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 彼は、ベッド端に腰かけている俺を見て立ちどまり、なにか言いたげな顔をした。

「お疲れ様です」

 こちらから声をかけると、目を逸らして自分のベッドのほうへ歩いていく。

「仕事熱心なことだな」

 通りすがりに声をかけられた。不愛想ではあるが、棘は感じられなかった。
 彼は佩刀せず、上着を腕に抱えていた。髪はしっとり濡れている。ふわりと石鹼の香り。俺は少しからかいを含ませた調子で言った。

「お戻りが遅かったのですね。娼館にでも繰りだしていましたか」
「そんなところには行かない」
「おや。恋人への忠誠ですか」

 攻略対象者に恋人はいないことを承知の上で、とぼけて訊いてみる。

「そういうことじゃない。長期の軍行中でのそのような行為は団員にも禁じている。どうしても不衛生になりがちで、病気が蔓延しやすい」
「おやまあ。ではこれから三か月も禁欲生活ですか。ずいぶんと規律の厳しい。若い団員は大変ですね」
「たかが三か月だろう。あなただって……、言い忘れていたな、あなたもそうだ。この三か月は、そういう行為は慎んでくれ」
「そういう行為というのは、どの程度のことまで含まれているのでしょう」

 素朴な疑問のつもりだったのだが、尋ねたら睨まれた。

「子供のような質問はやめてくれ。性行為全般だ」

 扉がノックされ、雑務の者が湯と盥を届けに来た。

「おや、ここには浴場があると聞いておりましたが」

 宿舎内に共同浴場があると聞いている。昨日の到着は夜遅かったために利用できなかったが、今日は浴場へ向かうつもりだった。雑務の者へ盥を返そうとしたら、後ろから団長が言う。

「俺が頼んだ。主教は、行かないほうがいい」
「どうしてです?」
「いま行ってきたんだが、脱衣場もすべて開放的でな……」

 団長は言いにくそうに口籠る。浴場ならば開放的なものだろう。なぜ俺が行ってはいけないのか。雑務の者は団長の言いたいことを理解したようでうんうんと頷きながら苦笑した。

「たしかに、主教様が行くのはまずいかもしれませんね。目の毒、いやその…、道を踏み外す団員がいるかもしれません。浴場解放中はずっと混んでますし。主教様一人で入られる時間を確保できればいいのでしょうが……」

 あれか。俺が襲われるかもということか。
 常にいやらしい目で見られていた神学校時代の悪夢がよみがえる。神学校の寄宿舎も共同浴場で、悩まされた。
 ここであからさまに手を出す者がいるとは思えないが、不快な思いをする可能性はありそうだ。
 そういうことならばと、俺は部屋で盥を使うことにした。

「三十路の男の裸なんて、皆さん興味ないと思いますけど……でも、わかりました。では今日も部屋で失礼します」
「今夜のうちに魔物を仕留めることができたら、明日にはここを出発する。その後しばらく野営が続く。こうして身を清められるのは当分先になるから、存分に使っておくといい」

 相変わらず不愛想だし事務的な物言いではあるが、親切な助言だった。
 なんだろう。初日よりも棘や敵意を感じない。警戒が緩んでいる気がするんだが、気のせいだろうか。
 もし気のせいじゃないなら、素直に嬉しいというか、ホッとするというか。やっぱり警戒され続けているより、いいものだな。
 雑務の者が出て行った後、俺は服を脱いだ。
 団長はこちらに背を向け、剣の手入れをはじめている。気を遣ってくれているようだ。俺は手早く服を脱ぎながら、直前の会話の意味にふと気づいた。
 浴場に行かないほうがいいと提案したのは団長だ。それはつまり、俺に色気を感じたからそう忠告したのだろうか。
 まさか。
 いや、でも、なんとも思っていなければ、そんな発想もわかないだろうし……。
 意識したら、落ち着かなくなってきた。
 このあと魔力供給を頼む予定だ。多少回復しているが、現状の魔力量では明日も負傷者が出たら対応しきれない。
 アオイだけでなく、まさか自分まで連日魔力供給してもらう羽目になるとは。
 団長と、キス。
 昨日の快感を思いだし、顔が赤らみそうになる。
 たかがキスくらい、と思っていたのだが。
 また、あの快感を。それも、今度は自分からねだるのかと思うと、恥ずかしさで呻きたくなったがどうにか耐える。団長がそばにいるのに挙動不審になってはいけない。
 しかし、思えば昨日のあれが俺のファーストキスだったのだ。どれほど襲われても死守してきた唇を、いともあっさりと。
 三十路にもなってファーストキスが恋愛無関係の仕事のようなものだったという情けなさと、その相手が団長だったという事実をどう受けとめたらいいのか。俺の中で消化不良を起こして、湯の中に頭を沈めたい衝動にかられた。実際沈めかけたが、すぐに我に返り、髪を洗っているふりでごまかす。
 がんばれ俺。上っ面の演技は得意だろう。キスを誘うくらい、どうってことない。澄ました顔で頼めばいいのだ。団長には申しわけないが、わかってくれるだろう。なにしろやらないと困るのは明日負傷する団員だ。
 三十路の男が恥ずかしがるほうが醜悪だ。羞恥を捻じ伏せて堂々といくぞ。
 身体を拭いたあと、下着を身に着け、シャツのボタンを緩くとめる。そこで、ふと気づいた。べつに、今日も団長に頼むことはないんじゃないか? 
 他のヒーラーに頼んでもいいのだ。そうだ。そうしよう。団長より他の者に頼むほうが気楽だ。
 アオイへの供給との兼ね合いもあるから相談してみようと団長のほうを振り返ったら、言うより先に彼がこちらへ来た。

