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BL小説家と私小説家がパン屋でバイトしたらこうなった1

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 私は小説家である。
 名を久見一二三くみひふみという。ペンネームは本名を少し変えている。
 幼い頃から小説が好きで、小学生時分、漫画やゲームに興じる周囲を後目に北方謙三や池波正太郎を読むような、いささか渋い趣味の子供であった。勉強ができたよしもあり、同級生たちをやや見下した目で眺め、読書を趣味とする己をよしとした、プライドの高い厭な子供でもあった。十代の頃は引き続き躍動感溢れる時代ものを好んで読んでいたが、二十歳のときに西村賢太に出会い、それ以降大正から昭和初期の純文学、とりわけ私小説に傾倒するようになった。そしていつしか自分でも書くようになり、BL小説家となった。
 純文学に傾倒していた青年が、何故なにゆえBL小説家となったのかと問われれば、たまさか流れに任せていたらそうなったと答えるよりない。無論、初手は純文学雑誌の新人賞に応募したのだが、落選が続き、魔がさしたというか、破れかぶれな気分になったとき、ふとBLでしか成立しないアイデアが浮かび、軽い気持ちで書いた。書いたからには評価を得たくなり、投稿したらBLレーベルの一つが拾ってくれたのである。
 プロとして書かせて頂けるのならばありがたいと感謝の念は抱きつつ、しかしながらゲイでもない自分にBLというジャンルで私小説は書けない。BL作家として求められるものを書き続けながらも本当は私小説を書きたいという本音を燻らせ、いつかはと夢見ているうちに月日が経ち、よわい三十となった。
 元来、飽き性で怠惰な性分である。それに加え、子供時分から周囲を見下して読書に耽っていたことからも知れるように、コミュニケーション能力が低く、陰気な男である。それゆえ新卒で入社した会社は同僚と上手くいかず、仕事内容にも飽き、一年で退社した。その後バイトを転々としながら私小説の投稿を続け、二十六の時にBL作家デビューしたわけだが、プロになった今もバイトを続けている。
 なにしろ原稿依頼は半年に一度。初版六千部定価七百円の文庫本の印税は四十二万円である。それだけではとても食ってはいけない。
 そんなわけで今日も朝からバイトである。賞味期限切れのパサついた食パンを腹に収め、Tシャツとスウェットのズボンという寝間着を着替えもせず、築四十年の安普請アパートを出た。
 バイト先は駅から徒歩七分の立地にある、ショッピングセンター内のパン屋である。時給は相場より微妙に少ない。少ない理由は売れ残りのパンを貰えるためであろうと決め込み、それなら得ではないかとバイト募集に応募したのだが、面接の際に、売れ残りはすべて破棄するむねを説明された。パンの耳さえ貰えない。それを聞いて糞と思ったが、根が小心者ゆえ、ならば応募は取り消しますと即座に帰ることもできず、甘んじて採用されてしまった。
 採用されてしまったものはしかたがない。数日働いて、あとは適当に理由をつけて辞めればいいと思ったのだが、存外、居心地がよくて続いており、なんだかんだ一年が経つ。
 ショッピングセンターへ着くと、従業員用ロッカールームでキャスケット帽と白衣に着替え、表のフロアへ出た。パン屋は食品売り場の一角にあり、比較的広いテナントである。売り場の奥にある作業場へ入ると、店長が一人でパンを焼いていた。
 入り時刻は午前八時半。開店前のこの時刻は店長の一人体制で、九時までは私と店長の二人きりが常である。二十人近い構成員の大半はパートの女性で、女性社員が一人。男性は中年の店長と私だけ。

「久見君、パンドミの生地作ってくれ」

 あいさつもそこそこに指示が飛んできた。店長は温厚で善良な人物なのだが、午前中の品出しが一区切りつくまでは、ここは戦場だと言わんばかりの殺伐とした雰囲気を纏う。

「それから、今日、新しいバイトの子が入るから」

 新人は独身男性で、二十七歳だという。独身女子ならば気になる情報だったが、男に興味はない。私は気の抜けた返事をしながら粉袋を抱えあげた。
 このパン屋は表向き個人経営のような野暮ったい店名を掲げているが、内実は大手有名パンメーカーが運営している。そのため工場から届く粉袋の中身は必要な粉類がすでにミックスされており、新人バイトでも簡単に作れるようになっている。私は既定量の粉と水を巨大な業務用ミキサーに投入し、攪拌を開始させると、作業台の店長のむかいに立つ。店長がパン生地を分割してこちらに寄越すので、それを受けとり、指示通りにチョココロネ、アンパンと次々作っていく。
 一年間この作業を続けているが、手先が不器用なので、未だに一個作るのに時間がかかってしまうし、急ぐと不揃いになってしまう。手先を使う細やかな作業は向いていないと自覚しているが、この種の仕事は好きだった。黙々と、次こそ素早く、次こそ綺麗にと思いながらひたすら作っていくのは己との闘い以外の何物でもなく、性に合っていた。思えば昔、体育の授業で行ったスポーツでは、バレーやサッカーなどの団体競技や柔道のように直接対戦するものより、陸上や体操などの個人競技が好きだった。
 やがてサンドウィッチ担当のおばちゃんがやってきた頃、いったん店舗を離れ、これから必要になるものをとりにバックヤードへ向かった。
 粉袋に冷凍デニッシュ生地、卵液、ホイップなど台車に乗せて戻ってくると、販売担当のスタッフが来ていた。既婚の四十代女性と、二十代独身女子。独身女子の容姿は中の下。及第点ではないが、おとなしそうな雰囲気がかろうじてタイプの部類に入るので、もし、どうしてもと言い寄られたらつきあってもよかろうと思っている。彼女が店に入って半年。まだ話しかけられたことはない。
 売り場に入ると、四十代女性が私に気づいた。

「ヒフミン、おはよう」

 スタッフの数人は、私を下の名の愛称で呼ぶ。私は無口で陰気で愛想のない小男であり、積極的に他者に打ち解けようと試みる性質は持ちあわせていない。にもかかわらず親し気に呼ばれるのは、たんに特徴的な名前であることと、職場のアットホームな雰囲気によるものだろう。硬派を気取る独身男子としては「ヒフミン」とは歓迎しかねる愛称だが、かの天才棋士、加藤一二三も同じ愛称であるし、やめてくれと拒絶するほどの嫌悪はない。愛称で呼ばれること自体は、仲間として受け入れられている示唆であるため嬉しくはある。

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