BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった

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「穂積君、パンドミのミックス粉、急いで持ってきてくれるか。とりあえず四袋、でいいですか、茂呂さん」

 茂呂が任せたと頷く。穂積も状況を察したようで、表情を引き締めて冷蔵庫を開ける。

「ついでに必要なもの、取ってきます」

 私も穂積の横から冷蔵庫を覗き込み、不足している材料をチェックし、頼んだ。
 穂積が出て行ったあと、私は練りあがっている生地をミキサーからとりだし、菓子パン生地を投入する。

「茂呂さん、黒ゴマフロマージュ、分割しちゃってください。あと、早いですけど先にクロワッサン作っちゃいますよ」

 菓子パン生地でなく、冷凍生地でできるものを先に作ることにする。
 穂積はまもなく戻ってきた。そして次の作業を私に確認してくる。

「俺、アップルパイ作りましょうか」
「うん」
「ひとまず十二?」
「それでいいと思う」

 普段の私は店長に云われたことしかしない完全なる指示待ち人間なのだが、バイト歴四か月弱の穂積と出向初日の茂呂が相棒では、必然的に私がリーダーシップを取らざるを得なかった。いつもは店長がやっていた菓子パン生地の分割も私が行い、穂積に形成してもらう。
 イレギュラーな手順と作業。できないことはないが、店長のように綺麗に素早くはできない。開店時刻が迫ってくるが、いつもよりもパンの準備が遅れていることをひしひしと感じ、焦りが募る。穂積が私よりも数段器用にテキパキとこなしてくれるのが救いだ。

「穂積君、これ頼む」
「了解」

 まるで普段からコンビを組んで業務をしているかのような、息の合った連携が続いた。
 二人で順調に遅れを取り戻していると、奥から茂呂の声が響く。

「あっれー。これなんで動かないんだ。奥が引っかかってるのか?」
「あ、待って。無理に引っ張ると壊れる。それ、コツがあるんで」

 茂呂の動きを見ていると、パンの扱いは手慣れているし、要領が悪いわけではなさそうだった。ただ彼の勤める店とは諸々異なるようで、なにかとフォローが必要であった。
 かような状況だったので、昼前に店長が現れたときにはホッとして力が抜けた。てんやわんやの午前業務を終え、私と穂積は休憩に入った。
 従業員用食堂の空いている席に座るなり、私はぐったりとして大きく息をついた。定食を購入してきた穂積が隣に座り、労わってくれる。

「お疲れさまでした。久見さん、めっちゃ頑張ってましたね」
「きみこそ。こんな大変な日になるとは思わなかったな」

 穂積はいつもの四割増しのスピードで働いていたのではなかろうか。まだ新人なのに習った仕事は完璧にこなせるし機転も利く男である。今日の相棒が彼でなかったら、いったいどうなっていたかと空恐ろしくなる。

「仕事中にあんなに喋る久見さん、初めて見ました」
「いつもは私語厳禁だしね」
「普段から、仕事中のあなたは一生懸命で素敵だなと思っていましたが、今日はいつにも増して格好よかったです。寡黙に働く姿もいいですが、キビキビ指示を出すあなたもいいですね」

 穂積が頬を緩めてそんなことを云ってくる。それを聞き流し、私は蕎麦を啜った。
 無視していても、彼は私を見つめ続けてくる。そのせいで出会い頭の居心地の悪さが蘇ってしまった。忙しかったおかげで仕事中は忘れていられたのに。ボロアパートのベッドで穂積に押し倒され、咥えられた光景がチラついてしまう。彼の、情欲に濡れたまなざし。その目の前で達したあの瞬間。それを思いだし、体が熱くなってしまった。
 彼を意識しているどころか、情事を思いだしているとばれたら、なんとからかわれるか知れたものではない。外見上は無関心を取り繕った。
 しかし穂積は私の無視も構わず、甘く続ける。

「格好いいんですけど、でも可愛かったです」

 私は蕎麦を啜るのを止め、眉間を寄せた。
 私の容姿で可愛いのは身長くらいであり、顔立ちは特筆することもない。育ちがよさそうと云われたことは過去にあるが、可愛いと云われたことなどない。理解に苦しむと文句を言おうとしたら、穂積に云われた。

「寝癖、ついてますよ」

 後頭部を指差される。

「いつも可愛いんですけどね、今日はその寝癖で特に。あなたが動くたびに髪もぴょこぴょこ跳ねていて、何度抱きしめたくなったか」

 私は顔をしかめて後頭部の髪を押さえた。帽子をかぶれば大丈夫だと思っていたが、隠れていなかったか。
 寝癖などどうでもいいと思っていたが、可愛いなどと評されるのならば、直しておくべきだった。
 穂積は私の様子を見て、クスクスと笑う。そのまなざしは甘く、私が愛しいという感情で溢れている。
 私は頬が熱くなるのを感じた。ここは従業員食堂であり、周囲には大勢の人の目があるのである。そのように雰囲気をだされたら、あらぬ誤解を受けそうではないか。多少なりとも肉体関係を持ってしまった仲ではあるので、あらぬ誤解ではなく、正当な解釈をされそうと言うべきかもしれぬが、ともかく恥ずかしいのでやめてほしい。

「きみね。そういうの、やめてくれないか」

 さすがに耐えきれず、睨んだ。

「そういうのとは?」
「だから。こんな場所で可愛いと言ったり、そういう雰囲気をだしたりだよ」

 露骨に不快感を表して睨んでいるというのに、私を見つめる彼は頬を染め、にやけるのを抑えるように片手で口元を覆った。なんだその態度はと、なおも睨み続けると、降参とばかりに彼の視線が泳いだ。

「すみません……その、やめてほしいんですよね? でもそんな風に可愛く上目遣いで抗議をされても逆効果と言いますか。こんな場所じゃなければ口説いてもいいの? とか、そういう雰囲気って具体的にどんな雰囲気? とか尋ねたくもなりますしですね。照れてるのが可愛いなあとか、そんな可愛い顔が拝めるなら、もっと困らせたくなるなあと」

 困ったようなにやけ顔で告げられ、私の顔はさらに熱くなった。
 三十路男の睨みが可愛い上目遣いに見えるとは、この男の目には、世界がどんなふうに映っているのだろう。
 もしや、私のBL作品によく出てくる、気弱で優しく可愛い主人公と錯覚しているのだろうか。主人公達と私の共通項は、大人しそうな外見のみ。私の中身は下衆の極みなのだが。

「照れてるんじゃない。居心地が悪いからやめてくれと言っているんだ」

 断固として否定しても、彼の表情は変わらない。この抗議も可愛いなどと思われているのだとしたら、もう、どんな態度をとればいいのかわからなくなる。
 私は息をつき、食事を再開した。それに合わせて穂積も私を見つめるのをやめ、食べはじめる。

「ん、今日の定食のから揚げ、美味いですよ。よかったら一つ、食べてみません?」

 穂積が甘い雰囲気を封印し、無害な話題を振ってきた。
 この男はこういうところがうまいと常々思う。肉体関係後のせいか、今日のからかい方はしつこかったが、それでも引き際を悟るとすぐさま話題を転じ、相手を不機嫌なまま放置しない。術中に嵌っていると自覚しつつ、私はから揚げを一つ貰い、本当だ美味いねなどと同調し、許してしまう。
 そのうち他のパートも休憩に合流し、午前中の苦労を労いあい、休憩が終わった。
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