓談したり喫煙したりして社交場で過ごす。人好きのするジュストのことは、全く心配していなかったけど、私の予想通り、抜け目のない彼はどこでもやっていけそう。
「……皆、私に何があったか知りたがるの。けど、ラザールの隠し子を知って私が家出をしたと聞けば、私もそうするって言ってくれたわ。前にジュストは貴族では当たり前って言っていたけど、結婚前に隠し子なんて、やっぱりとんでもない話よ」
「そうですか。皆様、世間知らずのご令嬢ばかりで、本当にお可愛らしいですね」
にっこり微笑んだジュストの腕を取って、彼を見上げた。軽く煙草の香りは匂ったけど、喫煙室に居ただけでどうやら彼は吸っていないようだ。
私の父サイラスは愛煙家で良く家でも吸っていた。思春期を過ぎた私は『臭いから、近寄らないで』と、お父様に言っていたら、それを聞いたジュストは、男性だけの集いでも一切吸わなくなったと、この前お父様が内緒だと言って教えてくれた。
「また、そうやって、世間知らずのお嬢様と馬鹿にするつもり? ……けど、そう言う私が好きなんでしょう?」
言いたいことはわかっているといつもの彼の言葉をやり返すつもりで言えば、ジュストはその通りと肩を竦めた。
「ええ。僕が十年ほど掛けて、ミシェルをそういう可愛いお嬢様にしましたからね……すみません。ここで僕がとても可愛いことを言ってしまって良いですか?」
冗談交じりの言葉のはずなのにジュストはいつになく切なげに呟いたので、私は不思議に思い首を傾げた。
「え? ……良いわよ。ジュスト」
「護衛騎士で居た間、僕は傍近くに仕えていても、貴女が別の男と踊っていても、ずっとそれを見ているだけでした。一緒に踊りたくて……それが今夜、叶って嬉しいです。ミシェル」
「ジュスト……」
一瞬、これはまた後で揶揄われる? と、身構えてしまった。だって、ジュストっていつも私のことを怒らせたがるもの。
けど、ジュストはこの時、本気でそう思っていたらしく、私の手を取り真面目な顔をしてキスをした。
十年間始終一緒に居たはず人なのに、不覚にも胸がキュンと高鳴って、彼にした幼い頃の初恋のように、ときめいてしまった。
私たちはじっと見つめ合い、ジュストがにっこり微笑んで言った。
「そういえば、僕……ミシェルに言わなきゃいけないことがあったんですよ。すっかり、忘れてたな……怒らないで聞いて貰えます?」
ジュストは優秀な護衛騎士で仕事は出来たんだけど、常に一人で何役もこなさねばならず、たまに私の習い事の予定なんかを言い忘れることがあった。
とは言え、それは些細なことだし、先生たちも少し待たされたからと怒らない方たちだったので、特に問題は無かった。
重要なことは先んじて言ってくれるので、私も言われ忘れたからと、彼を怒ったことなんてこれまでに一度も無かった。
これは少し焦った様子だから、何か買わなきゃいけないけど、まだ注文していなかったというところかしら?
「ふふ。良いわよ。また、言い忘れていたの? 怒らないわよ。今度は何?」
いつものように『怒らないから、何があったか言ってみて』と、私が促すとジュストはすまなそうな表情で言った。
「実はラザールとオレリー様を、敢えて会う機会を作ったのは、僕なんですけど……ミシェルは、許してくださいますよね? きっと」
「……え?」
微笑んでいた私は、思わず動きが固まってしまった。
今、なんて言ったの?
「ええ。言わないとと思って居たんですけど、ずっと言い忘れていたんです。すみません。ラザールの好みだったみたいなんですよね。オレリー様。ああいうすぐに消えそうなくらい儚い外見の人が好きなようで……あの後も、まんまと僕の思う通りの展開になってしまって……なんだか、怖いくらいでした」
さっきのすまなそうな顔は打って変わって、得意そうな笑顔……ラザールがオレリーを見て、婚約者を変えたいと言い出すのも……すべてジュストの『計算通り』だったと言うこと?
