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BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった3
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仕事を終えると、穂積と居酒屋へ行くのが定番。近所に新しい居酒屋ができたため、今日はそこへ入ってみた。
いつものように小説談議からはじまった会話は、終盤には、彼の女性恐怖症へと移っていった。
「それはさ、両親の影響とか、少なからずあったりするのかな」
彼の両親の性指向に関しては、彼の小説で知っている、しかし非常にナイーブな問題であるため、両親の話題を持ちだしたことはこれまでなかった。しかし今は穂積のことをもっと知ろうという思いが高まっていたため、遠慮を捨てて踏み込んでみた。
テーブルの向かいに座る穂積は気分を害した様子もなく、首を捻りつつ応じた。
「まったくないとは言い切れませんけど、両親の影響は少ないですかね。それよりたぶん、祖母だと思う」
「おばあさん?」
彼の祖母のことは知らない。もしかしたら彼の過去作品に登場しているかもしれないが、私はまだ彼の作品をコンプリートしておらず、祖母に関する作品も未読だ。
「両親は小説で書いている通り、あんななんで、俺が小さかった頃、祖母によく預けられていたんですが、とても怖い人でして」
「しつけが厳しかったとか?」
「あー、しつけも厳しかったですけど、そういう意味ではなく。祖父が浮気癖のある人で、その愛人と祖母の修羅場を目の前でよく見せられて。毎回、警察がやってくるような大騒ぎをしていて」
祖母が祖父や愛人を相手に殺害未遂事件を起こしたことは一度や二度ではなかったとか、結局最後は祖父への当てつけのように自殺したとか、そんな話をあっけらかんと話された。
聞けば聞くほどマイノリティなエピソードがわんさか出てくる男である。絶句するしかない内容であるが、私は、その環境で育っていながら私に好意を寄せてくる穂積の逞しさに、いっそ感心してしまった。
「きみ、その環境でよくまっとうに育ったな」
「まっとうじゃないですよ。ゲイですし」
「でも私だったら……女性だけでなく、人類全般と恋愛する気が起きなくなりそう」
正直に呟くと、穂積が笑った。
冗談ではなく、本気でそう思うのだが。
ところで彼の作品には過去の恋人との話がある。作品の中では一年ほど続いたことになっている。その相手以外の話は知らないのだが、他にもつきあった経験はあるのだろうか。
「過去に、ええと、八年前だっけ。恋人がいたよな。その後はいたことあるの?」
「いえ。恋人というのは、あとにも先にもそれだけです」
「じゃあ、恋人とは呼べないけど、一晩限り、みたいなのは」
突っ込んで訊くと、彼の表情が微妙にたじろいだものになった。さらに突っ込んでみる。
「男同士だと、マッチングアプリを使って出会ったその日にとか、気軽にするって話を聞く」
好意を寄せる相手には言いにくい話だろう。穂積はためらいつつ答えた。
「それはまあ……二十二、三歳くらいまでは、そういうことをしたこともありますよ。でもそれ以降はまったく」
イケメンのくせに、四、五年は清い体だという。本当だろうかと黙って見つめ続けると、穂積が両掌をこちらにむけて弁明した。
「いや、本当に。処理だけだったら、ホールとVRで充分と悟ったというか」
VR。私は刮目した。
「VR。持ってるの?」
「ええ」
「あれ、いい?」
「そりゃあもう。風俗行くよりお勧めです」
VR。それはいま現在、私が最も興味があるものの一つである。
自慰が捗ると噂に聞き、ぜひ試してみたいと思っているのだが、高価な代物であるため手が出ない。どうやって資金を貯めようか検討していた矢先なのである。
いいなあ。
そんな思いが顔に出たのだろう。穂積が口元を緩めた。しかし貸してくれるとは云ってくれなかった。代わりに私の手元へ目を落とす。
