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帰還
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「ニーナ、手紙よ」
私はその日の仕事終わりに、メイド長のミランダさんから一通の手紙を受け取った。
……実家から、兄の名前シメオンの署名がある手紙だ。
手紙の内容は要約すると、二番目の兄ヴァレールが手掛ける事業が上手く行ったので、我が家はお金に不自由することがなくなった。
だから、私もお行儀見習いという名の侍女を辞めて、家へ戻ってくること。
それと共に私の結婚相手を探すために、次の大きな夜会で社交界デビューするようになどが、聡明な長兄の美しい文字で書かれていた。
私はくしゅっと音をさせて、兄からの手紙を握った。
この記憶も……魔法使いによって、消えてしまっていたのかもしれない。けれど、今思い出した。頭から抜けていた記憶。
私はマティアスと結婚を前提としたお付き合いをしていることを理由に社交界デビューなどしたくないと断り、ラウル殿下付の近衛騎士である彼の近くにいたくて、メイヴィス様の侍女で居続けることを選んだのだった。
本当に、何も考えていない馬鹿だった。甘い言葉を信じて、そして、見事に捨てられた。
もう、絶対に……間違えたくない。
私は部屋へと戻り、便箋を取り出すと実家に了承の返事と、すぐにでもデビューしたい旨を伝えた。
ラウル殿下の情報は、ここで侍女をしているよりも、私自身が社交界に出た方が集まるだろう。
私はすぐに、ミランダさんや執事長、そして仕えているメイヴィス様へ家に帰ることを伝えた。
メイヴィス様は残念がってくれたけれど、事情を知ると社交界でまた会いましょう、招待状を出すからお茶会にも遊びに来てねと、可愛らしい顔で優しく笑ってくれた。
どこまでも可愛いこの方と、死にゆく運命のラウル殿下を助けたい。
「ニーナ……寂しくなるわ」
「私もよ。セイラ。短い間だったけど、大好きよ。帰ったらすぐに、手紙を書くわ」
別れの日、同室で良い同僚であるセイラと抱き合って別れを惜しんだ。
見返りなどは求めずに私へ良くしてくれた彼女には、きっといつか何かを返したい。
この時、私は感謝の気持ちを持ってそう思った。
◇◆◇
私は王都に隅に建てられた、クルーガー男爵邸へと帰ってきた。
クルーガー男爵と呼ばれている私の父は、お人よしで事業の経営が下手な……まるで見本のような、駄目な貴族だった。
私の二人の兄、シメオンとヴァレールは、それを反面教師にして抜け目がないというか、金銭的な問題に関してはシビアだ。
妹の私にもお行儀見習いという、体の良い出稼ぎの道を見つけてきたのも、事業に成功した下の兄ヴァレール。
ヴァレールの立ち上げた事業は見事に成功したとは聞いたけれど、私が公爵家で業務の引継ぎをしている間に実家の改装や内装の工事があったらしい。
産まれ育った実家なのに、実家ではないような……どこか他人の家を見ている気持ちで、帰ってきたばかりの私は、クルーガー男爵家を見上げた。
「おかえり……ニーナ」
「シメオン兄さん。ただいま。どこか余所の……お金のあるお宅にまぎれこんでしまったのかと思ったわ」
背の高い兄に抱きついて、久しぶりの抱擁をした。
「ヴァレールが、体裁は早めに整えておくに越したことはないと言い出したんだ。あいつが成功して、すぐに改装工事を発注したんだ」
「まあ……素晴らしい出来だけど、これは幾らかかったの?」
私は見慣れない豪華なクルーガー男爵邸に、大きくため息をついた。
今まで貧乏貴族として質素な生活を送っていたせいか、豪華な内装に慣れなくて、居心地が悪い。
今までに勤めていたクロムウェル公爵家も、あくまで働く場所として見ていたけど……今、この場所は引けを取らない豪華さだ。
「そんな額が些少に思える程、ヴァレールは稼いだんだよ。お前の持参金だって、豪華にしてやれる。母上譲りの美貌で社交界で良い男を捕まえれば、何処にだって、望むところに嫁に行けるぞ」
シメオン兄さんは、ヴァレール兄さんの事業の成功がとても誇らしいようだ。
私は父にでどこかのんびりとした顔を持つシメオン兄さんを見つめた。
嫡男のシメオン兄さんは、妹の私に何もしてやれないと気に病んでいたこともある。
十分な持参金を妹に持たせることが出来る、という現在がとても嬉しいのだと思う。
「ニーナ。帰ったか」
「ヴァレール兄さん」
シメオン兄さんはお人よしの父に似ているけれど、ヴァレール兄さんは若い頃、社交界の妖精と呼ばれた母の血を受け継ぎ、私と同じ黒髪と紫色の切れ長の目を持つ男前だ。
「お前が社交界にすぐにでも出たい希望していたから、仕立て屋を呼んであるぞ、今流行りのメゾンだ。金に糸目をつけず、お前の着たい好きなドレス作ると良い」
「ヴァレール兄さん。兄さんが成功したのは知っているけれど、こんなに派手にお金を使って大丈夫なの?」
心配顔の私を冷たく見える目で一瞥して、フンと息をついた。
「お前のドレス程度、微々たる金額だ。せっかくだから、この機会に季節毎に何枚か作っておけ。これからは、いつも同じドレスではいられないからな」
「……ありがとう。兄さんたちの妹で良かったわ」
ヴァレール兄さんは、私の笑顔に、もう一度鼻を鳴らすとにやりと笑った。
