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BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった1

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 作業場へ行くには売り場を通っていくのだが、作業場の出入り口付近に独身女子がいた。いっさい意識していない風を装ってキャスケット帽を目深にかぶり直し、台車を押して近づいていく。すれ違う際、素早く視線を動かして盗み見ると、彼女のほうは私に目もくれず、一心に作業場を見つめていた。何を見ているのだろうと気になってその視線を追ってみると、店長の隣に背の高い男がいた。糊のきいた白衣を着ている、ということは、先ほど話にあった新人が来たのだろう。よく見えないが、どこかで見覚えがあるようなと思いながら作業場へ入っていくと、店長が私に声をかけた。

「久見君、こちらが今日から新しく来てくれる穂積ほづみ君。よろしくな」

 青年がこちらに顔を向ける。その顔を正面から見た私は、驚愕のあまり内心でアッと叫んだ。
 端正で中性的な顔立ちの、俳優顔負けのイケメン。
 その顔を、私はよく知っていた。

「よろしくお願いします」

 穂積は端正な顔に綺麗な笑顔を浮かべ、低く良い声で私にあいさつをした。
 私は棒立ちになり、言葉を発することができなかった。

「穂積君、十一時までは販売のほうで佐藤さんから教わって一緒にやってくれ。佐藤さん、頼むよ」

 店長に云われ、穂積が俺に会釈して作業場から出ていく。彼が向こうへ行ってもなお呆然としていると、

「久見君、そこ、通り道だから荷台片付けてくれないか」

 店長に急かされ、慌てて荷物を片付けた。そしてパン作りを再開するが、頭の中はそれどころではなかった。
 穂積――穂積雅文ほづみまさふみ
 私は彼を知っていた。
 彼は、私小説家の穂積雅文である。
 勘違いではないはずだ。
 マスコミに出ないので世間にはあまりその姿を認知されていないが、彼が純文学誌の新人賞を受賞した際、紙面に写真が掲載されたので知っている。その賞の同じ回に私も応募し、落選したのだった。初めての応募だったのでよく覚えている。受賞者が自分より三つも年下だったことが、口惜しかった。そんな簡単に受賞できるものではないと冷静さを取り繕いつつも落胆し、穂積の笑顔の写真を羨望と嫉妬を抱きながら食い入るように眺めたのだった。
 彼が受賞せずとも自分が受かる見込みはなかったのだが、それでも勝手に敵愾心てきがいしんを抱いている相手であった。
 その彼が、よもや自分の職場へやってくるとは。思ってもみない事態である。
 売れっ子私小説家と売れないBL小説家が偶々たまたま同じバイト先に居合わせるという天文学的な偶然に、ただの偶然ではなく不吉な奇縁を感じてしまう。ここでバイトをするということは、彼もこの辺りに住んでいるということであろう。知らなかった。しかし何故なにゆえ、売れっ子私小説家が相場より時給が低いこと以外に特徴のないパン屋でバイトをするのだろう、等々、いくつもの思いが一度に脳内を駆け巡る。
 作業場は一面がガラス張りになっており、売り場が見えるようになっている。穂積は食パンを棚に陳列していた。店長が指導を頼んだのは四十代女性のほうだが、なぜか独身女子も穂積の横に張りついており、媚びた笑顔を浮かべて話しかけている。
 それを見た私は独身女子の浅ましさに「売女ばいため」と悪態をつきたい気分に駆られ、さらに穂積のイケメンぶりにますます嫉妬心を燃やすのであった。
 私はペストリーを作りながら、窯にパンを入れている店長へ尋ねた。

「店長。なぜ彼を採用したんですか」
「なぜって。人柄よさそうだし、時間の融通がきくって言うし。なんでそんなことを訊くんだ?」

 店長は彼が小説家であることを知っているのだろうかと気になってそんな質問を投げてみたが、どうやら気づいていないようだ。逆に質問を返されたので、

「男の採用は珍しいんで、縁故採用とかかなと思って」

 と、適当なことを言い繕って誤魔化した。
 十時をまわり、客が入ってくる。この時間帯はもっぱら女性客であるが、客の視線はパンよりも穂積に注がれているように見えた。
 やがて十一時になり、彼が作業場へ戻ってくると、今度は私が彼に仕事を教えることになった。
 作業台を向き、すぐ横に彼が立つ。私は小男で、彼はかなり高身長。頭一つぶん程度の身長差がありそうだ。見下ろされることには慣れているのだが、相手が穂積と思うと妙な緊張を覚えた。
 私はまだ熟練のバイトではないが、一通りの仕事はできるので、これまでにも何度か新人に教えたことはある。内心の動揺は隠し、いつもの調子で淡々と指導していく。

「カレーパンはさ、少しずつまわしながらこうやって……最後はしっかりくっつけないと、具が油っぽいから、発酵させているうちに開いちゃうから」

 などと言いながら手本を見せるが、動揺しているせいかいつも以上にいびつな代物が出来上がった。穂積が作ったもののほうがよほど綺麗な仕上がりだ。
 イケメンで、小説で成功している上、手先も器用とは腹立たしい。
 昼前に遅番の女性社員が出勤してきたので、私と穂積は休憩に入った。バックヤードに職員専用の広い食堂があり、そこに並んで座る。昼飯は、穂積は店で買ったパンとコーラ、私は家から持参した蕎麦である。
 穂積が私のタッパーを覗き込んだ。

「弁当ですか。愛妻弁当?」
「まさか。自分で茹でた」
「自炊ですか。すごい」

 茹でた蕎麦だけの弁当のなにがすごいものか。私は「金がないから」と不愛想に答え、蕎麦に麵汁をかけてすすった。

「俺も金はないですけど、朝から自炊は無理ですよ。朝は苦手で。久見さんは、朝は何時出勤なんですか」

 穂積はにこにこと柔和な笑顔を浮かべながら、当たり障りのないことをあれこれ聞いてくる。低い声は穏やかで耳障りがよく、口調も柔らかいため、こちらも不愛想ながらもするすると答えてしまう。週四のフルタイムで勤めているなどという勤務に関すること以外にも、三十路の独身で彼女もいないというプライベートなことも話してしまった。
 このまま彼の調子にあわせていたら、休憩が終わってしまう。いや、それよりそろそろ販売スタッフも休憩に来る頃だ。二人きりのうちに聞いておきたい。話の流れをぶった切り、私は切りだした。

「あのさ。なんで穂積雅文がパン屋でバイト?」


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