「また、魔力が回復していないな」

 腰を抱き寄せられ、顎に手をかけられる。俺は慌てて口を開いた。

「今日は別のヒーラーに頼もうかと思っているのですが」

 間近にある璃寛茶色の瞳が眇められた。

「なぜ」
「連日ですと、団長に負担がかかるでしょう。アオイの担当を日替わりにしているのと同じように、私もそうしたほうがいいかと」

 団長がなぜか不機嫌そうな顔をした。

「俺は魔力が多いと言っただろう。連日でも問題ない。俺にしておけ」
「ですが」
「魔力供給には相性がある。相性があわない相手だと辛いぞ。主教は俺と相性がいいようだと思ったが、違うか」
「相性……」

 そんなものがあるとは知らなかった。

「昨日、気持ちよく感じたんじゃなかったか」
「っ!」

 図星をさされ、一気に顔が熱くなった。顔と言わず耳も首も、湯気が出そうなほど熱い。
 気持ちよくなっていたこと、ばれているのか…! うう、恥ずかしい…。気づいていたとしても、指摘しないでくれよ…。
 答えられずに顔を赤くしている俺を見て、団長が口元にかすかに笑みを浮かべた。

「俺にしておけ」

 顔を寄せられる。どうしよう。焦ってじたばたしたが、腰にまわされる彼の腕はびくともしない。

「あの、でも、連日私となど…、団長に、申しわけなく……っ」
「いいと言っているだろうが」
「でも…せ、接吻は、性行為に含まれないのでしょうか」
「これは魔力供給だ。性行為じゃない」

 唇を重ねられた。閉じた唇のあいだを彼の舌がつついてくる。おずおずと唇を開くと舌が差し込まれ、魔力を注入された。初めは少しずつ流され、俺の魔力と混じりあう。彼の魔力は熱くて濃い波動を感じる。それが俺の魔力と混ざり、身体の隅々まで溶けあうと、甘い快感へと変化する。まるで媚薬でも飲まされているようだ。身体が熱くなり、疼くような快感が背筋を伝って腰へ届く。
 差し込まれた彼の舌先が、俺の舌に触れてくる。重ねられたとたんに舌が甘く蕩けそうな感覚がした。

「……ん、……ぁ」

 気持ちよくて、思わず甘い声が漏れる。
 昨日は互いに舌を動かすことはなかったのだが、今日は触れあったのをきっかけにして彼が舌を絡めてきた。柔らかく熱い舌の感触。重ねたそれを擦りあわされる。あ、やばい。それ、気持ちいい…。
 舌を甘く吸われ、身体がビクリと震えた。慄いて反射的に逃げを打つが、逃さないとばかりに腰を支える男の腕に力が籠り、強く抱きしめられる。顎にかけられていた手は俺の後頭部へまわされ、深く、くちづけられる。

「ん…、っ……、んぅ……」

 舌を絡める水音が室内に響く、濃厚なくちづけ。徐々に力が抜け、俺は無意識に彼の背へ腕をまわし、縋りついていた。
 快感に支配され、自分をコントロールできない。気づけば促されるままに舌を差しだしていた。味わうように深く絡められると、さらなる快感に満たされる。
 魔力が全身に満ちても、キスは終わらなかった。いったん唇を離され、角度を変えて再び重ねられる。唇を軽く食まれ、吸われ、また舌を差し込まれる。唾液が混ざりあい、唇が濡れる。なんだかだいぶ好き勝手に貪られている気がすると頭の片隅で思ったが、抵抗する気にはなれなかった。
 こんなディープキス、初心者にしちゃいけないって。
 もうこれ、魔力供給じゃなくてただのキスだし。なんかもう、だめだ。
 気持ちよすぎて、どうにでもしてくれという気分で口を明け渡していると、そのうち身体の熱がどうしようもないほどに高まり、下腹部の奥が耐えきれないと限界を訴えてきた。
 やばい。イきそう。キスでイくとか、ちょっと……。ビクビクと震えだす身体。ああ、もう……。
 震える手で彼の胸を押すと、すんでのところで唇を離された。

「は、ぁ……」

 ああ、やばかった。
 力が抜けている身体を支えられ、ゆっくりとベッドへすわらされた。

「大丈夫か」
「はい……」

 吐息が熱い。きっと顔は赤くなり、目も潤んでしまっている。力の抜けた身体といい、感じていた証拠は隠しようもない。それを団長に知られていると思うと羞恥が増し、動揺を隠しきれない。営業スマイルを浮かべる余裕などなく、目を泳がせた。
 団長が俺の唇に指を伸ばす。親指で濡れた唇を拭われた。

「やっぱり、相性がいいな」
「……」
「明日以降も、俺がする。変な遠慮をして、他のやつに頼んだりするな」

 見上げると、いつもの不愛想な彼だった。俺の魔力を目視で確認すると、自分のベッドへ戻っていった。
 昨日よりずっとエロいキスをされてしまった。なぜだ。
 団長は、俺とキスするなんて嫌じゃないんだろうか。
 これも仕事の一環、というにしては、ノリノリだったよな。
 からかわれたのか。それとも嫌がらせのつもりだったとか? 相性がいいことをわからせたかった?
 どういう意図だったのか知りたいが、恥ずかしくて聞けない。
 それにしても、これが今後も続くとなると問題が一つある。
 この身体の熱は、いったいどうすればいいのか。
 じくじくと孕む熱を持て余し、俺は悶々としてベッドへ横たわった。
 
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