笑み。

大峰亮太

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 ◯

 一条先輩は変な人だった。
 身長はかなり高めで、髪の毛は肩あたりまで伸び、それをオールバックにしていた。顔は男女ともに認めるイイ男であった。しかし、変であった。

 先輩はいつも一人で大学を歩き回り、いつどこでも目撃情報があることから「一条は何人もいる」などと噂立つほどだった。そして大学構内に入ったかと思うと、理事長に直談判し自費で借りているという研究室に篭っては何日も出てこなかった。中で何の研究が行われているかは誰も知らない。さらに極め付けは変な癖であった。
 私が以前、一条先輩の横で昼食をとっていた時であった。無論、私と先輩は顔見知りではない。私の興味で近づいただけだ。
 先輩は必ず少しだけ学食を取り分けた。そして自分が食べ終わった後も、その取り分けた学食をまじまじと見つめた挙句、食べずに残していた。
 私はその後も先輩を観察したが、学食は必ず四分の一ほどであろうか、全てを取り分け、まじまじと見つめた後、残した。

 先輩の研究に関しては誰に聞いても分からなかった。大学関係者さえ、だ。しかし、一つ分かったことがあった。それは先輩の専攻だ。
 先輩は民俗学専攻であった。逆に言ってしまうと、先輩の情報はそれしか分かっていなかった。肝心の研究は何も分からなかった。

 ◯

 ある昼食の時であった。私が学食をせっせと口に運んでいると、一条先輩が隣に座って私に声をかけた。
「なあ、俺を調べて楽しいのか」
 私は吹き出しかけた。バレていた。いやそれよりも、私に話しかけてきたことに驚いた。先輩は調べられても何食わぬ人かと思っていたからだ。
「いや、すみません」
 私は頭を下げて謝った。先輩は頭を掻いて言った。
「んや、謝ってほしいわけじゃないんだ。ただ、楽しいのかなと思ってさ」
 なるほど先輩は優しい人なのだろうかと私は思った。
「そうですね、先輩は不思議な方なので、気になって調べるうちに楽しくなってきました」
 私は丁寧に答えた。そしてそれが事実だった。実際調べるうちに探偵にでもなったかのような気持ちになって、調べるという行為に拍車をかけた。
「そうかア」と言って先輩は学食を取り分けだした。
 私は今かと思い先輩に聞いた。
「先輩のその取り分けるのって何の意味があるんですか」
 先輩は少しの間考え、答えた。
「俺の研究、知りたいかい」
 予想外の返答に私は震えた。そんなの知りたいに決まっている。
「いいんですか!知りたいです!」
「いいよ、あらかた結論はつけたし」
 そういうと先輩は黙々と学食を食べだした。
 先輩は学食を食べ終わると取り分けた四分の一を見つめながら言った。
「これはね、僕の神様にお供えしているんだ。研究の成果が出ますようにってね」
「そんなに難しい研究なんですか」と私は聞いた。
「うーん。難しいとは少し違うな。ただ…」
 先輩は言い淀むと「まあ、来たら分かるよ。一緒においで」と言って席を立った。

 ◯

 私は先輩と共に、先輩の研究室に来ていた。
 そこは壁一面に本棚があり、その全ては古い本やら分厚いファイルでパンクしていた。
 部屋の真ん中には人が一人寝転べそうなほどの大きな丸机があった。そしてその真ん中にはこれまた大きな地球儀があった。
 その地球儀は我々が想像するようなものではなく、磁力であろうか、ふわりと浮かびくるくる回っている。
 不意に先輩は私に聞いた。
「十月二十八日って何の日か知ってるかい」
 私は答えた。
「いえ、何かの日なんですか」
 先輩はにやりと笑みを浮かべ言った。
「『拾芥抄』の記述によると、十月の未の日、つまり現在の暦では十月二十八日は百鬼夜行が行われる日らしい」
「そうなんですね、先輩はその研究をしてらしたんですか」
「いや、それが発端だったんだけどね、結果的にはもっと高次元の研究になってしまった」
 先輩は部屋中の窓に暗幕を垂れ、ついには電気を消した。研究室は闇に包まれた。
 パチンと音がすると、机の浮いた地球儀が照らされた。そして先輩は言う。
「君は日本最大のタブーというものを知っているかい」
 これまた知らないのが来たと思った。
「いえ、それも知りません」
「それはね、十月二十八日を中心としておこる、不可解な事件のこと全般を指す。まあその事件の九割九分は二十八日に起こるのだけどね」
 私は意味がわからなかったが、部屋の雰囲気もあってか、何か聞いてはいけないような気がしてたまらなかった。
「それがどうしたんですか」
 私が聞いたとき、先輩は待ってましたと言わんばかりの食いつきで答えた。
「俺はね、調べたんだ。とてもお金をかけてね。うちはお金だけはあったから。するとどうだ、過去三十年分しか調べられなかったが【タブー】として処理された事件が溢れるほど出てきた」
 そういうと先輩は前の黒板にかかっていた布を取った。そこには〇〇年十月二十八日〇〇で〇〇といった具合に、いつどこで何があったのか黒板一面に書かれていた。先輩は続けた。
「これらすべて!タブーとして処理されているんだ。十月二十八日以外には一件しかなかった。この一件は平成二十四年十月二十八日に起きた、福岡のアパートで腐乱死体が発見された事件の三日後、事件直後アパートに到着した警察官も腐乱死体で見つかっている。この二つはどちらもタブーで処理されている」
 先輩は口の前に指でバッテンを作りながら言った。
「そしてこの日は全国的に行方不明者が急増する。この日だけだ。おかしいとは思わないか」
「たしかに、おかしいと思います」
 私は早くこの部屋から出たかった。この話はイケナイと思っていた。
「そして俺は思ったんだ、タブー視されているのは、人間ではどうにも出来ないからじゃないかと。そして私は三日三晩考えたさ。この事件全てを包括的に解決できる仮説を、そして私は閃いたのだ」
 私は席を立っていた。先輩は今まで一度も「私」と言わなかった。おかしいと思い先輩を見て私は驚いた、先輩は白目を剥いて、天を仰いでいた。
 私はすでにドアを開けていた。その後ろで先輩は「あらゆる…んが…さなり…るん…」と言っていたが聞き取れなかった。聞き取らなくてよかったと思った。
 私は走っていた。ドアを開けた後、私は一気に駆け出し、廊下を走った。そして私はその足で実家に帰った。もうあの大学に行く気にはなれない。

 ◯

 後日、大学の同期から聞いた話では一条先輩は消えたらしい。今はまだ九月。先輩が言っていた時期とは重なっていない。
 しかし、一条先輩の研究室には、なんの物質なのかわからない黒い水溜まりがあり、大学側はそれを一条先輩の研究とし、研究の失敗に耐えられなくなって失踪したと決定した。
 私はもちろん一条先輩を見ていないし、おそらく金輪際見かけることはないだろう。

 私はドアを開ける直前見てしまっていた。
 白目を剥き、天を仰いで話す先輩。その後ろに地球儀を照らしていた光によって浮かび上がったもう一人。それは腕を組み先輩を見ていた。
 あれがなんだったのかはわからない。
 だがそれは、私と目が合うと口を動かした。
 その直後、なにか大きくて柔らかいものが落ちたような嫌な音が聞こえた気がした。
 あの時あれが、なんと言っているのかは聞こえなかったが、何を言っているのかは分かった。

「タブー」
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