「久見さん、もうおなかいっぱいですかね。それ、食べちゃっていいですか」
「うん」
残っていたとん平焼きの皿に穂積が手を伸ばした。
私は、性欲は過剰にありすぎて持て余すほどだが、食に関してはそうでもない。小食なため、よく食べる穂積との
外食は、食べ残す罪悪感を覚えたり、無理して食べずに済むのでありがたい。
小学生の頃、給食で居残りさせられ、無理に食べて嘔吐した記憶が思いだされる。家でも母に残さず食べるよう強要され、嘔吐したことがある。
残さず食べることが食材への供養になると大人から云われるが、じゃあ自分が食材の立場だったらどう思うか。クマに襲われて食われた際、残さず食べてと思えるか。長らく行方不明だった家族がクマに襲われたことが判明し、遺体で自宅へ戻ってきたとき、戻ってきてくれてよかったと泣くのは矛盾していないか。餌本人や家族の立場だと、少しでも食べ残してほしいのではないか。と、食の強要がつらいあまり、当時は捻くれたことを考えたものだ。それを親に言ったら、口答えするなと怒られた。
嘔吐してからは、教師や母に無理強いされることはなくなったが、たまに会う祖父母からは一緒に食事をするたびに嫌味を云われた。食卓は私にとって、楽しい思い出のある場所ではない。
給食の居残り指導をする学校は、私の子供時分には一世代前よりずっと少数だったと思われるが、我が担任教師は実施していた。学年で私一人だけだった。共感し、味方となってくれる者は周囲に誰一人いなかった。似たような経験をした仲間が日本中に腐るほどいることを、子供だった当時の私が知るすべもなく、只々自分は異端者で、完食もできないクズだという認識を叩き込まれた。あの時の私は確然たるマイノリティであった。
穂積は私などよりもずっと悩み多き人生を送ってきただろうが、かような小食の悩みは抱かずに済んだのだろうと、彼の食べっぷりを見て思う。
しかし彼は、私の少食に関して否定的なことを言ったことはない。
一度でもマイノリティになった経験のある者は、他種のマイノリティにも寛容であり、たとえ理解できなくとも理解しようと努力してくれるように感じるのは偏見だろうか。
いつものように小説談議からはじまった会話は、終盤には、彼の女性恐怖症へと移っていった。
「それはさ、両親の影響とか、少なからずあったりするのかな」
彼の両親の性指向に関しては、彼の小説で知っている、しかし非常にナイーブな問題であるため、両親の話題を持ちだしたことはこれまでなかった。しかし今は穂積のことをもっと知ろうという思いが高まっていたため、遠慮を捨てて踏み込んでみた。
テーブルの向かいに座る穂積は気分を害した様子もなく、首を捻りつつ応じた。
「まったくないとは言い切れませんけど、両親の影響は少ないですかね。それよりたぶん、祖母だと思う」
「おばあさん?」
彼の祖母のことは知らない。もしかしたら彼の過去作品に登場しているかもしれないが、私はまだ彼の作品をコンプリートしておらず、祖母に関する作品も未読だ。
「両親は小説で書いている通り、あんななんで、俺が小さかった頃、祖母によく預けられていたんですが、とても怖い人でして」
「しつけが厳しかったとか?」
「あー、しつけも厳しかったですけど、そういう意味ではなく。祖父が浮気癖のある人で、その愛人と祖母の修羅場を目の前でよく見せられて。毎回、警察がやってくるような大騒ぎをしていて」
祖母が祖父や愛人を相手に殺害未遂事件を起こしたことは一度や二度ではなかったとか、結局最後は祖父への当てつけのように自殺したとか、そんな話をあっけらかんと話された。
聞けば聞くほどマイノリティなエピソードがわんさか出てくる男である。絶句するしかない内容であるが、私は、その環境で育っていながら私に好意を寄せてくる穂積の逞しさに、いっそ感心してしまった。
「きみ、その環境でよくまっとうに育ったな」
「まっとうじゃないですよ。ゲイですし」
「でも私だったら……女性だけでなく、人類全般と恋愛する気が起きなくなりそう」
