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52 脱出(Side Just)①

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「……ミシェル・サラクランよ。よろしくね」

 僕が仕えることになった『ミシェルお嬢様』に初めて明るくご挨拶をした時、彼女は無表情で素っ気なくそう返した……正直に言ってしまうと『あれ?』と、落胆してしまった。

 自分を気に入ってもらえるだろうと、妙な自信を持っていたからだ。

 僕は自分でも割と見目が良い方だなとそれまで思っていたし、これまでに会った女の子は、全員僕のことが好きになった。

 貴族令嬢や貴族令息の傍に居ることになる侍女や侍従などは、まず容姿が良いことが暗黙の第一条件とされている。別にそれだけがすべてではないが、適材適所の問題だ。そういう者で適正がある者が特に選ばれるのだ。

 貴族は伝統や芸術を重んじ、審美眼に優れている。好みの容姿の者を傍に置くことだって、彼らの持つ権力の象徴となるからだ。

 自分で言うのもなんだが、僕はとても有能だし、短期間で護衛騎士としてのすべてを身に付け、ご当主であるサラクラン伯爵サイラス様も『これならば問題ないだろう』とを僕を認め褒めてくださったのだ。

 そんな素敵な護衛騎士に見えているはずのこの僕が、これからずーっと彼女の傍に居るようになるのに、喜ぶはずの女の子ミシェルお嬢様はあまり嬉しくはなさそうなのだ。

 ……なんなんだ。この僕が傍に居るというのに、そんなに浮かない顔になるのはおかしいだろう。期待通りの反応ではなく、正直面白くはなかった。

「伯爵様からもご説明があったと思いますが、ミシェルお嬢様のスケジュールなども、すべて僕が管理致します。もし何かしたいことがあれば、僕に言って下さい。適宜調整致しますので……」

「そう……わかったわ」

 ミシェルお嬢様は表情を変えることなく頷いて、手に持っていた開かれた本へと視線を戻した。

 新しく仕える事になった僕が気に入らないと言うより、おそらく全員にそういう気のない対応なのかもしれない。

 そういえば……彼女は高位にあるはずの伯爵令嬢にも関わらず、側近くに仕える侍女があまり続かないらしい。

 それを聞いてどんな方なのかと思っていたが、素っ気なく無口なことが気になるくらいで、僕の挨拶を無視することもなく、礼儀正しく上品な可愛いらしいお嬢様だ。

 あと、気が強そうな猫目も、魅力的で可愛い。人に慣れていない、きまぐれな子猫を見るような気持ちになった。

「……ジュスト。私の傍が気に入らなければ、お父様に言いなさい。私は気にしないから」

「はい……? かしこまりました。ミシェルお嬢様」

 お嬢様が気に入らないも何も、僕が会って挨拶してから五分しか経っていないんだが?

 ……ん? 優秀な僕の推理によるとさっきの言葉は『もしかしたら、私が気に入らないかもしれないけど、よろしくね』みたいな感じだろうか。だって、本当に気にしない人は、あれは言わないんだよなあ……。

「ミシェルお嬢様。僕は近くに居ますので、何か用事があれば名前をお呼びください」

 とりあえず、彼女の本当に言いたいことが良くわからないが、仕えてそうそうに機嫌を悪くさせたい訳でもない。近くの使用人部屋に引っ込んでおくか……。

「……待ちなさい」

 本を熱心に読んでいたミシェルが去ろうとした僕に、慌てて声を掛けた。

「はい。なんでしょうか。ミシェルお嬢様」

 まだ何かと立ち止まり、問い掛けた僕に彼女は悲しそうな顔をした。

「……そこに居て良いわ。私、ジュストが居ても、気にしないから」

「かしこまりました。ミシェルお嬢様。それでは、こちらの椅子で事務作業などさせて頂いても?」

「良いわ。許します」

 つんと澄ましてミシェルが頷いたので、僕は執事から時間のある時に提出するようにと渡された書類を取りに廊下に出た。本来ならば彼女の前で書き仕事など許されないが、他でもない僕の主人が許したので問題ないだろう。

 あれは、きっと『寂しいから、まだ一緒に居て』という意味だと思う。へえ。なんだか、素直ではなさそう。

 ……なんとも、お可愛らしい。僕の仕えるお嬢様は、どうやら最高の主人になりそうだ。

 それからの僕とミシェルは、ゆっくりと距離を縮めて行った。僕は信用できる存在で貴女を守っていますと、ことあるごとに見せることで、ミシェルの警戒心は少しずつ解けて行った。

 けど、好きな女の子ほどいじめて怒らせたくなるものなんですよ。それは僕だけではなく、男全般、皆そうだと思いますけどね。

 何故かというと、好かれていなければ、僕に対し怒ったりもしないはず。もし、静かな嫌悪と侮蔑であれば、相当嫌われている。無関心ならば、すべてに無反応。

 ありがたいことに、ミシェルは僕が揶揄っても怒るだけで、最終的には許してくれる。

 まあ……これは、どう考えても好かれている。だから、僕はミシェルが自分のことを好きなことを知りながら、ついつい虐めて怒った顔を見たくなってしまう。

 この子は僕のことが好きなんだなという、確かで簡単な確認作業。
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