「ここで、それを許さないなんて、言える訳ないでしょ! もうっ!」
私は彼の頭を咄嗟に叩いたけど、楽しそうに笑うばかりで反省の色なんて……見えるはずもなかった。
Fin
友人たちに新しい婚約者ジュスト・アシュラム伯爵を紹介すると、皆私のことを羨ましそうにしていた。
何故かというと、以前に私の婚約者であったラザール・クロッシュは、今では王家の顔に泥を塗った痴れ者として知れ渡り、社交の場に出てくることも珍しくなってしまったらしい。
事態を重く見たクロッシュ公爵は、後継者を彼の弟にすることも考えているとか。彼のしたことを思えば、気の毒だとは思えないし、正直に言ってしまうと良い気味だわ。
それに、ドレイクお父様がいくつかの難病の特効薬を開発し、フィオーラ様とジュストの二人が協力し、莫大な資産を築いているという話は、耳の早い貴族たちには既に共有されていた。
だから、私はあのラザールと結婚しなくて良かったし、巨額の富を持つ伯爵ジュストと結婚することになり、意図せずに皆から羨ましいと思われる存在になってしまっていた。
私は別に羨ましく思われたくて、ジュストと結婚しようと思った訳でもないんだけど……。
「……ミシェル。疲れました? 囲まれていましたね」
久しぶりの夜会に疲れてバルコニーで冷たい風を受けていた私は、知り合いの紳士たちに挨拶をしていたはずのジュストの声が聞こえたので背後を振り向いた。
夜会に来た貴族たちはひとしきり踊ったら、男女に別れて歓談したり喫煙したりして社交場で過ごす。人好きのするジュストのことは、全く心配していなかったけど、私の予想通り、抜け目のない彼はどこでもやっていけそう。
「……皆、私に何があったか知りたがるの。けど、ラザールの隠し子を知って私が家出をしたと聞けば、私もそうするって言ってくれたわ。前にジュストは貴族では当たり前って言っていたけど、結婚前に隠し子なんて、やっぱりとんでもない話よ」
「そうですか。皆様、世間知らずのご令嬢ばかりで、本当にお可愛らしいですね」
にっこり微笑んだジュストの腕を取って、彼を見上げた。軽く煙草の香りは匂ったけど、喫煙室に居ただけでどうやら彼は吸っていないようだ。
私の父サイラスは愛煙家で良く家でも吸っていた。思春期を過ぎた私は『臭いから、近寄らないで』と、お父様に言っていたら、それを聞いたジュストは、男性だけの集いでも一切吸わなくなったと、この前お父様が内緒だと言って教えてくれた。
「また、そうやって、世間知らずのお嬢様と馬鹿にするつもり? ……けど、そう言う私が好きなんでしょう?」
言いたいことはわかっているといつもの彼の言葉をやり返すつもりで言えば、ジュストはその通りと肩を竦めた。
「ええ。僕が十年ほど掛けて、ミシェルをそういう可愛いお嬢様にしましたからね……すみません。ここで僕がとても可愛いことを言ってしまって良いですか?」
冗談交じりの言葉のはずなのにジュストはいつになく切なげに呟いたので、私は不思議に思い首を傾げた。
「え? ……良いわよ。ジュスト」
「護衛騎士で居た間、僕は傍近くに仕えていても、貴女が別の男と踊っていても、ずっとそれを見ているだけでした。一緒に踊りたくて……それが今夜、叶って嬉しいです。ミシェル」
「ジュスト……」
一瞬、これはまた後で揶揄われる? と、身構えてしまった。だって、ジュストっていつも私のことを怒らせたがるもの。
けど、ジュストはこの時、本気でそう思っていたらしく、私の手を取り真面目な顔をしてキスをした。
十年間始終一緒に居たはず人なのに、不覚にも胸がキュンと高鳴って、彼にした幼い頃の初恋のように、ときめいてしまった。
私たちはじっと見つめ合い、ジュストがにっこり微笑んで言った。
「そういえば、僕……ミシェルに言わなきゃいけないことがあったんですよ。すっかり、忘れてたな……怒らないで聞いて貰えます?」
ジュストは優秀な護衛騎士で仕事は出来たんだけど、常に一人で何役もこなさねばならず、たまに私の習い事の予定なんかを言い忘れることがあった。
とは言え、それは些細なことだし、先生たちも少し待たされたからと怒らない方たちだったので、特に問題は無かった。
重要なことは先んじて言ってくれるので、私も言われ忘れたからと、彼を怒ったことなんてこれまでに一度も無かった。
これは少し焦った様子だから、何か買わなきゃいけないけど、まだ注文していなかったというところかしら?
「ふふ。良いわよ。また、言い忘れていたの? 怒らないわよ。今度は何?」
いつものように『怒らないから、何があったか言ってみて』と、私が促すとジュストはすまなそうな表情で言った。
「実はラザールとオレリー様を、敢えて会う機会を作ったのは、僕なんですけど……ミシェルは、許してくださいますよね? きっと」
「……え?」
微笑んでいた私は、思わず動きが固まってしまった。
今、なんて言ったの?
「ええ。言わないとと思って居たんですけど、ずっと言い忘れていたんです。すみません。ラザールの好みだったみたいなんですよね。オレリー様。ああいうすぐに消えそうなくらい儚い外見の人が好きなようで……あの後も、まんまと僕の思う通りの展開になってしまって……なんだか、怖いくらいでした」
さっきのすまなそうな顔は打って変わって、得意そうな笑顔……ラザールがオレリーを見て、婚約者を変えたいと言い出すのも……すべてジュストの『計算通り』だったと言うこと?
「ここで、それを許さないなんて、言える訳ないでしょ! もうっ!」
私は彼の頭を咄嗟に叩いたけど、楽しそうに笑うばかりで反省の色なんて……見えるはずもなかった。
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