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BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった3
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しおりを挟む一月末の給料明細を見ると、時給が十円上がっていた。
研修期間でもなければ、最低賃金の引き上げ時期でもない。不自然な時期の賃上げであり、それはつまり私が辞めたいと言いだしたことに対する店長の引きとめ策なのだろうかと思ったが、そうではなかった。本部の意向で全アルバイトの時給が上がったのだそうだ。つまらぬ理由である。
いずれにせよ時給が上がるのはありがたい。年末年始の特別手当もあり、今月は予想よりも少し多く貰えた。
機嫌よく蕎麦を啜っていたら、一緒に昼休憩をとっていたパート主婦、佐藤さんに指摘された。
「今日はご機嫌ねえ。お給料いっぱい貰えた?」
図星を突かれ驚くと、可笑しそうに云われた。
「ヒフミンは思ってることが全部顔に出るからねえ」
そんなはずはない。たしかに内心は嬉しく思っていたが、表情には出ていないはず。私は常に不愛想で不機嫌な男である。仕事中は特に、苦み走ったいい男と独身女子たちに思われたいがために、二割増しで不愛想にしている。
時給が十円上がったくらいでご機嫌になるようなチンケな男と思われるのは心外である。
私の複雑な男心など知らず、佐藤さんが続ける。
「ヒフミンって、最初はとっつきにくそうだけど、慣れるとそんなことないのよね。穂積君とは逆よね」
「穂積君?」
「彼は誰にでもニコニコして人当たりよさそうだけど、本音を見せない感じがあるのよね。そう思わない?」
私は首を捻った。
「そうですかねえ。たしかに彼は、私より愛想がいいですけど。でもバイト先で関わる人に本音を見せることって、そんなにあります?」
「いや、そうなんだけど、なんていうかな。人を寄せ付けない感じっていうか。ニコニコしてるけど、残念とか嬉しいとかの喜怒哀楽が薄くて、なに考えてるかわからないっていうか。ヒフミンは感じないか。彼と仲いいものね」
穂積は軽度の女性恐怖症があるため、女性に対してガードが固くなるという面はあるだろう。
話題はすぐに移り、その話が続くことはなかったが、私の心には残った。
世の女性はすべて、イケメンである穂積に好感を抱いているものと決めつけていたが、必ずしもそうではなさそうだということに私ははじめて気づいた。
佐藤さんには、本音を見せず人を寄せ付けない男と思われている。私の知らない穂積の一面であった。
私は穂積の内面を、よく知っている。
それは彼が私小説家であり、作中でその時々の感情描写をしているためだ。基本的に穏やかで冷静。しかし場合によっては情熱的にもなる。家族関係を描いた場面などでは、苦悩と諦念が交互に繰り返される。
しかし、私小説はあくまでもフィクションである。その時の彼の感情や行動がどこまで真実なのかは定かでない。
実際のところどうなのか、私は彼の真実をどれほど知っているのか。知っている気になっているが、じつはさほど知らないのではあるまいか。
一緒に飲んで話すときは小説の話がメインであり、当然それ以外の話もするが、知らないことは多い。例えば駅前のマンションに住めるだけの財力について。人の収入について根掘り葉掘り聞くのも下衆なので遠慮しているが、初版三千部で講演会もしていない私小説家が住める場所ではない。
私は、彼に対する己の感情が恋なのか、それとも流されているだけなのかいまいち把握できずにいる。それは嫉妬心や劣等感、敵愾心など、様々な感情を彼に抱いているせいだと思っていたが、それだけでなく、恋か判断できるほど彼のことを知らないせいかもしれないと思えてきた。
そんなことを考えながら店舗に戻る。今日はシフトの都合で私と佐藤さんが遅休憩だったが、穂積も私と同じシフトで出勤しており、彼は作業場の奥にあるパソコンに向かっていた。普段、バイトがそのパソコンに触れることはないため、珍しい光景であった。
「なにしてるんだ?」
背後から覗き込むと、なにやら文章を打ち込んでいた。
穂積が手を止め、私を見上げる。
「新人バイト用のマニュアルを作り直しているんです。今あるの、古すぎて使い物にならないでしょう」
たしかにあれは使い物にならないけれども。
「なんできみが?」
「今、ちょっと手が空いてますし。気になったんで、やらせてほしいと店長に頼んだんです」
「いや、だけども。それは店長がすべき仕事じゃないだろうか」
穂積は私の言葉を肯定するように頷きつつ、苦笑する。
「店長は忙しいですから、優先順位が低くて面倒なものは、なかなか、ね。俺はこういうの、苦じゃないんで」
穂積は顔をパソコンモニターへ戻し、作業を再開した。
私もマニュアルの使えなさは気になっていたが、その修正は私の仕事の領域ではなく、自ら進んでやろうと思ったことなどなかった。穂積も私と同じで、不必要な手出しをしないタイプと思っていたから、意外だ。
こんな一面もあるのかと思う。
私が作業に戻ってまもなく、穂積が直し終えたと云い、店長に確認していた。店長がべた褒めし、マニュアルを印刷する。気になったので私も見せてもらったのだが、過去のものよりも数段わかりやすくなっていた。
「本当だ。すごくよくなった」
私も褒めると、彼ははにかんだ表情を見せた。
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