とある日

だるまさんは転ばない

文字の大きさ
上 下
32 / 46

オレンジ色の軌跡

しおりを挟む
放課後の陽が沈みかけた頃、二人はいつものように駅前の路面電車に乗り込んだ。学校から家まで帰るための、毎日変わらないルート。陽菜(ひな)は窓際に座り、頬杖をつきながら外を眺めている。反対に、隣の席に座る優斗(ゆうと)はカバンの中から勉強道具を取り出して、黙々とノートに向かっていた。

「また、勉強?」

陽菜が小さく微笑みながら声をかけると、優斗は手を止め、少し気まずそうに顔を上げた。

「うん、試験近いし…」

「真面目だね、いつも。たまには景色でも見たら?」

陽菜の視線を追って、優斗は窓の外に目をやる。オレンジ色に染まった街並みが、ゆっくりと後ろへ流れていく。路面電車特有の揺れとガタンゴトンという音が、二人の間に柔らかな静けさをもたらしていた。

「景色なんて、いつも同じだよ」

そう言う優斗に、陽菜は肩をすくめて笑う。

「そうかな。私は毎日違う気がするんだけど」

優斗は少し驚いたように彼女を見つめた。陽菜は繊細で、感受性豊かだ。彼女が時折見せる不思議な発言に、優斗はいつも心を動かされる。そして、それが彼女の魅力だとも思っていた。

二人がこの路面電車に一緒に乗り始めたのは、春の始まりだった。偶然にも帰る方向が同じで、自然と会話が増えた。最初は天気のことや授業の話だけだったが、いつの間にか互いの夢や、未来について語り合うようになっていた。

「ねえ、優斗は将来どうしたい?」

ある日、陽菜が不意に問いかけた。

「俺?…まだはっきり決まってないけど、エンジニアになりたいと思ってるんだ。技術を使って、何か大きなことを成し遂げたいってずっと思ってた」

「へえ、カッコいいね。優斗ならできるよ、きっと」

陽菜の無邪気な笑顔に、優斗は少し恥ずかしくなって目をそらした。

「陽菜は?」

「私は…分からないな。でも、誰かのそばにいたいかな。大切な人の力になれるような、そんな仕事がいいなって」

「ふーん、陽菜らしいね」

その瞬間、電車がカーブを曲がる。優斗の肩に陽菜が少し寄りかかると、彼はドキッとした。心臓の音が一瞬、大きく鳴った気がする。

季節が夏に変わる頃、陽菜は少しずつ変化していた。以前は明るく話していた彼女が、最近は窓の外ばかり見つめて、優斗との会話も少なくなった。優斗は何かがおかしいと感じていたが、それを口に出すことができなかった。

ある日、陽菜は突然、こんなことを言った。

「優斗、私ね…もうすぐ引っ越すんだ」

その言葉は、優斗の胸を強く締め付けた。何も言えずにただ驚いた顔を見せるしかなかった。

「お父さんの仕事の関係でね。遠くに行くの」

彼女の目が潤んでいるのを見た瞬間、優斗はようやく何かを言わなければならないことに気づいた。

「それ…いつ?」

「来月の終わり」

優斗は言葉を失った。彼女と過ごす日々が、永遠に続くように思っていたからだ。引っ越しが現実だとは、まだ受け入れられなかった。

それからの数週間、二人はいつものように路面電車に乗ったが、会話は減り、互いの心がどこか遠ざかっているように感じた。時間は残酷に過ぎ去り、陽菜の引っ越しの日が迫っていた。

