私たちの関係に、名前はまだない。

待鳥園子

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01 雨の音

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 今日は、本当に疲れてしまった。

 そもそもプライベートな事で、非常に精神状態が悪いところに、上司からの無茶振りと同じ時期に転職した同僚の度重なるミスの尻拭い。

 仕事のフォローはお互い様だと思いつつも、何年も同じことをしているのにどうしてと、思ってしまう気持ちはある。

 こちらが大人になって、優しく対応していれば、つけ上がり怠けるの繰り返し。ならばと、強く言えばパワハラだと上司へ報告。

 打つ手はなく、穏便に済ませるには、何かも自分でやるしかない。

 ……ううん。駄目駄目。いつもなら、そういうものだと割り切れるのに、今日は本当に駄目な日。

 電車から帰宅するためにバスを待つために屋根付きのバス停のベンチへと座れば、ちょうど母校の制服を着た男の子が通り過ぎた。

 ……私だって、あの頃は、本当に……何もかもが、輝いて見えたものだ。

 思い返せば、ため息しか出ない灰色の未来が待ち受けていると知れば、あの頃の私は、何と言うだろうか。

 冠婚葬祭以外で、何か悲しいことがあったからと、会社は休暇をくれない。失恋も婚約解消も、自己責任と言えばそれもそうだし。

 腕時計を見てバスが来るまでの、10分間。ほんの少しだけと思って、目を伏せた。

 疲れきった今の私には、青春を謳歌する学生たちは、あまりにも眩し過ぎて。


 ……ぽつりぽつりと、雨が何かに当たる音がした。


 目を閉じたまま、いつものバスを持っていた私は、俯いていた顔を上げて、空を見上げた。夕方の赤い空には、見える範囲には灰色の雲はない。

 ……不思議になった。雨は降っていないというのに、雨音は私の耳に確実に届いている。

 そして、どこからこの雨音は聞こえてくるのだろうと、何気なく隣を見て、私は驚きに目を見開いた。

 背の高い高校生の男の子が居て、私が何年も前に卒業した普通高校の制服を着ている。

 そして、彼の手は開かれた傘を持っていた。

 本当に不思議だけど、彼の持つ傘からは雨音が聞こえて……けれど、今私が居るこの辺には、雨は降っていない。

 ……朝のニュースの天気予報だって、ここ最近は晴天が続くだろうと言っていた。だから、私は折り畳み傘を今、鞄に入れていない。

「……どういうこと?」

 私がそう呟けば、隣の彼は声が聞こえたのか、こちらを見た。そして、彼の顔を真正面から見て、私は言葉も出ないくらいに驚いてしまった。

 そこに居たのは、高校時代の私が実らなかった恋の相手……七瀬瑞樹くんだったからだ。

 短い黒髪に、端正な顔立ち。バスケ部で背は高くて、いかにもスポーツしている高校生という、ガッチリとした筋肉質な体型。

「あ……あの、もしかして……浮田萌音っていう、妹が、居ます? すごく、良く似てて」

 高校生七瀬くんの言葉を聞いて、私はなんと言うべきか戸惑った。それって、高校時代の私のことだ。

 過去の彼に、こんなうらぶれてしまった姿を、そうだと認識されたくない。

 声も何もかも、あの時のまま、そのまま……この人は、高校生の頃の七瀬くん本人で間違いない。

 彼は二年生の途中、両親の仕事の都合で、引っ越してしまった。私はそれ以来、今まで会ってはいない。

 私は今晴れているのに、彼が傘を差しているという視覚的な事で、今のこの事態が異常であることに気がついているけど……私はベンチに座っていて、その上には、小さな屋根がある。

 七瀬くんは過去の私の姉と話しているつもりで、未来の私と話をしているかもなんて、きっと……気がついてもいない。
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