正直に呟くと、穂積が笑った。
冗談ではなく、本気でそう思うのだが。
ところで彼の作品には過去の恋人との話がある。作品の中では一年ほど続いたことになっている。その相手以外の話は知らないのだが、他にもつきあった経験はあるのだろうか。
「過去に、ええと、八年前だっけ。恋人がいたよな。その後はいたことあるの?」
「いえ。恋人というのは、あとにも先にもそれだけです」
「じゃあ、恋人とは呼べないけど、一晩限り、みたいなのは」
突っ込んで訊くと、彼の表情が微妙にたじろいだものになった。さらに突っ込んでみる。
「男同士だと、マッチングアプリを使って出会ったその日にとか、気軽にするって話を聞く」
好意を寄せる相手には言いにくい話だろう。穂積はためらいつつ答えた。
「それはまあ……二十二、三歳くらいまでは、そういうことをしたこともありますよ。でもそれ以降はまったく」
イケメンのくせに、四、五年は清い体だという。本当だろうかと黙って見つめ続けると、穂積が両掌をこちらにむけて弁明した。
「いや、本当に。処理だけだったら、ホールとVRで充分と悟ったというか」
VR。私は刮目した。
「VR。持ってるの?」
「ええ」
「あれ、いい?」
「そりゃあもう。風俗行くよりお勧めです」
VR。それはいま現在、私が最も興味があるものの一つである。
自慰が捗ると噂に聞き、ぜひ試してみたいと思っているのだが、高価な代物であるため手が出ない。どうやって資金を貯めようか検討していた矢先なのである。
いいなあ。
そんな思いが顔に出たのだろう。穂積が口元を緩めた。しかし貸してくれるとは云ってくれなかった。代わりに私の手元へ目を落とす。
「久見さん、もうおなかいっぱいですかね。それ、食べちゃっていいですか」
「うん」
残っていたとん平焼きの皿に穂積が手を伸ばした。
私は、性欲は過剰にありすぎて持て余すほどだが、食に関してはそうでもない。小食なため、よく食べる穂積との
外食は、食べ残す罪悪感を覚えたり、無理して食べずに済むのでありがたい。
小学生の頃、給食で居残りさせられ、無理に食べて嘔吐した記憶が思いだされる。家でも母に残さず食べるよう強要され、嘔吐したことがある。
残さず食べることが食材への供養になると大人から云われるが、じゃあ自分が食材の立場だったらどう思うか。クマに襲われて食われた際、残さず食べてと思えるか。長らく行方不明だった家族がクマに襲われたことが判明し、遺体で自宅へ戻ってきたとき、戻ってきてくれてよかったと泣くのは矛盾していないか。餌本人や家族の立場だと、少しでも食べ残してほしいのではないか。と、食の強要がつらいあまり、当時は捻くれたことを考えたものだ。それを親に言ったら、口答えするなと怒られた。
嘔吐してからは、教師や母に無理強いされることはなくなったが、たまに会う祖父母からは一緒に食事をするたびに嫌味を云われた。食卓は私にとって、楽しい思い出のある場所ではない。
給食の居残り指導をする学校は、私の子供時分には一世代前よりずっと少数だったと思われるが、我が担任教師は実施していた。学年で私一人だけだった。共感し、味方となってくれる者は周囲に誰一人いなかった。似たような経験をした仲間が日本中に腐るほどいることを、子供だった当時の私が知るすべもなく、只々自分は異端者で、完食もできないクズだという認識を叩き込まれた。あの時の私は確然たるマイノリティであった。
穂積は私などよりもずっと悩み多き人生を送ってきただろうが、かような小食の悩みは抱かずに済んだのだろうと、彼の食べっぷりを見て思う。
しかし彼は、私の少食に関して否定的なことを言ったことはない。
一度でもマイノリティになった経験のある者は、他種のマイノリティにも寛容であり、たとえ理解できなくとも理解しようと努力してくれるように感じるのは偏見だろうか。
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