「社交界で特上の男を捕まえろ。ニーナ。母上似のお前になら、それが出来る」
私はその日の仕事終わりに、メイド長のミランダさんから一通の手紙を受け取った。
……実家から、兄の名前シメオンの署名がある手紙だ。
手紙の内容は要約すると、二番目の兄ヴァレールが手掛ける事業が上手く行ったので、我が家はお金に不自由することがなくなった。
だから、私もお行儀見習いという名の侍女を辞めて、家へ戻ってくること。
それと共に私の結婚相手を探すために、次の大きな夜会で社交界デビューするようになどが、聡明な長兄の美しい文字で書かれていた。
私はくしゅっと音をさせて、兄からの手紙を握った。
この記憶も……魔法使いによって、消えてしまっていたのかもしれない。けれど、今思い出した。頭から抜けていた記憶。
私はマティアスと結婚を前提としたお付き合いをしていることを理由に社交界デビューなどしたくないと断り、ラウル殿下付の近衛騎士である彼の近くにいたくて、メイヴィス様の侍女で居続けることを選んだのだった。
本当に、何も考えていない馬鹿だった。甘い言葉を信じて、そして、見事に捨てられた。
もう、絶対に……間違えたくない。
私は部屋へと戻り、便箋を取り出すと実家に了承の返事と、すぐにでもデビューしたい旨を伝えた。
ラウル殿下の情報は、ここで侍女をしているよりも、私自身が社交界に出た方が集まるだろう。
私はすぐに、ミランダさんや執事長、そして仕えているメイヴィス様へ家に帰ることを伝えた。
メイヴィス様は残念がってくれたけれど、事情を知ると社交界でまた会いましょう、招待状を出すからお茶会にも遊びに来てねと、可愛らしい顔で優しく笑ってくれた。
どこまでも可愛いこの方と、死にゆく運命のラウル殿下を助けたい。
「ニーナ……寂しくなるわ」
「私もよ。セイラ。短い間だったけど、大好きよ。帰ったらすぐに、手紙を書くわ」
別れの日、同室で良い同僚であるセイラと抱き合って別れを惜しんだ。
見返りなどは求めずに私へ良くしてくれた彼女には、きっといつか何かを返したい。
この時、私は感謝の気持ちを持ってそう思った。
◇◆◇
私は王都に隅に建てられた、クルーガー男爵邸へと帰ってきた。
クルーガー男爵と呼ばれている私の父は、お人よしで事業の経営が下手な……まるで見本のような、駄目な貴族だった。
私の二人の兄、シメオンとヴァレールは、それを反面教師にして抜け目がないというか、金銭的な問題に関してはシビアだ。
妹の私にもお行儀見習いという、体の良い出稼ぎの道を見つけてきたのも、事業に成功した下の兄ヴァレール。
ヴァレールの立ち上げた事業は見事に成功したとは聞いたけれど、私が公爵家で業務の引継ぎをしている間に実家の改装や内装の工事があったらしい。
産まれ育った実家なのに、実家ではないような……どこか他人の家を見ている気持ちで、帰ってきたばかりの私は、クルーガー男爵家を見上げた。
「おかえり……ニーナ」
「シメオン兄さん。ただいま。どこか余所の……お金のあるお宅にまぎれこんでしまったのかと思ったわ」
背の高い兄に抱きついて、久しぶりの抱擁をした。
「ヴァレールが、体裁は早めに整えておくに越したことはないと言い出したんだ。あいつが成功して、すぐに改装工事を発注したんだ」
「まあ……素晴らしい出来だけど、これは幾らかかったの?」
私は見慣れない豪華なクルーガー男爵邸に、大きくため息をついた。
今まで貧乏貴族として質素な生活を送っていたせいか、豪華な内装に慣れなくて、居心地が悪い。
今までに勤めていたクロムウェル公爵家も、あくまで働く場所として見ていたけど……今、この場所は引けを取らない豪華さだ。
「そんな額が些少に思える程、ヴァレールは稼いだんだよ。お前の持参金だって、豪華にしてやれる。母上譲りの美貌で社交界で良い男を捕まえれば、何処にだって、望むところに嫁に行けるぞ」
シメオン兄さんは、ヴァレール兄さんの事業の成功がとても誇らしいようだ。
私は父にでどこかのんびりとした顔を持つシメオン兄さんを見つめた。
嫡男のシメオン兄さんは、妹の私に何もしてやれないと気に病んでいたこともある。
十分な持参金を妹に持たせることが出来る、という現在がとても嬉しいのだと思う。
「ニーナ。帰ったか」
「ヴァレール兄さん」
シメオン兄さんはお人よしの父に似ているけれど、ヴァレール兄さんは若い頃、社交界の妖精と呼ばれた母の血を受け継ぎ、私と同じ黒髪と紫色の切れ長の目を持つ男前だ。
「お前が社交界にすぐにでも出たい希望していたから、仕立て屋を呼んであるぞ、今流行りのメゾンだ。金に糸目をつけず、お前の着たい好きなドレス作ると良い」
「ヴァレール兄さん。兄さんが成功したのは知っているけれど、こんなに派手にお金を使って大丈夫なの?」
心配顔の私を冷たく見える目で一瞥して、フンと息をついた。
「お前のドレス程度、微々たる金額だ。せっかくだから、この機会に季節毎に何枚か作っておけ。これからは、いつも同じドレスではいられないからな」
「……ありがとう。兄さんたちの妹で良かったわ」
ヴァレール兄さんは、私の笑顔に、もう一度鼻を鳴らすとにやりと笑った。
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