BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった

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 産休に入った女性社員が復帰するまでこれが続くのかと思うとうんざりした。穂積も茂呂も煩わしい。いよいよバイトを辞める気持ちが固まりそうだ。
 しかしBLレーベルから首を切られたばかりの身の上である。あと一社あるとはいえ、そちらがどの程度の収入になるか、納品するまでわからない。辞めるのは新たなバイト先を確保してからでないと、金銭的な不安がある。
 茂呂の話を聞き流しつつ作業しているうちに十時になり、穂積が出勤してきた。

「はよっす。このあいだはお疲れ様~」

 作業台に来た穂積に、茂呂が待ってましたとばかりに話しかけた。

「なあ穂積君、ヒフミンはその気がない。諦めたほうがよさそうだぞ」

 穂積が冷ややかに茂呂を睨む。茂呂はその視線を受けてニヤッとした。

「ヒフミンに避けられる理由、心当たりないって言ってただろう。でもヒフミンが言うには、理由あるみたいなんだわ」

 私は思わず眉を顰めた。まるで私が相談したかのような口ぶりである。
 茂呂が馴れ馴れしく私の肩を叩いた。

「なあヒフミン、言ってやれよ。そうしないといつまでたっても解決しないぞ」

 やめてくれ。
 ここまで来ると親切心ではなく出歯亀根性だ。

「いい加減にしてください」

 私は手にしていた生地を作業台に置き、低い声で茂呂へ言い放った。

「余計なお世話なんだよ。黙って仕事しろよ」

 敬語を取っ払って睨みつけると、茂呂は驚いて言葉を失っていた。穂積も意外そうに私を見ている。ついでにサンドウィッチ担当のおばちゃんも仕切り壁の向こうから顔を覗かせた。

「なんだよ。俺がせっかく……」

 茂呂が文句を言いかけたが、私が何事もなかったように作業を開始すると、彼も口を閉ざした。他の皆も黙って動きだす。
 悪い癖が出た。
 澄ました顔を取り繕っているが、内心では少しばかり後悔していた。
 賢い大人なら、こういう場合にはムカついても堪えて、うまく立ちまわるべきなのだ。爆発した直後はすっきりするが、あとで居心地の悪い思いをするのは過去に経験済みだった。以前のバイト先でも似たようなことをやらかし、いたたまれずに辞めたのだ。
 私は普段無口で、外見も小柄で大人しそうなので舐められやすい。しかし舐められたままでいられるほど忍耐強くなければ賢くもないし、平和主義者でもなかった。茂呂も、まさか私が歯向かうとは思っていなかっただろう。
 それから昼前に店長がやってくるまで誰も一言も喋らなかった。
 その日は珍しく穂積が十時出勤だったので、先に休憩に入るのは私一人。店長に促されて作業場を出たら、話があるとのことで店長もついてきた。そしてバックヤードの暗い廊下で切りだされた。

「茂呂君から聞いたんだけど。久見君、社員になりたいんだって?」

 耳にした瞬間、あの野郎と私は腹の中で罵った。何を勝手に喋っているのか。

「違います。むしろ、いつ辞めようかと考えていたところですけど」

 茂呂への苛立ちから、つい口が滑って、まだ話す予定のなかった辞職のことを話してしまった。
 店長が驚いて目を見開く。

「え、辞めるつもりなのか? どうして」
「ええと、なんというか。まだ迷っているところなので」
「今、久見君に辞められるのは、困るんだよな。何か、困りごと? 相談に乗れることなら」

 私は少し迷い、困りごとの一つを話すことにした。

「茂呂さんがちょっと。ずっと話しかけてくるので、やりにくくて。以前のように店長に早番をしてもらえるといいんですけど」

 私が店長に訴えたことは茂呂に伝わるかもしれないが、今後関係回復できるとも思えないので、どうにでもなれという感じで告げ口しておいた。
 その後店長と別れて休憩を取った。精神的に、非常に疲れた気分だった。
 仕事に戻ると、入れ替わりで茂呂が休憩に入った。穂積はと見ると、壁に貼ってあるシフト表を眺めていた。
 今日は二十七日である。年末年始のシフトは普段とかなり異なるので、私も気になって隣に並んだ。
 ほんの少し前までは、バイトを辞めたいと思うほど穂積と会うとき気が重く、彼を避けまくり、隣に並ぼうなどと思いもしなかったのに、茂呂に毒気を抜かれたのだろうか。あまり躊躇う気持ちが起きなかった。この唐突な心境の変わりようは不思議なことだが、自分の中ではさほど不自然なものでもなかった。
 穂積が気づいて、話しかけてきた。

「久見さん、年末年始、がっつりバイト入れてるんですね」
「用事ないし、時給いいしね。穂積君も、だな」

 穂積の表を見ると、彼も晦日から三日まで入っていた。時間帯も私と一緒だ。

「帰省はしないんですか」
「うん」

 実家は隣県で、帰ろうと思えばいつでも帰れる距離にある。しかし帰りたくなるような実家ではなく、去年も帰っていない。
 きみも帰省しないのかと聞き返すような真似はしない。よほどの事情でもない限り帰省しないだろうことは聞かなくても想像がつく。彼の小説を読む限り、私など比較にならない複雑な家庭状況なのである。

「そっちも、バイト終えたら執筆?」
「そうなりますよね」

 穂積は少し躊躇うような間を置いてから、尋ねてきた。

「久見さんも忙しいでしょうけど、でも……もし可能なら、少しでいいので、時間、頂けないですか」

 躊躇い、言葉を選びながらの、ひどく気を遣った物言いを聞き、申しわけなさを覚えた私はいいよと頷いた。

「いいよ。いつにする? 明日は――シフト的に無理か。あとは、ええと」

 避けていた理由を話す腹は決まっていないくせに誘いに乗ったのは、申しわけなく思った以外にも複数ある。互いに、先ほどの茂呂の不躾な態度の被害者だったことからくる連帯感。茂呂に相談したわけではないと弁明しておきたかったこと。ブチ切れてアドレナリンが放出されたことにより、楽天的な思考に傾いていること。また、先日の飲みの席で茂呂とどんな話をしたのか気になっていたこともある。そしてノミネートの発表から時間が経ち、ショックが落ち着いてきたことも大きい。

「あとは晦日の仕事帰りか、なんなら大晦日、一緒に年越しでもいいし」
「年越し」
「あ、さすがにそんな時間はないか」
「いえ! 時間なんていくらでもあります! ぜひ!」

 ということで結局、大晦日に年越しということで決まった。それから作業台のほうへ戻る際、こそっと告げられた。

「ところで、さっきドスきかせてた久見さん、痺れました」

 見上げると、穂積は楽しそうな笑みを浮かべて私を見下ろしていた。彼のそんな表情を見るのは久しぶりのことで、うっかり胸がときめいてしまい、大いにうろたえた。


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