最後の日、彼女は少し早めに優斗に電話をかけた。

「今日、電車で待ってるね。最後に…ちゃんとお別れしたいから」

優斗はその言葉に何かを感じながら、駅に向かった。乗り込むと、そこにはすでに陽菜が待っていた。今日はいつもと違って、彼女の目は真っ直ぐ優斗を見つめていた。

「もうすぐ、終点だね」

「うん…」

電車はガタンゴトンと進み、窓の外には秋の気配が漂っていた。優斗は何を言えばいいのか分からなかった。ただ、彼女がいなくなる現実を直視することができずにいた。

「ねえ、優斗。私、この電車に乗るたびにいつも思ってたんだ」

「何を?」

「終わりたくないなって。だけど、終点は必ず来るんだよね」

優斗は黙って彼女の言葉を聞いていた。その言葉には、彼女の心の奥底にある悲しみが滲んでいた。

終点に着くと、二人はゆっくりと電車を降りた。夕陽が街を柔らかく包んでいる。陽菜は静かに優斗に向き直り、微笑んだ。

「ありがとう、今まで。優斗と一緒に過ごせて、本当に楽しかった」

彼女の言葉に、優斗はどう返せばいいのか分からなかった。ただ、込み上げる感情を抑えながら、口を開いた。

「俺も…ありがとう。陽菜がいたから、毎日が特別だった」

二人はその場で見つめ合ったまま、時間が止まったかのように感じた。陽菜はその後、軽く手を振り、優斗に背を向けて歩き出した。

彼女の姿が小さくなっていくのを見送りながら、優斗は自分が言うべき言葉を見つけられなかったことに後悔していた。しかし、その後にふと気づく。電車と同じように、彼らの旅にも終点があったのだと。

その日から、優斗は一人で路面電車に乗るようになった。同じ景色、同じ揺れ、しかし、隣にはもう彼女はいない。それでも、彼は心の中で彼女と過ごした日々を思い出しながら、今日も電車に揺られ続ける。

彼の旅はまだ続いているのだろうか。それとも、もうすでに終点に着いているのか。

彼自身にも、まだ分からなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

先生と僕

真白 悟
ライト文芸
 高校2年になり、少年は進路に恋に勉強に部活とおお忙し。まるで乙女のような青春を送っている。  少しだけ年上の美人な先生と、おっちょこちょいな少女、少し頭のネジがはずれた少年の四コマ漫画風ラブコメディー小説。

ボールの行方

sandalwood
青春
僕は小学生だけど、これでも立派な受験生。 放課後、塾のない日は図書館に通って自習するほどには真面目な子ども……だった。真面目なのはいまも変わらない。でも、去年の秋に謎の男と出会って以降、僕は図書館通いをやめてしまった。 いよいよ試験も間近。準備万端、受かる気満々。四月からの新しい生活を想像して、膨らむ期待。 だけど、これでいいのかな……? 悩める小学生の日常を描いた短編小説。

男女比の狂った世界で愛を振りまく

キョウキョウ
恋愛
男女比が1:10という、男性の数が少ない世界に転生した主人公の七沢直人(ななさわなおと)。 その世界の男性は無気力な人が多くて、異性その恋愛にも消極的。逆に、女性たちは恋愛に飢え続けていた。どうにかして男性と仲良くなりたい。イチャイチャしたい。 直人は他の男性たちと違って、欲求を強く感じていた。女性とイチャイチャしたいし、楽しく過ごしたい。 生まれた瞬間から愛され続けてきた七沢直人は、その愛を周りの女性に返そうと思った。 デートしたり、手料理を振る舞ったり、一緒に趣味を楽しんだりする。その他にも、色々と。 本作品は、男女比の異なる世界の女性たちと積極的に触れ合っていく様子を描く物語です。 ※カクヨムにも掲載中の作品です。

バーチャル女子高生

廣瀬純一
大衆娯楽
バーチャルの世界で女子高生になるサラリーマンの話

教え子に手を出した塾講師の話

神谷 愛
恋愛
バイトしている塾に通い始めた女生徒の担任になった私は授業をし、その中で一線を越えてしまう話

【一話完結】3分で読める背筋の凍る怖い話

冬一こもる
ホラー
本当に怖いのはありそうな恐怖。日常に潜むあり得る恐怖。 読者の日常に不安の種を植え付けます。 きっといつか不安の花は開く。

徹夜明けの社畜 ヤンキー姉さんと海へ行く

マナ
青春
IT土方で今日も徹夜している社畜のボクは、 朝方栄養ドリンクを買いに会社からコンビニへ行く。 そこで出会ったいかにもヤンキーという感じの女の人に声を掛けられ、 気付いたら一緒に海へと向かっているのだった。

処理中です...